ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

2011年11月30日 | 命の生き方
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「頭の中、一体どうなってるんですか?」などと言われること(笑)、たまにあります。インストラクターしているくらいですから、パソコンの事がそこそこ人より詳しくて、当たり前です。花屋さんが花の名前をよく知っていたり、本屋さんが新刊書に詳しかったりするのと同じことですから。いや、もしかすると、車大好きな幼児が、難しい車の名前をすらすら言ったり、怪獣にはまっている子が何とかザウルスに詳しかったりするのと、同じです。

そんな私の前にいつも立ちはだかっているもの…と言えば、それは「人間のさが」のようなものかも知れません。これまでを歩んで来た○十年間。何をするにしても、それぞれの○十年間の生き様そのものが、すべての根底を流れています。私達はそこから自由に逃れたりすることはできないのに、時には、そうした自分の生き方そのものを変えてみないと、手にできるものにすら手が届かなかったりする事、珍しくないのです。

誰でも経験があるように、自分の事は見えにくいものです。他人のことは手にとるように分かるのに、自分のことと言ったら、見当違いもよいところだったりします。それなのに、その見当違いの自分を枠の中に閉じ込めて、その枠を超せないでいること、ありませんか。言葉を尽くして話してはみるのですが、いとも簡単にあしらわれてしまったり、固い鎧を一層固くしてしまわれたり…。

正しいことは美しい。自然の摂理に逆らわないものには、余分な力みがありません。私たちはどうも、どこかに力を入れすぎていて、そのために自分の投げる球がゆがんでいたり、要らぬエネルギーを空費したりしていることに気付きません。要らない力みを捨てて、物事の真芯に逆らわずに生きてみること、真っ直ぐに貫きたいと切に願っています。


セル内で改行できません
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花は咲くから

2011年11月29日 | 雑談
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いつの間にか、今年も後1ヶ月となりました。気温も随分冷え込むようになって、冬らしくなってきました。最近の日本列島には、どうも「春」や「秋」があまりありません。冬から突然、夏が訪れて、夏が終わるといきなり冬が来る。そんな感じがします。勿論、先日も町内の一斉清掃でたくさんの落ち葉を掃き集めましたし、紅葉の写真も新聞紙面を飾りました。でも、紅葉の写真、燃えるような赤じゃありませんでした。どこか黒ずんで見えました。そうやって秋が煮え切らないうちに(笑)、冬が来てしまった感じがするのです。

先日は、年賀状講座を開きました。皆さん、真剣に年賀状作成に取り組んでおられました。そうです、もうそんな季節なのです。毎年、定番になっている母親の年賀状作りは終えました。(慌て者で、年賀状受け付けが始まると、すぐに出さないと気が済まないたちで、おかげでこちらもそれに合わせて作る羽目になります。)

今年は、何と言っても、東日本大震災が凄まじかった年で、今でも仮設住宅や避難所暮らし(もしくは別地域に避難されている方々)を余儀なくさせられている方々も多くおられるようです。原発事故も含め、被災地はまだまだ新年を祝う余裕はないようです。が、年賀状代わりに、挨拶状を送る動きが広がっていると言います。

年賀状印刷会社が、被災地で「年始あいさつ状」を無料印刷するサービスを実施しています。はがきを持ちこめば100枚まで無料印刷してもらえるそうです。会社が定型として用意したパターンは、龍(来年の干支)の図柄に色々な言葉が添えてありました。「春になれば/花は/咲くから」…。早く、全ての被災地に笑顔があふれますように。



ボタンが変わってしまう
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力ある正義

2011年11月28日 | 命の生き方
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大阪府知事・市長のダブル選挙で、圧倒的な強みを発揮した「大阪維新の会」。世の中と言うのは、強いものになびく…と言うか、そうしなければ生きていけない…というか、早既成政党は「維新の会」を評価するといったトーンに早変わりをしているようです。そのあたり、手のひらを返すのが速いと感心すべきなのでしょうか。今の橋下人気に盾つくと、ろくな事がないという判断でしょう。

個人的には、橋下氏の主張には好感を持っています。氏の強みは、恐らく政治のプロと称する百戦錬磨の政治家さんになり切ってはいない素人感覚なのだろうとも思うし、ふがいない既成政党政治に、新風を吹き込んでいただきたいと期待もしています。

「力なき正義は無力なり、正義なき力は暴力なり」という言葉は、私の学生時代の先輩が座右の銘とされている言葉だそうです。語源がどこなのか詳しくは知りませんが、パスカルは「力なき正義は無能であり、正義なき力は圧政である」という言葉を残しているようですから、そのあたりがルーツでしょうか。

「正義なき力」を力だと曲解している輩は多いものですが、それ以上に「独りよがりの正義」を「正義」だと勘違いしている人達も多いような気がします。世の中の価値観が多様化しており、唯一絶対といった心のよりどころを持てない現代人の私達は、「大きな声」を「正義」だと勘違いすることがあります。独りよがりでない、人間のあるべき姿の「正義」を、力が無いからといって諦めることなく、貫き通すことこそが、無力から抜け出す法かも知れません。

行高を指定しているのに、広がってしまう
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創造性

2011年11月27日 | 雑談
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人間の「創造性」は、制限があるほど高まるのだそうです。私達は、普通「制限」があることを不満と思いがちで、それでは思う存分に想像力を働かせて新たなものを創造することが妨げられるのではないかと考えてしまいます。

オランダで、障害物がある方が人の精神的な視界が広がるといった研究が行われているそうです。事前に障害を与えられた(無関係の言葉を淡々と繰り返す声を聞かせる)学生と、そうではない学生とに認知テストを受けさせると、障害物を与えられた被験者たちの方が、大局的な判断が可能であったといったものです。

その顕著な例として、「詩」の世界の話が取り上げられていました。詩の世界では、何の制約も無く、意のままに綴れば良いはずなのに、俳句やソネット(14行詩)などのように決まった形式のものが廃れないのはそのためだとしています。文字数という制約があることで、より大局的な思考からオリジナルな詩が生まれるのだそうです。

「自由」という言葉には、魅力的な響きがあります。が、何でもあり…の自由は、時に私達の想像力を巧くまとめられないということなのでしょうか。人は、何か妨げられるものに出くわすほどに、その障害を乗り越そうとするとてつもない力を出すことができるという意味なのでしょうね。ツマリ、順風満帆な人生を歩んでいると、人間はその力を思う存分発揮することができないと理解すれば良いでしょうか。逆境が人を強くする…のは確かかも知れません。


プリンタの印刷速度が遅い
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選挙

2011年11月26日 | 雑談
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明日は大阪府知事・市長のダブル選挙です。平松氏と橋本氏の一騎打ちということで、話題性も抜群で、期日前投票の出足も好調だそうです。この分でいくと、明日の投票率は、かなりのものになるのではないかと思います。

稀に見る、面白い(←ひんしゅくを買いそうですか)選挙です。論点がハッキリしていること。互いに曖昧にせずに、真っ向から主張をぶつけ合い、反発しあっていること。玉虫色の言葉で誰にでも迎合するような物言いをしていないこと。新しい首長がどちらになるかは抜きにして、選挙としてトテモ理想的に見えます。

ともすれば、候補者が支持政党を隠して「無所属」と表明し、福祉・教育!などと連呼するだけで、その人柄も内容も見えて来ないのが、大抵の選挙です。投票所で、支持者の名前を書くのでなく、不支持者の名を書くのであればいいのに…などと思う選挙も正直ありますから。

たかが市長選挙に、東京都知事が応援に来ることも異例です。選挙権が無いのが、チョット残念なくらいです。

ドラッグで図が移動できない
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2011年11月25日 | 雑談
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今日の日付を表示させたい
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経済不安

2011年11月24日 | 社会派らぼ
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欧州経済不安が続いて、株価が最安値を更新しています。財政が悪化しているイタリアやスペインの国債が売られるのは当然として、安全な資金の逃避先として最上位に格付けされていたドイツ国債の入札が不調に終わったようで、不安が増大しています。政治も難しいですが、経済は更に難しくて、どこをどうすればどうなるのか?が、素人にはどうにもよく分かりません。

そんな複雑な経済情勢の中、幼稚園児の感想で申し訳ないのですが、お金が右に行ったり左に行ったりするだけで、増えたり減ったりする世の中…というのは、どうにも不思議です。それが資本主義の世の中なのでしょうけれど。共産主義対資本主義の世の中が、いつしか共産主義が破たんして、資本主義こそが唯一絶対の社会の仕組みであるかのように思い込まされていますが、実はそうでないのかも知れません。

折しもIMFは、日本の公的債務残高が「持続不能な水準」に膨らんていると警鐘を鳴らしています。家計と比べるほど単純であるはずもないのですが、「無い」お金を「使う」という発想は、どこかしら不自然です。消費税増税などと口走れば、それこそ「反対」「反対」の大合唱に票を失うからか、どこかで必要と頭の隅で思いながら、今ではないと打ち消しているだけで、どこかに解決があるのでしょうか。歳出抑制も、鳴り物入りの仕分けが、拘束力を持たないただのパフォーマンスだとバレて、どうにも進みません。

おこづかいの前借り、前借りで、欲しいものを買っていたら、いつかつぶれてしまわないでしょうか。

複数個所のデータをまとめて移動する
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戒名

2011年11月23日 | 雑談
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落語家の立川談志氏の死去が報じられました。子どもの時、やなせたかしさんと立川談志さんが出演されていた番組を見ていた記憶があります。ですから、良く言われる毒舌といったイメージに加え、素直で常識的なイメージが私にはあります。喉頭がんだったそうですが、声帯摘出手術を拒否し、亡くなられたと言います。75歳というお年は、決して寿命を全うされたとは言い難いのかも知れませんが、声を失った代償に数年の命をもらっても、キット割が合わないと考えられたのでしょう。心からご冥福をお祈りいたします。

戒名を「立川雲黒斎家元勝手居士」と自分で決めておられたそうです。仏教の側から言うなら、戒名は素人が勝手につけることができないものなのだそうです。元々「戒名」と言うだけあって、「戒」を授かった方におくられるもので、授戒の儀式なしに戒名はつけられません。そして当然のことなのでしょうけれど、この授戒の儀式はその権限を認められている寺でしかできないわけですから、戒名は素人が自分でつける事はできないらしいのです。

それでも、最近は戒名を自分でつけたいと希望する人は多いと聞きます。勿論、1文字いくらとささやかれるお布施の金額が高いせいもありますし、儀式として仏式の席に連なる事はあっても、信心という意味からは、無縁の生活を送る人が多いせいでもあります。ですが、戒名をつけるソフトがあるとか、戒名をつけてくれるサイトがある…に至っては、何だか女性週刊誌に載っている星占いと同じ乗りのような気がしてきます。自分でつけるなら、せめて自分で好きな漢字を並べてみたいと思います。

グループ化した後で個別の編集を行いたい
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飽きる力

2011年11月22日 | 命の生き方
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「飽きる力」を積極的に評価する考え方があるそうです。いつものパターンに飽きることが、新たな展開を求め更に向上するステップになると言うのです。ひたむきな努力や頑張りが裏目に出ることもある…とし、一旦その頑張りを捨てて別の方法を探ろうと提唱しているようです。

物事に「飽きること」が次へのステップに踏み出す力の元になるかどうか…少し定かではありません。が、ひたむきな努力や頑張りが往々にして好結果を生まない…、少し違ったニュアンスでその通りだと思います。

つまり、朝から晩まで、ただヒタスラ練習をしたからと言って、上手になるものではない。私もそんな風に思います。機械的に繰り返し、頭の中にその回路を作ってしまう事で、瞬間的に結論に到達する能力を磨く事はできるように思いますが、それはマシンとして優秀なだけであって、本当の力とは程遠いところにあるものです。

本当の力というのは、一つ一つの動作に意味があるということを理解して、自由自在に組み合わせることのできる力こそを指します。そうした力は単純な反復練習だけで手に入るものではないと、20年間の仕事を通してそう思います。少なくともそこに、上に這い上がろうとする自分の力が働かないと、ただの繰り返しは前には進めません。その這い上がろうとする自分の意思のことを「飽きる力」だと、そう言われているような気がします。

VLOOKUP関数は数値にしか働かないのですか
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オウム裁判

2011年11月21日 | 社会派らぼ
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オウム真理教の事件から、既に16年が経ったそうです。年齢を重ねるごとに、日が経つのが速くなるような気がしていますが、あのオカルト的な事件から、既にそんなに月日が流れたのですね。遠藤被告の上告を退ける判決が、最高裁から出されました。被告の死刑が確定し、一連のオウム裁判が事実上終結したと報じられています。

毎日のニュースがとてつもない劇画を見ているかのようだった、オウム真理教事件。結局、13人に死刑判決がくだされています。当時も、そして今も尚、あれほど高学歴の有能な人間たちが、なぜオウムの呪縛に取りつかれていったのかは謎のままです。

が、有能で真面目であればあるほど、希望を見出す事ができないこの社会の中で、身を燃やす術を知らなければ、ある種の狂気の中に身を委ねていく坂道も、分からないではないような気もします。要領よく、上っ面だけを整えて、そこそこの立場で満足できる多くの善良な市民が陥る事のない、深い闇があってもおかしくはないような気がするのです。

真っ直ぐな想いを、真っ直ぐに燃やし続ける自分なりの世界を、自分で探し当てるだけの人間性を、社会が育てることが必須です。安倍元首相が「教育」を変えなければならない…という提言をしたまま、職半ばで身を引きました。あの時に議論されていた教育改革は、必ずしも的を射ていたとは思いませんが、教育を考え直さねばならなかったことは確かです。そして、それは一時のゆとり教育を見直し、カリキュラムを戻した事とは全く無縁のものです。


めったやたらにグループ化の必要はありません
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