ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

ハードル

2012年08月31日 | 命の生き方
自分に対してある程度高いハードルを課すのは、悪い事ではないと思っています。人間、目指すところが無いと、なかなか日常を自己管理することが難しい場合があります。周りの物事に流されていると、段々受け身になっていく気がします。受け身自体も自然体で悪くはないと思いますが、私自身はもう少しアグレッシブにありたいと思っています。

一方で、自分でも気づかずに、ハードルを高く設定してしまう場合もあります。おそらく、自分自身を分かった上で設定するハードルであれば、多分問題は無いのでしょうけれど、時に自分の力を量り間違って、とんでもない自分像を作ってしまっていると、身に合わないハードルに躍起になってしまったりする場合があります。

「大人になる」という事は、自分の至らなさを、他人から説いてもらえなくなるという事です。人間としてどこが欠けているのか、他人からどう評価されているのか。そうしたことを耳打ちしてくれる人がいなくなるという事です。大人ですから、それらには自分で気づかなければならないのです。

自分が越そうとしているハードルは、身の丈に合っているのか。自分の跳び方に問題はないのか。時に、他人に教えを請うことも大切だったりします。それ以前に、正しい評価を下せる人も見極めなければなりません。もしかすると、何より跳べない自分を許してやるところから始まるのかも知れません。



携帯メールで一斉送信したい

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分かり易いこと

2012年08月31日 | ぱそこん道
20年ほど前、つまり私がこの仕事を始めた頃、パソコンを教えているような場所はそんなに多くはありませんでした。例えばNECのパソコンショップの一室で数名のセミナーが持たれたり、技術系の会社のセミナールームで実施されたり…などがありましたが、一般的なスクールはそう多くはありませんでした。

覚えがあるのは、商品を発売している会社の研修のようなものです。何度か参加した覚えはありますが、その中で一人だけ印象の深いインストラクターの方がおられました。その方の説明は「難しいことを、いとも簡単な事のように教える」ものでした。

難しいことを難しく教える人はたくさんいます。時に、易しい事すら難しく教える人もいなくもありません(笑)。難しいことを、模式化したり、たとえ話を出したりして、シンプルに伝えることができる技術と言うのは私の憧れです。キット、インストだけでなく、あらゆる職種で必要な技術のような気がします。




プリンタが動きません

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ストップいじめ

2012年08月29日 | 社会派らぼ
滋賀県の小中学校では一斉に「いじめを許さない宣言」が出されたそうです。ここのところ、いじめ報道が結構陰惨で、いじめイコール警察みたいな風潮が定着しかけていることもありますし、教育現場では頭を抱えていることだろうと思います。

「いじめを絶対に許さない」「いじめられている者を守り通す」などが呼びかけられたようですが、現状では大切なことだと思う反面、何かキモチ的には少しずれを感じたりしています。

これまでの教育現場では「いじめなどない」という出発点に立っていたため、事実の隠ぺいが個々の被害をより一層根深く悲惨なものにした部分が否めません。その反省の上に立って(と言うか、止むを得ず)、「いじめはある」という視点に変わって来ているようです。現実にいじめは「ある」のだから、それを許してはならない、それをなくして行こうとする考え方です。これ以上、被害児を出してはならない…とする強い思いがそこには働いているのだと思えます。

私の感じるズレは、こうした度を越した「いじめ」が教育現場でなぜ当たり前のように起こるのかという根本が放りっぱなしにされているような気がするところです。確かに人が複数名集まるところには、時代を問わず国を問わず、なにがしかの「いじめ」のような事が常につきまとうのだとは思います。簡単に切り捨ててはいけないのでしょうけれど、人間のサガのようなものすら認めざるを得ないのかも知れません。けれど最近の子どもたちのいじめは「異常」に「度を越して」いるような気がします。

この社会の仕組みの中で巧く流れていける子どもたちに混じって、どうしてもどのように生きていくべきかが分からない子どもたちが多くいるという事実から、目を反らしていてはいけないような気がします。テレビドラマの金八先生(古い?)やGTOのような教師が、現実にいるとは考えられません。ただし「そんな風な」根っこを持った大人が、一人一人の子どもが育つ過程に関わらなければならないのだろうとも思います。






デスクトップをスライドショーに変更したい

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情報制限

2012年08月28日 | 社会派らぼ
インド北東部アッサム州では、7月から少数民族のボド族とイスラム教徒の衝突が続いていました。元々、土地所有権などをめぐり対立してきたようですが、ボド族の若者が殺害される事件が起きたことに端を発して、ボド族がイスラム教徒を襲撃したようです。

こうした事件を巡り、インド南部でも、アッサム州出身者がイスラム教徒に襲撃されるとのデマで大騒動に発展しました。数千人が町から脱出しようとして、列車の駅に殺到したようです。これらのデマは、主に携帯電話を利用したチェーンメールとなって、急速に広まりました。

政府は携帯電話のショートメッセージを1日5本に制限したり、ネット上の特定のサイト閲覧を禁止したり、情報のコントロールに躍起になっているようです。が、すでにユーザーの反発を受けて、5本の制限を20本に緩和しています。

フェイスブックやツイッターなどのSNSが急速に全世界に広まり、各国の民主化運動などがそれらによって加速されるのではないかとの見方を多くを占めています。確かに、これまで発信の機会を持たなかった民衆が、大きな発信力を持ったわけで、これまで果たせなかったことも可能にさせる不気味な力を秘めていることは確かだと思います。今回のように、政府が情報制限をかけてくることは、十分に予測できますが、一時的な情報制限はできたとしても、長期にわたって完全に情報をコントロールすることは、今では少し不可能に近いような気がします。

これらSNSは、こうして大きな力の素足りうるメディアなのですが、一方で今回のようにデマも波及しやすく、それに煽られて必要以上の混乱をきたす場合もキット少なくありません。SNSを通じて、発信した情報が僅かな時間に相当回数がリツイートされ、あっという間に呼びかけをすることには成功したものの、その後の経過を伝え切ることができず慌てておられるケースもありました。リツイートというのは、する側の意思ですから、発信者の思惑通りすべての情報がリツイートされて広まるとは限りません。

ネットの進化は、いずれ世界をも動かす力を持ちます。ですが、偏りのない正しい情報を効率よく広める事は、今の時点ではかなり難しいように思えます。


タスクバーのプレビュー表示を止めたい

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ゴミ屋敷

2012年08月27日 | 社会派らぼ
時折ワイドショーなどで面白半分に報道されるようなこともあるようですが、ゴミを自宅内にため込んで屋敷内は勿論のこと、共用部にまで溢れかえらせ、近隣住民に多大の被害を与えている「ゴミ屋敷」は、全国250市区町村で確認されている社会問題のようです。実際、近隣からの苦情で役所が乗り出すことはあっても、自分の所有物だと強く主張されると、強制撤去が難しく、多くのケースでお手上げ状態になっているとのこと。そんな「ゴミ屋敷」の実態調査に大阪市が乗り出した…と、大きくニュースになっています。「調査」をするだけでニュースになるようでは、改善されるのは当分目途が立ちません。

ニュースでは、ゴミを放置するのは自分に無関心になる自己放任(セルフネグレクト)の一種で心のケアが必要だと指摘しています。また、人間の孤独がこうしたゴミ屋敷を生むと結論づけられていることもよくあります。多くの指摘が言っているように、孤独が「ゴミ」を生む。多分、これは正しい分析です。

確かに無気力でゴミを片付けるのが面倒になった…といった場合も多いのでしょうけれど、もっと根深いのは、本人にとってそれが「ゴミ」ではないケースでしょうか。それらのゴミの一つ一つに、依存をしているのではないか?という気がします。社会そのものを拒絶していて、いざという時に頼りになるのはそうした物(←本人にとっては、ゴミではなく物でしょう)でしかないと、いつか心のチャンネルをかけ違えてしまっているやのように思います。

ですから、大量のゴミさえ処分したらそれで問題が解決するかと言えば、多分そうではありません。し、多くの識者が指摘しているコミュニケーションを再構築して、心を解きほぐすことで問題解決につなげるという事にも大きく期待できません。元々、社会自体を半ば拒絶して生きている人たちの心の闇を救うのはそんなに簡単ではありません。



「McAfee Security Scan Plus」のショートカットが突然出現した

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大学考

2012年08月26日 | 社会派らぼ
大学と企業。それぞれが育成すべき人材として考えている方向性はさして違わないのに、それに向かうアプローチ評価に大きな開きがあることが浮き彫りになりました。駿台教育研究所が実施した「時代が求める人材像」の集計を終えた結果です。

共に、「主体性」や「グローバルな視点」を備えた人材が大切だとしてはいるものの、企業からは今の学生が受動的過ぎるとして、時に大学の講義にその因があるとまで踏み込んで回答しているものまでありました。一方、大学側は、学生の基礎学力不足の補填に追われ学内でも足並みが揃わないと嘆きます。

元々、今の大学が社会の中で果たしている働きには、疑問を感じるところ大です。少子化と共に大学全入時代が到来とも言われ、それぞれ個々人の考え方や環境にもよりますが、ほぼ60%という数値が示されています。大学に進学しない方が少数派という時代になって来ています。これは生活が豊かになった証でしょうから、望ましいことだとは思うものの、では大学に行って何を学んだのか、それがその先の人生や仕事にどう活かされているかになると、漠然とした「経験による学び」は別として、あまり効果的な答えは返っては来ません。さらには、大学進学が当たり前になったせいで、更に大学院への進学率も、これまた大学や学部によってかなりのバラつきがありはしますが、高い場合は90%近い数値が挙がっています。

それだけの高度教育を受けた結果が、上記の企業が回答する「中途半端な専門性」しか持たず、「実践力」の足りない学生像というところに繋がっているのだと考えると、何のための大学だか訳が分からなくなってしまいます。少子化のせいで、大学側は学生確保に躍起にならざるを得ないのでしょうが、その結果が学力のない学生まで入学させることに繋がっています。もしくは高い学力の学生を確保できたとしても、その学力の高さが、実はつめこみの暗記型の学力であるために、高度な勉学には不向きだったりするのでしょう。

だから、大学不要論は過激ではありますし、この現状なら、私も我が子に大学進学を勧めます。根本的な教育年限を変更することを含め、今の大学は高校程度の半ば義務教育化してしまう位置にその姿を変え、中身も仕事に即反映できるような力を養成するカリキュラムに変更する必要がないでしょうか。更に、その先の高度な研究機関には、本当にその専門分野に憧憬が深く、将来も狭い専門性の分野に身を捧げる覚悟の人間だけに特化してしまっても良いのではないかと思えてきます。逆にそこに進んでしまったら、簡単には就職できないよ…的な場所でも良いかもしれません。

まぁ、言うのはタダですから。



図形の初期値を変更したい

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スマホ戦争

2012年08月25日 | 社会派らぼ
米国の連邦地裁で、米アップル社が韓国サムスン社に勝訴しました。互いにスマートフォンの特許技術を侵害されたとして争っていたものですが、アップル側の主張がほぼ全面的に認められ、賠償金の支払いが命じられました。当然のことですが、サムスン社としては控訴する模様ですから、決着は更に先のこととなりますが、サムスン社に勝ち目がないことを、大方の世論が予測しています。ただ、現実にこれだけ販売されていますから、和解などの道が模索されるものと想像します。

他人のアイデアやデザインをそのまま、あたかも自分のもののように権利を主張している事例など、日常茶飯事に転がっているように思います。その殆どが、訴えたところで訴訟費用や、面倒な手続きや、何よりも裁判などに費やす時間などが膨大で…と、立ち向かうエネルギー不足のせいで泣き寝入りに甘んじていると思われます。一方で、侵害者の側は、相手のそうした弱みを十二分に把握したうえで、自分側にオリジナリティがあると強気の姿勢を崩さないものです。

どこまでが「盗作」で、どこからが「オリジナル」かというのは、微妙な問題だと言えば微妙です。よく、中国の偽ミッキーマウスや、偽ガンダムが例に挙げられますが、こうした微妙な問題の行き着く先にある問題で、同根です。純粋のオリジナルというのは難しく、キットどこかに手本があり、どこかに刺激を受けた参考があります。それをただ真似ただけは許されないけれど、手本から丹念に学び、腕を磨き、それを超すべく努力を繰り返し、その先にオリジナルティが多分生まれるのでしょう。芸術や技術の世界は、昔も今も厳しく、「技は師匠から盗むものだ」と言われることも、安易にそれをコピーするのではなく、師匠を超す気概で繰り返す精進の果てにしか本当の技は手に入らないと諭しているのでしょう。

ただ、厄介なのはそうした丁寧な過程を省いているにも関わらず、オリジナルだと言い張る輩たちが後を絶たない現実です。世の中がそうした抜け道を許容する姿勢を示している限り、無くならない問題で、そういう意味で裁判がハッキリと白黒をつけた方が良いのかも知れません。



なぜ「戻れ」ない?

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能ある鷹

2012年08月24日 | 命の生き方
「能ある鷹は爪隠す」という諺があります。言わずと知れたことです。優れた能力の持ち主は、それを他人にひけらかしたりはしないという意味に使われます。鷹が爪をむき出しにしていたのでは、獲物から警戒されてしまいますから、本当に狩りの上手な賢い鷹はあたかも自分にはそんな爪は持たないかのような顔をしておいて、ここぞという時にいかんなく本領を発揮するというものです。

一方、現代では、かのホンダの本田宗一郎氏が「能ある鷹は爪を隠さず」と言われたとか。本田氏が言うのには、実際に手腕を示さなければ、本当に能力があるということが人に伝わりません。出来るなら実際にやってその結果を見せよというものです。本田氏は「人生は『得手に帆を上げて』生きるのが最上。」だとも語っておられます。自分が何が得意かということを、上司にアピールすべきだという事で、確かに現代を生きる知恵かもしれません。

ただ、本田氏は敢えて「能ある鷹は爪隠す」という有名な諺のパロディーとして、インパクトを強めたかっただけで、本来の意味とご本人が言わんとしておられることの違いはしっかりと押さえておられたと思います。才はいかんなく発揮すべきです。仕事では、結果が全てなのですから。それと「爪」とは別次元です。仕事には絶対の自信を持ってバリバリとこなしていたとしても、「俺は仕事ができるぞ」的な傲慢さを微塵も見せず、謙虚にふるまう人は魅力的です。

能力は本人の持つ力ですが、評価は他人がするものです。真に力を発揮している人は、いやでも他人がその能力を認めますから、自分で吹聴する必要など生じません。自らの力を誇示して見せなければ、他人に認めてもらえないと思う人が、必要以上に自己アピールを繰り返し、それは傍から見ていると、とても格好が悪いものです。哀しいかな、当の本人は、自分の力が足りないことにも、自分を誇示してみせることが更に自分の値打ちを下げていることにも、気づいていないのが大抵です。



セーフモードへの入り方

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抜電

2012年08月23日 | 命の生き方
全速力で駆けているような生活を長く続けていた人が、しばらく活動を休止されるような場合によく「充電中」といった表現をされます。電気にたとえて、さまざまな活動を更に続けるためのエネルギーをチャージしようという期間のようです。それまでの多忙な公的活動を中断し、ゆったりと過ごすことによって次のステージのエネルギーを蓄えておられるのだと思います。余りにも忙しい生活の中では、ともすれば「自分」をどこかに見失いがちで、そういう意味ではじっくりゆったりと自分と向き合う時間が必要なのかも知れません。

ただし、人生というものは、そうやって全速力で駆けるに値するものを探し当てることではないだろうかと思うことがあります。それは、ロンドンオリンピックに出場するとか、高校野球で甲子園に出場するとか言った華々しいことである必要はありませんし、特殊な才能でするようなパフォーマンスである必要もありません。昨日と何ら変わることない平凡な時間が流れることで構わないのだけれど、それでもその平凡な繰り返しが自分の全力を懸けることを惜しまないものでなければならないとそんな風に思います。

充電期間というのは、大切なのでしょうけれど、どうもエンジンが止まると充電どころか抜電してしまうような空疎感を否めません。とことん貧乏性です。



動画ファイルから静止画像を切り出す

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無念

2012年08月22日 | 雑談
内戦状態のシリアで取材中の女性記者が、銃撃され死亡しました。街中で銃撃戦に巻き込まれた際に映していた映像が公開されていますが、銃撃の音と共に画像が切れていました。反体制派への武力弾圧が続いているシリアでは、既に何人かのジャーナリストが死亡したり、拘束されたりしているようです。政府軍による砲撃が、無差別で容赦がなく、多くの市民がそれに巻き込まれているという現状は、彼らの命を懸けた報道で世界に伝えられていると思います。

彼らがその使命を命を懸けるに値すると考えていたかどうかは分かりません。気を付けていれば大丈夫。巻き込まれるなどといったミスなど今更しない。人間が巻き起こす愚かな戦争というものは、そうしたベテランの周到な注意をもかいくぐる熾烈なものだと、今更のように認識すべきなのだと思います。

一方、インターンシップでルーマニアを訪れた邦人女性が殺害されたとのニュースも報じられています。子ども達に日本語を教えるために初めてルーマニアを訪れたという女性は、ブカレスト空港に着いた後、目的地に行くタクシーに案内してもらうつもりが、逆方向に行くタクシーに乗せられ殺害されたということです。

最近は、このような海外でのインターンシップが学生の中で人気との事です。短期間なので就職活動日程にも影響が出ず、費用もあまりかからない海外でのインターンシップは、語学力の習得や日本での就職活動に有利に働くといった打算も働いてか、このところ希望者を増やしているようです。そうした世話をするサービスも増えています。が、身一つで生きていくことの危険性を十二分に頭に置いて、周到な準備や基本的な生きる知恵や力を身に着けてからトライして欲しいと思います。

想い半ばにして命を奪われた彼らの無念さに哀悼の意を捧げます。


ワードのアイコンが変わってしまった

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