ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

2014年09月30日 | 雑談

ワード2010とワード2013の文字数が合わない

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怒る

2014年09月28日 | 雑談
古くから山岳信仰の山として畏敬を集めてきた御嶽山が火を噴きました。富士山に次いで2番目に標高の高い火山で、その山が突然に炎を上げて燃えました。複数の死傷者が出ている模様で、自衛隊の装甲車も投入されて、捜索活動が続いています。被害がこれ以上広がらぬよう祈りたいと思います。

山が怒った…と、表現している人も多く、山が「原発の再稼働」を怒っているのだと主張している人もおられるようですし、中にはオスプレイからの電波放出が火山を噴火させたという人まで。日本が世界有数の地震国であることは衆知の事実で、安全なエネルギー開発が急務だと考えていない人はまずいません。パニックになってはいけません。

本当に山が怒ったのだとしたら…、それはこのところの人間社会の幼児性に対して怒っているのかも知れません。一つことに真摯に向き合う人が減って、自らを過信して物事を軽んじる風潮が過ぎる気がします。自分の価値観のみが唯一絶対で、主張せねば損な哀しい世の中になっています。時代は移り変わるものですが、人間の本質は自然の脅威にひれ伏した頃と変わってはならないのだと思います。落ち着いて、何が一番賢明なのかを、考えたいと思います。



突然CDに書き込めなくなった

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残念な…

2014年09月27日 | 命の生き方
連日、日本選手の活躍ニュースが流れてくる仁川アジア大会から、とんでもないニュースが飛び込みました。競泳選手の一人が、韓国メディアのカメラを盗んだというものです。競泳会場の監視カメラには、選手の窃盗の様子が映っており、事情聴取を受けた本人は犯行を認めていると言います。深く反省していると、謝罪の意を表してはいるらしいのですが、日本選手団から追放処分を受け、帰国予定の水泳選手団からも離れて、警察の指示で現地に滞在しているとの事です。

他人の物を盗んではいけない…は、幼稚園児でも知っていることで、25歳にもなるトップアスリートが、他国の大きな大会の場で、自制心を失うということが、まず信じられない思いがします。かつては北島康介選手の後継とも言われ注目を浴びたこともあったらしいのですが、好不調の波が目立つ選手で、今大会も100メートル平泳ぎでは4位、50メートルでは予選落ちしていたと言われています。関係者はもちろんのこと、アジア大会出場の日本選手、そして私たち日本人の全てが、「残念な」思いに駆られています。

万引き常習犯には、精神を病んでいる人も少なからずいる…といった解説を、時折耳にします。物が欲しいわけでなく、心の隙間を埋めるものが欲しいといった満たされない心を抱えている場合があるのだそうです。確かに心が満ちみちていれば、そうした衝動に駆られるとは考えにくいですから。今回の窃盗を働いた選手も、もしも友だちよりもチョット水泳がウマイ程度の人だったら、競泳選手になる事もなく、アジア大会に出場することもなく、成績が伸びない試合に唇を噛むことも無かったら…、彼はこんな過ちを犯さずにいたのかも知れません。

通常は、目標を目指す厳しい練習の中で、人はどうあるべきかといった事を学ぶはずなのでしょうけれど、彼には、そのような精神的成長を遂げる時間がまだ足りなかったということなのでしょうか。中途半端に秀でたものを持って生まれてきたことの代償は大きかったとしか言いようがありません。

毎日ひしめくように、次々起こる様々な事件の中の、たった一つのニュースです。開催国韓国では、特別にニュースを大きく取り上げられるわけでもなく、所轄警察署も、幼く素直な印象で後悔しているようだと語っていると言います。が、何か日本人の(私の?)気持ちを、落胆させるに足る何かしらがあったような気がするのです。

もう…、いいかぁっ。




エクセルファイルの数値データだけを削除したい

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FC2動画

2014年09月25日 | 社会派らぼ
テレビドラマを「FC2動画」に投稿したとして、4人が逮捕されました。また12人が書類送検されています。全員が金銭目的で無断投稿をしていたことを認めていると言います。更に、FC2動画を運営している米国法人に対しては、違法な投稿を防ぐための措置を要請したとされています。FC2動画では、動画の閲覧者が有料会員に登録した場合、会員料金の半分が動画の投稿者に支払われるというシステムになっているようで、逮捕者は何百万稼いだといった供述をしているらしいです。いわば、盗品売買というところでしょうか。

FC2動画への違法アップロードでの逮捕者は今に始まった話ではなく、過去にも摘発され、それぞれ有罪判決が下りていたりします。それでも違法投稿者が無くなりません。というか、それでも閲覧者が減りませんというべきなのでしょうか。ともかく、こうした逮捕は、恐らくなんら抑止力に働かなかったことは確かです。今回も、しばらくは違法投稿は減るかも知れませんが、根本的な解決には至らない気がします。

大体、このような事に対する罪悪感は希薄です。下手すると、皆無です。確かに「違法行為である」という知識だけは、浸透しているかもしれませんが、やってはいけない事なのだという意識は、恐らく浸透していません。違法投稿で巨額のお金を儲けたのだから、逮捕されても仕方ないねいった程度の捉え方で、閲覧者に至ってはFC2がつぶれたら不便だといった程度の事でしかありません。閲覧するには、何にもハードルもありませんから、どこまでがOKで、どこからがNGなのか、区別がつかないユーザーも多いことでしょう。動画に限らず、音楽でもイラストでも、写真でも同じです。だからネット上では、ダウンロードだけでなく、多くの違法行為が、さした罪悪感も無しに、歯止めなく広がっていくようにも思えてなりません。してはならないことを、してはならないと実感する場が無いのです。

法に反すれば罰せられる。当たり前のはずのことが、ネット上では、殆ど意味を持ちません。たまにこうやって狼煙のように逮捕者を出しても、今さら大勢に大きな影響が生じるようには思えないのです。ネットの利用料金に、無条件に著作権料を上乗せした上で、二次配付を認めるなど…、多くの違法行為が放置されてしまわない対処法を、考えなければならない時期に来ています。


ワードで開いたファイルが編集できません

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2014年09月24日 | 命の生き方
神戸市で、行方が分からなくなっていた小学1年生の女児は、皆の祈りも虚しく、最悪の結末を迎えました。現段階では、一応まだ容疑者ですが、47歳の無職男性が逮捕されています。雑談には応じるものの、事件に関しては黙秘しているということで、全容が解明されるのはまだ先のようですが、現場の状況からは、ほぼ犯人に間違いなさそうです。

断片的な情報が洩れてくるのを総合すると、この容疑者には知的障害があるようで、生活保護を受けていたとも報じられています。人が人を殺めてしまう瞬間、理性的である人は恐らくいないと思いますから、障害のせいで責任能力云々の話にはして欲しくないと思います。

所有欲、征服欲、破壊欲…そうした感情は、大変残念な事ではありますが、人間の業なのかも知れないと思います。社会性、公共性…といった感覚が正しく磨かれることによって、人間の心に巣くっている業を人は制御できるようになって、大人になるはずなのだけれど、彼はどうしたことか、大人になり切れずに社会の中に組み込まれてしまった感があります。

このような特異な事件が起きる度に、社会は震えあがりますが、結局のところ犯人の特異な性癖のせいにして、私たちの日常とは一線を画したところに位置づけて終わりにしてしまいがちです。が、これは確かな社会の縮図であって、私たちは紛れもなく、彼のような業を内に抱えているはずなのだと、いつもそんな風に思います。

程度の差こそありはしますが、社会に背を向けて生きている人は、非常に多いように思います。一見、社会に順応しているように見えてはいるものの、社会を受け容れようともしないし、自らも社会から受け容れられない人。正しい社会性は、生育過程の中でしか身につかないものなのかも知れません。特異な事件だけを反省する事に終わらせたくない気がします。


ガジェットって何ですか?

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予備校

2014年09月23日 | 社会派らぼ
8月末に、大手の予備校で有名な代々木ゼミナールが、運営している学校の7割以上にもあたる20校を閉鎖すると発表し、話題になりました。早期退職者も募られているとかで、会社の経営のためとは言え、切り捨てられる(自ら希望する場合も、望んで退職するわけでは無いでしょうから)人たちにも生活があると思うと、複雑です。ソニーの配当なしの報道の際もそうでしたが、リストラといった経営見直しが、以前ほどに社会バッシングを受けなくなりました。リストラの常態化が、社会の中に致し方ないこととして受け入れられている気がしなくもありません。人手の足りない分野が一方ではあるようですので、再雇用の機会が失職者の殆どをうまくカバーできる仕組みになると良いのですが。

予備校という存在…は、公教育の狭間を埋めるものとして成長してきました。多くの予備校は、浪人以外に現役の生徒たちの教室も持っており、本来教育は文部省管轄下にある学校が担っているはずなのに、それでは足りないと思う世の中のニーズに応えて、大きな市場を形成するに至りました。公教育が表なのに対し、裏というイメージは拭いきれませんが、教育の一翼を担って来たことは確かなのです。

少子化ということは、随分前から予測できていたことなのですが、それでも代々木ゼミナールは多くの校舎を閉鎖せざるを得ない状況に陥りました。それが、公教育が十二分な学力をつけるに足りる場所になったのであれば、むしろ歓迎すべきことかも知れないのですが、現状は違うようです。少子化が進み過ぎて、多くの学校が定員割れを起こしてきたために、競争が無くなってきた、つまり言い換えると、学力が無くても入学できる事態になったということを意味しています。

本来、学校という場は、もっと融通が利かない場所でもありました。たとえ、受験科目に入っていなかったとしても、最低限の学力を子どもに付けさせることを義務と考えていた現場です。ところが、どうも最近、生徒集めの一環でもあるのでしょうか、必要のない科目をないがしろにする生徒を、現場ではとがめなくなっており、このままで行くと、一部を除く若い世代の学力に不安が出てくる危惧が拭いきれません。分数計算もできない大学生がいると話題になったのは、大分以前のことですが、そうした現状は決して改善されていません。公教育が及ばなかった一翼を確かに担っていた塾産業の陰りは、教育が正常の形に戻ってきたと安堵するには程遠い現実です。知識さえあれば、生徒を教えることができる…と短絡している教育を猛省すべき時期です。



スライドが細長くなった

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部活動

2014年09月22日 | 社会派らぼ
大阪市教育委員会では、教員の負担軽減のため、中学校の運動部指導を民間事業者に外部委託する方針を決めました。現状では、部活指導の先生は残業や休日出勤を強いられており、勉強や生活態度の指導の時間が短くなっているというものです。既に東京の杉並区の一部では、部活動の外部委託が行われているそうです。

確かに、学校の先生方の仕事は、事務処理や研修まで含め、非常に量的な負担が大きいと聞きます。肝心の授業や子どもとの触れ合いに時間を割きたくても、許されない状況にあるとのことですから、運動部の指導といった負担が減ることは、先生方にとっては朗報だろうと思います。競技経験を持たない先生が、仕方なく部活の指導に当たっているようなケースもありますから、専門家に任せられるのは、いいことです。

一方で、それで果たして学校の部活なのだろうか?という疑問も残ります。いっそ中学校の部活は廃止して、地域のスポーツクラブのようなところに委ねてしまうと考える方が自然かも知れません。かなりの経費がかかるとも言われているようで、それなら教員の数を増やす事とどう違うのでしょうか。極論、教科指導も外部委託といった割り切ったモデルも出てきたりして…。いずれにしても、学校とは何のためにあるもので、部活動が何を目的として行われているものなのか、原点まで戻って検討する必要があるように思います。




右寄せを1文字引き戻したい

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キョウイク、キョウヨウ

2014年09月18日 | 命の生き方
あちらこちらで引用されている場面に出くわしますが、「年寄りにはキョウヨウとキョウイクが必要だと言われます。先輩が言ったとか、職員が言ったとか、諸説あるようで(笑)、朝日新聞の天声人語にも引用されたらしいのですが、多湖輝さんの著書に紹介されていたとか。その多湖輝さんも大先輩から教わったと書いておられるらしい。

年寄りに必要だと言っている「キョウヨウ」と「キョウイク」とは、もちろん「教養」と「教育」ではありません。(それも必要でしょうけれど…) 「今日、行く」「今日、用」 つまり、今日行くところがあるということが大切なのだということのようです。今日、用事があることが大切なのだと。言い得て妙です。逆に言うならば、「今日、行く」ところを求める気持ちが大切だということなのだろうと思います。実際に行くところがあってするべき用事があることが理想ですが、たとえなくても「今日、用」があれば良いのにと思えることが大切で、その意欲を失くしてしまっているお年寄りには、何を言っても厚い壁に跳ね返されるような無力さを感じます。

但し、これはキット年寄りに限らず、人間は皆そうなのだろうと思います。年齢にふさわしい社会活動をしていない者、できない者を「引きこもり」と呼んで、社会的に注目するようになったのはいつ頃からでしょうか。高校や大学を卒業した後、仕事に就くことなく、自宅に閉じこもって、親の収入に依存した生活を送っている人たちの数は100万人とも言われています。彼らには「今日、行く」ところがありません。正しくは「今日、行く」ところを求めてはいません。

人は多分、自分のためだけには生きられない…と、私自身は思っています。所詮人間は、多かれ少なかれ自己中心的な考え方を持っています。自分さえよければ…というのは、非難されはしますが、誰の心の中にもある感情に違いありません。それでも、人は自分のためだけには、意欲を持つことはできないのだと思います。他人に関心を持たず、社会に背を向けて拒絶している人が、心の闇に入ってしまうと、「今日、行く」ところを求めることも、「今日、用」があることが幸せだとも思えなくなってしまいます。

誰かのために何かをしていることが大切なのだろうと思います。今の教育は「自己」を大切にするよう教えています。自分を愛せない者には、人なんか愛せない。が、もしかすると逆なのかも知れません。誰かのために身を砕くことのできる人間こそが、自分自身をもいとおしんでやることができるのかも知れません。




Safariのブックマークが突然無くなりました

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