ぱそらぼ (ぱぁと1)

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ジェネリック

2018年11月29日 | 社会派らぼ
病院でもらう薬には、「新薬」と、新薬同等の「ジェネリック医薬品」の2種類があります。今まで処方されていた薬が、ジェネリックに変わることがあります。ジェネリック医薬品は、先発医薬品と治療学的に同等であるとして、製造販売が承認された後発医薬品の事です。新薬の開発には、膨大な資金と長い研究期間が必要です。それらが補填された上に尚、会社としての利益が無ければ、会社は損をすることになりますから、嫌でもそれなりの価格になってしまいます。最近、月に何百万円もする高額新薬が話題に上りますが、法外に高いと誰も使えなくなってしまいます。というか、保険が適用されることで、国の出費が膨大になってしまいます。

高齢化に伴う医療費の増大や、こうした高額薬剤の登場が、医療保険制度の崩壊に繋がるのではないかと国も危機感を抱いており、そこで特許権が切れた後は、他のメーカーが同等品を製造する事を許可し、薬価を低く抑えようとしています。国が積極的にジェネリック医薬品の使用を推し進めているわけです。医師から「変更不可」の指示がない限り、薬局でジェネリック医薬品を選択することができるようになっています。また薬局側が積極的にジェネリックに置き換えて販売しようとされる場合もあります。医師の意見ではなく、病院側の考えで、仕入れる薬がジェネリックに置き換えられる場合もあります。

但し、このジェネリック医薬品に対しては、医師の一部も不信感を持っているとも言われます。また処方される患者側も薬効に不満がある場合もあります。治療学的に同等というのは、先発医薬品と同一の有効成分を同一量含有している…という事で、具体的には人に先発品・後発品を投与し、両者の血中濃度推移に統計学的な差が無い事を確認する…となっています。但し、諸般の理由で人以外の動物での試験が認められる場合もあるとの事です。

基準に合致しさえすれば、添加物や、形状など変更しても良い事になっています。こうした変更、もしくは値段を下げるための様々な工夫が、先発品と同じ効果が無いという結果に繋がっている事もあり得ます。新薬の特許期間が過ぎれば、それは国民の財産として広く公開されるべきだという考えをそのまま踏襲するとして、開発メーカーの膨大な開発費用が特許期間中に充分補われたと理解して、そうした開発費用を加味しない低価格で薬を提供する…という考えを実現するのに、あくまで新薬と同じ製法を求める…ということはできないものでしょうか。

前にもらっていた薬は良く効いたのに、もう処方してもらえなくなった。尋ねると、もう今は手に入らない…と言われた。そんな話をする人に出会う度に、何とかならないのかと、そう思います。

贈り物

2018年11月28日 | 社会派らぼ
がんや肝炎の治療薬に使われるたんぱく質を含む卵を産むニワトリが、産業技術総合研究所でゲノム編集技術によって作られました。これまでから、大腸菌などを使う手法があったとの事ですが、それよりはるかに安価で大量生産が見込めるというものです。このニワトリ(オス)を野生のメスと交配させたところ、1個あたり卵白中に30~60ミリグラムの「ヒトインターフェロンβ」を含む卵を産むメスが生まれたようで、卵1個で6000万円から3億円に近い生産性だそうです。

ゲノム編集は、生命科学研究の潮流を変えるテクノロジーだと言われています。ゲノムというのは、遺伝子(gene)と染色体(chromosome)の合成語で、DNAのすべての遺伝情報のことを指しています。難しい事はよくわかりませんが、要するに思い通りに、標的遺伝子を改変することのできる技術です。上記ニュースが報じられた中、「ニワトリが生まれた」ではなく「ニワトリが作られた」と表現されているのが、目に留まりました。自然の摂理に従って生まれたのではなく、人間が人為的に作ったというものです。

同時に、中国の研究者が、ゲノム編集技術を使ってエイズウィルス感染しにくい体質に変えるような編集で双子の女児を誕生させたことを動画で発表し、中国国内にも批判が広がっているというニュースも見かけました。南方科技大副教授のこの研究に対し、大学は「国際的な学術倫理に著しく背いた」という非難声明を発表しており、調査に乗り出すとしています。

前者はおそらく生命科学の輝かしい技術として称賛され、後者は倫理に著しく背いたとのそしりを免れません。…が、倫理的には大きく異なる2つの研究も、研究室の中の顕微鏡下では、ほぼ同じ科学的興味と知識の上に成り立っているような気がします。それをニワトリに適用して治療薬を生産することは良い事で、人に適用するのは悪い事だと判断する「理性」は、そういつまでも保てるものではない気がしてしまいます。

旧約聖書の創世記には、禁じられた「善悪の知識の木」の実を食べ、アダムとエバがエデンの園から追われたという記述があります。キリスト教ではそれを「原罪」という言葉を使い、誰もが持っている罪だとしています。アダムとエバはの6000年も前の人という事になりますが、以来、人間の英知は「知識」を求め、輝かしい研究を積み重ねて今に至ります。生命のもっと根幹に私たちは立ち入るべきでは無いのでないかと私は思っています。

ゲノム編集はいつかは、それぞれが手に入れたいものを手に入れる世界に足を踏み入れていくのではないでしょうか。美しい顔が欲しい、類まれな運動神経が欲しい、強靭な身体が欲しい、天才的な頭脳が欲しい。人間の欲求は留まるところを知りません。私は無神論者です。神がいるとしたら、それは人々の心の深淵の中ではないかと思っています。それぞれが何か一つ神からの贈り物をもらって、この世に生を受ける。その贈り物が何かは知らされていない。それで良いのではないかと思ったりしています。

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SNS

2018年11月27日 | 社会派らぼ
ペンシルベニア大で「SNSの利用時間を1日30分に制限すると、メンタルヘルスが改善する」という研究が発表されました。150人近い学生を2つのグループに分け、一方のグループにSNS利用時間を30分に制限し、3週間後に従来通り自由に使えるもう一方のグループと比較したというものです。学生たちが「社会的支援」「取り残されることへの恐怖感」「孤独感」「自律性と自己肯定感」「不安」「落ち込み」「自尊心」の7つの領域にわたる質問に答える事で、分析が行われました。

SNS利用を減らすことで、「孤独感」「落ち込み」が大きく改善したというものです。SNS利用とメンタルヘルスの問題を結び付けようとする研究は、これまで無かったという事で、今後同じような趣旨の研究が進むことで、もっと情報がまとまるやもしれません。

SNSというのは、本来人と人のつながりを促進、サポートするサービスのはずです。種々のサービスが広まっていますが、居ながらにして広く交流できるツールであり、「友人の友人」と言った風に、もしくは「同じ学校を卒業している」「同じ地域の出身者である」「同じ会社に勤務していた」などの様々な理由から、知り合いを広げて行くことのできるツールです。

知り合いを広げて行けるはずのツールを使う事が、より「孤独感」を増している…という相反する結果が示されたことになります。要は、SNSが広げる人間関係の質が高くないという事では無いでしょうか。「いいね!」を獲得することを「認められている」と理解しているわけですが、「いいね!」には「義理」や「礼儀」が含まれていても、「信頼」や「真の尊敬」はこめられません。

SNSが人を繋いでくれる…と過信することが、人との関係の紡ぎ方を忘れさせるのでしょうか。見せかけだけで、自分の充実を表現しようとすることが、真の充実を目指す努力を放棄させるのでしょうか。SNSが人の輪を繋いでくれるのではありません。絆を培った仲間同士が、SNSでより繋がりの手段を広げるだけの話なのだと思います。

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自由に使える画像の見分け方

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2018年11月26日 | 社会派らぼ
青森市議会は臨時会の席で、市議初当選の山崎翔一氏に対し「辞職勧告決議案」を可決しました。議員が過去に、差別的な表現を含むツイートを投稿していたことが問題となったもの。山崎氏は、匿名のツイッターアカウントで投稿しており、既に先日記者会見を開き、思慮の無さを謝罪していました。本人は入院しており、議会は欠席しています。

28歳。普通にしていれば、SNSの波に飲み込まれる世代です。彼に限らず、学生時代の様々な発言が就職活動に響く…と言うのも、よく言われる事です。議員に立候補をするのであれば、身辺整理をしてから…にすべきだったのでしょうね。

辞職勧告決議案に、法的拘束力は無いとのこと。それなら、議会の時間を使ってまで、こんな決議しなくても良かったのではないでしょうか。そう思う人が、場外で署名でもすれば、それで充分な意思表示にはなったかと思います。「入院」といった政治家の常とう手段で隠れてしまった彼ですから、思惑通りに辞職してしまうのかも知れませんけれど。

元々、匿名ツイッター上での発言が、なぜ本人だと特定されてしまったのでしょうか。ツイッターで、うっかり本名を名乗ったことが一度あったらしく、それが「検索」機能で引っかかってしまったようです。裏を返せば、仮に裏アカで不適切発言を繰り返していても、彼のように尻尾を出さなければ、それはそれでまかり通っているという事です。

山崎氏の行動は軽率以外の何者でもありません。ただ、こんな風にどこにでもいるいい加減な(失礼!)若者が、なぜ政治に興味を持ち、何をしたいと思っているのかに、多少の興味はあります。良い意味で、若者を世の中の本流に引っ張り出すチャンスかも知れません。

一方、札幌市職員の男性ケースワーカーが、生活保護受給者の女性に対し「好きです」と告白して、停職2か月の懲戒処分を受けました。自分が担当する女性の自宅を訪問した際の事だったと言います。女性が役所に苦情の電話を入れたため、職員は翌日再訪問し、告白を撤回し、無かった事にして欲しいと依頼した事も、「隠ぺいを図った」と判断されてしまったようです。

隠ぺいを図ったというよりも、謝罪した…と言う風に捉えてあげたいと思います。好感を抱いたために告白した…というだけの話ですが、自宅訪問中という仕事の中での告白はまずかったかもしれませんね。仕事中なのですから。告白するなら、プライベートタイムであるべきでした。

いずれも若気の至りというか(職員の年齢は分かりませんが)、本人は軽率で浅はかではありますが、強い悪気を感じるわけではありません。周りの大人の懐が狭くなったのかも知れません。

2018年11月25日 | 雑談
2025年の万博開催地が大阪に決まりました。夕刊紙面には、小躍りする誘致関係者の写真が載りました。喜びを爆発させているシャッターチャンスに、カメラマンの腕を感じると共に、少なくとも最前列の方々には、もう少し控えめなジェスチャーをお願いしたかった(笑)とも思いました。誘致が決まった国の向こうには、誘致がかなわなかった国の代表の方もおられますから。まぁ、これまでのご苦労を思うと、飛び上がりたくなるお気持ちも理解はします。

2020年に東京オリンピック、25年に大阪万博。奇しくも、55~6年もさかのぼった1964年の東京オリンピック、70年の大阪万博の再来となりました。当時もベトナム戦争、キング牧師の暗殺など世の中は平穏ではありませんでしたが、当時の子どもの目には日本の国が未来へ駆け抜けようとする明るい光が見えていた気がします。

現代の子ども達にも「光」は見えているのでしょうか。国同士も人同士も、本音のままに実利をとる事が賢いとされ、そうでないと損をする時代かも知れません。心の内にため込んだものにすぐに押しつぶされてしまうほどもろくて、どこに向かって行けばいいか、確たるものを見失っている世の中のような気もします。

無条件に昔が良いわけではありません。それなりに世の中の営みは、進歩して来ているのだと思います。それでも、この先への果てない不安が、消えない世の中でもあります。これからの子ども達の未来が、明るい光で満ちていきますように。

ドロハラ?

2018年11月22日 | 社会派らぼ
アメリカ人観光客が、センチネル族が文明から隔離されて暮らしているインド洋の離島に渡って、弓矢で殺されてしまう事件が起きました。北センチネル島には、「センチネル族」と呼ばれる先住民族が、文明から隔離されて住んでいます。今なお狩猟採集生活送っており、外部との接触を拒絶しています。インド政府も干渉しない方針を示しており、センチネル族との接触を法律で禁じています。遠くから島を撮影する事も違法です。

27歳のJohn Allen Chau氏はそんな北センチネル島に「キリスト教を布教するため」に近づきました。自分で「熱心な冒険家」と言っているようですので、キリスト教云々はカモフラージュかも知れません。いずれにしても、彼は地元の漁民に依頼して、違法にこの島に何度もわたっていたのだそうです。センチネル族と接触したChau氏は、弓矢で撃たれ海岸に放棄されているらしいのです。

インド政府によれば、数万年にわたり、外部との接触を持たない彼らは、外部の人間が普通に持っている病原菌に対する抵抗力が無い可能性があり、近づくことは許されていません。私たちの社会で言えば、殺人は罪です。…が、文明と隔絶されたところで生きている彼らにすると、生きていくための身を護る術です。

現代を生きる私たちは、ともすれば「知る権利」と言った事を口にします。知らない事を知る事によって、人類はその知識を広げて来ました。但し「知る権利」がたとえあるにせよ、相手を傷つけない範囲で行われるべきです。

最近流行りの「○○ハラ」に新手の「ドローンハラスメント」という言葉が登場したのは先日です。ドローンが開発され、人が近づかずに、上空からの撮影ができるようになったため、野生動物の姿を撮影する事が簡単になりました。ロシアのマガダン州というところで、雪が積もる切り立った斜面を移動する親子グマのドローン映像が問題となりました。

雪の斜面を行く母クマに必死でついていく子グマですが、何度も足を滑らせて斜面を落ちていきますが、諦めずに必死に登っていく姿をカメラは追っていました。子グマがやっと登り切ろうというところで、撮影していたドローンが急接近し、母グマが手を振り払って子グマを落としました。最後には子グマはこの斜面を登り切り、母グマと一緒に姿を消して行きます。

母グマがドローンを敵視しているのは確かだと大方の人が考えています。ドローンから子グマを護らねばならないと考えたのかどうか。自然の営みの中で、ゆったりと生きているクマの親子を追い詰める権利は、ドローン(を使った撮影者)には無いというのが、大方の怒りの理由です。

センチネル族の生活も、そのうちにドローンが撮影用に飛ばされたりするのかもしれません。相手が動物であろうと、先住民であろうと、彼らの生活を脅かす権利は私たちには無いと考えます。自分たちの価値基準だけが唯一絶対だと考えるのは間違いなく驕りです。

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知ること

2018年11月21日 | 命の生き方
米国の遺伝子検査企業が、赤ちゃんのIQを受精卵の段階で判定できる技術を開発したというニュースが報告されています。遺伝子検査に人工知能技術を取り入れることで、心臓病や糖尿病、精神的欠陥、そしてIQを選別できるという技術なのだそうです。人工授精後の胚より細胞を抽出して検査し、女性に着床させる胚を選別できるので、IQが平均より著しく低く生まれるリスクを遮断することができるというもの。倫理的な面に配慮して、高いIQを持つと予測される選別には手を出さないとしています。

私たちは、科学の発達が、人類の歴史を光の方に導くものだと信じているけれど、それは少し違うかも知れないというのが、今の現実のように思います。科学技術が必ず人を幸せにするのか?というと、実はそうとは限らないのではないでしょうか。

IQいわゆる知能指数は、知能検査の結果の表示方式の一つで、100に近いほど出現率が高く、100から離れるに従って出現率が減って行きます。約68%の人が85~115の間に入り、70~130までに範囲を広げれば約95%つまり殆どの人がここに収まると言われます。50~70を知的障害、35~50は中度知的障害、20~35を重度知的障害、20未満は最重度知的障害と言った風に分類されていますが、実際のところ、40未満を測ることができない検査も多いようです。

つまり、今回のこの技術を使うと、こうした知的障害と分類される胚を廃棄する事を意味しています。きれいごとを言うつもりはありません。障害を持って生まれて来る子どもがいなくなる事は、奇跡です。世の中の光です。ですが、もしかするとその廃棄された「胚」は「生きたかった」かも知れないと思うと複雑です。そして、倫理面に考慮して高い数値を選別することはしない…と言ってはいますが、開発した彼らではなく、そうした技術が当たり前にある世の中になれば、そのタブーに手を付ける人が出て来てもおかしくはありません。

出生前診断という検査は、普通に受けられるようになりました。生まれる前に羊水穿刺や超音波検査などによって、病気や奇形の有無が診断できると言われます。更にもっと詳しい検査も可能で、染色体異常や遺伝病の遺伝子検査も可能です。生まれる前にできる治療に結び付けられることもあるでしょう。赤ちゃんについての情報を両親に提供し準備や心構えを促すもので、病気や異常を背負った赤ん坊を排除するために行われるものでは無いとうたわれています。…が、結果的には、命を排除する選択に至るケースも当然あるわけです。知らなければ諦めて背負えるかもしれない運命も、知ってしまえば足がすくんでしまうものです。

人は、もっと「生きる」根源への畏敬を失ってはいけないのではないかと、そんな風に思います。何もかもが科学で解明できて、何もかもを人間の支配下に置くことは、キット本当の幸せではありません。たまたま今日、1か月ばかり前には、トテモ元気にされていた方の突然の訃報を聞きました。恐らく50代くらいです。あまりにも突然で、多くの人が驚き、惜しみ、悼んでいます。ただ不謹慎な言い方を許していただけるとしたら、理想的な亡くなり方のようにも思えてしまうのです。長く患って、精も魂も尽き果てるのでなく、魔物が突然訪れて突然逝ってしまう。その理由など知らなくて、それで良いような気さえして来ます。

「何もかもを知る」事と、「知らない事」のどちらが幸せなのか。知ることは大切な事であるとは思いますが、奢ってはいけないと思うのです。

TikTok

2018年11月20日 | 社会派らぼ
若者の間でTikTokが流行っています。自分で好きな曲を選び、それに合わせてダンスをしたり口パクで歌ったりの15秒動画を作ってアップするあれです。若者、特に10代に浸透しているらしく、人気の小学生もいるのだそうです。流行る…という事は、それだけ関心を持たれるという事で、当然TikTokに関する記述もたくさん見かけます。

TikTokは10代の心をつかむけれど、大人には決して分からない…ところが10代には魅力なのだと言われます。彼ら若者は、常にネットの世界で新しい文化を開拓してきました。そしてその文化が大人にまで普及すると、新しい文化を求めて逃げて行く感があります。Twitterも、Facebookも、そしてInstagramも。若者たちに感化された大人たちに普及して行くに従って、若者は離れていきます。今、TikTokは10代には人気があっても、いわゆる大人たちは「どこが良いのか分からない」といった風で、そうした世代が入って来ないところが人気の最大の理由のようです。

インスタ映えという言葉が流行りました。おしゃれな写真を撮る事によって、いわゆる「リア充」、実生活が豊かに充実している事を誇示するというもの。動画の世界でも当初、MixChannelという共有コミュニティがありましたが、配信する動画を「リア充」なものに仕上げる必要がありました。そのためには「彼氏」が必要であったり、「仲間」が必要であったりしたのだそうです。その点、TikTokは自撮りで動画が作れます。場所も問いません。ある程度お決まりのポーズをとったりしておくだけで、簡単にタイムラプス(コマ落としのような動画)やスロー、もしくは効果を追加する事ができて、簡単に注目を浴びることができます。

発信はしたいけれど、発信する中身を持たない。たとえそんな人たちでも、簡単に発信ができて、すぐに「いいね!」がもらえたり、時には無名の小学生に法外な数のフォロワーがつくこともある世界が、たまらなく魅力的なのでしょう。言い換えると、何の努力もしなくても、簡単に認めてもらえる世界なのです。

大人には分からないところで、自分たちの世界をおう歌するのがTikTokなのでしょうか。それはそれで、いつの世もいわゆる大人なんかに分かるはずがない若者の特権というのはあったような気がしますから、スマホを駆使して楽しむ世界があっても良いのではないかと思います。

が、一方で、こうした技術の進化に伴い、人間が中身を求めず、中身が無くても楽しめる世界に逃げ込んでしまうのだとしたら、そこは考えなければならないような気がします。本来クリエイティブなことは楽しいもののはずです。が…、次第にクリエイティブでなくても、自らの中に何かしらの情熱が無くても、口パクに効果を盛るだけで、なんだか楽しい気分になっしまう。自分を磨いて…「リア充」なんかではない本物の「自分のあり方」を模索する必要など微塵も感じなくなってしまう世界は、やはり浅い気がしてしまいます。

うん、だから、おじさんおばさんなんかには分からないんだよ。という彼らの声が聞こえそうです。

政治家

2018年11月19日 | 社会派らぼ
またとんでもない発言に、批判の声が上がっています。麻生太郎副総理兼財務相は、福岡市長選の応援演説の中で、北九州市長選出馬予定の現職北橋健治氏を口撃しました。同氏が東大卒であることを「人の税金使って学校行った」と揶揄したというものです。

北橋氏は、2007年から市長を3期務めています。1期目は民主・社民・国民新推薦、2期目は特定の政党の推薦を受けずに市民党を掲げました。3期目の時に自民党福岡県連から推薦を受け、他党からも支援を受ける形で圧勝しています。今回は4期目に当たります。自民党本部では政令市長選での推薦は3期までと定めているそうですが、自民党北九州市議団は推薦する方針だと言います。

どうやら、麻生副総理は、別の独自候補の擁立を望んでいたようです。選挙はある意味では、喧嘩?かも知れません。肩入れしている候補を持ち上げ、反対候補をおとしめる発言もある意味已む無いところがあります。市政運営への評価は、人によって違って当たり前です。評価できないなら、その理由を挙げて、こんな人に任せられない…と主張する事もありだと思います。が、その理由が「東大を出ている」というのは、あまりにも暴論ですし、東大がダメな理由が「人の税金を使って」いるとするのは、あまりにも滑稽です。

まず税金ってそういうものです。「人の税金」を集めて、どこかの誰かのために使うものです。私学には税金が使われていないとでも思っているのだろうかとか、「人の税金」で給料をもらっている人の言うことか…など、麻生氏批判が繰り広げられています。まぁ「麻生流」とはそういうものだと、度重なる氏の失言に慣れっこになっている、冷めた声も多く聞かれます。失言をしても、謝罪や撤回をめったにしない事で知られている麻生氏ですが、スキャンダルの絶えない国会議員の中で、政治家らしい政治家に見えるから不思議です。もう少し、品格を備えていただきたいと言っては失礼でしょうか。

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合言葉

2018年11月18日 | 社会派らぼ
アリゾナ州の住宅街で、11歳の少女が誘拐されそうになりましたが、不審者を鮮やかに撃退し、誘拐は未遂に終わったと報じられています。人気のSUVに乗った犯人は「兄弟が大変な事故に遭った」と声をかけて来て、「一緒に来てほしい」と言ったのだそうですが、、少女の「合言葉は?」という質問に答えられず、立ち去ったと言います。

少女の両親は、知らない人から声をかけられた時のために、家族の合言葉を決めていたのだそうです。事前に親子でそういう相談をしていた事と、11歳の子どもがそれを覚えていて、実際に役立てた…というのが素晴らしいと思います。

このニュースを機に、今後こうした申し合わせをする家庭が増えるのではないかと想像します。現在、ネットを中心に、様々なサービスを利用する際には、必ずと言って良いくらいパスワードを設定する事が要求されます。しかも、容易に想像しにくいパスワードにするよう求められるのと同時に、他サービスとの使いまわしはできるだけ避けるように、とも言われます。以前はこれに加え、定期的に変更するよう言われていたのですが、現在はむやみに定期変更を強いる事を止めようという方針に変更されています。それでも、増える一方のパスワード管理に辟易としていて、あまり良いイメージは無かったのですが、親子のパスワードというのはありかも知れません。

言葉巧みに近寄って来る犯罪者に、身構えさせるという家庭教育の見地からも、話し合いを持っておくことは有効な策ではないでしょうか。ただ、遊び半分にならないような注意が必要かも知れません。そのうちにどこの家庭でも合言葉を持つようになったとして、言葉巧みに合言葉を聞き出す…といった、犯罪の前準備が行われる可能性も無くはありません。友達同士で、合い言葉を教え合ったりする…みたいな、子どもが遊びの天才であるという特性を考え合わせると、我が子にとってどんな言い聞かせが一番効果的なのかを親が真剣に考える事こそが大切なのかも知れません。

ちなみに我が家では昔「私は、絶対に人に頼んで、あなたを迎えには行かない。どんなことがあっても必ず自分で迎えに行くから、他の人にはついて行かないように。」と教えました(笑)。そんな説明で納得した親も子もおめでたいと言えばおめでたい…のですが、最悪の事態には出くわすことなく、無事に成人しました。感謝です。

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