ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

2011年04月30日 | 雑談


デザインのヒント・その3
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生まれてきた使命

2011年04月29日 | 命の生き方
ソフトバンクの孫正義社長が、私財10億円を投じて「自然エネルギー財団」を設立するというプランを発表されました。

今回の大震災では想像を絶する津波被害と共に、福島原発事故が多大な被害を生み、今も必死の作業が続けられています。そんな中、早急に原子力に代わるエネルギー案を考える必要があるとの判断されたようです。太陽光発電や風力発電、地熱発電など、可能性のある技術を議論し、精査し提言をしていこうとするものです。

政界に進出する気はないのか?と問われて、明快に否定をされましたが、事業家としての角度から精一杯のことをやりたいというように答えておられました。今、日本中の誰もが、原子力発電をこのまま続けて良いのだろうか?、続けていけるのだろうか?という疑問を持っています。残念ながら、現実として、私たちは日々の電力消費を止めることはできないので、原子力に頼ることを「仕方が無い」という風に結論付けています。それを、本当に仕方が無いんだろうか?と、今回の提言と私財投入に至られたわけです。その実行力とそれだけのことをやれてしまう経済力には脱帽するしかありません。

震災以来、政府が稼動していると感じる事があまりありません。これからの事は、誰一人予測する事ができない状況にあります。だからこそ、指導力を発揮し、最善の可能性を探って欲しいと思うわけですが、そんな思いに今回の孫氏の発言はすっと入ってくるものがあります。東電の責任論が最近取り沙汰されています。反省はあっても良いし、必要な謝罪や保障も考えるべきでしょうけれど、必要以上にただ誰かを責めるだけの議論に時間を潰すより、もっと建設的な議論が必要です。

ソフトバンクという会社としてでなく、個人としての活動ということですが、それが生まれてきた使命なのだと表現されています。多分、政府が右往左往している間に、第2、第3の孫氏が(お金を出すという意味でなく、日本をリードするという意味で)あちこちで次の活動を始めてくれるはずです。私達自身も、自分の「生まれてきた使命」は何なのかに思いを至らせても良いのではないでしょうか。





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個性

2011年04月28日 | 命の生き方
子どもの頃って、大人は完璧な大人のように思っていました。が、実際に大人になってみると、悩んだり迷ったりすることばかりなのだと分かりました。いつまで経っても未熟で、常に自身を磨いて、進歩していかなくてはならないのだと分かりました。そしてともすれば、未熟なままの自分を、客観的に見ることすら忘れていたりするものなのだと、分かりました。

人はそれぞれに異なった人格であり、生まれ持ったものも育つ環境も異なりますから、考え方も本当に皆異なっています。違った人間が集まるからこそ、更によりよい意見や工夫に繋がっていけるのだと思います。

但し、「個性」と「我」は違ったものだと思います。人は個性的であるべきだと思いますが、我をそのまま押し通すこととは違っているということを、理解しておかねばなりません。自分の意見をシッカリ持つことは大切なことです。その意見を臆せず表現することも大切です。例えば、誰かに対して遠慮をするとか、自分の個性を押さえつけて閉じ込めてしまうようなことは良くありません。人は無理をして、自分でない自分を演じる必要などありません。素直にあるがままの自分で、それで良いのです。

…が、それは、自分の中に高い理想を持たないことではありません。人間として、どうあるべきかと、襟を正すことが不要であるとの論とは異なります。「心はむき出しのまま、置いておいてはいけない」。これは私の持論です。心は、自分の意志で手厚く護っておかねばならないし、高い志のもとに自分を高める努力というものを忘れてはならないと私は思うのです。

どんなに親しい間柄であったとしても、人と接している時、私達は自分のことと同時に、常に他人のことを他人の立場で考えることができなくてはならないと思います。



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我慢

2011年04月27日 | 社会派らぼ
気づけば4月が終わろうとしています。日本全国の人が、そんな感想を持っているのではないでしょうか。それほどに震災は衝撃的で、かつ日本で起きている他の何もかもを塗りつぶした感があります。この未曾有の大災害は、当然のように海外にも報道されており、中には的を外した報道、事実とは異なる報道があるのも確かなようです。

確か米国での報道の内容だったと思いますが、今日本で一番に覚える言葉が『頑張ってください』という言葉だと書いているものがありました。そしてそれは続けて、『我慢してください』という意味なのだと説明をしているようです。とてつもない大惨事であるにも関わらず、被災者達がパニックに陥らないこと、皆整然と譲り合い助け合って秩序を失わないことに、世界が驚いているようです。その一面についてはおおむね高評価なのであって、この『頑張ってください』は『我慢してください』という意味だとの解釈も、その日本人の我慢強さや忍耐力に驚きと敬意が込められているのだと思います。

但し、個人的に書かせていただくなら、日本語の『頑張ってください』は、『我慢してください』という意味ではありません。そのニュアンスの違いは、日本人なら誰しもが分かることなのですが、フト気づくと私達は『ひたすら我慢だけをして』頑張っていることが多くあるのかも知れないと気づきました。

パソコンに挑んでくださる方々の中には、当然ですが思うようには習得が進まず、『頑張って』くださる方々も結構多いのです。その際に、ただ頑張っていただくのではない…!ことを、お願いするのですが、なかなか現実は当方の思い通りに意図は伝えきれないことがあります。長期講習に関わった時などは特に「一日中、ただパソコンの前に居て、練習をしていても上手になんてなりません」的な事を言った覚えがあります。上手になるには、「上手になる」なり方というものがヤハリあるのです。

漠然と耐えるのではありません。自分の中の何かを「変える」意志が必要なのです。ここは「意思」ではなく「意志」です。意志があれば、そこに工夫が生まれます。工夫があれば、そこではきっかけもつかめます。きっかけがあれば後は階段を駆け上がることもできます。

海外メディアの目には、避難所の方々が、ただひたすら「耐えて」おられるように見えたのでしょうか。確かに想像を絶する過酷な日々に「耐えて」おられると思いますが、その心の内には次なるステップに向けてそれぞれのペースで助走を始めておられるはずです。私達がすべきことは、次なるステップをそれぞれの立場で考えることにあります。


ワードの余白域にはみ出したイラストは印刷されない?
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集団活動

2011年04月26日 | 社会派らぼ
社会活動というものは、会社にせよ市民活動にせよサークルにせよ、必ず一人では成立しません。人間の社会というものは、人と人が寄り添うことで成立しています。幼稚園に行き出すようになって以来、私達はそうした集団生活に身を置いて、自身を成長させながら、人との付き合いの仕方というものを学んで来ているはずです。

社会の中に築かれている多くの集団は、1つとして同じものが存在するわけでなく、集まっている個性が微妙に絡み合い、それぞれが目的とする活動に日々いそしんでいます。どれが良くて、どれがダメといったものでなく、金子みすずさん風に言うなら、「みんな違って、みんな良い」のだと思います。

それでも、人が複数人よると、巧く機能する集団と、互いにブレーキがかかり合って停滞し思うようには動かない集団とができてしまいます。一体何が違っているのでしょうか。目的も違えば、環境も違う、メンバーの人数が違えば、個性も違う。そんなもの同士を比べようが無いのは良く分かっていますが、メンバー同士が互いに尊敬し合えているか…といった視点が気になります。

メンバー同士は、気心が知れていれば、他人行儀ではなくなるでしょうし、キットそれは良いことです。ツーカーで話が通じ合い、堅い建前などは抜きにして、本音のところでの付き合いから、互いの信頼関係も生まれますし、より大きな活動に目を向けることもできるようになっていくはずです。それでも、どんなに互いに信頼を寄せたとしても、無礼講で互いの気心が知れているとしても、最低限の礼儀は必要なのではないかと考えます。むしろ、親しければ親しいだけ、キチンとした集団の運営方法を確立しておかなければならないような気がします。

親しいことと、人間としての大前提を崩すこととは意味が違います。長年活動を共にする相手であるからこその、一線を引いた礼儀やけじめというものは大切にしておきたいと思います。全くの個人的感情だけを中心に据えて、社会活動をするということが、根本的に間違っているということでしょう。



複数箇所のデータをコピーすると異なるデータまで貼り付けられる
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批判

2011年04月25日 | 社会派らぼ
大震災の直後に行われた統一地方選挙の結果が示すように、世間は民主党に厳しい評価をつきつけています。当ブログは、政治的な意見を書こうとは思っていませんので、そうした意味でない事をご理解ください。

今こうして民主党の政治を批判する人は多いのですが、さかのぼって政権交代当時の時の自分の判断を振り返る人は少ないのです。長く続いた自民党が自滅した感もあって、民主党が政権を担当するようになった時に、今の体たらくを予期できなかったのは誰の責任なのでしょうか。

それは、その時のマニフェストを見て判断をしたのだと、ある人が言われました。マニフェストどおりに政治が進んでいれば良かったはずで、有権者としての誤った判断ではなかったと言われるのですが、仮にマニフェストどおりに政治が行われていたら良かったと仮定して、そのマニフェストを実行する力があるかどうかの判断を私達はしたのではなかったのでしょうか。

以前、ある面接試験に関わった時、面接とは果たしてそのような基準で行うものなのだろうか?と疑問を感じたことがありました。受験者が何を言ったか…というその答の内容だけに特化して評価をされたのですが、面接とはその人間の人となりを見ているのではないのでしょうか。何と答えたか…よりも、心の内で真に何を感じているか、考えているかに主眼が置かれるべきで、面接官というものはそれを見通す力を持って、彼らの前に座るのだと思います。

口は方便とはよく言われます。政治家の口八丁、手八丁はおのずと知れたこと。その芯で、何に挑もうとしているのか、それに挑む力があるのか…を見極めるのが有権者でなければならなかったはずです。少し以前の政権交代劇の際の判断を棚上げして、今目の前の政権を断罪してみても、結局は同じ事の繰り返しになるのに過ぎません。

ただ雰囲気だけで物事を判断するクセ、何か事が起きた時に結果論だけで断罪しようとするクセ、自分の責任を棚上げにして居丈高に批判だけを口にするクセ。そろそろ私達が自分を強く反省すべき時かも知れません。





アクセスで平らな直線を引く
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パソコンは人を救えるか

2011年04月24日 | ぱそこん道
「パソコンは人を救えるか?」 チョット今日は大きく出てみました(笑)。

パソコンではお腹は膨れません。飢えた人の命を救うような力はパソコンにはありません。(アンパンマンのようにはいかない…。) 病気や怪我で苦しむ人を治す力はパソコンにはありません。今回のような大震災の前に、私達は無力です。パソコンなど、そこでは何の役にも立ちはしません。

それでも、私は「パソコンは人を救える」と信じています。いいえ、正確に言うならば、「パソコンが人を救った」経験を、何度も見ています。人は、目の前の現実に苦しむのですが、それは体の苦しみであると同時に、心の苦しみなのです。

病を得て、もう生きていく力を失くしておられる女性と、私はパソコンの講座で知り合いました。当時、私は彼女の個人的な事情など知る由も無く、ただ1受講生として接しただけなのです。が、後日「人生が変わりました」と、感謝の言葉をいただいたことがあります。又、職場や人生で様々に傷ついた人を、講座に迎えたことも、幾度もあります。その大抵が、私は事情を知らなくて…パターンです。

パソコンとどう向き合うか? 人によって違っていると思います。又スクールによって違っていると思います。少なくとも、私はパソコンというのは「技能の修得」だと思っています。そして「技能」というのは、単に小手先だけの機能習得とは異なっていて、人間性をかけてするものだと思っているのです。ただ知識を吸収するのでなく、向き合う自分の弱さと対峙せざるを得ないところがあるのです。

そして、これは恐らく「パソコン」という言葉のところを、それぞれの関わっておられる分野の言葉に替えたなら、どんな世界でも言えることなのだと思います。「○○は人を救えるか?」 ○○で、空腹は満たせなくとも、真剣に自分と向き合った時、必ず人は目の前の苦しみを1つ乗りこせるような気がするのです。




Shiftキーを押すと直線が無駄に延びる
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祈り

2011年04月23日 | 命の生き方
人には多かれ少なかれ、二面性があります。どんなに”良い人”であっても、”ずるい”一面を持たないわけではありません。大抵、人はそうした自分の中の”邪悪な”部分をキチンと理性的にとらえていて、巧くいなしているのではないかと思います。

世の中、きれいごとばかりで回っていくはずなどありませんが、こうあるべきだとする大きな指針が自分の中に無くてはなりません。時折、自分の中の弱さがその指針を歪めることがあったとしても、根本に据えた願いや祈りを恥じる必要はありません。

ただし時折、根本に据えているもの自体が演技や偽物である場面にも出くわします。当初は恐らくそうではなかったのだと思いますが(思いたいのですが)、自分の中に同居している影の部分を心のうちで巧く処理してしまうことができなくて、いつか自分も気づかぬうちに心を明け渡してしまっているのです。

大人と呼ばれる年齢に達すると、そのような生き方の根幹に関わる部分は、人から諌めてもらうことがなくなります。自分で気づかない限り、戻る術がないのです。常に、自分の芯にあるはずの本当の願いに立ち戻る必要があります。それを宗教家は祈りと呼ぶのかも知れません。



パソコンが長く終了しない
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救い

2011年04月22日 | 社会派らぼ
原発の話題はあまり…書きたくないと思ってはいるのですが、身の回りの話題の大半が、今回の地震・津波・原発を避けて通れないのも又事実です。事故から40日あまりが経ちました。壊滅的な被害からは復興の道はまだまだ遠そうですし、原発に至ってはまだ収束への道筋も見えません。

そんな中、被災された多くの皆様や、現場で体を張っている多くの作業の方々に対し、日本中の人々が有形・無形のエールを送っていることは確かです。当事者である私達は、そこから逃げるわけには行かず、ただ諦めずに亀の歩みほどの地道な作業をこつこつと続けるしかないわけです。そして「明けない夜はない」と言われるように、いつか必ず遠い過去として振り返る日が来ることを信じるばかりです。それでも、そんな絵空事のような幻想を信じているだけで、果たして事が足りるのかという不安はぬぐえません。

今回、福島第一原発から20キロ圏内が警戒区域に設定され、原則として立ち入りが禁じられるという措置が取られました。様々な状況を鑑みて今回の措置が取られた事は良く分かるのですが、事故からこれだけ経ってからの「立ち入り禁止」には、釈然としないものもあります。国民の不安を煽るまいとして、発表が安全を強調するもの、平静を呼びかけるものになっていたのではないか…という懸念は、誰しもが抱いています。

先日の水道水への放射性物質の混入も、乳児への摂取制限は発表されたものの、大半が大丈夫と言いつつ、今回民間の調査で母乳への混入が明らかになりました。大丈夫という発表をどこまで信じて良いものかという人々の不安は、個々人の判断ではどうにもならないところにまで来ています。

安全…を繰り返すより、実態がつかめないうちは、念のために多少過剰であっても規制をかけた上で、徐々に規制が外されるというのが道筋のような気がするのですが、現実はそれが逆転してしまっているような気がします。

多くの人が被災地に心を寄せています。多額の義援金も寄せられていますし、各自が良く考えた上でのボランティアにも頭が下がります。ですが、(そうしか仕方が無いのは分かったうえで)、概念的な支援に終始してしまっているのも確かです。原発事故収束への道筋が示されたのは評価できますが、一方で、今後の原発をどのように位置づけていくのか、発電を何によって支えて行くのか、何にどれだけお金が必要であるのか…などなど具体的な論議が少しも見えて来ないことに、これからの不安を何より感じています。夢や歌やメッセージは、人々の心を救いはしますが、それだけでは本当の救いに繋がらないことも事実です。



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医療事故

2011年04月21日 | 社会派らぼ
腹部脂肪吸引の手術を受けた70歳の女性が死亡した事故で、執刀医が逮捕されました。業務上過失致死の疑いだとされています。術中、誤って腸などに穴を開けたことが原因で、直後は異常がなかったものの帰宅後死亡に至ったと言います。

考えられないミスで逮捕はやむを得ないとする意見もある一方で、携わる医師全員に起こり得る事故で、このようなケースで逮捕されるのであれば、医師たちが萎縮し技術の立ち遅れを懸念する声も上がっているようです。

医療事故というのは、色々な問題を含んでいます。あまりにもすぐに訴訟沙汰になるような風潮は確かに医師を萎縮させますし、ひいては医師になり手がなくなってしまいます。かと言って、過失や失敗があったのだとしたら、まして患者の命が関わっていたのだとしたら、遺族の方々の心中は想像に余りあります。今回のケースも、恐らくこれから、手術当時のことが検証され、ミスが仕方のなかったものなのか、避ける事が可能であったのかが審議されることになります。

それとは別に、美容外科という分野のどこまでが必要な手術なのか…、ナイーブな面を持つ分野であることも含め、考え直すべきものも多くあるような気がします。少し前の、外国語学校の女性講師が殺害された事件でも、犯人は逃亡中に何度も美容整形を繰り返していました。明らかに本人と特定されることを避けるための手術ですが、本人が望めばそれができてしまう世の中であることは確かです。

正直なところ、今現在は、本人が願望し資金が調達できれば、何の関門も存在しません。どこまでが必要な施術で、どこからが不必要な施術なのか。そして不必要だとしたら、誰がどこで、本人を諌めるのか。懸念がありながらも、いつの間にか、既成の事実として受け容れてしまっている事が、実はその存在自体に議論をが必要であったこと。後から気づいたのでは遅いということ。

日本のエネルギー供給方法も、もっと事前に考えねばならなかったことの1つです。



線種変更したら行数が増えてしまった
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