Kimama Cinema

観た映画の気ままな覚え書き

ジゴマ

2015年11月14日 | 1910年代 欧州

ジゴマ(原題:Zigomar)

 
『ジゴマ(Zigomar)』1911年 『ジゴマ後編 (Zigomar contre Nick Carter)』1912年、『探偵の勝利 (Zigomar, peau d'anguille)』1913年 フランス
監督・脚色:ヴィクトラン・ジャッセ
出演:アレクサンドル・アルキリエール、アンドレ・リアベル、シャルル・クラウス、ジョゼット・アンドリオ

 名古屋で毎秋催される「やっとかめ文化祭」の企画・まちなか寺子屋【怪盗ジゴマと近代映画史】で、20世紀初期のフランス映画『ジゴマ』を見ることができた。

 解説は中部大学・椙山女学園大学講師の小林貞弘さんと、映画パーソナリティの松岡ひとみさん。明治45年に日本でも上映され、はじめての洋画ヒット作品となるが、強盗・殺人を繰り返す内容から子どもに悪影響があるとされ、上映禁止処分となった幻の映画との事だった。

 映画は、街角から女をさらい、アジトへ連れていっては華やかなパーティを繰り返す怪盗ジゴマたちの様子から始める。ジゴマは探偵ポーリンに追いかけられると素早く警官に変装し、その場を逃げおおせ、更にホームレスへと早変わり。だまされたことに気づいた探偵が必死で詰め寄ろうとするも、ジゴマはさっさと逃げる途中で列車に飛び乗って、そこでも盗みをはたらく。場面は次々と変わり、ホテル強盗に入ったかと思えば、山岳ガイドになりすましリゾートを楽しむ富裕層から金を巻き上げる。怪盗ジゴマと探偵ポーリンとの壮烈な出し抜き合戦が続き、ついにジゴマ団のアジトが爆破されたところで1部終了。

 展開が早い!早い!! ところどころ2倍速3倍速にしていたり、ひっきりなしにシーンの切り替えがあったりして、アニメーションでよくある追いかけっこのよう。

 これが当時の日本は、活動写真弁士が大声でまくしたてるナレーションと生演奏つきで上映されていたのだから、興奮しきりだったろう。一部音源も聴くことができたけれど『ああ活動大活動写真』弁士・山地幸雄さんの語りによると「花のパリかロンドンか、月が鳴いたかホトトギス。今やパリ市民を恐怖のどん底へ追い込む風のごとき怪盗団あり。現場に残るZの一字。Zとはそもそも何者か。」なんて、ブチかましている。立て板に水のごとく、耳あたりの良い言葉をトントントーーンと意味なく容赦なく続けていく。Zは何者か、なんて怪傑ゾロを思い浮かべてしまいそうだけど、ジゴマの方が先。うーん、全然知らなかった。少年時代の江戸川乱歩もジゴマに夢中になり、後の「怪人二十面相シリーズ」に影響を与えたとも言われている。

 さて今回の発掘フィルムでは、1編目修了後に、そこに3編目にあたる『探偵の勝利』の一部分がはさみこまれ、小型飛行機と蒸気船での立ち回りがみられる。

 そして突如2編目にあたる『ジゴマ後編』に切り替わる。1編目で大活躍をみせた探偵ポーリンは、のっけから自宅に爆薬を仕掛けられ、ジゴマに殺されてしまう。後任として名乗りをあげた探偵ニックは、ジゴマの愛人オルガに会い「あなたの本当のお父さんは、ポーリン探偵です」と打ち明ける。オルガは父の仇を討つために、ジゴマを裏切るのであった。

 来たよー衝撃的展開! ここぞとばかりに弁士たちが盛り上げまくっただろう。映像が細切れなのが、本当に残念。タイムマシーンに乗ったら、行きたいところがまた一つできたな、と思う。

 それにしても1911年におフランスで撮影された映画が、同年に日本で上映されるなんて、にわかに信じがたいけれど、ジゴマの原作小説が新聞掲載されたのは1909年、出版が1910年との記録から史実だろう。きっと今よりも面倒くさいことが少なかったのかな。

 で、日本でも封切り直後から劇場に観客が大挙して押し寄せた『ジゴマ』だが、悪人が大活躍するという点で批判も多かったと言う。ジゴマの影響を受けたとされる犯罪報道が多発したり、子どもたちに泥棒をまねる「ジゴマごっこ」が流行したりしたことを受けて、禁止処分を訴える世論が高まり、1912年10月9日に警視庁が上映禁止を発表。

 名古屋の大須にあった「太陽館」では、処分施行日は同月20日だったにもかかわらず、他地域より早く上映を打ち切った。名古屋では特に、思想に関する取り締まりが厳しかったらしい。これは当時の愛知県知事が、警視庁出身の官僚で日本に於ける警察と消防行政の基礎を築いた人物とされる松井茂氏だったことが大きく、氏は名古屋という地域に対し、東と西の文化が入り交じる交差点ではなく「防波堤」となるべきだとの考えがあり、外からの文化を簡単には受け入れない風潮ができあがったのだとか、という解説がおもしろかった。