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ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

パソコン離れ

2017年07月24日 | ぱそこん道
LINEが実施したインターネット利用環境に関する調査結果が発表されました。週に1回以上インターネットを利用する人を対象に、使用デバイスを尋ねたもので、結果パソコン離れが顕著になっているようです。スマホのみでネットを利用するとの回答が46%に上り、スマホとPC両方という回答の39%を上回りました。ちなみにPCのみと答えた人は6%ということで、パソコン離れが顕著だというものです。

確かに、ただ漠然と閲覧するだけであれば、場所を選ばないスマホやタブレットが一番手軽だと思います。そしておそらく、スマホのアプリはこれからも進化を続けるでしょうから、更にスマホやタブレットが便利になって行くに違いありません。スマホやタブレットは高性能パソコンを常に持ち歩くようなものだ…と良く言われます。

だから、ネットで広く情報を仕入れる程度の目的であれば、スマホやタブレットを使えば良いのだと思います。そのうち、簡単なポスターや名簿作り、ハガキ作成程度の事は、便利なアプリが出て来そうですから、スマホとエアープリンタがあれば事足りる時代になって行くのかも知れません。これからの私たち高齢者世代の家庭なら、こうした選択が賢いと言えるかも知れません。

ですが、だからこそパソコンの高度な使い方が必要な時代なのでは無いかと思えてきます。パソコンの簡単な使い方は、スマホやタブレットの方が手軽さが上。テンプレートなどを利用した使い方であれば、わざわざパソコンを使う事はないのでしょう。パソコンはもっとオリジナリティに溢れた論理的な使い方をする人のツールなのだと思います。こんな時代だからこそ、より高度なパソコン技術を求める人が増えて欲しいと思います。

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起動時いきなり入力画面にできませんか

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スマホ世代

2016年08月05日 | ぱそこん道
パソコンなどの機器に、若い世代は手馴れていても熟年世代にはアレルギー反応があって、なかなか苦手意識が消えませんでした。会社では、仕事がからきしできない新入社員に、パソコンを教えてもらう羽目に…。といった図式が過去のことになりつつあるとか。今では、若い世代のパソコン離れが著しいと言われています。言わずと知れた、スマホ世代です。

インターネットを利用するのに、若い人たちはパソコンを使いません。手近なスマホやタブレットで事が足りてしまうからです。持ち運びも楽で、起動も早いとなると、わざわざパソコンを立ち上げる必要が無くなってしまうのは当然かもしれません。近い将来、インターネットが使える家電がもっと増えれば、パソコン利用者は更に減ることになるでしょう。例えば、電子レンジがネット化すれば、クックパッドなどを検索して、レンジの調理法が選択される…みたいな。

スマホ世代は、タッチタイピングができない?とも。フリック入力に慣れすぎていて、タッチタイピング(キーを見ないで入力する手法)ができないため、「手書きでダメですか?」などと尋ねる学生も珍しくないのだとか。確かにネット検索はフリック入力で十分ですが、卒論一つ書き上げるのに、フリック入力はキツイでしょうから。

更に、さらに、パソコン離れした彼らは、いわゆるワードやエクセルができない…と言います。その分、最近では中高齢者がパソコンに詳しい…のかというと、そうでも無さそうで、パソコンをパソコンらしく使える人は次第に減りつつあるのではないかと、職業柄危機を感じたりもしています。

ワードやエクセルは一通り使えると豪語する中高齢者は少なからずいます。若い世代のパソコン離れに比して…と言いたいところですが、パソコンをパソコンらしく使う人はそんなに多くありません。ワードと言っても、画像とワードアートとテキストボックスをただ並べるだけ…といった使い方。エクセルでも、やたらセルを結合して合計や平均を計算するだけ。それでは、多分高価なパソコンを買う意味が殆どありません。

パソコン…は、見ただけで操作方法がすぐにわかるようなインターフェースを多分目指しています。特殊の習得が不要で、だれでもが使えるパソコンです。それはそれで理想なのですが、パソコンの使い方の本当の醍醐味はもっと異なるところにあります。パソコンだから、ボタンをポンと押せば、何でもポンと出てくる…みたいな感覚でとらえてしまいがちで、それなら、スマホで事が足りるのです。パソコンはもっと、人間の思考を手助けしてくれるツールです。ホンモノの(笑)パソコン技術。たくさんの人に知っていただきたいと思います。

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2016年07月23日 | ぱそこん道
今朝、立て続けにメールを受け取りました。「不正アクセスによる個人情報流出に関するお詫びとご報告」は印刷関連会社、もう一通は「○○運輸を名乗った不審メールにご注意ください」。そう言えば、少し前に、添付ファイル付きの連絡が来た事がありました。荷物を出してもいませんでしたし、届く予定もなく、タイトルを眺めただけで、一直線に迷惑メールフォルダーに運んで処分した覚えがあります。

あるいは、銀行を名乗ったメールもしばしば舞い込みます。実在銀行の名前なのですが、大抵、タイトルを眺めて不審と判断したら、迷惑メールとして開封せずに処理しています(勿論迷惑メールは自動判別させていて、最初から迷惑メールと判断されるのですが、すり抜けて受信ボックスに入ってきます)。当初、不正アクセスによる個人情報流出は、新聞1面の大きな記事になりました。が、いつの間にか中面の数行の記事に格下げ。今では、記事にもなりません。上記の2社、そこそこ大きな会社ですが、ニュースには出ていません。日常茶飯事過ぎて、ニュースにもならないのでしょう。

連絡が来る以前に、不審メールと判断して捨てたのは、実在の会社名であっても怪しいという勘が功を奏しました。かと思えば、今回の「不審メールにご注意ください」のメールは躊躇なく開封したわけで、ここの判断は説明のしようがありません。「勘」です(笑)。

私は「パソコンを使う」ということは、当てずっぽうでもなく、やみくもに覚えるものでも無いと思っています。「ルールを理解して、その理由を知る」事が全てです。但し、いつまでも「ルール」「理由」と操作をするのでは、正直まどろっこしいわけで、理屈にあった操作を繰り返してる中で、生まれて来る「勘」を磨くことが必須なのだと、考えています。

パソコンを「学ぶ」のは、それが流行りだからするのではなく(ポケモンとはわけが違います)、必要なツールを理解するための作業だと思っています。理解が無くてもある程度は使えるものですから、それで用が足りる向きの方は、敢えて「学ぶ」必要もありません。「勘」を磨くには、キット「学ぶ」事が重要です。

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ワードアートの「枠線に合わせて配置」と「形状」の違いは何?

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電子化

2016年03月11日 | ぱそこん道
開いた口が塞がらない…とは、このことでしょうか。病死とされていた広島の中3生が、実は自殺していたことが判明しました。自殺したとされる中3生は、中1の時に、万引きをしたとの誤った記録が残っており、これを理由に希望高校の専願受験は無理だと伝えられたと言います。万引き事件当時、この生徒は関与していないことが、職員会議の席で確認されたにも関わらず、誤った記録だけが残っていたのが原因とされています。現在の担任から、専願受験がかなわない理由を、中1の時の万引きだと聞かされた少年は、否定もしなかった…といった風に報じられています。

担任は、体調を崩したとして、保護者説明会・集会などには欠席しているとのことですが、学校・町教委には抗議の電話が鳴りやまない状態と言います。あってはならないことが起こっています。…が、個々人がそれぞれ毒づいた電話をかけたところで、事態の混乱度を象徴するだけの事です。世論は、キチンとした形で作られなければなりません。そんな報道をする必要があるのかどうかわかりませんが、肝心の万引き犯だった生徒は、過ちを一度犯したものの、その後頑張って生活をして来たという温情で、専願受験の学校推薦をもらったと言います。自殺した子どもの親御さんにすれば、いたたまれない話です。

「人間は過ちを犯すもの」で、完璧という事はあり得ない…というのが、世の中の前提です。ですが、世の中には、絶対に(敢えて、「絶対」という言葉を書かせていただきますが)誤ってはならない事というのが存在します。今回の事件は、まさにそれです。世の中は、完璧を求めすぎる事による弊害が強調され、過ちに寛大になっていますが、キットそうする事が更なる過ちを許容することになっているかに見えます。

過ちに寛大であるべき…だという前提が、ありもしない万引きの汚名を着せられた彼にはどうして、働かなかったかも気になるところですが、根底に、情報社会の怖さを見るのは、的外れでしょうか。ありもしない万引きという「虚」が、コンピュータ上に載ったが故に、それが「真実」になってしまったわけです。一旦、情報化されてしまうと、その情報が間違っている…といった疑いが入り込む余地が無くなるのでしょう。元々の入力が、いい加減だったせいで、情報が真実ではなくなり、それが大きな禍根を呼ぶことに繋がる…というのは、例の年金騒動の際に、いやというほど学んだのではないのでしょうか。

「情報」になってしまった時、そこには生徒の「顔」がありません。どんな風に笑う子なのか、どんな風に頑張る子なのか、顔の見えない情報は、いずれ人を亡ぼすことに繋がりかねない…が、現実の事として起こりました。デジタルな世界に、如何にすれば血が通うのかを、真剣に考えるまでは、安易な電子化礼賛を慎むべきかもしれません。

メール

2015年12月15日 | ぱそこん道
昨夜、一通のメールが届きました。メールは、最初から数種のフォルダーに分けて受信するように設定していますので、その一通のメールは「受講生」というフォルダーに届きました。パソコンに関してのご質問が書かれていました。

S氏は今から13年前、パソコンの講座をご一緒しました。修了された後も、本当に時折、こうしてパソコンのご質問が舞い込みます。それは、お仕事に関するもので、このような処理をしたいのだけれど、パソコンで可能ですか? どのように処理をすれば良いですがか? 自分はこのような処理を考えたのだけれどもっと良い方法はありますか? といったものです。勿論(!)、このようなご質問は大歓迎ですので、嬉々として返信します。時には、返信をするのに数日を要する場合があります。(なかなかの難問をくださるもので…笑)

講座というのは、たかだか短い期間のお付き合いです。短ければ数時間、長くても3か月間といった設定で、皆さんと私の出会いは、本当の偶然以外の何物でもありません。講座終了後は、その方にとって、どれほど講座がお役に立ったかは、知る由もありません。大半の方にとっては、講座への参加は本当に一時的のもので、S氏のように講座後もお手伝いが可能になるケースは稀有です。でも、私にとってそれは理想に近い形のように思えます。

S氏は私からの返信に、再度ご連絡をくださいました。生きている中には、幾つかの分岐点があるとは思うけれど、講座に通ったことは、大きな分岐点であった、私との縁は大きな財産となった…そこにはそうしたたまれていました。何とか冥利に尽きるメールでした。これだけでも、私の24年間は報われたとそう思えます。



縦?折れ線グラフを作りたい

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検定試験

2015年12月13日 | ぱそこん道
今どき、パソコンなど誰しもが使います。たまたまパソコンに触れる機会が多かったり、特別興味を持ったような人は、そこそこ詳しくなりますし、そうでもなければ一通り使えればそれでいい…となります。いずれにしても、その方の要求度合いを技量がカバーできていれば、それで良いのだと思います。所詮は、道具です。多少良く分からなくても、大概の場合は何とかしのぐことができるし、出たところ勝負で何とでもなるものだと豪語できるのは、自信の表れでしょう。実際、パソコンだけに関わらず、世の中の仕組みはどんどんと複雑になって行っていて、まっすぐな道筋しかないわけでなく、あちこちからのルートを、ただ漠然と何となく操る時代に突入しているような気がしてきます。SNSの使い方などその最たるもので、何となく感覚で使いこなすというのが正解なのかも知れないと思ったりします。

狭い部屋に緊張した時間が流れていました。カチャカチャというキーボードを操る音が部屋に響き、押し寄せる戸惑いや焦りをこらえて、懸命に課題に取り組む姿がありました。実は、今日はパソコンの検定試験があって、試験委員として部屋に入っていたのです。パソコンは世の中の一つの道具として認められており、上述したようにただ何となく使っている人がトテモ多いのですが、ストイックにその使い方を追求しようとしている彼らの姿が好きです。

定められた時間内に、要求された解答を作り上げようとするなら、動きに無駄は許されません。最短の方法で、結果にたどり着かなければならないわけで、試行錯誤をしている時間のゆとりなどありません。必然的に、無駄をそぎ落とした「技」を目指す意気込みがそこにはあります。本当に理にかなったモノは必ず美しい。私自身はそう考えています。美しくなければ本物では無い…のかも知れません。より複雑になって行く世の中では、何事であれ「強」「剛」「大」「多」が他を圧していくルールがあるように見えますが、実は本当はそうではなくて、美しいモノこそが他を圧する力を持っているのかも知れません。

美しくあろうとするパソコンが、私は好きです。


表内に図を挿入すると、表内文字が移動してしまう

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手帳

2015年11月24日 | ぱそこん道
新しい手帳…は、いつから使い始めますか? 以前は「年が明けたら新しい年の手帳」と思っていた時もありますが、最近は「9月スタート」「10月スタート」といった手帳も多く、実はもう新しい手帳に替えました。秋の段階で、来春以降の予定を考えたくなりますから、来年4月以降の欄が必要になるので、秋始まりと言うのは、自然な流れとなります。そして、私の場合は来年度の予定…となると、再来年3月までが範疇ですから、秋始まりで、その翌々年の3月までの欄のある手帳を探して使っています。

雑誌でも、この季節「手帳特集」とやらが組まれたりします。最近は、スマホや携帯にはスケジュール管理アプリなどを入れて、予定を管理されている方も多いようです。が、意外とデジタルアプリとアナログ手帳を併用している方も多いとか。更に、デジタル管理からアナログ手帳に戻す人も増えているという情報もあります。実は、私の場合、主がアナログ手帳。そしてデジタルアプリを併用しています。(実は、結構アナログ人間です 笑)

デジタルアプリに足りなくて、アナログでなければならない理由は、どこにあるのでしょうか。デジタルな手帳には、キチンと定まった予定を整然と入れることができます。定期的に繰り返される予定を一括管理したりすることも簡単ですし、時刻や場所などと共に、アイコンを使用したり、メモ書きを書き入れたりするような機能もついています。一旦入れた予定を削除することも簡単です。ただ、全てが整然とし過ぎているのです。アナログな手帳には、もっと欄外に走り書きをしたり、先月のページと今月を同時に眺めたり、来年のカレンダーをチラ見しながら予定を書き入れたり…するような、時に過ぎた日付を×で消していくと言った事すら可能です。

アナログの魅力は、ルール化されない自由度でしょうか。同時に複数の仕事に配慮ができるマルチさでしょうか。未だカタチにできないものすら受け容れるいい加減さでしょうか。いずれにしても、それが多分、「人間」の魅力なのだろうと思います。



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デジタルな距離

2015年11月22日 | ぱそこん道
Facebookのアカウントは持っています。たまぁに、書き入れたりもします。学生時代の先輩が、「友だちリクエスト」とか送ってくれて、ん十年振りに、メッセージ交わしたりもしました。…でも私の生活には、Facebookは無くても困りません(笑)。未だ、その良さを実感するに至っていません。

Facebookが、何やら新たな機能を開発中…とニュースになっています。分かれた恋人の情報を、遠ざける事ができるような機能だと説明されています。Facebookでは、ログインすると、友達の近況をチェックすることができます。ログインの度に、元カレや元カノの情報が見えるのがうっとうしい時(かと言って、友だち解除やブロックするほどでもない)、表示の頻度を下げることができる機能…なのだそうです。

こんな機能、本当にたくさんの人が欲しいって思っているのでしょうか? 曰く、昔の相手とデジタル的に距離を置けるように作られているのだそうです。デジタル的な距離。見たくなければ、友だちを止めればいいのに、それはしないんだ。相手の情報が見えなくなるだけでなくて、相手に友だち解除したことが伝わるのがイヤ? 開発中の機能は、こうした変更を加えたことが相手に通知されることもないようにできているのだそうです。

デジタルな距離って何なのでしょうね。なんだか、面倒くさい感じがするのは私だけですか。デジタルな付き合い…というのは、単に情報の上だけでつながっていて、相手の事を知るのに、時間も労力も要らなくて、一方的にチョットした覗き見ができる…という事なのでしょうか。ラインにしても、はたまたFacebookにしても、こうしたツールが「人間関係」を育てる事に一役買っていると、私たちは思い込んでいるけれど、チョット違うのではないだろうかという風に思います。どこか知らない遠い国で、私たちの国では報道もされない何かが起こっている。世界の人達に「コレ」を伝えて…!というのには、Facebookは有用だと思うのですが、身近な人たちもしくはちょっとした友達とつながるのなら、リアルにつながればいいし、繋がりたくなければ、付き合わなければいい。

リアルな人間関係が成立していて、互いの関係が熟成している者同士の連絡は、デジタル・アナログを問わずどちらでもあってもそん色はありません。リアルな人間関係が成立していない、もしくは破綻している相手と、デジタル上で良い関係を育てることは、チョット違うと思ってしまう私は、多分今の世の中についていっていないのかも知れません。相手の事を慮るのには、それなりの相手のへの興味と、そしてそれに要する多少の時間と、そして相手を気遣い・労り・そっと見守る心が必須です。



SNSとSMSの違い

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情報発信

2015年11月18日 | ぱそこん道
世の中に、スマホやタブレットが普及して、若い世代には当たり前のツールになっていますが、一方でシニア世代にはまだまだ抵抗感が根強いのも現実です。今より先、社会がどんな風に変化を遂げるかを、知っている人が存在するわけではありません。但し、誰しもが、未来はこうなるだろう…といったそれぞれの予感を抱いてもいます。的中するかどうかもわかりませんが、いずれ各家庭には、パソコンよりタブレットの方が普及するのではないだろうかと思っています。パソコンが廃れてしまうといった事ではありません。パソコンは、更に実務に特化した使い方に威力を発揮していくはずです。家庭では、ただメールのやり取りや、ネットでの調べモノ、写真や動画を楽しむ程度で充分かも知れませんから、パソコンよりスマホやタブレットが向きそうです。

そこで最近、「ITコミュニケーションサロン」と銘打って、SNSの勉強会を計画しました。。これから先に、更にどのような形に発展させていくかは、また模索中です。が、取り敢えずはスマホやタブレットのメディアを持ち込んでいただかず、座学のような形で…という方針で臨みました。シニア世代は、まだまだガラケーを使っておられる方も多く、興味はあるけれどメディアを持っていない…という方も多いだろうと思った事。何より、一体どのようなものかを知りたいだけなのに、無理にそれぞれのサービスに登録していただくことを避けたかった事。などの理由で今回はこのような形をとりました。

このようなSNSは、「情報を発信したい」と思う人だけが利用すれば良いのだし、「情報を受信したい」と思えば閲覧だけにすれば良いわけです。特にこれと言って発信する情報を持ってはいない方々にまで、無理やり情報発信をお勧めするつもりはありません。世の中には、夕食の献立写真を載せたり、ペットの写真を載せたり、子どもの写真を載せたり…の情報があふれています。積極的にそのような情報発信をしたいと思っておられる方々は別として、このような情報に私自身が魅力を感じていませんので、登録を強制したくなかったわけです。ともかく「facebook」や「twitter」等々の言葉に反応した方々は結構おられて、初回の試みとしてはまずまずの状況でした。今後の続け方はこれから模索しようと思います。

最近「SNS疲れ」という言葉が聞かれるようになってきました。情報を発信すること自体に、大きな意義を見出して利用している方よりも、何となく世の中の流れに乗っかって、流行のように取り入れている人が疲れて来たのでしょうか。デンマークの「幸福研究協会」というところがある調査を行いました。facebookユーザー1000人規模を対象に、2つのグループに分け、一方のグループにはfacebookを引き続き使いながら、他方にはfacebookの使用を一旦やめてもらって、1週間後その「幸福度」を尋ねています。結果はfacebookを使い続けたグループに比べ、facebookの使用をやめたグループの方が「幸福感」が強いというものでした。勿論その差は10%程度の数字で、それが有意差なのかどうかは難しいところですが、人生に対して前向きな気持ちを持つ人はfacebookを利用しない人に多く、ネガティブな気持ちを持つ人はfacebook利用者に多い…という結果なのです。

facebookには、たくさんの人がたくさんの事象を発信しています。そこで、他の投稿者の充実ぶりを見れば見るほど、自分は何もできていないといった劣等感が掻き立てられてしまうようです。facebookは、「自分が如何に生活が充実しているか」を競い合うツールだと決めつけるような意見まで見られ、このまま世の中はfacebook離れが起きていくかも知れないとも言われ始めています。

情報発信というのは一体何なのか、改めて問い直す必要を感じます。この頃はニュースにも取り上げられなくなりましたが、一時非常識な行為に走り、その写真をSNSに投稿して、社会的な責任を負わざるを得なくなった例がたくさんありました。彼らは、一体何のために、顔まで特定できるようなやり方で、自らの非常識行為を発信したのでしょうか。多分、本当に世の中に対して訴えたいと思っていることを持ち合わせていない故のような気がします。何も持ち合わせてはいないのに、それでも、世の中からは認められたいと思う気持ちがいびつになった結果でしょうか。

毎日の何気ない生活を楽しむことは、大切な事です。食卓の一皿にも、何気ない家族の横顔にも、私たちは十分な幸せを感じることができますし、それは人生の大きな糧でもあります。…が、同時にそれは、広く世の中に発信すべき値打ちを持ったものとは思い難いのも事実です。友だち同士のローカルなおしゃべりを、広くウェブ上に発信していく習慣はそろそろ止め時なのかも知れません。

ニュージーランドのとある高校の生徒会長を務める生徒が、進行の速いリンパ腫の診断で、3週間の余命宣告を受けました。彼はこの高校で行われた表彰式で登壇し、全校生徒に向かって「誰も人生からは生き残れない。ずっと先の夢では無く、目の前の事に情熱を注ぎ、感謝の気持ちを持って勇敢に取り組もう。」と力強く語りかけたと言います。この場を用意した校長先生すら、そのスピーチの力強さに驚いたと言います。このスピーチの模様はYouTubeで流され、更に同校のFacebookページには、治療に専念中の生徒の様子が伝えられたとか。病など不幸な境遇に直面した人々の発信は、ツイ物見高く視聴を集めてしまうところがありますから、そのようなシチュエーションに酔いたくはないと思います。が、発信すべきメッセージを持った発言は無条件に人の心を揺さぶる事は確かなようで、私たちはそろそろ情報の質に、自らこだわっていく時を迎えているのだと思います。



写真画像の透過処理をしたい

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IT社会

2015年08月26日 | ぱそこん道
嘘のような本当の話。

スマホの画面で「1」を2回押した後に「0」を押して発信すると、通信速度が速くなるというデマが広がって、間違い「110番」電話が、全国の警察に相次いでいるそうです。普通に考えれば「110」を押せば、警察に繋がる事くらい、小学生でも分かる話なのでしょうけれど、まことしやかに「通信速度が…」と言われると、ツイ信じてしまうところがなんだか怖い気がします。

勿論、本人は、イタズラ電話のつもりは全くありませんから、「110」を押して、警察に繋がって慌てて切るケースが多いのだそうです。が、「110番」通報が切れた場合、警察からは発信元に電話を掛け直す事に定まっているために、事態が発覚したと言います。

エイプリルフールのツイッターがデマ元だという事です。ツイッターなどで使われるハッシュタグは、元々、ユーザーが提案したことによって広まった機能だと言われていますから、「110」もあり得ることだと、多くの人が思ってしまったのでしょうか。IT社会を正しく生きていく常識が必須なのでしょうか。正しい関わり方を広めることも、大切な事と改めて思わされました。


縦書き中の半角数字だけを横に並べたい

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