ぱそらぼ (ぱぁと1)

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無力感

2022年07月09日 | 命の生き方
誰もが一様にフェイクニュースではないかと思い、目を耳を疑う事態が現実に起こりました。参院選の応援演説中の安倍晋三元首相が銃撃され、心肺停止状態で病院に搬送され、死去が公表されました。

与野党そろって「許しがたい蛮行」を非難し、今は失われたものの大きさをかみしめています。ニュースは世界を駆け巡り、ネットには賛辞が溢れています。政治的な立場や功罪は別として、世界という場で「日本」の立ち位置を認めさせた政治家ではなかったかと思います。「でもしか」議員が多い中(失礼…)、政治家らしい政治家であったような気がします。

犯人はその場で逮捕されていますが、元海自ということが報道されている以外「不満があって殺そうと思った」という動機しか聞こえてきません。これから捜査が進む中で、何かもっともらしいことが見えてきたりするのでしょうか。

ロシア軍のウクライナ侵攻に解決の糸口が見えない中、コロナ感染の第7波が心配され始めました。そこに安倍元首相殺害の報が飛び込んで、何をも為し得ない無力感が覆いかぶさって来るような感覚があります。人の命を奪う「殺人罪」は、最も重罪であると認識されていますが、被害者の命を奪う以外に、多くの人の「心」を傷つけるという罪が加算されても良いのではないかと思うくらいです。人の命の重みは、被害者が誰であろうと変わりはしませんが、取り返しがつかない事が理不尽に行われていることへの心のストレスは、量り知れないほどの勢いで世界中を覆ったような気がするのです。たまたま追い詰められている知人の心に寄り添える方法が無いかと模索していたから余計なのかもしれませんが、多くの人が似たようないたたまれない思いを抱えたと思います。

ホリエモンこと堀江貴文氏が「反省すべきはネット上に無数にいたアベガー達だ」といったツイッターをあげています。「アベガー」とは何かにつけて「安倍が悪い」「安倍が悪い」と言い立てる人のことを指すようですが、自分が不遇なのは世の中のせいだと、下品な言葉で揶揄するような感覚が蔓延しているのは事実かもしれません。安倍氏危篤が報じられる中、ネット上ではその脇にリアルタイムのコメントが次々流れていましたが、そんな時でも口を極めて品のない書き込みをする人が実に多いことに、世の中の(?人の心の?)闇の深さを思い知らされます。

「社会に対して絶望する人が自殺でなく、他殺を選ぶという予想」をしていたとするのはひろゆきこと西村博之氏。逮捕された犯人の1個人の資質の問題だとする以上に、世の中を憂えている発言という意味では同じかもしれません。

SNSを通じて、社会に対してものをいう人が増えていますが、世の中に物申すという意気込みだけでなく、物事を主張したければしたいほど、そこに「品格」が必要であるということが、人間の本質として備わるようにならねばなりません。

人間そのものを辞めたいと感じる厭世観を、現実の社会が克服できるかが大切なのかもしれません。安倍氏が世の中に大きなものを残した「最後の政治家」とならないようにするのが、唯一の手向けでしょうか。誰もがわけのわからない無力感につぶされませんように。合掌。