ぱそらぼ (ぱぁと1)

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運勢鑑定

2009年11月11日 | 社会派らぼ
運勢鑑定で知られている「高島易断」の名をかたり、高額な祈祷料を騙し取っていたという詐欺事件で、逮捕者が出ました。良くある手口で、相談者の不安をあおるようなことを散々聞かせたうえで、高額な祈祷料が必要だと告げるものです。口座には5.7億円近い入金が確認されているようですし、被害相談は実に3.6億円に上ると言います。このような手口に騙される被害者が実に多いことが良く分かります。

新聞に掲載された見出しは「高島易断を名乗る詐欺容疑」といったニュアンスだったように記憶しています。このような詐欺事件は摘発が難しいようです。今回は、本家の高島易断とは何の関係もないのに、名を名乗っていたことや、高野山の行者に1日1,000円で祈らせる…といった主旨のことを説明しているのに、高野山にはそのような修行する行者がいないことなどが逮捕に至った理由のようです。

色々な立場があろうとは思いますが、ご批判を覚悟で書くなら、運勢鑑定そのものがまやかしもののように私は思っています。霊とか怨念とかの世界は、その存在を立証することができない反面、存在しないということを立証することもできません。その為に「信じる人」には「存在し」、「信じない人」には「存在しない」ということになるようです。ですから、「信じて」それに「すがる」ことは、その方の自由な選択ですが、それが「嘘」だったから「騙された」とするのは、身勝手なようにも思います。

本来、このような霊の世界は、古神道に由来する観念で、万物に霊が宿り、人間そのものの存在がとても微力であることを謙虚に認める世界観であるかと思います。人の力と言うものは本当に小さいものです。様々な天変地異に振り回される私たちが、無事に心穏やかに生きていくには、周りの全てのものに頭を垂れる必要がある…という謙虚な世界観だと思います。このような世界は、人の心の中にのみ存在する力で、現世の金銭に依存する世界などではないことを、誰しもが分かっているのではないのでしょうか。

それでも騙される…には、それなりに追い込まれた窮状があるのでしょうが、オレオレ詐欺と同様、言葉は単に耳で聞くのでなく、頭と心で聞くべきだと思います。

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