十勝・帯広、釧路・根室と来れば、次は道北・稚内と言うことになります。ただ残念ながら、道北の天塩、稚内地方には数えるほどしか行ったことがないのです。学生時代に自動車部の遠征で北海道沿岸一周時、昭和59年函館支店勤務時に同僚と利尻・オホーツクへ、最後が退職前の平成16年にのシャップ岬へ、の計3回のみです。学生時代の画像もありますが遠征の記録ですので、今回はS59年とH16年の画像を紹介いたします。
昭和59年当時は、小樽から利尻、礼文にフェリーが通っていたのです。このフェリーもその後数年で廃止されました。小樽港を夜の11時頃に出て、途中天塩沖で時間調整して、翌朝午前6時に利尻の沓形港に到着しました。当時の運賃で、27800円と記録が残っています。車は日産ローレルスピリットと言う1500ccの車でした(下の画像、赤い車)。
(右端が私、当時40才、今ほどのメタボではない、奥が支店の後輩H君)
朝の6時に沓形港に到着し、車で島の周囲を2時間ほどで回ると、後は見るものがありません。稚内へのフェリーの予約が夕方です。やむなく海岸に降り、あまりの水の綺麗さに、ついフリ〇ンで泳ぎに熱中してしまいました。さてあがろうとした時に、なんと若い女性の観光客が数人近寄ってきます。慌てて、車の中へ逃げ込んで、事なきを得た記憶があります。
(利尻の何処の海岸か忘れてしまいました)
夕方フェリーで稚内港に着き、一旦南に下がり、豊富温泉で1泊しました。ご存知の方も多いかもしれませんがここの温泉は、若干石油のにおいがします。翌日は稚内から宗谷に抜けオホーツク海岸沿いに浜頓別に出ました。途中の猿払原野には、大小さまざまな沼があります。
(当時は花に興味がなく、湿地の植物の写真が殆どありません)
(シシウドでしょうか、北海道なら何処でも見かける植物)
なお、翌日は浜頓別から、私の実家のある小樽に向かい、翌々日には函館に戻りました。ここまでの画像はすべてOLYMPUSU OM-1+negaカラーによるものです。(昭和59年7月28-30日)
さて、最近といっても平成16年7月3-4日に訪れたのは、小樽から留萌、天塩の国道232号線、別名オロロンラインを通ってノシャップ岬に行った時のものです。なお、稚内にあるのが「野寒布岬(ノシャップ)」で、道東の根室の先端にあるのが「納沙布岬(ノサップ)」です。紛らわしいですね。紛らわしいついでにもう一つ。日本海側の天塩にあるのが、「サロベツ原野」で、オホーツク海側にあるのが「サルフツ(猿払)原野」です。
(留萌を過ぎて苫前、羽幌を過ぎると、風力発電のプロペラがいたるところに出現します)
(モノクロフィルムで撮影し、スキャナーで出力したら、こんな素敵な色調で出て来ました 中央遠方に利尻富士が…)
私の所有するスキャナーは、CANON 5200F(平成16年5月発売)と言う、今では時代遅れのスキャナです。でも時として、とんでもない発色をしますので、重宝(?)しています。ともあれ、ここノシャップ公園で車中泊です。
(オブジェの向こうに日が落ちます 空気が澄んでいるせいか、夕焼けがとても美しく感じます)
(少し稚内よりの浜辺 午後8時を過ぎてとても美しい夕焼けになりました)
(稚内港の防潮堤遊歩道)
ノシャップ公園の駐車場で車中泊していると、午前3時ころ釣り船のエンジンの音で目が覚めました。もうすっかり明るくなっております。釣り船の先を見ると、利尻富士がくっきりと見えます。
(ノシャップの夜明けは早い)
(午前3時半には灯台の根元から朝日が昇りはじめ、うろこ雲が綺麗に…)
当初は、ここノシャップ付近でもう1泊する予定でした。周辺を走ってみましたが、日中は特に撮るべき被写体もありません。近くの温泉も探しましたが、いずれも営業開始が午後2時頃です。やむなくサロベツ原野まで下がりましたが、ここでも納得できる写真が撮れませんでした。それではと、夕方まで待とうとオロロンライン沿いの駐車場で仮眠です。
(浜辺の民家の入り口には、こんなオブジェが交通安全を願っておりました)
午後3時近くまで休んでいると、雲が多く出てきて、先行きが怪しくなってきました。綺麗な夕景が望めないと判断し、小樽に戻ることにしました。遠別まで戻ると日は完全に落ちて夕闇が迫ってきます。ふと海岸を見ると、利尻島の上に綺麗なまだら模様の茜がさしております。
(もう少し北寄り=稚内寄りから撮れば、もっとダイナミックな画像が…後の祭りでした)
自宅に着いたのは深夜0時頃でした。このH16.7.3-4の画像は、CANON EOS55、EOS7で、ネガ及びポジフィルムで撮影しております。
昭和59年当時は、小樽から利尻、礼文にフェリーが通っていたのです。このフェリーもその後数年で廃止されました。小樽港を夜の11時頃に出て、途中天塩沖で時間調整して、翌朝午前6時に利尻の沓形港に到着しました。当時の運賃で、27800円と記録が残っています。車は日産ローレルスピリットと言う1500ccの車でした(下の画像、赤い車)。
(右端が私、当時40才、今ほどのメタボではない、奥が支店の後輩H君)
朝の6時に沓形港に到着し、車で島の周囲を2時間ほどで回ると、後は見るものがありません。稚内へのフェリーの予約が夕方です。やむなく海岸に降り、あまりの水の綺麗さに、ついフリ〇ンで泳ぎに熱中してしまいました。さてあがろうとした時に、なんと若い女性の観光客が数人近寄ってきます。慌てて、車の中へ逃げ込んで、事なきを得た記憶があります。
(利尻の何処の海岸か忘れてしまいました)
夕方フェリーで稚内港に着き、一旦南に下がり、豊富温泉で1泊しました。ご存知の方も多いかもしれませんがここの温泉は、若干石油のにおいがします。翌日は稚内から宗谷に抜けオホーツク海岸沿いに浜頓別に出ました。途中の猿払原野には、大小さまざまな沼があります。
(当時は花に興味がなく、湿地の植物の写真が殆どありません)
(シシウドでしょうか、北海道なら何処でも見かける植物)
なお、翌日は浜頓別から、私の実家のある小樽に向かい、翌々日には函館に戻りました。ここまでの画像はすべてOLYMPUSU OM-1+negaカラーによるものです。(昭和59年7月28-30日)
さて、最近といっても平成16年7月3-4日に訪れたのは、小樽から留萌、天塩の国道232号線、別名オロロンラインを通ってノシャップ岬に行った時のものです。なお、稚内にあるのが「野寒布岬(ノシャップ)」で、道東の根室の先端にあるのが「納沙布岬(ノサップ)」です。紛らわしいですね。紛らわしいついでにもう一つ。日本海側の天塩にあるのが、「サロベツ原野」で、オホーツク海側にあるのが「サルフツ(猿払)原野」です。
(留萌を過ぎて苫前、羽幌を過ぎると、風力発電のプロペラがいたるところに出現します)
(モノクロフィルムで撮影し、スキャナーで出力したら、こんな素敵な色調で出て来ました 中央遠方に利尻富士が…)
私の所有するスキャナーは、CANON 5200F(平成16年5月発売)と言う、今では時代遅れのスキャナです。でも時として、とんでもない発色をしますので、重宝(?)しています。ともあれ、ここノシャップ公園で車中泊です。
(オブジェの向こうに日が落ちます 空気が澄んでいるせいか、夕焼けがとても美しく感じます)
(少し稚内よりの浜辺 午後8時を過ぎてとても美しい夕焼けになりました)
(稚内港の防潮堤遊歩道)
ノシャップ公園の駐車場で車中泊していると、午前3時ころ釣り船のエンジンの音で目が覚めました。もうすっかり明るくなっております。釣り船の先を見ると、利尻富士がくっきりと見えます。
(ノシャップの夜明けは早い)
(午前3時半には灯台の根元から朝日が昇りはじめ、うろこ雲が綺麗に…)
当初は、ここノシャップ付近でもう1泊する予定でした。周辺を走ってみましたが、日中は特に撮るべき被写体もありません。近くの温泉も探しましたが、いずれも営業開始が午後2時頃です。やむなくサロベツ原野まで下がりましたが、ここでも納得できる写真が撮れませんでした。それではと、夕方まで待とうとオロロンライン沿いの駐車場で仮眠です。
(浜辺の民家の入り口には、こんなオブジェが交通安全を願っておりました)
午後3時近くまで休んでいると、雲が多く出てきて、先行きが怪しくなってきました。綺麗な夕景が望めないと判断し、小樽に戻ることにしました。遠別まで戻ると日は完全に落ちて夕闇が迫ってきます。ふと海岸を見ると、利尻島の上に綺麗なまだら模様の茜がさしております。
(もう少し北寄り=稚内寄りから撮れば、もっとダイナミックな画像が…後の祭りでした)
自宅に着いたのは深夜0時頃でした。このH16.7.3-4の画像は、CANON EOS55、EOS7で、ネガ及びポジフィルムで撮影しております。