ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

財産

2019年09月30日 | 社会派らぼ
プロスケーターの織田信成氏が、母校の関西大学アイススケート部の監督を辞任したと報じられたのは、9月の初旬でした。その際には、テレビ解説などに引っ張りだこの氏が大変多忙な事がその理由とされていました。

が、織田氏は29日付けの公式ブログ上で、退任理由を「多忙のため」と発表した大学に対し、事実とは異なると反論しました。リンク内での嫌がらせやモラハラ行為で体調を崩し、3か月リンクに行くことができなくなったというのが、直接の理由だと説明をしたのです。7月には弁護士も含めて、大学側と話し合ったものの、席上大学側が約束した調査報告も行われなかったと主張。

スポーツマンシップなどという美しい言葉で語られることの多いスポーツ界ですが、現実は様々な思惑やプライドが渦巻いているようで、パワハラだのモラハラだのが告発されることも少なくありません。しかも、日本を代表するようなトップアスリート達が巻き込まれるニュースが報道されるわけですから、津々浦々の日の丸を目指している多くのアスリート達の環境は押して知るべし…でしょうか。

織田氏と言えば、涙もろく愛されキャラで知られており、ある意味ふざけ過ぎだと快く思わない人がいてもおかしくはありません。スター選手の華やかさを羨む人もいるに違いありません。スター選手は守られなければならない…とは思いませんが、秀でた彼らの技は一つの財産として活かすべきだと思われます。勿論、本人に難がある場合もあるでしょうけれど、双方が歩み寄る努力は不可欠です。

スター選手が必ず良い指導者になるとは限りません。が、それぞれが成し遂げた結果に至る貴重なノウハウは後輩に伝えられるべきです。傑出した人材をつぶすべきではないし、傑出した人材はつぶされるべきでもありません。

責任

2019年09月28日 | 社会派らぼ
先の参院選で「NHKから国民を守る党」の党首立花孝志氏が、当選を果たしました。結党は2013年に遡りますが、まずは地方議会(千葉県船橋市)で議席を得、以来二人、三人と地方議会で議席を増やし、2019年の統一地方選挙では26人が当選しました。党名にあるように、NHKの受信料制度に疑問を呈しており、受信料を払った人だけがNHKを視聴できるようになる「NHK放送のスクランブル化」を最終目標に挙げています。

NHKの受信料に関しては、「N国」の主張とは異なりますが、当方にも疑問はあります。国営放送としてNHKが必要かと問いかけるなら、不要では無いかと思っています。他の民放と比べて、取り立てて質や姿勢の違いを感じません。有事の際は、国が電波を抑える何らかの手段や方法を議論しておきさえすれば、NHKは民営化すれば良いというのが、私見です。国民の中に広く潜在しているこうしたNHKへの不信感を巧く拾い上げたのが「N国」なのかも知れません。

つまり、国会議員が誕生したのには、それなりの社会の後押しがあったという事にはなるのですが、議席を得て以降の立花氏の言動には、いささか呆れてしまいます。ある意味では、まじめに投票した人たちを裏切る行為なのではないかとすら思えてしまいます。

ユーチューブにアップされた対談動画(vs 元大阪府吹田市議会議員・神谷宗幣氏)で、あろうことか「あほみたいに子どもを産む民族は虐殺しよう」といった発言をしたとか。その後「そんなつもりはさらさらない」と釈明していると言いますが、議員としての(いいえ、もしかすると人としての)資質に欠けるのではないかとすら思います。戦争発言を繰り返す丸山穂高議員を、N国に取り込み、ともかくセンセーショナルな言葉づかいで、人の度肝を抜こうとするような作戦なのだ…と言えば、そうなのでしょうけれど、国を代表する国会議員としては、派手なパフォーマンスより、人としての最低限の資質を備えておいていただきたいと強く思います。人騒がせで破廉恥な動画を配信して炎上する、思慮に欠けるような人たちと、実は同じなのではないでしょうか。奇をてらって仕掛ける作戦は不要です。

多分、この人はこういう方です。色々な考え方の人がいて良いし、色々なアプローチがあって良いと思います。そういう人を選挙で選んだ有権者の責任です。ブームに乗れば勝てる選挙…と言うのは、チョット怖ろしい気もします。

人類の未来

2019年09月24日 | 命の生き方
山中伸弥教授の言を待たずとも、「人類は滅ぶ」可能性がある…と考えている人は、少なからずいるはずです。否、確実に必ず滅ぶはずです。

16歳のトゥンベリさんの演説を聞かずとも、人類の無節操な自然破壊は今すぐ止めるべきだ…と考えている人もたくさんいるはずです。事は決して単純ではなく、産業や経済の安定を保証しつつ、環境を守らねばならないわけで、一方の議論だけに終始できるわけではありません。贅沢にも衣食住が保証され、護られた立場にあって、批判をするだけは簡単ですが、あらゆる方面の影響を考え併せて戦法を練る必要があります。

が人類は既に、ただ一人の力だけでは、どうにも止めることができないほどの、訳の分からない大きなエネルギーで、とある方向に走り続けています。ですが、訳の分からない加速度に身を任せておくことは、多分危険なのだ…と、誰しもが感じ始めています。多分、世界のあちこちで、これこそがまぎれもなく最善の方法だと確信を持って、リードしようとしている方向が間違っているのだとしか思えません。

山中氏は「密室で研究しないこと」が重要だとしておられます。誰か一人が、方向を決めるのでは、方向を見失う可能性がある…という事でしょうか。吟味された落ち着いた言葉で、理路整然と方向を示すのでなければ、人類の未来は動かないと思います。

これから

2019年09月22日 | 社会派らぼ
ラグビーワールドカップが盛り上がりを見せています。アジア初の開催で、日本は初戦のロシア戦に快勝し、世界ランキング10位でありながら、ベスト8への勝ち残りを目指しています。平生は、野球やサッカーのニュースが多く、ラグビーファンには申し訳ありませんが、ラグビーは影が薄い存在です。が、今はかなりのラグビーブームで、巨人のセリーグ優勝記事も、少々かすんでいます。

そんな中、ロシア戦後に客席のゴミ拾いをしているファンの様子が、英メディアに動画付きで流され、世界中で称賛の声が上がっているようです。また、ロシア戦を前にした日本ファンが、ロシア国家を練習する様子が、大会公式インスタグラムにあげられ、こちらも大絶賛されています。

確か昨年ロシアで行われたサッカーワールドカップの際にも、日本のサポーターがスタジアムに残されたゴミを回収する姿が世界中に放送されました。ベスト16入りし、強豪ベルギーを追い込んだ日本代表が、劇的な逆転負けを喫したにもかかわらず、ロッカールームをきれいに掃除し「スパシーバ」とメモを残して帰った事も、世界から称賛を受けました。

正直、日本人全員がこうした心がけでいるわけではありません。が、そうした姿勢を持つファンがいてくれることが、私たちをトテモ誇らしい気持ちにさせてくれます。「ありがとう日本」「日本人は本当にグレートだ」といった称賛コメントは、少々面はゆい部分もありますが、気の滅入るようなニュースばかりが多い中、一服の清涼剤になってくれました。多分こうして褒められると、また次も会場を清掃しなくては…に繋がるのではないでしょうか。

それを偽善と呼ぶ人もいるのかも知れませんが、「美しいこと」の連鎖は多いに結構です。より多くの日本人が、こうした清掃行為が当たり前になり、それが更に日本人のアイデンティティーになれば良いな…と、思います。「昔は良かった」と嘆かれるような事が多い昨今、「これから」がもっと素晴らしくなって欲しいと思います。

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バックル

2019年09月21日 | 社会派らぼ
昔ながらの「おんぶ紐」は、今では子どもをしっかり支えてくれて抱いている親への負担が軽減されるようデザインされた「抱っこ紐」に進化しています。カチッと止めるだけで、手がフリーになります。長時間抱っこしなければならない場合や、家事をしながら、更にいつ終わるか果てしない寝かし付け…、まさに「神」とでも呼びたくなるような育児グッズです。

その「抱っこ紐」のバックルを外す「いたずら」が横行していると言います。実際の被害に遭った体験談が、いくつもSNSには投稿されています。幸いにして、子どもが傷ついたという報告には至っていないようです。が、これって単なる「いたずら」と言えるのでしょうか。

残念ながら人の本能は、それぞれの利益を最優先するように、反応するのだと思います。が、それは決して悪い事ばかりでは無いと思います。自分の身を自分で守ることが最優先なのは当たり前で、自分自身を愛せない人には他人を愛せるはずもない…とも思います。

ですが、他人の「抱っこ紐」のバックルを外す行為は、自らに何の利益ももたらしません。往々にしていたずらは、いたずら相手の反応を楽しむところがあります。投稿されている体験談によれば、犯人は知らない顔ですぐに現場を離れて行くようですから、目の前で被害者のパニックを楽しんでいるわけではなさそうです。

コンプレックスが強い人が、自分より優れた人にいたずらをするといったケースもあります。もしかすると、犯人は強い劣等感などを抱いていて、自分が認められない社会そのものに反発をしているのかも知れません。本当は社会全体を見返してやりたいのだけれど、そんなことはトテモできないので、安易な目の前の弱者に牙を剥いて、留飲を下げるような…。

一つひとつは、きわめて個人的な問題でしかありません。最近何かと報道される虐待事件や殺人事件にしても、そんな事件を引き起こす犯人は個人的に欠陥を抱えているのだと断罪するしかありません。眉をひそめて「なんてヤツなんだ」と、切って捨て、自分とは次元の異なる世界での出来事のように感じている場合が多いのですが、切って捨てているのは、自分も含めた社会なのです。

キット他人事では無いのだと思います。一定数の、何の理由もなく人を傷つけてはばからない人達の犯罪行為の根は、社会の中にこそあって、その社会を生きている自分自身も関わっているのだろうと思います。社会自体がどんどん堕ちて行く危うさを感じてしまいます。

利益のために闘いを辞さない世の中は、いずれ自分の背中のバックルが外される危険をはらんでいるかも知れないのです。

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IT後進国

2019年09月16日 | 社会派らぼ
日本は「IT後進国」なのだそうです。中国メディアが「なぜ日本はIT後進国になってしまったのか」という記事を掲載したそうですが、その中で「良い科学技術を国内にとどめたこと」を一因として挙げているようです。科学技術鎖国状態で、必要が無かったせいでネット上の安全意識がトテモ薄く、他国に後れをとったと分析しています。

人材不足が何より切実のようです。IT技術者の待遇は決して良くはなく、社会的な力を持ちません。管理職と言われる人たち、つまりは会社の命運を担っている人たちは、ITの素養が決して十分とは言えないのが現状です。国を引っ張っていこうとしているリーダーたちにも、ITの素養が欠けているのかも知れません。言い換えると、IT技術者達が、もっと大きな世界観を持てないでいるのかも知れません。ITを駆使できる人たちにグローバル観が欠けているという事でしょうか。要するに人材不足です。

国は慌てて、2020年から小学校に「プログラミング」教育を導入するという政策を打ち出しています。勿論、目指しているところは分かりますし、手をこまねいていても仕方ありませんから、何かを始める事は必要かも知れません。が、このプログラミング教育のもたらす効果には、あまり期待していません。

然るべきところで、然るべき議論が行われ、粛々と2020年の導入に向けて準備が進んでいるのでしょうけれど…。様々な見識を兼ね備え、未来を見通してリードできる卓越したチームが、進むべき方向を明確に示せてはいないような気がするからです。教育現場の古い(失礼)方々には、内容を精査する力があるとも思えず、現場に丸投げでは、現状のパソコン授業とさして変わらない結末になるのではないのかという懸念があります。

モバイル決済が完全に浸透させるのが、IT先進国の姿なのでしょうか。図書館にマルチメディアデイジー図書が導入されることでしょうか。さして意味があると思えないSNSの普及が必要なのでしょうか。

「IT先進国」のあるべき姿から探る必要があるのではないでしょうか。

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宗教

2019年09月14日 | 社会派らぼ
タイで、女子大生が描いた仏陀の頭のウルトラマンの絵が、ショッピングモールに展示されたところ、不謹慎だという非難が殺到したと言います。タイは、国民の90%以上が仏教徒だと言われています。更に、仏教徒の男子はすべて出家するのが社会的に望ましいとされているそうです。最近では、成人通過儀礼的なものになっているとも言われますが、社会の隅々にまで仏教が色濃く影響を与えている国のようです。

ウルトラマンの顔が仏陀になっているこの作品は、仏教徒強硬派からの非難で商業施設の展示場から撤去され、更に冒涜行為だとして警察に苦情を申し立て、訴追も辞さず…という勢いだそうです。制作者の女性は、高僧に謝罪もしたようですが、強硬派は矛先をおさめる事ができないようで、絵画の破壊も求めているらしいのですが、既に高額で販売されたようです。肝心のタイの仏教当局は、作者の謝罪によって問題は終わったとの見解を示しています。

宗教とは一体何なのでしょうか。世界の三大宗教と言われている、仏教・キリスト教・イスラム教と更にそれらの亜流から更には無数の新興宗教まで。それぞれの宗教の品位や格に雲泥の差があったとしても、自身が救われるためのもの…なのではないかと。他人を責めるものであってはならないと思うのです…。

が「片手にコーラン、片手に剣」などと言う言葉が示すように、自らが救われるために(?)闘いも辞さずというのが現実のようです。理知的な理解を超えたものまでを、無理に傘下に置こうとするイデオロギーを「宗教」と呼ぶのではなく、もっと次元の高いものであって欲しいと願います。

議員

2019年09月12日 | 社会派らぼ
大阪維新の会は、松原市議の田中厚志議員を除名処分としました。議会の本会議を体調不良で欠席すると連絡したにも関わらず、実際は妻と沖縄旅行に行っていたことが発覚したもの。議員辞職を求める声があるのに対し、辞職の意思は無いようで、「批判を浴びながら続ける方が地獄だと思う」と自らに辛さを課すとしています。

高校生じゃ無いんだよ、イヤちゅう学生じゃあるまいし…でしょうか。学校をずる休みして遊んで、「バレなければいい」というのは、あまりにも稚拙です。議員の職にありながら、公然と戦争を容認する発言を繰り返す議員や、YouTubeに脅迫まがいの動画をアップする議員、等々。枚挙にいとまがありません。

最近の議員さんのレベルが急激に下がっている感を持つのは、取り越し苦労というものでしょうか。議員一人ひとりの資質の問題であることは確かなのですが、そうした事象は確かに世の中の動向を示している気もします。たとえ議員の資質に欠ける者が立候補したとしても、有権者の見識がそれを見分けて当選を阻むのであれば、健全な状態なのでしょうけれど、現状は資質に欠けている者ですら当選してしまっている…事になってしまいます。一定の議員数に対し立候補者を受け付けて、僅か数名の落選者が出るだけで人数が確保される現状を見ていると、まず議員の定数を減らす事を見当しなくてはならないような気がします。

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iPS細胞

2019年09月10日 | 社会派らぼ
山中伸弥博士が、iPS細胞の研究でノーベル賞を受賞されたのは2012年。iPS細胞は、人間の様々な組織や臓器の細胞に分化する能力と、増殖する能力をもったもので、素人が考えると、人間のあらゆる組織の細胞に育てることができる…画期的な治療法に結び付くイメージがあります。理論上、iPS細胞はどんな細胞へも分化できるわけですが、それがどのように実用化されるのかは、これからの課題であると考えます。

先般阪大で、iPS細胞から作製した角膜上皮細胞シートの患者への移植が行われました。世界発の角膜再生の臨床研究ということです。移植後の経過観察が必要ですが、患者はひとまず無事に退院されたということです。これまで治らないとされていた病気に治療の道が開けるのは素晴らしい事です。今は研究が緒に就いたばかりですが、一層の研究が、やがては身体各所の再生医療に繋がるという希望があります。

が、それは同時に、将来、人はどこまでの再生医療を認めるのかというルールづくりも急がねばならないという事を意味しています。インドで、73歳の女性が、82歳の夫との子どもを体外受精で出産したというニュースがあります。双子の女の子で、母子ともに順調というおめでたいニュースなのですが、同時に73歳と82歳という夫婦の年齢から「誰が世話をしていくのか」といった批判も相次いでいると言います。現に夫は、双子誕生の翌日、心臓発作に見舞われて入院中だそうです。これを個々人の自由だから各人が判断して選択すれば良いという意見と、無責任な出産を回避するため(今回の例が無責任だという言い方はしたくありません。良く考えての上の結論だったと信じたいと思っています)何らかの制約を設ける事が必要だという意見に分かれるかと思います。

可能であるから…と言って、本人が希望しているから…と言って、こうした出産がどこまで許されるのかは疑問です。逆を言えば、実際に可能な治療に対して、治療を許可するラインをどこに定めるのかが、早急に検討されるべきなのです。体外受精による出生児は、既に全世界で400万人を超えているとも言われています。こうなれば、もうそれを止める術は既に失われていると考えるべきです。

いずれは、様々な身体の部分の再生もしくは移植が可能になって行ったとして、では心臓は何度でも再生すれば良いのか、脳が移植できたらどんな事が起きるのか、人の外形が大きく変わるような移植はどうなのか…。今はSFホラーでも読むかのような事が、現実に起きる前に、私たちは何を目指したいのかを考えなくてはならないのではないでしょうか。ルール作りが後からでは、遅過ぎるはずです。


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将棋

2019年09月09日 | 社会派らぼ
将棋は、駒の動かし方を知っている程度です。

27歳の里見香奈氏が、ヒューリック杯清麗戦で勝利し、初代清麗位を獲得されました。既に5冠たっだので、これで女流6冠を達成なのだそうです。女流タイトルは7つあるため、最後の1つ「女王」を獲れば7冠ということになります。一時は7冠独占で絶対的な強さを誇っていた羽生善治氏も、現在は27年振りの無冠。タイトルを手にする事は、相当な実力と強運を持たねばならないようです。

素朴な疑問ですが、なぜ将棋の棋戦には「棋戦」と「女流棋戦」があるのでしょうか。スポーツ分野では、男女に体格差、筋力差がありますから、同じ土俵上で競えないのは良く分かります。ですから、知る限りのスポーツにおいては、男女別枠で戦われます。中に混合で行われる種目もありますが、男1女1と言った風に、平等性が保たれます。

将棋は、特別筋力を使うようなものでないのに、男女を分けて戦うのが不思議です。おそらく男性の将棋は長い歴史があるのに対し、女流は歴史が浅い。それだけ将棋人口に差があって、今の男女差が生じているのではないかと想像します。特別、男女の大会を分ける必要も無く、近い将来そうした区分けは無くなる?のでしょうか。そう言えば、競技かるたの名人・クイーン戦は男女別に行われます。同じ競技かるたでも、選手権大会、選抜大会は混合で行われますので、単なる伝統でしょうか。

考えてみると、昔の日本の社会は「男女七歳にして席をおなじゅうせず」の世界です。将棋もカルタも日本の古い伝統の上に成立している文化で「男女七歳にして…」の精神が染みついているのも不思議ではないのかも知れません。

男女は平等ではあっても、同じではありません。それぞれ得意な能力分野に違いがあるのかもしれませんが、性差以前に個人差があるわけですから、男女に分かれて戦う風習もいずれは無くなるでしょうか。いずれにしても「男女同権!」だとか「女性差別だ!」とかのとんがった議論でなく、そろそろ新しいやり方になってもいいかもねぇ…。