紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

我流欧州見聞録…余話

2020-04-03 13:13:40 | 日記

                      <パリ8区のエルメス本店 馬の飾り物が…もともとは馬具屋というから…>

最終回の今回は、H5年11月5日(金)から18日(金)までの15日間各国を研修で回った中からの番外ともいうべき、日本と欧州各国との文化・習慣の違いを、いくつか紹介いたします。なお、当時、欧州各国はさらなる統一に向けた最中で、EC(欧州共同体)からEU(欧州連盟)への過渡期でした。

☆車社会の違い

前回のパリ編で道路が車優先(に近い)であることを取り上げましたが、実は車についても考え方に、大きな違いがあるようす。パリのコンコルド広場の中央に立つオベリスク(エジプトの神殿から運んできた尖塔)を見学した際のことでした。私たちが大型バスで、駐車場に入った途端に、「ガッシャ~ン」という大きな衝突音が聞こえてきました。窓から見ると、縦列駐車中の老夫婦が乗ったルノー車が、前後にと、バンパーをぶつけて、隙間を広げて、悠々と走り去っていきました。ガイド氏によると、バンパーはそのためについているもので、衝撃吸収材なんだ、そうです。これには唖然…


凱旋門近くのコンコルド広場中央に立つ「オベリスク」。尖塔の表面に彫られた絵はエジプト古代文字のヒエログリフ。クレオパトラの時代の絵文字です。従来解読不能でしたが、シャンポリオンがロゼッタストーンを発掘して、解読が可能になりました。

もう一つ、ドイツのアウトバーン(高速道)を走行しているときでした。周知のようにアウトバーンは速度上限がありません(制限区域もある)。150、160㎞で走行するのは普通で、逆に最低速度が60㎞と決められている区間もあります。ただし、トラックやバスは最高速度が決められています。
速度の話は、どうでもいいことで、猛烈なスピードで、我々のバスを追い抜いた赤いベンツの屋根を見ると、鳥の糞だらけ。また対向車線を見ると、高級車と思われる車のスモールランプが壊れ、いまにも取れ落ちそうだったり…。要は、日本では高級車はステータスの一部で、ピカピカに磨き抜かれていますが、ヨーロッパでは、車は、あくまでも移動や運送の手段なんですね。
それに欧州のほとんどの国では、車検制度がありませんから、故障による事故は、あくまでも自己責任になります。

 

☆パリの地下鉄事情

パリ市内の移動は何と言っても地下鉄METROが便利。市内を縦横に走り、改札を出ない限り何度乗り換えても料金は均一で、6.5フラン(約120円ほど)。10枚綴り(=カルネ)だと39フラン(約790円)。使用期限がない。なお、現在は通貨単位がユーローなので、詳細は不明ですが…。

ホームに入るときは、日本と同じで自動改札機に切符を入れて通りますが、出るときはノーチェックで、競馬のゲート状の扉の前のステップに体重をかけると、自動的に扉が開きます。乗車中の検札がないので、入場と同時に、切符をポイ捨てする人がほとんど。

無賃乗車も多いようです。足の長い青年が、改札機を股いで、悠々と去ってしまったり、出口の改札機の下から、長い脚を突き出して、ステップに足をかけ扉を開けて、逆入場したり、いやはやルール無視がはなはだしい。


地下鉄車両のドアは、日本のように自動開閉ではない。降りる人がいないと、自分で開けない限り、ドアは開かない。なお閉めるのは自動で閉まります。

改札口でのある出来事。研修で一緒になった同僚O氏と、地下鉄に乗った時の事でした。私が改札機を抜けた時に、後ろのO氏が、突然「ぎぇ~!」。ふりむくと、たすき掛けにしていたO氏のバッグが…、扉に挟まれ、体ごと後方に引きずられて、首を絞められている。ショルダーバッグが邪魔して、引いても扉が動かない。「おお、Oさん、ここで、一巻の終わりか、Oh, My God!」と思った途端、改札機が開いた。後ろから来たフランス人が、切符を投入したのだ。O氏の一言「ああ助かった」。にやにや笑うフランス人に、私が「Merci、 Merci」と何度も礼を言いました。O氏、どうやらポケットにしまい込んだ使用済み乗車券を、未使用と勘違いして投入したのが原因らしい。


無事Passy駅に到着。地下鉄乗車中の出来事。突然車内で、笛とギターの軽快な演奏が始まる。しばらくして仲間の一人が財布らしき入れ物を持って乗客の間を回りお金を求め歩く。フランス人は、見ないふりをしている。
ホームに降りると、乗り換え地下道のあちこちで、バッジ売りや写真売りが商売をしている。私とO氏が乗り換えのため連絡通路を進んでいると、突然「さくら~、さくら~♪」の演奏が鳴り響く。琴の音色をまねているようだ。一見して我々を日本人だと見抜いた眼力に脱帽。つい10FR硬貨を渡してしまった。

 

☆美術館巡り

世界の3大美術館の一つと言われる「ルーブル美術館」に行く予定が…。突然ミッテラン大統領のルーブル美術館視察が決まり、当日は閉館となってしまった。たとえ入館不可得でも美術館の外観や様子だけでも見たいという希望で、早朝行くことに。


正面入り口の前庭にあるピラミッド型の明り取り構築物はよく見かけますね。とにかく寒い朝で、研修生全員の集合写真を撮って終わり。なので同僚のO氏と二人、個人的に「ロダン美術館」に行きました。ところが、入館待ちの客の多いこと。ルーブルが入館不可なので、こちらに回って来た観光客が多いいいためらしい。とくに、警備員のチェックが厳しく、入館までにはかなり時間がかかるらしい。庭園だけ見学できるコースがあって、4FR(約75円)とのこと。庭園だけまわってきました。


彫刻は屋外に結構展示されています。この池は全面結氷、係員が氷のかけらを、カーリングのように飛ばしていました。なお、当時はカーリングなる言葉は、ありませんでした。


ロダンの「考える人」屋外展示だったことを初めて知りました。

さらにもう1カ所、モネの画像が収集されている「オランジェリー美術館」へ、この美術館は、コンコルド広場の一角にあって、睡蓮で有名なモネをはじめ、アンリ・ルソー、ルノワール、マチス、マリー・ローランサンなど有名な画家の作品が所蔵されています。


モネの「睡蓮」の部屋に来てびっくり。「睡蓮」は単作の絵画とばかり思い込んでいましたが、部屋一面、360度が睡蓮の絵です。なおモネの睡蓮は、何作もあって、世界中の美術館が所蔵していますが、パリのここオランジェリー美術館が最大とのことです。


これもこの美術館に展示されているアンリ・ルソーの「ジェニエ爺さんの二輪馬車」です。


モネの「Argenteui=アルジャントゥイユ」題名の意味はよく解りません…、地名なのか?


ルノワールの絵ですが、右側は「ピアノに向かうイヴォンヌとクリスティーヌ・ルローヌ」という題名でした。このほかにも有名な絵がたくさん展示されていますが、機会があれば照会します。

☆最後にパリ市内の大型店に入った時のことを…


ウィンドウショッピングで疲れ、同僚のO氏と喫茶店に入った時のこと。如何せんメニューがすべてフランス語、読めたののは、サンドウィッチとコカ・コーラの二品だけ。さっそく注文。カウンターの奥で、オヤジが7-80cmもあるひょろ長いフランスパンを持っている。ああ先客の注文を…と思っていたら、なんと出てきたのは、フランスパンに切れ目を入れてハムとチーズを挟んだもの。日本で言うサンドウィッチとは全く違う。
入れ歯のO氏は、この硬いフランスパンがかじれず、わたしが食べる羽目に。

 

とにもかくにも、15日間にわたる研修は無事終了しました。なお、ここで照会した事項は、ヨーロッパが変革期にあったこと、また独断あるいは偏見が含まれている可能性もあることを、お断りしておきます。
コロナウィルスで、世間が騒然としている中、皆様方も十分留意されて罹患なきようご留意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小樽観光街は、人通りが途絶えて…

2020-03-20 17:11:33 | 日記

                     <ここ浅草橋は、普段観光客でごった返すところ この日は、左に一人しかいない…>

 

<main id="main"> <section class="l-content">
<article id="mod_contents02" class="mod_contents02">

北海道の鈴木知事は2月28日夕方、新型コロナウイルスの感染が道内で広がっているとして、2月28日から3週間の間、「緊急事態宣言」を出し、道民に向けて、特に週末の外出を控えるよう呼びかけました。道内での感染拡大が、他の都府県・大都市を抜いて、全国1位となって、さらに拡大傾向にあることから、踏み切ったようです。その主な要請事項は…
<道知事による緊急事態宣言の要旨>
① 土日休日の外出自粛要請
② 小・中・高校の一斉休校
③ 不特定多数の集まる、風通しの悪い場所への外出自粛(ライブハウス、スポーツジムなど)
④ 道立34の施設の休館(市町村の施設も同様) 等々

観光業がメインである小樽は、従来中国、韓国、東南アジアの国々からの観光客に頼っていただけに、コロナウィルスの影響で、客足がバッタリ。大勢の観光客が集まる入舟町のメルヘン広場は、火の消えたたような寂しさです。このことについては、3月6日付の当ブログ「我が家のひな祭りは…」で一部画像付きで載せております。

そこで今回は(3月19日午後2時ころ)、久しぶりの外出。天気もいいし、気温も+8度と絶好の外出日和。メルヘン広場から、散策バスで運河方向へ、そして徒歩で運河プラザへ、さらに小樽駅前通り(中央通り)を駅方向へ、駅手前の、都通商店街・花園一番街を回り、そして運河ターミナルからバスで、再びメルヘン広場へと戻りました。この間約2時間ほど見て回りましたが…

 


洋菓子店ルタオの前のバス停。この堺町通りは小樽を代表する観光街。いつもは車で渋滞する通りもガラガラ。お土産品店もシャッターを下ろしている店が多い。

 


観光用の散策バスも、乗客は私以外に一人もいない。

 


臨港線を挟んで向こうの、観光用大型バスの駐車場にも、1台のバスもいない。コロナ騒ぎの前は常に満車で、停められない観光バスは、500mほど右側の、勝内埠頭に停めています。

 


普段であれば観光客でごった返し、記念撮影をするここ浅草橋も、左側に一人のみ。

 


橋の先から、中央橋方向を見ても、運河わきの散策路には、人影が3人しかいない。奥の一人(二人に見えますが、測量工具の影)は、市の観光課の技師でした。さらに、散策路を中央橋に向かって進むと…

 


運河クルーズ船の係留場は、船舶が固定され、チケット売り場はシャッターが下りてました。聞くところによれば、2月28日の道知事による緊急事態宣言以降、3月一杯休止と言うことです。

 


運河プラザ(観光情報センター)に寄りましたが、観光客らしき人は一組のみ、いつもは休憩用のテーブル、いすは満席なのですが…。中央通り1本向かいの観光客用レストランも、シャッターが下りてました。人通りが全くない。

 


運河を後にして、中央通りを小樽駅に向かって進むと、ご覧の通り人もまばら。いつもなら宿泊用キャリーバックを曳く、多数の観光客とすれ違うのですが、バッグを曳く人はゼロ。

 


さて駅手前の小樽でもっとも著名な商店街「都通」を覗くと、ここもガラガラ。もっともこの商店街はいつ来ても空き店舗が多く、人影もまばらですが…。ゴーストタウンの様相を呈しています。

 


都通に続く「花園一番街」でも、ご覧の通り人影がまばら。もっともここも、イベントがある日以外は、これに近いような状況です。

 


再び、運河ターミナルから、散策バスに乗って、メルヘン交差点に戻ります。北一硝子の前も人通りは閑散としています。

 


下車すると、ちょうど午後4時、蒸気時計がボーっと大きな音を立て、白煙を吹き出しますが、取り囲んだ観光客はわずか4人。普段なら10倍近い30-40人が取り囲むのですが…

 

果たして、コロナウィルス騒ぎはいつまで続くのでしょうか。たとえ終息宣言が出たとしても、かつての賑わいに戻るものかどうか疑問です。観光だけに頼り切った小樽市の限界が見えたような気のした1日でした。

 

 

 

 

 

</article>
</section> </main>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我流欧州見聞録(5)…スイス・ジュネーブへ

2020-03-13 21:11:51 | 日記

                     <ジュネーブ大学の構内をよぎって、国連村(各機関が集中)に向かいます>

 

欧州5か国目はスイスです。スイスと言えば、永世中立国、国際機関の本部が集中する国、アルプスのふもとの国など平和を強くイメージする国です。首都のジュネーブは、レマン湖のほとりの美しい街です。人口は約19万人で、チューリッヒ(約39万人)に次ぐ第二の都市です。周知のように、スイスはフランス、イタリア、ドイツに接しており、言語も、フランス語、イタリア語、ドイツ語とローカル語のロマンシュ語の4か国語が公用語となっています。首都ジュネーブはフランスと接していることもあってか、フランス語圏です。なお、EC、その後のEU統一後も、加盟しておりません。(今回の{我流欧州…」は、2013年に掲載したブログのリメイク版です)

 


レマン湖は、三日月型をした湖で、約5分の2がフランス領で、残り5分の3がスイス領になっています。

<参考>レマン湖(ウィキペディアから)

ジュネーブは、三日月型の湖の右下になります。

 


湖畔には、プラタナスの街路樹が続いています。街路樹の右側に道路がありますが、道路を股いで反対側に出てみると…

 


広い公園(庭園?)があってイチョウの落ち葉がとてもきれいでした。

 


手入れがされていてきれいな庭園でした。周囲に柵や塀がなかったので公共の公園と勘違い。つい中に数歩に入って写真を撮っていると、建物から老婦人が出てきて、何か大声で怒鳴っているようでした。多分、庭園から出なさいとでもいったのでしょうか。慌てて庭園の外に出ました。

 


ILO(国際労働機関)や、最近のコロナウィルス報道で盛んに登場するWHO(国際保健機構)を訪れるべく、ジュネーブ大学の構内を横切っていきます。11月14日は日曜日と言うこともあって、閑散とし一人にも出会いませんでした。大学も休みで学生にも出会いませんでした。

 


構内には、宗教改革の記念碑が立っていました。どれがマルチン・ルターで、どれがジャン・カルヴァンかわかりませんが…

 


哲学者、ジャン・ジャック・ルソーの住居。現在は博物館になっているという。ヨーロッパの街には有名人の住居跡にこのようなプレートが掲げらえていることが多い。


街中で時折見かける不思議なポスター。熊が鳥を串刺しにして、炎を吹きかけている。

 


駐車場の車の、バックナンバープレートです。EC(EU)諸国は統一した横長のナンバープレートを用いています。この車(フィアット)にも取付用の小穴が見えます。またスイスのナンバープレートには、国旗のマーク(赤地に白十字)と州のマークが用いられています。GEはジュネーブ州のことです。その横のマークは、州旗になります。

 


ナンバープレート左横のローマ字CHに注目してください。これはスイスを表しています。スイス連邦国のラテン語の国名「コンフィラディチオ・ヘルベチァ」の略です。なおイギリスは、連合王国のUK、スペインがE(エスパニョール)、ドイツはD、フランスはFを用いています。ナンバープレートの横にこれらの文字がシール付されています。日本でも、EUから中古車を仕入れたときに、時々横長のナンバープレートを見ることがあります。そこにある頭文字から元の国名がわかります。

 


翌朝11月15日、モンブランの麓の街シャモニーに行くために、バスで一旦スイスからフランスに向かいます。15分ほどで国境に到着、スイスはEC加盟国でないので一応チェックがありますが、ガイド氏が、人数分のパスポートを提示するだけ、1分も待たずに、OKサインが出ました。

 


ここシャモニー自体は海抜1800mあまりの高地、寒い、寒い。

 


午前10時発のケーブルカーで出発、約8分で標高2300mの中継地に到着。

 


第2ケーブルカーが出発、途中何度も5-6分間停車して気圧調整。終点近くでは、まさに垂直に上がる感じで、展望台地点に到着。目指す、エギーユ・デュ・ミディ(3842m)は猛吹雪と氷点下20数度のため、全く見えず、展望台で、コーヒーを飲んだだけでした。

 


午後4時過ぎ、ふたたびジュネーブに戻り、ショッピングセンター「バレクサート」を視察。

 


1Fは総合スーパーで、2Fは専門店が入居。このときはX'masが近いこともあって、いたるところにそれらしき飾りポスターが貼られていた。商品の価格的には、ほぼ日本と同じようなもの。ちなみにCD1枚=29SF(スイスフラン)=2060円。ただし安売りコーナーがあって、1枚10SF=710円。私はここで、フィルムを購入。ASA200、36枚撮りのカラーフィルム4本パック=17.60SF=1250円。ちなみにメーカー名を見ると、Made in EC by Fuji Photo Film と書かれていた。

 


夜は駅近くのレストランで、焼き肉料理でした。

 


翌朝コルナバン駅からフランスリヨン駅に向けて出発。同駅にて出国、入国手続きをするが、パスポートコントローラーを通すだけの簡単な手続き。

 


フランスが誇る新幹線TGV。午前9時半にジュネーブコルナバン駅を出発。約4時間で、パリリヨン駅に到着。6か国目のフランスが最後です。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我流欧州見聞録(4)…スペイン・マドリードとトレドへ

2020-02-28 10:41:46 | 日記

                        <マドリードの中心街は、片道4-5車線だが、PM11時ころの渋滞は凄い、凄い>

 

4か国目は、スペインです。スペインと言うと、闘牛やフラメンコを連想すかもしれませんが、マイナーなところでは「シェスタ」が有名です。原則13:00~16:00の3時間は昼休憩(昼寝を指すことも多い)。私たちが訪れた1993年(平成5年)は、ECに加盟直後で(のちにEUとなる)、シェスタの風習が変わりつつありました。すでに百貨店ではシェスタが廃止されていましたし、EU加盟後は、公務員のシェスタが廃止されました。

シェスタがあれば、当然終業時間が午後9時ころとなります。驚いたのは、帰宅のラッシュアワーが、午後9時~11時ころだったことです。日本で言えば、深夜に近い11時ころに小学生くらいの子供が、街をふらついており、BARに出入りしていることでした。BARは、日本で言うバーではなく、喫茶店に近い。もちろん子供でもワイン等は水代わりに飲んでいるという(驚)…。

 


AM9時ローマ発のアリタリア機で、マドリードに向かうということで、午前7時過ぎにローマ市内のホテルを出発。しかし空港では、定刻の時間が過ぎても、搭乗のアナウンスがない…これを「イタリア時間」というとか。ちょっぴり可愛いキャビンアテンダントでイタリア時間が帳消しに…(笑)。

 


マドリードが近くなると、赤と緑が入り混じった大地が続く。緑はオリーブ畑とのこと。

 


街のあちこちに「ドンキホーテとサンチョパンサ」の像がある。
(注)「ドン・キホーテ」は、スペインの作家ミゲル・セルバンテスの小説(1605年発表)、騎士道物語の読みすぎで、現実と物語の区別がつかなくなった主人公が、自らを遍歴の騎士と任じ、やせ馬ロシナンテにまたがり、ロバに乗ったサンチョパンサを伴に、冒険の旅に出かける物語。

 


昼食をとったレストランの入り口にも、ドンキホーテらしき像がある。

 


11月13日(土)は、マドリードから約70㎞離れた、旧首都のトレドの市街を見学。かつて15-6世紀には、ここトレドがスペインの中心で、城塞都市となっています。旧市街地は「世界遺産」に登録されています。

 


街はまるで迷路のように入り組んで、狭まい。敵の攻撃を避けるために作られた、といわれています。

 


この城塞都市内部には、トレド大寺院(1227年着工~1493年完成)や、画家エルグレコの美術館等があります。空が抜けるような青空で気持ちがいい。なお、大寺院の宝物殿(入館料350ペセタ≒300円弱)では、当時君臨していたイザベラ女王の王冠が展示されていました。

 


左が日本人通訳の女性。右が…野坂昭如氏ではありません。スペイン人の通訳士です。野坂昭如に似ている…本人もそれが自慢だとか。外国では、通訳が二人以上義務付けられている国が多いです。現地人の仕事の機会確保が目的とか。

 


トレドの郊外には、エル・グレコのアトリエがあります。

 


スペインは陶芸等の工芸の街でもあります。工房を自由に見せてくれます。

 


市庁舎前の広場でくつろぐ若者たち。若者の失業率が高いとか…

 


プラド美術館の前に建つゴヤの銅像。美術館には著名な作品がたくさん収蔵されています。

 


現在は写真撮影禁止らしいですが、当時はOKでした。世界3大美術館と言われるだけあって、見たことのある有名な絵画がたくさん。

 


これも有名な絵です。ベラスケスの「皇女マルガリータ」(原題は「女官たち」)です。ベラスケス自身は、キャンバスに向かって絵を書いている最中。最奥にの人物は、マルガリータの父親で、フイリペ4世国王です。マルガリータの肖像は計6点書かれていますが、最後の1点は、マルガリータが18歳の時のもので、嫁ぎ先であるオーストリア皇帝ハプスブルグ家に贈呈されています。

 


ゴヤの作品で有名な「着衣のマハ」と「裸のマハ」です。

 


夕食は、フラメンコショー付きで、9時~10時が食事。10時~11時がショータイム。
☆食事は「パェーリア」ですが、日本で食べるパェーリアとは多少違う感じ。塩辛く、コメには芯が残っていて食べずらかった。食事の後のデザートには、必ずアイスクリームやシャーベットなどの甘味物が付いてくる。
☆劇場専属のスペイン人カメラマン氏が盛んにわれらを写真撮影。1枚1000ペセタ≒850円、購入は強制ではないが、グループの8-9割の人が購入。ところが隣のアメリカ人らしきグループでは、一人も購入せず。
☆ショーの主役「ジプシー」について、添乗員から説明あり。①ヨーロッパ各地を放浪する民族で、かつては馬で荷を扱う民族であったが、交通手段の変化で職を喪失、流浪の民となった。東方民族とは知らず、多分エジプトから流れ込んだと思い、エジプシャン→ジプシーと呼ばれるようになった。ジプシー=差別用語という説もあると。②ものをねだる癖があって、彼女らのそばを通るとき話しかけると、必ず物をねだる。③フラメンコで、ポーズが決まったときは、「オーレ!」と声をかけ、花(カーネーション、1本、300ペセタ)を投げるように、等々の説明がありました。

 


画像は入り繰りしますが、ショーの会場に向かう途中、午後9時少し前、ラッシュアワーが始まっている。

 

最後に、自由時間に同部屋の方と、ガレリア・プレシャドス百貨店に、お土産等の買い物に行った際の出来事を2-3披露します。Tシャツを3枚購入すべく、会計に差し出すと、店員が商品を指さし、二言、三言、サイズのことかともい、英語で聞き返すも、全く通ぜず。スペインは第二外国語がフランス語とのこと。ただEC統合が具体化してからは、小学生から第2外国語は英語の授業になったという。なので、子供には英語が通じました。

プラド美術館の付近で出会った数人の子供たち(小学校3-4年生か?)が、寄ってきて英語で「私たちは日本のコインを集めている」という。数枚の100円硬貨をあげると…、別の外人・アメリカ人らしき人物に「我々は、アメリカのコインを…」とやらかしている。

先ほどの百貨店の地下2Fの電化品・カメラ売り場をのぞく。製品の9割は日本製である。カメラもニコン、ミノルタ、オリンパスなど日本製のコンパクトカメラばかりでした。(平成5年当時は、フィルムカメラが100%です)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我流欧州見聞録(3)…イタリア・ローマへ

2020-02-14 12:22:07 | 日記

                        <コロッセオの建物内の鉄材は、第2次世界大戦で抜かれたため、穴だらけ…>

 

3か国目は、イタリアのローマです。平成5年11月10日(木)午後1時過ぎのアリタリア機で、デュッセルドルフから、ローマのレオナルドダビンチ空港に向かいます。約2時間ほどで到着ですが、到着ロビーに出てびっくり。イタリアは治安が良くないとは聞いていたものの、シェパードをつれた軍服風ウェアの警官が、マシンガンを抱えてパトロールしている。珍しいので、見つめていると、マシンガンを突き出して、どうだと言わんばかり、けらけら笑う。どこまでも陽気なお国柄が出ている。

外は久しぶりの快晴で、郊外は緑が多くとても気持ちがいい。しかし市の中心部に向かうにつれ、古く歴史を感じさせる建物が多くなってくる。加えて車道の両側には数多くの車が駐車しており、交通の流れは決してスムーズではない。

 


空港からローマ中心部(centro)に向かう。流れはスムーズだが、中心部に近づくにつれ渋滞がひどくなる。

 


ローマ中心部を流れる、テベレ川。

 


観光名所の近くには、必ず路上での物売りがいて「安いよ、安いよ、1000円!」と日本語で声をかけてくる。パトカーがくると、いち早く、商品を畳み込み、担いで逃げていく。警官が去ると再び商売を始める。
向かい側の建物のそばには、中年の女性が赤ん坊を抱きながら「恵んでくれ(と言ってるように聞こえた)」と泣き叫んでいるし、4-5人の若い女性が、一人赤ん坊を抱きながら、キョロ、キョロ。周囲の気をひいているすきに、バッグをひったくる算段らしい。油断もすきもあったもんじゃない。

 


ツアー出発前のひと時。イタリア語の新聞を読んでいるふりをしています。

 


ホテルのベランダから、駐車場を見ると、黄色い車がたくさん駐車しています。タクシーが客待ち中なのですが…ワゴンタイプのタクシーが多いのにびっくり。現在は日本でもワゴンタイプのタクシーが多くなってますが、平成の初めころは、タクシーと言えば、セダン型だったので、とても珍しく感じました。
なお、イタリアは他のEC諸国と違って、車検制度があって、初回10年、その後5年ごととか…。タクシーは、8割方がフィアットで、黄色一色でしたが、最近は規則が変わり、白も認められているという。

 


夜はカンツォーネ演奏の飲食店へ。お客全員が日本人なのにはびっくり。舞台後方の写真は、ナポリの「青の洞窟」ですが、店内がうすぐ暗く、フィルム撮影なので、思ったような色が出ていません。

 


コロッセオの内部はご覧の通り。ローマ時代には、剣闘士と猛獣を戦わせ、それを見て支配階級層が楽しんだとか…。

 


ドイツ人観光客らしい、言葉でわかりました。

 


バチカン市国のサンピエトロ広場 ベルニーニの設計で、30万人の信者を収容できるといいます。バチカンは一つの国ですが、イタリアとの間には国境らしきものは何もなく、出入り自由。

 

 


広場の或る1点に立つと、奥の円柱がすべて重なって、一本に見えるといいます。写真右下に見える円形のところ。それにしても屋上の人物像、1点として同じものがないと言います。

 


この奥はローマ法王(現在は教皇)の居住地。衛兵が槍を構えて、立っております。服装がとても個性的です。ミケランジェロの考案。

 


バチカンの中心的建物「サンピエトロ寺院」は、ルネッサンスの巨匠ミケランジェロが設計し、数百年かけて1626年に完成。奥行き185m、高さが135mと言われています。

 


トレビの泉に入る小路手前に並ぶ、野菜果物の市場。この市場を抜けて進むと…

 


トレビの泉 後ろ向きにコインを投げ入れると、再びここに来られるとか…

 


よくもまあ、このような彫像が、あちこちに数限りなく作られたものだと感心するばかり。

 


ベネチア広場 ローマ市内なのに、ベネチア?と思われるかもしれませんが、ベネチア国の大使館がかつてここにあり、後にその建物はベネチア宮殿と呼ばれます。その周辺には、ベネチアンガラスを扱う店が多く建ち並んでいます。

 


有名なスペイン広場です。この近くにスペイン大使館があったことから、そう呼ばれています。映画「ローマの休日」で、オードリーヘップバーンが、ジェラートを食べたところとしても有名ですね。2014年には環境保護のため、物販販売、飲食禁止になりました。

 


フォロ・ロマーノ(ローマ時代の政治・宗教の中心部)は、どこを掘ってもローマ時代の遺跡が出てくる。

 


現在も発掘調査が行われているものの、何層にも重なっているために、調査は容易ではないという。ほかの都市と違って、地下は遺跡だらけ。したがって地下鉄が作れないし、建物も作れないという。

 

それにしても、イタリアという国はなんという国であろうか、バイクが逆車線を走ってくるし、パトカーも警告灯やサイレンを鳴らさずに、逆車線を走ってくるのだ。こういった現象は、ローマに限らず、次回紹介予定のスペインのマドリードでもよく見かけた。
ヨーロッパの国々の道路は、もともと戦車(騎兵が馬車)で走るために作られた道路であることを考えれば…、事故が起きた場合には歩行者に責任があるとか。日本では考えられないことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我流欧州見聞録(2)…ドイツ・デュッセルドルフへ

2020-02-07 14:44:09 | 日記

                        <デュッセルドルフ最大の繁華街ケーニヒスアレー(王様の通り) 高級百貨店が立ち並ぶ>

 

平成5年(1993)11月8日、午後3時(ロンドン現地時間)のルフトハンザ機で、ドイツ西部のデュッセルドルフへ向かう。座席No.が手書きで修正されており、15なのか75なのか…1の頭の部分がおおきく飛び出していて、7にも見える。そばにいたキャビンアテンダントに、ドイツ語で、フュンフツェーン?と尋ねると、フィフティーンと英語で答えられた(笑)。学生時代第2外国語がドイツ語で、得意な科目でした。基本的なことはマスターしたつもりでしたが…

PM5時過ぎ(イギリスードイツ間は時差1時間)、空港着。タクシー乗り場には、なんとベンツ車が長蛇の列。後日タクシーを一人で乗る機会があり、タクシープールに行くと、やはりベンツが、助手席のドア(右側)を開けて客待ちしている。う~ん、後部座席に乗りたいが…と思いつつ、助手席に乗車。ドアはもちろん客が閉める。乗った感じでは、きわめて大衆車に近く、高級車のイメージは全くありませんでした。タクシーはすべてオレンジっぽいクリーム色に統一されていて、チープな感じ。現地では1台100万円前後とか…

なお、街中を走る車両は、フォルクスワーゲン、BENZ、BMW、FORDが多いが、全体の半分近くはBENZのようです。翌日(11月10日)はデュセルドルフの日本商工会議所とアーヘン市にある、日本企業M半導体工場見学でした。内容は省略しますが、ドイツは環境保護が非常に厳しい国で…

 


M半導体工場の敷地片隅にある廃品分別BOX 近年に日本でもごみの分別が進んでいますが、ここではポリ、紙、ガラス、再生用ごみ(マーク付き)、数十種類に分別して、当局の許可のもと、運送業者に引き渡す。違反すれば高額の罰金が科せられるといいます。
ゴミの分別だけではなく、敷地内の雨水・排水も勝手に処分はできず、一旦貯水槽で沈殿物をのぞき、自然に戻すという。
また敷地内には、広さに応じて樹木の植栽数が決められ、勝手に処分すれば、罰金刑が科されるとか…ドイツは寒冷地にあるため、樹木の生長が遅く、日本の3倍の時間がかかるとか…それだけに樹木を大切にしているようです。

 


研修が一通り終わって、ケルンの大聖堂を見学しました。建物が大きすぎて、いくらバックしても入りきらない(笑)。現在のケルン(Köln)大聖堂は、3代目の建物で、1248年着工、1880年完成です。実に600年以上も…。ヨーロッパでは完成までに数百年かかる例はたくさんあります。スペインのサクラダファミリは300年かかっていまだに工事中ですね。
余談ですが、Köln(ケルン、oの小文字の上に̈がついてますが、ウムラウトと言います)。「お」の口型で、「え」と発音します。仏語のオーデコロンという言葉は承知のことと思いますが、この香水発祥の地が、ここケルン(仏語でコロン)なんです。

 


大聖堂を見学に来た小学生たちか。「おい、ガキが、ドイツ語しゃべってるぞ」との声に我々仲間内から笑い声が…

 


周囲何処を見ても、クラシックな建築物ばかり。

 


中に入って目に付くのはステンドグラスの美しさ。製作者は数百年後を予想して色づくりをしているとか…気の遠くなるような説明にびっくりするばかり。

 


デュッセルドルフ一番の繁華街、ケーニヒスアレー(王様の通り)、日本で言えば銀座の大通りでしょうか。ウインドーで品定めしてから、店内に入るという。冷やかしのお客は入らないようです。

 


街中でやたら目に付くのがこの建物と言うか小屋、ロッテリアというから…バーガー屋かな?と思いきや、店員がいないし、狭すぎる。実は宝くじ売り場でした。ロッテリアは宝くじという意味。GLÜCK=グリュックは「運」です。

 


夜ビールとソーセージを食べに、団体で外出。旧市街地(アルトシュタット)なので車の乗り入れは、住民以外禁止地域。それにしてもX'masの前月というのに、街が寂しい。ネオンサインがほとんどない。ネオンサインは、薬屋、タバコ屋と緊急医療センターのみに限定されているらしい。ところ変われば…パチンコ屋のネオンが、ギラギラな日本とは大違い。

 


酒場のウエイター氏とツーショット 彼、片言の日本語で、「乾杯、乾杯、美味しい、美味しい」を連発しながら肩を組んでくれました。

 


ドイツと言えば、カメラが有名、ライかをはじめローライ、珠玉のレンズと言われたカールツァイスなど。新品はライカで1台70-80万円と言われてるので、購入は無理。せめてローライの中古でもと思いつつ、通りがかりにカメラ店に立ち寄りました。前の客の商談が長引いて、結局買えず。ショーウインドーのカメラをパチリ。なんと90%以上は日本製のカメラ。今回の旅行に持参したKonica Big Mini Neoが陳列されている(上から4段目)。値段は399マルク、日本円で25800円(1マルク≒65円弱)、なんじゃいな日本で買うのと大差がない。

なお、この当時、ヨーロッパはEC(欧州共同体)と言われてた時期で、通貨は各国の独自通貨でした。2009年に、EU(欧州聯合)となり通貨も、ユーロに統一されます(ただし、英国はポンドのまま)。

 


今では日本でも車体に文字や絵が施されたラッピング電車は珍しくありませんが、このような派手な電車は初めて目にしてびっくりしました。平成の初めころは、日本国内でもラッピング電車なぞ見かけたことがありませんでした。

 


画像はドイツ最後の朝で、ホテルの朝食風景です。それはどこの国でも似たようのもの。ここで注意してほしいのは、午前8時ころ、外は通勤でサラリーマンが行き交う時間。にもかかわらず、カーテンが閉め切られた居ますが、外は真っ暗。日の出前なんです。

 


デュッセルドルフ最後の朝、カウンターの素敵なメッチェン(女の子)に声をかけて「Darf Ich ein Foto von Ihnen machen?」(あなたの写真とってもいいですか)と、ん十年前に習ったドイツ語でやらかしました。なんと彼女「Ja(ヤー=Yes)」と返事してくれました。数枚撮った後に、カウンターから出てきてツーショットのおまけつき。ローライ中古が買えなかったマイナスを完全に埋めてくれたショット!でした。

 

次は、アリタリア機でローマに向かいます。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我流欧州見聞録(1)…イギリス・ロンドン

2020-01-31 11:59:50 | 日記

                 <ロンドン名物 二階建てバス 近年は日本でも見られますが… 電線や架線が無いのがいいですね>

 

身辺整理していたら、平成5年(1993年)11月、初めて海外旅行した時のメモ書きノートが出てきました。それまでは一度も海外の土地を踏んだことはありませんでした。ただ実物の外国の土地を目にしたことは何度かありました。え?外国に行かずに、外国を見た?と不思議に思われる方がおられるかもしれませんね。北海道に生まれて育ったと言えば、一番近い外国は、そうですロシアしかありません。学生時代に、宗谷岬から20数キロ沖合のサハリンを見たのと、釧路支店勤務のころに羅臼から国後島を、そして根室の納沙布岬から1.6㎞先の、旧日本軍が立てたという灯台のある貝殻島です。勿論足を踏み入れたことはありません。あくまでも対岸から見ただけであります。

東北の某支店に勤務していた折に、本店から、欧州6か国に研修旅行を命ずるという業務命令がありました。本心びっくり、なぜ私がと思いましたが、せっかくのチャンス、不安が先だったものの、日本商工会議所主催の研修に参加することになったのです。11月の5日から20日までの延べ16日間でした。ロンドン、デュッセルドルフ、ローマ、マドリード、ジュネーブ、パリ及び周辺の都市です。各都市では日本企業の視察、現地会議所やジェトロとの意見交換、などなどがスケジュール表に書かれていました。ここでは、企業・関係団体等視察等については業務上のことでもあるので省きます。主に欧州(EU統合前のEC)と日本の文化風習の違い等について写真をもとに見ていきたいと思います。

なお、今回のブログは、一度掲載した分のリメイク版です。平成5年当時は、デジタルカメラがまだ普及しておらず、KONICA BIG MINIというコンパクトカメラとフィルム10数本を、持って行きました。もちろんX線ガードケースに詰め込んで、ですので、多少画像が荒い部分もあります。

 

☆イギリス・ロンドンのヒースロー空港へ


午前11時20分(ロンドン時間AM2:20) に成田空港を出発したロンドン行きANA機は、新潟上空からアムール川上空へと飛び、さらにロシアのツンドラ地帯を進みます。人家らしきものは全くなく直線的な道だけが見えます。さらに8時間ほど飛んで、ウラル山脈あたりで、やっと人工的な形が見えてきました。


間もなくヒースロー空港に到着です。

 


ロンドンの街はクリスマスムード一色でした。

 


街のあちこちにこのような看板が出ています。Office Suitesとありますが、続き部屋のことで、To Let=貸事務所のことです。スイートルームと言うと、日本語では新婚さん向けの、sweet roomと思っちゃいますが…

 


ロンドン市内を走るタクシーはほとんどが、この画像のような「オースチン」です。小回りが利くからだそうです。日本と同じ、左側走行です。

 


アルバートパブという、結構有名なレストランで昼食。店名はビクトリア女王の夫の名前を付けたものだとか。メイン料理は「フィッシュ&チップス」白身の魚のフライとポテトチップス。イギリスでは白身の魚のフライが、通常食とか…それにしてもポテトチップがメイン料理とは…面喰いました。

 


ロンドン市内の夜景。ホテルの部屋は「メトロポールホテル」22Fだが、日本で言う1Fはグランドフロアー(GF)で、2階が1Fとなる。なので、実際は23階だ。

 


大英博物館に所蔵される有名な「ロゼッタストーン」です。それまで解読法がわからなかった古代エジプト文字の「ヒエログリフ」が、シャンポリオンによって解読されたのが、この石のおかげなんですから。
なお、驚いたことに、大英博物館は入館料無料、陳列物は触れることができるほどの間近に展示されている。触れることは禁止ですが、フラッシュ撮影も可能。日本とは大違い。

 


ロンドン塔の切符切りの係員。とても格好が良くて目立ちますね、観光都市だからでしょうか、日本とは大違いです。ちなみに「ロンドン塔」はかつては王様の居城でしたが、その後ロンドンを守る城塞として使われました。さらにその後は罪人の幽閉・処刑場にもなりました。冒険家であり、アメリカからタバコと梅毒を持ち込んだといわれる、ウオルターローリー卿も、ここで処刑されました。

 


後方の橋は、有名なロンドン橋、橋よりも右下日付のあたりに注目。Litterとあります。ごみ箱のことです。綴りが少し変わって、litre(米語では、liter)となると、リットルになります。
人物は、小生ですが当時49歳、髪の毛が黒々としていました。幾分白髪交じりですが…。このほかイギリスのドーバーからフランスのカレーを結ぶ、①ユーロートンネルの本社見学‣物流変化の講義等、②ロンドン市内ドックランド再開発公団訪問等もありましたが、業務の一環なので、説明は省きます。

 

☆次回の「我流欧州見聞録…」は二か国目ドイツで、デュセルドルフ、アーヘン、ケルン市などです。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青の運河をクルーズ船に乗って…

2019-12-27 09:13:03 | 日記

                                  <中央橋からクルーズ船発着所付近を見る>

 11月15日付の当ブログ「小樽ゆき物語が始まっています…」で、ゆき物語のイベントの一つである「青の運河」についても取り上げました。そこで今回は運河クルーズ船に乗って、約1万個の青のLEDで飾られた運河を船上から見てきました。クルーズ船については、JR小樽駅から中央通りを海に向かって徒歩10分ほどの中央橋が、発着所です。クルーズの所要時間約40分、30分毎に出ております。デイクルーズ(始発9時30分から日没頃)は1500円、ナイトクルーズ(日没頃から最終21時)は1800円です。

12月23日(月)の午後4時発のナイトクルーズ便に乗ってきました。この日、ちらちらと小雪の舞い散る、氷点下のとても寒い日でした。でも、座席にはヒーターが入っており、ひざ掛け毛布も用意されております。

 


順路はマップの通りですが、中央橋の発着所から、すぐ橋をくぐります。そして小樽港縦貫線にかかる月見橋をくぐって、小樽港に出ます。再度、旭橋をくぐり北運河に入ります。北運河んの終点で、Uターンして南運河(通常は南を略して、運河という)に戻り、浅草橋で再度U ターンして、発着所に戻ります。

 


まず船は中央橋をくぐって北運河方向に向かいますが、出るとすぐに、月見橋をくぐって、小樽港に出ます。

 


右手中央の2Fの建物は観光船発着所です。その奥の、塔のある建物は合同庁舎です。観光船は、小樽港を遊覧したり、祝津水族館方面への便もここから出ます。

 


小樽港で、巡視艇や曳航船のたていわ丸を見た後、船は旭橋をくぐって北運河に入ります。なお、乗船客が腰に巻いている赤い帯は、ライフジャケットです。

 


北運河は、昭和40年代の運河埋め立て論争のさいにも、埋め立てられずに、昔のまま保存されました。この辺の経緯については、2012年8月1日付当ブログ「夜の小樽運河クルーズを楽しむ」を参照のこと。現在でも、釣り船や観光遊漁船、あるいは喫茶を兼ねた小型船が数多く係留されています。

 


さらに進んで北運河の終点には、1艘の艀(はしけ)が係留されています。艀自体は動力を持たず、曳航船で運行しますが、300トンの貨物を運ぶことができた言います。

 


運河沿いには、当時の石造りの倉庫や建物がそのまま残っております。現在はイベント会場、店舗、倉庫等に利用されています。さて、ここでクルーズ船はUターンして、南運河に向かいます。

 


運河の海側には、小樽を代表する企業である北海製缶の工場が数棟建ち並んでいます。ちらちら舞い散る小雪を、内臓フラッシュで映し込んでみました。

 


運河の山側には、係留された小型船が幾艘もあります。

 


竜宮橋付近までは、小型船が係留されています。正面の船は、イカ釣り漁船でしょうか。集魚灯が付いています。

 


北運河から南運河来ましたが、ここからは運河の幅が狭くなり(昭和50年代に半分埋め立てられた)、小型船は係留されていません。竜宮橋~中央橋間は電飾されていません。この辺りは、運河の両側に工場や倉庫が立ち並んでいますが、山側の奥には、高層マンションが数棟あります。

 


中央橋をくぐると、運河沿いを散策する観光客が多くなります。

 


ホテル群が立ち並ぶ。もう少し浅草橋方向に進むと…

 


電飾も多くなります。画面左最奥が浅草橋街園。〇〇街園、という名称、今回のクルー船のパンフレットで、初めて知りました。地元に長年住んでいて…。

 


南運河の浅草橋街園で、Uターンして中央橋のクルーズ船発着所に向かいます。この間約40分ガイド付きクルーズの楽しい旅でした。

 

なお、2019年のブログも今回で終わります。皆さん、良いお年をおむかえください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カラマツ林を撮りに晩秋の積丹へ

2019-11-23 06:00:00 | 日記

                    <ニッカウヰスキーの創業者「竹鶴政孝&リタ夫妻」の邸宅跡地に、1本の巨大な栗の木がある>

 

このところ毎日雪が降り続き、このまま根雪になってしまうのではないかと、心配です。花壇の始末や網戸の取り外しなど冬を迎える準備ができていない(笑)。例年ですと10月下旬に初雪が、根雪は12月上旬ころからです。今年は11月7日に初雪が降り、かなり遅いなと思ってましたが、14日以降は毎日降り続いています。日中の最高気温も、一けた台前半という状況。体調が思わしくないのも、加齢だけのせいではないようです。

前置きはともかくとして、積丹町婦美のカラマツ林を撮りに行きたくて、写友と相談。11月2日(土)に行ってきました。まずは、小樽市内塩谷の浜辺、余市町山田町の旧竹鶴邸跡地、そして積丹町の美国、婦美、島武意、日司(ひづか)を通って、小樽に戻るルートです。

 

☆塩谷の浜辺にはカラフルな建物が多い…
塩谷は、小説家・詩人として有名な「伊藤整」が、小樽高商時代(現小樽商大)塩谷村から小樽まで汽車通学していた地でもあります。


もともとは漁業関係者のすむ街ですが、近年はサーファーなど海のレジャースポーツ関係者の住宅も多く、カラフルな建物が目立ってきました。

 


右奥の建物は、TVドラマ、2014年火曜サスペンス劇場(古谷一行主演)「北ホテル」で放映されたレストラン・ホテル「北ホテル小樽迎賓館」です。現在は海水浴シーズンには営業しているようですが…詳細はわかりません。
なお、余談ですがこの塩谷の浜辺は、東京ロマンチカが歌ってヒットした「小樽の人よ」の二番目の歌詞に入っております。

 


浜辺で、魚眼レンズで撮ってみました。大きな波が来て、よけられず、尻もちをついて両足ともずぶぬれになっちゃいました。



海岸沿いにはこのようなカラフルなしゃれた建物があちこちにあります。はて、この建物は何だろう?つながっている右の建物の窓を覗くと…

 


マリンスポーツ関係の用具がたくさん並んでいました。

 

☆余市町山田町の旧竹鶴邸を訪れる…
ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝は、スコットランドでウイスキーづくりを学んだ後、リタ夫人とともに、スコットランドの気候風土に似た余市にて、ウイスキーづくりを始めました。昭和10年現在の工場内に邸宅を構えましたが、同21年に近くの山田町に移転。政孝没(昭和54年85歳で没)後の平成14年に再び、工場内に邸宅を移設しました。

 

 
平成14年に工場内に移設された旧竹鶴正孝の邸宅。右の玄関ホールと左奥の建物はつながっていますが、見学できるのは右側の部分だけです。
なお、この画像は2015年3月に撮影したものです。

 


ウイスキー博物館内の展示資料から、右下に旧竹鶴邸の記事がある。

 


山田町の邸宅跡地には、石造りの倉庫と青い色の物置が残されていました。手前の大きな木は栗の木で、一面栗のイガが地面に広がっていました。

 


栗の木は大木に育っています。

 


跡地には大きな石が…多分手前の大きな石は邸宅の出入り口か、濡れ縁に続いていたのかも。

 


これも大きな石が階段状になっていて…ピンクの花が、いまもなお咲き続けている。母屋はとうに移築してしまったのに…

 


さて、いまだ木造の門柱らしきものが残っていて、その隣に数本のイチョウの大木がありました。緑の芝生と黄色の落ち葉がとてもきれい。

 


イチョウの落ち葉に混ざって大量の銀杏が落ちていました。銀杏は酒のつまみによく出てきますが、拾う方は滅多におりません。

 


庭園の中を見わたすと、イチョウに交じって、モミジがありました。黄色と赤の対比が美しい。

 


さらに見渡すと、灯篭が1基、ここに取り残されたんですね。

 

☆さて旧竹鶴邸跡地を後にして、国道に進むと、道の両側に葡萄畑とワイン工場が見えてきました…
ワイン用のブドウ畑です。余市はワインづくりも盛んな町です。

 


葡萄畑の奥に、しゃれたワイン工場がありました。

 


上と同じ位置からの撮影ですが、雲の様子が面白く、少しひいて撮ってみました。15分ほどしか経過してませんが、雲の動きが早く、上の画像とは印象の違うものになりました。

 


ワイン畑を離れて市道を進むと、正面奥の民家でしょうか、屋根が金色に光ってました。露出を切り詰めると金色が出てくるのですが…不自然になるので…。車で近寄ると屋根は金色ではなく、濃い緑色でした。光線の反射状況で、色が変わるんですね。

 

☆次回に続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小樽ゆき物語が始まっています…

2019-11-15 12:14:17 | 日記

                      <小樽運河プラザ内のワイングラスタワーの一部 本体は2000個のグラスを積み上げて…>

 

冬のイベント「小樽ゆき物語」は、すでに11月1日(金)から始まっております。このイベントは、毎年2月に行われる「小樽雪あかりの路」とは別の、関連イベントでしたが、2015年に統合され「小樽ゆき物語」となりました。また「余市ゆき物語」と併催されています。小樽ゆき物語は、①JR小樽駅構内の「ガラスアートギャラリー」、②運河を青のLEDで飾った「青の運河」、③運河プラザの「ワイングラスタワー」&「浮き球ツリー」、そして④「小樽雪あかりの路」の四つのイベントで構成されています。

開催期間は、前三つが2019年11月1日から2020年2月2日まで、小樽雪あかりの路は2020年2月9日から2月16日までとなっています。ただし運河プラザのワイングラスタワーについては、2月16日までとなっています。

 

☆JR小樽駅を降りれば、ランプがお出迎え…


JR小樽駅は、駅舎の2Fが列車離発着のホームになっています。駅舎のホーム側と正面の両側に昔懐かしいランプが飾れれております。

 


駅舎1Fに「GRASS ART GALLERY」として、大小さまざまな雪だるまが飾られ、乗降客を迎えております。あれれ、この雪だるま目鼻がついていない?向こう側(改札口)から見ても目鼻がありません。そのわけは…。だるまの下に何やらメッセージがあります。

 


実はスマホを使って撮ると…雪だるまからメッセージを受け取れる仕組みになってるようです。

 


こんな雪だるまもありました。何だかわかりますか。今年、最大の話題となった、ラグビーの「ワンチーム」という題名が付いていました。

 


サンタ風の雪だるま。

 


題名は、「ニッポン Cha Cha Cha」。そういえば、ラグビーだけでなく卓球も、スケートも各種スポーツで日本が大活躍した年でしたね。

 

☆小樽運河プラザでは、例年この時期ワイングラスタワーと浮き球ツリーが飾られます…


タワーをバックに記念写真撮影用スペースが設けられています。

 


周囲からカラフルな光線が当てられ、刻々と色が変わっていきます。

 


上のグラスタワーの四隅に置かれているのが、このオブジェ。このタワーにもカクテル光線が当てられ色が変わっていきます。

 


小樽は寿司と海鮮丼がおいしい街です。実は運河プラザの売店で…食べられません。これはすべて粘土細工のミニチュアなんです。実にカラフルで、見ているだけで美味しさが伝わってきます。

 


かつて小樽は、漁業用の浮き球づくりが盛んでした。浮き球がプラスチック製にとって代われると同時に、浮き球は観光お土産品として売れるようになったのです。

 


運河プラザの道路1本(臨港線)向こうが、小樽運河です。ちょうどJR小樽駅から中央通り(坂道)を下ると、臨港線にぶつかります。クロスフィルターで、光条を出してみました。ちょっとうるさすぎですが…

 

☆小樽運河は約1万個の青のLEDで飾られ幻想的な雰囲気に…

 


運河に沿って、臨港線(高速道出口から余市方面に向かう道路)が走っています。

 


クロスフィルターを使うと、臨港線の街路灯に光条が出ます。

 


上の画像と同じ位置で、橋の欄干にもLEDが取り付けられ、ファンタジックな雰囲気を醸し出しています。

 


運河沿いの散策路を、浅草橋方向に歩くと…

 


浅草橋から、運河を見ると…

 


浅草橋交差点の出抜き小路の火の見やぐらを見ると…、できた当初は周囲が見渡せる景観スポットでしたが、直後に、某洋服店の3階建てビルができて札幌方向の景観が見えなくなってしまいました。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅葉シーズン到来…赤井川村へ

2019-10-20 10:27:20 | 日記

 

9月まで猛烈な残暑が続きましたが、10月に入ると一転寒さが増して、最低気温が一けた台前半、それも霜が降りてもおかしくないほどに冷えてきました。急速に秋が深まり、街中でも蔦やエゾヤマザクラの葉が赤く染まってきました。そんな中、10月10日(木)赤井川村の落合ダムとキロロに行ってきました。

キロロはスキー場として有名ですが、シーズンオフ中は、様々なイベントが行われています。特にこの時期はゴンドラが運行し紅葉見物客を乗せています。10月12日(土)~14日(月・祭日)には様々なイベントが行われます。天気予報をにらみながら、10日(木)写友4人で紅葉撮影に行ってきました。
なお、赤井川村は、「日本で最も美しい村」連合の一つで、後志管内では、ほかに京極町、黒松内町が入っております。

 


落合ダム周辺の山々も色づき始めましたが、まだ本格的な紅葉には至っていません。あと1週間もすれば一面紅葉になります。

 


ダム湖の管理事務所を過ぎ、さらに奥に進むとイベント広場があって、さらに湖畔に降りる道があります。そよ風にススキがゆれていました。

 


快晴の青空を反射し、きらめくさざ波がとても美しい。人造湖であるため枯れた立木がアクセントになっている。

 


見る角度によって湖面の色が変わる。

 


さらに奥に進んで、波打ち際の枯葉を見ると…

 


湖面に写り込んだ立ち木の影が、微風でゆらゆら、様々な形に変化する。見ていて飽きないほど。

 


ダムの陸側の湿地帯に目を移すと、谷内坊主にも似た草の塊が、面白い形になっている。なお釧路湿原などにみられる「谷内坊主」とは全く形が違いますが…

 

さて落合ダムでの撮影を終えて、次はキロロの紅葉撮影に向かいます。キロロは、当初ヤマハ楽器が、スキー、ゴルフ、テニス、ホテル等総合施設として平成2年に開設しました。しかし経営不振が続き、代替わりを繰り返し、現在はタイ王国の企業が運営しています。この時期平日でもゴンドラを運行していると聞き、早速山頂へ行ってみました。

 


スキー場に通じるマウンテンセンターの入り口にある桜は、もう真っ赤になっています。


しかし、山肌はかなり黄葉していますが、本格的な紅葉にはまだ早い感じ。

 


山頂にはいたるところダケカンバの木が、見事な枝ぶりを見せています。

 


足元を見ると、モミジに似た赤い葉が落ちています。周辺にモミジの木はなく、この赤い葉は直接地面から生えているようです。

 


手にとってマクロレンズでパチリ。

 


ゴンドラ駅の裏側には、余市岳山頂に向かう登山道があり、その出発点となる休憩所があります。

 


その休憩所から見えるのは一面ダケカンバの林です。中でもこの古木に目が止まりました。怪獣にも見えて…(竜が口から舌を出したようにも)

 


山頂からマウンテンセンターに戻ると、こんな看板がありました。いわゆるインスタ映えするように、ここで記念撮影を撮るようにということでしょうか。

 


マウンテンセンターのそばに、バギーカーが並べられていました。次の3連休(10月12~14日)にはここで「紅葉フェスタ」が行われます。飲食屋台、物販屋台、釣り堀、遊具など、子供も大人も楽しめるイベントが行われる予定です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風を食べて動く生命体…テオ・ヤンセン展

2019-08-09 10:18:20 | 日記

                                    <歩く様子は、まるで動物の歩行と同じ…> 

 

北海道内では、テレビや新聞で「風を食べて動く生命体・ストランドビースト展」の宣伝がされています。風を動力源として、砂浜を走る新しい生命体を、オランダ語で、ストランド(砂浜)ビースト(生命体)といいます。それは、オランダのアーティスト「テオ・ヤンセン」よって、生み出されました。この作品展は北海道では初めてであり、日本初公開作品5点を含む12点が展示されています。実際に動く巨大なストランドビーストを、体感できるほか、その構造や動きの仕組みを明らかにし、テオヤンセンの作り出す世界の魅力に迫ります。(一部、パンフレットによる)

ということで、興味津々、8月3日(土)に、札幌に行く機会があり、会場の「札幌芸術の森」に行ってきました。一般的に芸術作品は写真撮影禁止が多いのですが、この作品展はすべて写真・動画の撮影がOKなのがうれしいですね。

芸術の森へは、札幌駅から地下鉄南北線で終点真駒内まで約20分ほど。さらに30分ごとに運転されている芸術の森行きのバスで30分ほどです。通常1300円の入場料が65歳以上の高齢者は1100円でした。展示会場は二つに分かれていて、芸術の森バス停に近い、第2会場(工芸館)は入場無料、さらに奥の第1会場(芸術の森美術館)が有料となっています。

 


巨大なストランドビーストが、風を受けてオランダの砂浜を走るさまは、まさに圧巻。

 


芸術の森入り口のバス停にはテオ・ヤンセン展の巨大広告が立っている。黄色っぽい紫陽花が今が最盛期と花を添えています。

 


第2会場に入ると、巨大な竹細工のような作品が数点目に飛び込んでくる。

 


少し撮影位置をずらすと、前方に大きな耳を持ち、体中が波打つ巨大なムカデのようにも見える。最初これらの作品は竹細工のように見えましたが、ビニールパイプだそうです。日本では塩ビ管と呼ばれるネズミ色のパイプ(水道管に使われる)ですが…オランダでは黄色っぽい色なんだそうです。

 


オランダの砂浜を歩くストランドビースト。2017年製作で「アニマリス・ムルス」(高さ3m、幅13m、奥行き6m)と、オランド語の作品名がつけられています。

 


主要な作品には、このようなポスターが壁に貼られています。上の丸みを帯びた画像は、このポスターを魚眼レンズで撮ったものです。

 


さて、入館料を払って、第1会場に入ってみます。土曜日ということもあって、結構な数の入館者がおります。

 


館内なので風はないので、手押しで体験できるコーナーもありました。私もこの作品を前後に動かしてみましたが、意外と軽かったことにびっくりでした。

 


ストランド・ビーストを構成する材料が展示され、組み方が示されています。左のパイプが骨格をなすメイン材料です。一見、色から察して竹のように見えますが、これはビニールパイプなんです。日本では大型店の資材売り場で、誰でも購入できるビニールパイプ(塩ビ管)です。右は使用済みのペットボトル。ここに空気を取り込んで、足の部分に送風します。

 


様々な部品を組み合わせ、結束バンドでつなぎます。

 


パイプを加工している光景が放映されています。

 


砂浜は平たんではありません、ムカデのように歩くのが効率的なようです。

 


大広間では、歩行実験用のビーストが待機中でした。1時間ごとに実験が行われます。

 


室内には一目見ようと大勢の見学者が集まってきました。いよいよ実験ですが、室内なので、風がありません。

 


左端に座るオランダ人の係員が、コンプレッサーから、ペットボトルに、圧搾空気を注入します。すると前方のビーストが正面の観客に向かって数歩歩きだしました。

 


観客の目の前まで歩く様子に、大きなため息と拍手が沸き上がりました。

 


館内の一角には、ストランドビーストのミニチュア判が数体置かれていて、うちわでスクリュー型の羽を仰ぐと、動き出しました。

 


スクリュー型の羽は、日本でいう風車に似ていて、風を受けた方向とは違う、45度の方向に進みます。これらのミニチュア判のビーストは、1セット2500円でお土産品として販売されておりました。

 

<テオ・ヤンセン氏 略歴>パンフレットから転載

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族でサクランボ狩りに

2019-07-17 13:53:30 | 日記

                             <真っ赤に熟れたサクランボが…早く、早く摘まんで…と言ってるようです>

 

 

7月7日(日)、二世帯住宅に住む高1の孫娘が久しぶりにクラブ活動が休みです。腹いっぱいサクランボが食べたいという要望に応えて、家族4人で仁木町のサクランボ農園に行ってきました。余市から倶知安に向かう国道5号線沿いには20を超える観光農園があります。時期によってイチゴ、サクランボ、リンゴなど、果物は変わりますが、今の時期は(7月第2~3週)サクランボ狩りが中心。長女の知人の某農園に入りますが、入園料@1000円を払って、食べ放題、時間制限なし、持ち帰りは別途料金。

すでに先客が一組おりましたが、広い園内には数十本(100に近い本数か)のサクランボの木が、真っ赤な実を、重そうに揺らして、早く採って、採ってと言ってるようでした。品種は、佐藤錦、水門、南陽等ほとんどの品種があるとか…。品種名を農園の方に教えていただきましたが、覚えられない(笑)。

 


サクランボの形や色で見分けるそうですが、私にはどれも、うまそうに見えて区別がつかない。

 


孫娘は盛んにスマホで撮影。撮影がひと段落したら、あちこち走り回り、パクパク。

 


家族で味比べ。私にはみな同じ味に思えるが…

 


奥に、先客がわいわい、がやがや。これは味が少し違うよ、と孫娘。う~ん、私にはわからん。腹の中に入ってしまえば、みな同じ。

 


家内も、お土産用にバケツに入れる。

 


このくらいあれば、お土産に十分かな?と孫娘。

 


隣はイチゴ畑ですが、すでに収穫期は終わって、採り漏らした時季外れのイチゴがポツリ、ポツリある。

 


農園の入り口近くにある選果場では、箱詰め作業中。

 


長女と孫娘のツーショット。

 

サクランボ狩りの後は、例によってキノコ王国で昼食です。私は食べすぎて昼飯どころではない。キノコ汁1杯で十分。それに反して、孫娘の食欲にはびっくり。キノコ汁に加え、串カツ、骨付きソーセージ…をペロリ。あの細い体でよく食うもんだわ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

室蘭工場夜景を撮りに…

2019-06-19 06:00:00 | 日記

                            <羊蹄山麓真狩川沿いの公園そばの土手に建つしゃれた建物は…> 

 

 

工場夜景撮影マニアではないんですが、今年の3月に室蘭にある石油関連化学工場が撤退したために、1万個以上ある保安灯が、今年の8月に半減するという新聞記事が出ました。これまでも室蘭の工場夜景については、見学ツアーが何度も実施され、その都度マニアで満席になるという情報を聞きました。この6-7月にも夜景見学バスツアーが実施される予定ですが、写友から撮影に行こうという誘いがあり、5月8日(水曜)に3名で行ってきました。

小樽を午前9時過ぎに出て、途中数カ所の撮影スポットに立ち寄り、赤井川、京極、真狩を経て、洞爺湖畔へ行きます。洞爺湖はちょうど壮瞥町の梅園が最盛期、さらにそこから室蘭市内へというルートです。

 

☆R393の通称メープル街道を倶知安方面へ向かうと、工事用の車両が出入りする小道を左折、白井川に沿って進むとライオンの滝があります…


落差2mと大きくはありませんが、豪快な音を立て、その音がライオンの咆哮にも似ているところから「ライオンの滝」(近くの切り立った岩がライオンに似ているからとも)と呼ばれています。春先のこの時期は雪解けで増水し、一段と激しい流れとなっていました。この川は、「赤井川村」の「白井川」といいますが、なぜかネーミングが面白いというか…。この付近は、春よりも紅葉の時期が写真的にはいいのかも。

 


R393沿いの原野には、エゾヤマザクラがあちこちで満開。

 


羊蹄山の吹き出し公園で有名な京極町には、郊外の町営牧場に1本桜があります。もともと「望洋の丘」という羊蹄山が望める景観スポットだったのですが…。5月8日に訪れたと時は、1-2分咲きでエゾヤマザクラ特有の赤茶色の葉が目立ってます。あと4-5日もすれば満開で、ピンク色になるのですが。

 


次に立ち寄ったのは真狩村の真狩川公園です。ちょうどエゾヤマザクラが満開でした。土手の斜面にはまだ雪が残っています。

 


土手の上にはしゃれた飲食店のような建物がありました。この建物のやや右奥に羊蹄山がそびえたってますが、この日は晴天でしたが、山の周辺は分厚い雲で覆われ、ふもとしか顔を出していませんでした。それにしてもこの建物気になります。正面に回ってみると…(下の画像)

 


入り口と建物の正面には不思議なマークのような…ハサミとコーヒーカップが描かれ、英文で「life」とあります。中央の窓越しには飲食店の様な気もしますが…。
この建物は、<hair & cafe life >が正式な店名。ヘアーサロンと軽食喫茶を兼ねている店です。時間があれば入ってコーヒーでも飲むところですが、先を急ぐので断念。

 

☆洞爺湖畔は、桜と梅が満開…真狩村から国道230号線に沿って進み、途中で道道132号線で洞爺湖町に入ります。湖畔に着くと桜が満開です。

 


エゾヤマザクラは、ピンクの花と茶色の葉が同時に出るので、ソメイヨシノのような美しさには劣りますが…

 


湖畔に沿って壮瞥町(横綱「北の湖」の出身地)向かう途中に、お寺があります。真宗寶光山「徳浄寺」といい、その境内と、道路1本山側の駐車場にはかなりの数の桜植えられています。上の画像は、境内の枝垂れ桜を撮ったものですが、エゾヤマザクラとは違って葉がありません、ピンク一色で見ごたえがあります。

 


駐車場のエゾヤマザクラを撮ったものですが、幾分ピークを過ぎていて、茶色の葉が目立ちすぎました。バックは、赤と青の牛舎でしょうか、奇麗にぼけました。

 


さらに湖畔を壮瞥町方向に進むと、えぼしいわ公園があって、桜の名所になっています。前回(H28年5月)来た時には、数棟の外国人向けの研修施設がありましたが、今はすべて取り払われて、桜の木と奥に数棟の住宅があるだけでした。見事な桜です。

 

☆壮瞥町の梅林…洞爺湖畔の急斜面に約300本の豊後梅が植えられています、展望台からは洞爺湖が一望でき、対岸の羊蹄山が望めます。

 


展望台は、大型車両は駐車できませんが、自家用車は10台ほど駐車可能。対岸警告灯?)羊蹄山が望めるのも嬉しい。

 


展望台に上る途中から見ると…、老木が多いように見えました。

 


豊後梅という種類だそうです。

 

☆最後の撮影地室蘭市に向かいます。市内に入る前に桜の名所「崎守町の1本桜」と「幌萌町の1本桜」に立ち寄ってから工場群のある海岸線出ます。

 


崎守町の1本桜は、樹齢100年以上といわれ、緑色の牧草地に、1本だけポツンと咲いております。もちろん私有地ですので、道路わきからしか撮影ができません。話によれば、近年老朽化が進み、枝が枯れかかっているとか。数年以内に倒木になるのではないかと、危惧されています。

 


市内の住宅街の崖の下にあるのが、幌萌町の1本桜です。訪れた時は向かい側の高台に今しも陽が沈む寸前でした。正面から見るよりは、逆光で見た方が幾倍も美しく見えました。この桜も幕末に移植されたので、樹齢170年ほどの老木ですが、手入れが行き届いているのか、幹回り4.3mあって、生き生きしてるように見えました。

 


工場群のある岸壁に来てみると、なんと大型客船「クイーンエリザベス号」(バミューダ船籍、90,400トン)が崎守埠頭についておりました。小樽には来年寄港すると言われています。

 


白鳥大橋を渡り、対岸の祝津公園から見ると、右奥に羊蹄山が見えます。

 


白鳥大橋は、この日は工事中らしく片側の交互通行でした。時折光る(警告灯?)をクロスフィルターで、光条としてとらえてみました。

 

祝津公園で撮影しておりましたが、とにかく寒く、早々に引き上げることにしました。ということで、本来とるべき工場夜景の撮影はゼロ、私自身は工場夜景マニアではありませんので…
ということで、3年前に訪れた時の画像を2点ほど掲載しておきます。



 

 

      

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄ぶらり旅(最終回)…琉球村他

2019-06-12 06:00:00 | 日記

                              <インスタ映えするかしら、と笑顔でポーズをとってくれた娘さん>

 

 

沖縄ぶらり旅の4日目は、早朝に那覇市内を立ち、美ら海水族館を見学。午後2時ころに水族館を出て、恩納村の万座毛、御菓子御殿に寄って、本日の最終訪問地「琉球村」には午後4時半頃到着です。美ら海水族館で歩き過ぎたせいもあって、腰がパンパンに張った状態。万座毛では、何度か来ていますが、見学エリアが狭くて、どうしても絵葉書的な写真にしかなりません。ここでは、1枚も撮影しませんでした。

御菓子御殿に初めて立ち寄りましたが、以前には聞いたことがないような気もします。もっとも製造工程を見学するわけでもなく、単なるお土産品の販売所ですので、興味がありませんでしたが、家族、孫たちへの土産をついつい購入。私自身は「ちんすこう」が大好きなので、プレーン、黒糖、紅芋の詰め合わせを3パック+その他の菓子を送料ゼロ円という案内につられ、自宅に郵送してもらいました。

さてぶらり旅の最終回は、「琉球村」のレポートが中心ですが、ここには前回平成17年に来た時も撮影しておりますので、さっと見て回るだけにしました。そのほか、ぶらり旅全体の中から、紹介し漏れた画像も数件アップいたします。

 

☆琉球村とは…沖縄各地から古民家を移築して、琉球時代からの風情ある街並みや伝統文化を体験できるテーマパークの一つです。ただ到着したのが午後4時半すぎており(閉園午後6時)、エイサーの演舞や、島唄ライブ、陶芸の実演・体験等はほとんど終わっておりました。

 


園内には、築200年を超える旧仲宗根家、旧大城家など、いくつもの古民家が解放されていて、三線教室、サーターアンダーギ-(沖縄風ドーナッツ)などの製造が行われています。

 


園内で最初に目に飛び込んだのがこの花です。北海道でも見かけますが、この「合歓の花」にはアゲハ蝶々が集まってきます。老い縄の合歓の花は、北海道で見るそれよりも一回り大きいような気がしました。

 


石垣とツボ、瓦、そしてカラフルな植物はまさに南国風。

 


周囲はどこも赤い花、ブーゲンビリアが咲き乱れています。

 


古民家の広間では、この日最後の沖縄踊りが行われていました。

 


演目等はわかりませんが、首里城の世誇殿で踊られていた演目にも似ているようですが…

 


サーターヤーと呼ばれる砂糖屋(製糖風景)がありました。牛の動力で、歯車が回転して、サトウキビを砕いているところです。

 


そのすぐそばには登り窯と陶芸工房がありました。陶芸工房は、すでに午後5時を過ぎているためか、製作中の体験者も技術指導者もおりませんでした。

 


琉球村の有料エリアを出ると、「沖縄の駅(道の駅?)ちゃんぷるー」ドームに出ます。なお「ちゃんぷるー」とは沖縄の方言で、炒め物などでいろんな材料をごちゃまぜにした料理を指します。このドームには、演芸のほか、レストラン、お土産品販売、貸衣装屋もあり、雨の日は、このドーム内だけでも、十分楽しめます。

 


貸衣装で記念写真を撮る観光客たち。

 


こういうコーナーもありました。インスタ映えするように撮ってね、と依頼され、ついでに私のカメラでもパチリ。瓦屋根の上に、シーサーもいます。

 

☆さて、沖縄といえばサトウキビ、黒糖の産地ですが…喫茶店にも黒糖関連商品がありました。

 


ここは首里城公園の一角にある休憩場、レストラン、お土産品店等が集まる建物です。傾斜地の建物なので、1Fにも2Fにも出入り口があって…。ここで、黒糖アイスクリームなるものを注文。

 


う~ん、黒糖の味が濃い。北海道では味わえないね、これは。

 

☆北谷町美浜アメリカンビレッジにある「ぼくねん」美術館に入ってみる。事前に「ぼくねん」なる人物を知っていたわけでもなく、歩き疲れたので、休憩を兼ねて美術鑑賞をと、軽い気持ちで入ったのですが…なんと素晴らしいアート作品にびっくり。

 


ぼくねん美術館は、建物からして一風変わっている。いたるところ曲線だらけで…2階建てなのか3階建てなのか…

 


木版画なのかリトグラフなのかわかりませんが、数々の作品を眺めていると、ふと棟方志功の版画を思い出しました。特に、この画像の中央の豊満な裸婦像は、志功の作品と通じるものがあるようにも思えました。

 


螺旋階段に掲げられたこの絵は、原画がカラーですが、光線状態に左右されるかなと思い、あえてモノクロにしてみました。

 


このポスターも原画はカラーです。見たことのあるような、ないような…

 

☆その他気になる画像をいくつか、

 


4日目の朝、観光バスの集合場所に指定された、ゆいモノレールのおもろまち駅に隣接する「Tギャラリエ」ビルのウインドーには、なんと北海道発の銘菓「白い恋人」のお菓子が展示されていた。

 


沖縄の飲み物といえば、「シークヮーサー」、大好きです。

 


もう一つ、これも大好きな「ちんすこう」、プレーン、紅芋、黒糖のほかに塩ちんすこうがあった。

 

 

 



 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする