この春、大阪市が公募して着任したばかりの校長が、3か月で辞職を申し出た…と、ニュースが駆け巡っています。彼が、辞職理由として挙げたのが「『若い』という理由だけで、小規模校に配属、給料が最低級、自分のしたいことができる環境ではなかった」。これに対して、勿論と言うべきでしょうか、批判意見が集中しています。
外資系会社を4社転々とした後に校長職に応募とありました。外資というのは特に能力主義の会社が多いと聞きます。職場を転々としながら、キャリアを重ねて出世をしていくというパターンも一つの「やり方」のようです。それは悪いわけではありませんが、それなら彼は「校長職」には応募すべきではなかったのだろうと思います。「一つ、やりたいことを内に秘め、環境が変わろうと待遇が変わろうと、ただ自分の内なる思いに忠実に動く」仕事観と、「対人の駆け引きや、チャンスをうまく捕まえて、自分のステータスをうまく築いていく」仕事観とは、根本的に相容れないものがあるような気がするからです。
この校長先生は、記者会見などを開くべきではなかったのではないでしょうか。日本語のあいまいさは、時に世の中の行き違いを埋め、角を立てずに物事を丸く収める…という、本当は恥ずべきなのかも知れない不思議なメリットを持っています。自分の都合だけで職を辞すのですから、「一身上の都合」で、何も言わずに舞台を降りるべきではなかったでしょうか。「謝罪することではない」と、胸を張って下りるべき職ではありません。思いをお持ちであったのなら、市教委や現場の先生の反対を押し切ってでも、手腕をふるう覚悟を見たかったと思います。
採用側の市教委は「経歴も能力も、市の教育方針に合致していた」と説明していますが、選考の時点で「経歴」と「能力」しか見ずに、「人」と「なり」を見ていない「非」があるように思います。多くの意見が、辞めた先生に批判的であることが、かえって市教委の反省をうやむやにしてしまいそうな気がします。
外資系会社を4社転々とした後に校長職に応募とありました。外資というのは特に能力主義の会社が多いと聞きます。職場を転々としながら、キャリアを重ねて出世をしていくというパターンも一つの「やり方」のようです。それは悪いわけではありませんが、それなら彼は「校長職」には応募すべきではなかったのだろうと思います。「一つ、やりたいことを内に秘め、環境が変わろうと待遇が変わろうと、ただ自分の内なる思いに忠実に動く」仕事観と、「対人の駆け引きや、チャンスをうまく捕まえて、自分のステータスをうまく築いていく」仕事観とは、根本的に相容れないものがあるような気がするからです。
この校長先生は、記者会見などを開くべきではなかったのではないでしょうか。日本語のあいまいさは、時に世の中の行き違いを埋め、角を立てずに物事を丸く収める…という、本当は恥ずべきなのかも知れない不思議なメリットを持っています。自分の都合だけで職を辞すのですから、「一身上の都合」で、何も言わずに舞台を降りるべきではなかったでしょうか。「謝罪することではない」と、胸を張って下りるべき職ではありません。思いをお持ちであったのなら、市教委や現場の先生の反対を押し切ってでも、手腕をふるう覚悟を見たかったと思います。
採用側の市教委は「経歴も能力も、市の教育方針に合致していた」と説明していますが、選考の時点で「経歴」と「能力」しか見ずに、「人」と「なり」を見ていない「非」があるように思います。多くの意見が、辞めた先生に批判的であることが、かえって市教委の反省をうやむやにしてしまいそうな気がします。