紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

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我流欧州見聞録(1)…イギリス・ロンドン

2020-01-31 11:59:50 | 日記

                 <ロンドン名物 二階建てバス 近年は日本でも見られますが… 電線や架線が無いのがいいですね>

 

身辺整理していたら、平成5年(1993年)11月、初めて海外旅行した時のメモ書きノートが出てきました。それまでは一度も海外の土地を踏んだことはありませんでした。ただ実物の外国の土地を目にしたことは何度かありました。え?外国に行かずに、外国を見た?と不思議に思われる方がおられるかもしれませんね。北海道に生まれて育ったと言えば、一番近い外国は、そうですロシアしかありません。学生時代に、宗谷岬から20数キロ沖合のサハリンを見たのと、釧路支店勤務のころに羅臼から国後島を、そして根室の納沙布岬から1.6㎞先の、旧日本軍が立てたという灯台のある貝殻島です。勿論足を踏み入れたことはありません。あくまでも対岸から見ただけであります。

東北の某支店に勤務していた折に、本店から、欧州6か国に研修旅行を命ずるという業務命令がありました。本心びっくり、なぜ私がと思いましたが、せっかくのチャンス、不安が先だったものの、日本商工会議所主催の研修に参加することになったのです。11月の5日から20日までの延べ16日間でした。ロンドン、デュッセルドルフ、ローマ、マドリード、ジュネーブ、パリ及び周辺の都市です。各都市では日本企業の視察、現地会議所やジェトロとの意見交換、などなどがスケジュール表に書かれていました。ここでは、企業・関係団体等視察等については業務上のことでもあるので省きます。主に欧州(EU統合前のEC)と日本の文化風習の違い等について写真をもとに見ていきたいと思います。

なお、今回のブログは、一度掲載した分のリメイク版です。平成5年当時は、デジタルカメラがまだ普及しておらず、KONICA BIG MINIというコンパクトカメラとフィルム10数本を、持って行きました。もちろんX線ガードケースに詰め込んで、ですので、多少画像が荒い部分もあります。

 

☆イギリス・ロンドンのヒースロー空港へ


午前11時20分(ロンドン時間AM2:20) に成田空港を出発したロンドン行きANA機は、新潟上空からアムール川上空へと飛び、さらにロシアのツンドラ地帯を進みます。人家らしきものは全くなく直線的な道だけが見えます。さらに8時間ほど飛んで、ウラル山脈あたりで、やっと人工的な形が見えてきました。


間もなくヒースロー空港に到着です。

 


ロンドンの街はクリスマスムード一色でした。

 


街のあちこちにこのような看板が出ています。Office Suitesとありますが、続き部屋のことで、To Let=貸事務所のことです。スイートルームと言うと、日本語では新婚さん向けの、sweet roomと思っちゃいますが…

 


ロンドン市内を走るタクシーはほとんどが、この画像のような「オースチン」です。小回りが利くからだそうです。日本と同じ、左側走行です。

 


アルバートパブという、結構有名なレストランで昼食。店名はビクトリア女王の夫の名前を付けたものだとか。メイン料理は「フィッシュ&チップス」白身の魚のフライとポテトチップス。イギリスでは白身の魚のフライが、通常食とか…それにしてもポテトチップがメイン料理とは…面喰いました。

 


ロンドン市内の夜景。ホテルの部屋は「メトロポールホテル」22Fだが、日本で言う1Fはグランドフロアー(GF)で、2階が1Fとなる。なので、実際は23階だ。

 


大英博物館に所蔵される有名な「ロゼッタストーン」です。それまで解読法がわからなかった古代エジプト文字の「ヒエログリフ」が、シャンポリオンによって解読されたのが、この石のおかげなんですから。
なお、驚いたことに、大英博物館は入館料無料、陳列物は触れることができるほどの間近に展示されている。触れることは禁止ですが、フラッシュ撮影も可能。日本とは大違い。

 


ロンドン塔の切符切りの係員。とても格好が良くて目立ちますね、観光都市だからでしょうか、日本とは大違いです。ちなみに「ロンドン塔」はかつては王様の居城でしたが、その後ロンドンを守る城塞として使われました。さらにその後は罪人の幽閉・処刑場にもなりました。冒険家であり、アメリカからタバコと梅毒を持ち込んだといわれる、ウオルターローリー卿も、ここで処刑されました。

 


後方の橋は、有名なロンドン橋、橋よりも右下日付のあたりに注目。Litterとあります。ごみ箱のことです。綴りが少し変わって、litre(米語では、liter)となると、リットルになります。
人物は、小生ですが当時49歳、髪の毛が黒々としていました。幾分白髪交じりですが…。このほかイギリスのドーバーからフランスのカレーを結ぶ、①ユーロートンネルの本社見学‣物流変化の講義等、②ロンドン市内ドックランド再開発公団訪問等もありましたが、業務の一環なので、説明は省きます。

 

☆次回の「我流欧州見聞録…」は二か国目ドイツで、デュセルドルフ、アーヘン、ケルン市などです。

 

 

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