ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

ITの心

2012年10月30日 | ぱそこん道
先日、小学校を襲撃するとホームページに書き込んだと逮捕された学生に対し、第3者が学生に成りすまして書き込みを行った可能性が高いと、保護観察処分が取り消されました。ネット絡みの犯罪は日常的で、巧妙で高度になっています。処分が取り消された学生は無実でしたが、犯人はどこかに居て、世の中をあざ笑っています。また、ネット上で他人のIDを騙し取る偽サイトのプログラムを公開した疑いで中学2年生が補導されています。同級生をいじめておいて、その動画をネット配信して逮捕された中高生もニュースになりました。

インターネットは便利です。今や、殆ど(←言い過ぎ?)の家庭で、当たり前のツールになりましたし、その技術はどんどん進化しています。一般の人たちの技術格差は大きく、まだパソコンに馴染みが少ない人たちがいると思えば、プログラムをいとも簡単に作ってしまうような人もいると言うことのようです。特に、若い世代には、無くてはならないツールですから、長けた人間も多くいます。

どんな世界にも善意の人間がいれば、悪意の人間がいます。が、こうしたネットの世界は、社会の仕組みが整うよりも先に、技術が独り歩きをしています。本来、育てられるべき素地も整わぬ環境の中で、ただ技術を弄ぶ者が多くいます。本人は弄んでいるつもりなのですが、どうやら技術に弄ばれています。

真の技能というものは、一朝一夕で手に入るモノを指しません。一つ一つを丁寧に習得し、理解し、積み上げて、初めてモノになります。その努力の過程を踏まないと、多分人はホンモノにはなれないのだと、そんな風に思います。パソコンやネットを、今の子達はあまりにも難なくこなします。道理もルールも無しに、ただ「使えればいい」のが、彼らにとってのITですから、そこに「品格」も何も育ちようが無いのだと、そんな風に見えます。

こうした最近のネット犯罪の増加に対応すべく、いわゆる「ホワイトハッカー(本来、ハッカーには悪い意味合いは無いのですが、多くの場合が悪い輩を指すのに使われるため、それらと区別し高い技術を持つ善良な人たちをこう呼びます。)」を、多く養成しなければならないという声が聞かれます。育てねばならない急務は「真の技能」としてのIT術です。


デスクトップのファイルを自由に配列できない

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報道

2012年10月29日 | 社会派らぼ
週刊朝日が連載記事として載せた「ハシシタ 奴の本性」の記事。読んでいませんが、報道によると、橋下徹大阪市長の出身地を特定し、被差別地域があることなどを報じ、氏の人格を否定するような内容の記事だったとあります。その後の経緯はよく知られているように、橋下氏が激怒。親会社である朝日新聞まで含めて、一切の取材を拒否すると反論しました。

結果、この連載は中止となり、週刊朝日は今週号の巻頭で2ページにわたった謝罪文を掲載したようです。記事の内容につきましては、読んでいませんし、報道されている内容については十分にメディアで批判されていますので、触れるつもりはありません。ただ、このようなセンセーショナルな記事を載せるに当たって、ご本人の反論はもとより、社会的な反発は十二分に予測ができたわけですから、出版社としては様々に議論を繰り返した上でのゴーサインだったのではなかったのでしょうか。間違っていたと思うなら、撤回も謝罪もすれば良いとは思いますが、予測以上のことが起きたわけでもないのに、矛を収めるに至ったのは、結局のところ社内における記事としての適切さの論議が充分では無かったということを意味します。つまり、報道機関としての根本姿勢が、あまりにも無節操だったということになります。

元々、メディアは広い告知力を持っています。ですから、世の中の行き過ぎや間違いを正し、正しい世論を形成するといった大きな使命を担っています。近所の主婦の無責任な井戸端会議とは根本的に違っていなければなりません。物事や人への批判は、それが世の中を憂うる動機から出発している限り、私たちは聞く耳を持たねばなりませんが、批判をするならその当人を、考え方を、事象そのものを批判すべきであって、その親や血族や周囲の人間を含めた環境や取るに足らぬ枝葉末節にまで因を求めるものであってはなりません。それは、こうした批判記事のみでなく、すべての報道に言えることだと思います。オリンピックの金メダリストだとか、先日のノーベル賞の授賞者だとか、好意的な記事であっても、生い立ちやら交友関係、ありとあらゆるエピソードをかき集めてきて報道するサービス精神には、いささかうんざりします。物事の核心をついたストレートな報道であって欲しいと思います。



自分の情報を表示させる

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ひき逃げ

2012年10月28日 | 社会派らぼ
友人6人を乗せてワゴン車を運転していた大学生が、運転を誤って竹藪に衝突してしまいました。事故の衝撃で、友人が車外に投げ出された…にも関わらず、介抱もせずに逃げてしまい、投げ出された友人は亡くなりました。運転していた大学生は、自分で出頭してきたということですが、居酒屋で飲酒しており、飲酒運転がばれるのを恐れたようです。

新聞には、異常としか言いようのない事件が報道されますから、このくらい(イヤな響きですね)の事件は、取り立てて異様とは言わないのかも知れません。でも、1人は犠牲者ですから、6人の人間が乗っていて、6人ともが、車外に放り出された仲間を見捨てて逃げる…というのは、どう考えても正常とは思い難いのです。誰か1人くらい、投げ出された友人のことを心配しなかったのでしょうか、誰か1人くらい、逃げてはダメだと意見しなかったのでしょうか。起こした事故が怖くなって、その場からツイ逃げた…という心理は理解はできますが、瀕死の友人がいるというシチュエーションではあり得ないと思うのです。

人間は、日ごろシュミレーションをしていない事は、あまり咄嗟に行動できるものではありません。「飲酒運転は罰則が重いから、ひき逃げの方がむしろ軽くて済む」。そうした会話か報道を、彼らは見聞きしていたのではないでしょうか。…とすれば、そうした事がささやかれる事自体にも、問題があるでしょうか。もっと当たり前のことを当たり前に言わねばならないのかも知れません。あまりにも正攻法で真っ向勝負をすること自体にテレがあったりして避けるのは、決して格好の良い事ではないはずです。



A4用紙からキッチリ4枚のラベルを作りたい

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0の倍数

2012年10月27日 | 社会派らぼ
横浜市教育委員会では、通知表の記載ミスを避けるため、成績・出席日数などを保護者に事前チェックさせているそうです。市教委が各校宛に通知したもので、誤記載の防止策だと説明されています。異例の対策は、通知表の記載ミスが大量に見つかったためと言います。その原因として上がっているのが、表計算ソフトへの誤入力などパソコンの操作ミスだそうです。

勿論、防止策として「組織的な点検」「担任の最終確認」といったことが挙げられてはいるのですが、それに加えて「児童生徒・保護者の事前確認」が必須とされています。責任放棄ではないかといった声が聴かれていると言いますが、やはりしっくり来ません。要するに、誤記載があった場合、騒がれて報道対象になってしまったりすることを避けようとするものです。些細な事を居丈高に「抗議」する親が多いのも事実でしょう。報道に「凶器」の一面があることも否めません。世の中の出来事を正しく報道する使命があるのは当然なのですが、時に、一度刃にかかると、無節操に批判の嵐にさらされます。そうした事への恐怖感が、この通達に繋がったもののようです。

が、本来「評価」というものは、評価する側が評価される側に対して一方的に示すもので、そこに間違いがあること自体が許されません。人間のすることに「絶対」ということはあり得ないのですが、それでもそれらは二重、三重の厳しいチェックでミスは排除されなければなりません。それだけの義務を負うことのできる人間しか、現場に居ることは許されない。そう考えるべきではないでしょうか。

パソコンの技量を求める方々は多いものです。パソコンさえ使えれば、それは人間の「無い」能力までも補うかに錯覚しますが、「0」は何倍しても「0」にしかならないことを心すべきです。



アウトルックがフリーズする

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しあわせ

2012年10月26日 | ぱそこん道
私事ですが、「頑張ってますね」と声をかけてくださる方がおられました。そんな風に言っていただけるのは、光栄なことではありますが、正直「えっ…、いやぁああ…」と口ごもってしまいました。ご挨拶なのですから、「いえ、とんでもないです。」「有難うございます。」などと返答をすれば良かったのですが、不意を食らった(笑)というか、私自身は全く頑張っている意識など微塵もありませんでしたので、瞬間的に戸惑ったというのが正直なところです。

あわてて、「イエ、楽しいからやっているだけなので。。。。」と答えている自分がいました。まぁ、客観的に考えて、これが正しい答えです。私は、単純に「好き」だからやっている、それだけのスタンスの人間です。そのことで、誰か喜ぶ人がいたら、それはそれでラッキー! って、そんな感じです。

声をかけてくださった方も、私から見ると、長く一つの活動を続けておられる方でしたので、「どうして、されているのですか?」とツイお尋ねしてしまいました。一瞬の間合いがあったかもしれませんが、「…好きだから。」と答が返りました。互いに、思わず笑ってしまいました。

帰りがけ、路上でバタッと、以前受講して下さった方と出会いました。「あらぁ!」とニコニコ声をかけてくださいました。「行きたいと思っているんですけど、仕事を始めてしまったので、なかなか時間が取れなくて…。」「じゃ、又お仕事が落ち着いたら、是非!」「それまで、ずーっと!やっててくださいね。」

キット、私は幸せな人間です。


PictBearでトリミングができない

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お札

2012年10月25日 | 雑談
講座には資料がつきものです。講座の仕事は、それぞれの講座に先立って、人数分に資料のコピーから始まります。枚数が多いものですから、やはりコピー代が少しでも安い店に行くようにしています。

実は…、その講座用のコピーをしていましたら、横のコピー機で店の方がコピーをしておられました。この店は、1枚何円でセルフコピーをするだけでなく、様々な印刷注文を受注しておられます。社員の名刺とか、大きなイベントのポスター・プログラム類、学会の抄録冊子、卒業アルバム等々、様々な印刷依頼がある様子です。

で、今日印刷しておられたのは、チラリと見えたところ、○○八幡宮(!)。なんと、神社のお札をコピーして作成しておられました。勿論、神社のお札が印刷所で作られていることは知っていました。というか、そもそも手書きで1枚ずつなど書けるわけはないのですから、印刷されていて当然で、あらためてそんなことを考えてみたこともなかったわけです。でも、当たり前と言えば当たり前のことなのですが、私の隣でコピーしていたりすると、やはり「あらら…」と思ってしまいます。

神社の方にお尋ねしなくとも、これらのお札は印刷所では、まだただの紙切れ。こうして印刷して出来上がったモノを神社の方に持ち帰り、お祓いだかお浄めだか、ご祈祷だかをすることにより、霊験あらたかなお札になるわけです。こうしたお札も、お祓い…も、実のところ信じてはいません。宗教世界というのは、サイエンスではありません。それぞれの人の心の内に存在するものだと、そんな風に漠然と理解しています。でもやはり、1枚5円で印刷している横で、印刷はして欲しくなかったかな…と思ったりします。



ブラウザのトップ画面が「hao123」に変わってしまった

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素人集団

2012年10月24日 | 社会派らぼ
就職状況が良くない、良くない…と言われていたのが、最近は良くないのが当たり前になったせいか、あまり聞かなくなりました。でも、厳しい事には変わりはありません。望んでいるわけでもないのに、非正規雇用という働き方も多く見受けられます。アルバイトとか、派遣とか、パートとか、または嘱託職員とか。その呼び方の違いは、雇用条件の違いを意味してはいますが、結局のところ安易な人の雇い方、雇われ方になってしまっています。今更…ですが、職場が人を育てるということもされなくなりました。元々、それだけの能力のある人材を雇っているというのが、雇い主の言い分のようです。が、簡単な面接や常識問題・パソコンの実技試験などがあったにせよ、その仕事に関しては全くの素人を雇っているにも関わらず、すぐに独り立ちをして仕事をこなさなければならない現状がそこにはあります。

だから、プロがいなくなった。そんな風に見えるのです。現在の仕事の経験と言うのは持ち合わせてもいないのに、簡単な引継ぎと多少の猶予期間が過ぎると、仕事ができるできないにかかわらず、一人前という認識の下、仕事が割り振られてしまいます。できないという言い訳は許されないし、また、どうやら本人も「できる」気になってしまっています。その道のプロは、豊富な知識と深い経験と長年の勘のすべてを駆使し、仕事をこなします。

政治家の先生方も、ご多分に漏れず、○○大臣と名がつく方々も、決してその道のプロでは無いということが、何よりお粗末です。すべてが派閥だとか力の駆け引きとかで、入閣メンバーが決まり、ろくな勉強も多分なさらずに、「できる」気になっていただいても、それは少し違う…という気がします。日本の政治は官僚政治だから、大臣一人がコロコロ代わっていても、現場には影響が無いというのが通の見方なのかも知れませんが、そういうほどに官僚たちもプロでは無くなっているような気がします。

誰でもが何にでもなれる世の中というのは理想の世の中のようにも思います。世襲制度で、本人の意思が無視されていた時代からすると、好きな職業が選べるというのは夢のような時代ではあるのでしょうが、逆面どこも皆素人集団になっているような気がしてなりません。



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その先

2012年10月17日 | 命の生き方
人は皆、自分の意志で日々を生きています。何かしらに毎日、時間を費やしています。忙しく立ち働いていても、少しも魅力的には見えない活動と、関係の無い第3者までをも何かしらアグレッシブにならせてしまう活動があります。

多分、「その先」を見ているか否かによるのかも知れません。ただ、目の前のことに忙しくしていることに満足しているかの活動は、側にいてワクワクなどもしません。そのもっと先にある何かの為に突き動かされるように展開している活動に、キット魅力があるのでしょう。いささか無謀とも思える仕事にこそ、一生を賭ける価値があるのは、その魅力のせいかも知れません。


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