ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

SNS

2018年09月10日 | 社会派らぼ
韓国の文在寅大統領のツイッターに、日本のネットユーザーから謝罪コメントが書き込まれていると言います。文大統領が、立て続けに起きた台風21号と北海道地震の慰労メッセージを安倍首相に送ったものの、返礼が無いという事で、代わって謝罪をという意図のようです。台湾やオーストラリアの首脳からのお見舞いメッセージには返礼しているのに、文大統領には何も反応していない…のだそうです。

確かに…片手落ちと言えると思います。ただ、文氏のツイートは災害当日の6日で、当日は非常に混乱していたことが予想されます。また、一日本人はSNSなどでしか文氏と繋がることはできませんが、安倍氏にはコンタクトをとる様々な手段があると思われること。更に、安倍氏のSNSとは言うものの、首相自身が書き入れているとはあまり思えない事…など考えると、ここは騒ぎ立てる必要もないのではないかと思います。

だから…と…いう接続詞が適切かどうか分かりませんが、このような国を統率している方が、個人としてツイッターなどから発信する事には、多少の懸念を感じています。トランプ氏などは、それが自分のやり方だと言わんばっかりに、挑発的なSNSを連発しますが、必要があるでしょうか。大統領や首相といった立場にある人なら、いくらでも公に発信する力を持っています。個々人が反応できるツールを使うことで、広く民衆の中に入り込んでいく力を持ちたいという思いがあるのでしょうけれど、すべての人に対して反応ができないのは確かなのですから、やめておいた方が良いのではないでしょうか。

ネットという新しいツールが出現し、それを駆使できる政治家と、そうした技術に疎い政治家との間に、明らかな差ができて来ることは望ましくありません。が、そんなものに目を落としている時間がもったいなくないでしょうか。

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Edgeの起動時トラブル

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英語

2018年09月09日 | 社会派らぼ
台風の余韻冷めやらぬ中、外国からの友人を京都で案内する機会を得ました。京都を案内するのは数度目なので、今回は上級コース(笑)で、太秦の映画村を選んでみました。旧い日本の生活様式が見られるのは、面白いかも…と思ったからです。当方の思惑通り、楽しんでもらえたかどうかは分かりませんが、日本人が見て回るのには、「ほほぅ…」という感じで面白かったです。

タクシーを利用したところ、運転手の方が「外国の方をご案内ですか?」と話しかけて来られ、近くに国宝指定第1号の弥勒菩薩像を本尊とする「広隆寺」があるから、寄って行ったらと勧められました。外国人旅行者が多く訪れる町のタクシードライバーとしては、当たり前なのかも知れませんが、彼は「ブロークンイングリッシュですが…」と断りながら、英語で説明してくれました。

また、映画村に入ってから、(個人的に好きな(笑))忍者屋敷のアトラクションに入ってみました。列に並んでいると、係員が私たちを見て「中での説明は英語ではできないけれど、いいですか?」と尋ねて来ましたが、問題ありませんと答えました。ところが、中に入って説明をしてくれる忍者さんは(笑)、「英語はしゃべれませんが…」と断りつつ、英語で簡潔な説明を加えてくれました。

日本人は「英語」がしゃべれない…と良く言われます。今の日本の英語教育は、ペーパーばかりが重視され、6年間も英語を習っているのに、話すことができないのだと。だから、英語教育に力を入れる…という事で、小学1年生から「英語」教科が加えられたり、TOEICなどの英語によるコミュニケーション能力を検定する試験が大学入試に加えられたり、会社の中には英語を公用語とするところが出て来たり…。英語力を強化する試みがあちこちで行われています。

いわば「国際語」と言えるかもしれない英語を身に着ける事は、多分望ましい事だと思います。できないよりはできた方が良い。ただ、英語を自由にしゃべれるようになった…として、英語を使って外国の方に話す「内容」そのものが無ければ、意味は無いのではないかとも思っています。小学1年生が、まず磨かねばならないのは、もしかすると英語ではなく、語るべき内容の方ではないのだろうか…と。

と共に、日本人は「英語をしゃべれない」のではなくて、「しゃべらない」のではないかと思うのです。現に、京都のタクシードライバーも忍者さんも(笑)、最低限相手に通じる英語力はお持ちでした。これは、世界から観光客が押し寄せる京都だからの現象かも知れませんが、「話したい相手」と「話したい内容」さえあれば、言語自体はあまり問題にならないのではないだろうか…と思っています。

そして、アプリの力を借りれば、様々な国の言葉が同時通訳される世界は、すぐそこに来ている気もするのです。
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War Robot

2018年09月07日 | 社会派らぼ
ゲームの世界は、常にパソコンの世界をリードして来たと言われています。ゲームで使われる技術は、パソコンに先んじており、しばらくしてからパソコンの世界が追いつく…という感じでしょうか。

ゲームを好んでする…というわけではありませんが、プッシュ型広告でゲームの広告がよく入ってきます。不特定多数のユーザーに強制的に流して認知してもらうことを目的としており、色々なスマホゲームを目にすることになります。

やはり「戦う」ゲームは良く見かけます。15秒とか30秒の広告ですから、詳しい内容までは分からないのですが、武器をフル装備したような如何にもハイテク満載のロボットが、二足歩行で攻め入るような映像も良く見かけます。

ゲームの世界が先行している…というより、既に軍用機器には様々な技術が盛り込まれているようです。中国はAIを将来の最重要技術と位置づけ、その世界ではすでに米国を猛追するAI先進国であるとされています。

戦争は、おびただしい人間を危険に晒します。それは攻める側についても言えることで、前線の兵士は命を張って任務を遂行しているわけです。ですが、それが無人で攻め入ることが可能になれば、攻める側のリスクは格段に下がることになり、何より戦争の誘惑は上がるばかりとなりかねません。

ゲームの戦争ロボットは、子ども達にはヒタスラ格好良く目に映るのでしょうか。臨場感を演出する攻撃シーンなど、彼らがワクワクしながらゲームを進めていることを考えると、何やら割り切れない思いがします。

おりしも、大雨被害に続く台風の甚大な爪痕、追い打ちをかけるような北海道の地震。今年の自然はとても意地悪に見えるのですが、もしかすると、自然災害に立ち向かわせることで、くだらない人とのいさかいの機会を奪う「優しい警告」なのかも知れません。

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iPadのリセット

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就活ルール

2018年09月06日 | 社会派らぼ
経団連会長が、就活のルールを廃止する意向を示したことが、大きな波紋を呼んでいます。

現在は、会社説明会など広報活動の解禁日が3月1日、面接などの採用試験は6月1日、内定日は10月1日と定めています。企業側が早い時期から、優秀な学生に接触を図るいわゆる「青田買い」を無くし、学生たちが就職活動に時間を割いて大学の教育がおろそかになることを防ぐ…といった意味合いで、企業側に足並みを揃えるよう、要望を出していたと思われますが、21年春入社の学生から、そうしたルールを撤廃し、経団連から枷をはめない意向を示しています。説明会や面接の解禁日は、様々な要素が絡んで、二転三転して来ています。

こうした採用指針は、言わば大手の会社間の紳士協定のようなもので、拘束力があるわけではありませんでした。昔の終身雇用制が次第に無くなり、若い世代を中心に転職を厭わない傾向も見えて来ており、足並みをそろえる時代では無くなっている…といったところでしょうか。

安倍首相は、就活のルールを守るよう、経団連側に求めているとされています。学生が4年間しっかり勉強した成果を、企業が正しく評価して、採用して欲しいという風に述べています。企業が大学生を「青田買い」するのは、つまり4回生ではなく、3回生、2回生のうちに採用して囲いこんでしまいたい…と考えるのは、学生の能力や人材としての魅力は、大学の4年間の中で飛躍的に磨けるものではないと考えているということになります。大学の教育というのは、それだけ企業にとって魅力では無いことの表れのような気がします。

先日、大学入試の際に多くの大学(特に医学部)で得点操作をしていたことが明るみに出ています。発端は東京医大の裏口入学でした。緊急調査を行った結果、合格率の男女差や多浪生の合格率に明らかな偏重があることが判明しましたが、東京医大を除く全校が得点操作を否定しています。客観的に見て、大学側の点数操作はおそらく事実ではないかと思います。

それでも、本来大学は、それぞれの大学が「欲しい人材」を入学させればよいのではないかと思います。各校、欲しい人材に食い違いがあれば、尚面白いと思います。同じ理屈で、企業も欲しい人材を採用すればよいのではないでしょうか。そういう意味で、「誰もが公平」だとする採用試験をする必要はないのではないでしょうか。と言うか、だれもが公平に評価される試験などあり得るはずがありません。経団連会長の発言は、もしかするとある程度の人が、これまでからそう考えていたことではないかと思うのです。

そして…何より、大学はその4年間の教育に「価値」を見出せる人材育成に力を入れていただきたいと思います。現状の大学教育にはあまり魅力を感じません。大きな教育改革が必要ではないでしょうか。

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iPadの[設定]にiCloudが見当たらない

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まる子

2018年09月05日 | 命の生き方
さくらももこさんが享年53歳で亡くなられた…との訃報は、全国のまる子ファンに大きなショックを与えました。作家の名前より、作品の主人公の方が世に出る…と言うのは、多分作家冥利に尽きる事なのではないかと想像します。さくらももこさんという方の写真などを目にする事は殆ど皆無ですが、まるちゃんを知らない人はまずいないのではないかと思うほど、日本中に「ちびまる子ちゃん」は名を轟かせています。

さくらももこさんが闘病中であるという事も、殆どマスコミに盛れて来ることは無く、突然乳がんによる逝去と発表されました。ニュースによると、7年ほど前、乳がんを発症し、手術も受けたという事ですが、再発後は抗がん剤治療という標準治療を選択せず、民間療法に頼っていた…との事です。昨年6月、世界中の注目を浴び、誰もがその回復を祈ったにも関わらず、帰らぬ人となられた小林麻央さんも、本当か嘘か知りませんが、民間療法に頼っていたと報じられました。標準治療を受けていれば、90%治っていた…などとの情報も流れ、物議を醸しました。

大きな才能が、その真価をまだまだこれから発揮して、もっと華を咲かせるかも知れないというのに、訃報という形でその未来が閉ざされてしまうのは、何とも悔しいとしか言いようがありません。ご遺族にしてみれば、1分でも1秒でも生きていていただきたかった…との思いが本音ですから、もしかすると後悔されることも、多いのかも知れません。

ただ私は、彼女たちの選択をあながち否定するつもりはありません。さくらさんの場合は、仕事に支障が無いように…と、民間療法を試すようになったのだとか。不老不死はかぐや姫の時代からの人々の永遠のテーマでありますが、未だ実現できません。し、実現すべきものとも思いません。人の一生は多かれ少なかれ、ろうそくの炎のように燃え尽きるものなのだとしたら、そしてそれが80年生きようと、100年生きようと、宇宙の壮大な歴史の長さに比べたら、ほんの一瞬のまたたきに過ぎないのだとしたら…、仕事を優先して、世の中にまるちゃんの笑顔を送り出していただいたことに、深く感謝したいと思います。

お疲れさまでした。安らかに眠ってください。

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情報

2018年09月04日 | 社会派らぼ
台風21号が荒れ狂っています。朝からスマホが大音量でJ-ALERTを伝えました。この地域は、屋外スピーカーが配置されており、FM電波を使って緊急情報が屋外拡声されるシステムが立ち上がっていますが、こんな風に雨風が強いと、屋内では聞き取れません(し、それほどの緊急性は無いようで、スピーカーは鳴っていません)。J-ALERT情報は、自動的にスマホが鳴り出し、テキストで入って来るので、聞き逃しがありません。幸い、今朝のJ-ALERTは、この地域とは離れた場所への警告でした。が、何度か鳴って、しかも関係の無い情報だとなると、つい油断してしまいそうです。

予報技術が飛躍的に進んだに違いない現代であっても、こうした大きな自然災害の際には犠牲になる方が出てしまいます。7月の記録的な大雨では、200人を超える方が命を落とされました。緊急情報は流されたに違いないのでしょうけれど(情報のおかげで無事に避難できた方もたくさんおられたと思います)、避難が間に合わなかった方が200人を超えてしまったというのが現実です。

国や役所経由でたくさんの情報が流されるのは有難いことです。普段「折りたたみ傘を持って行った方が良いでしょう」とか「大きなものも洗濯できるでしょう」とか、生活に即した情報を流している天気予報番組があったりします。きめ細やかな情報を、生活に即した情報を…という事で、考えられたのだと思うのですが、傘を持って出るかどうか、シーツを洗濯するかどうか…は、個人の裁量で十分な事なのではないかと思っています。あまりに、微に入り細に渡る情報を流し続けていると、いつかその判断すら他人を頼るようになりはしないか…。情報過多の世の中では、どれが正しい情報なのかを見分ける力が要求され、多過ぎて迷う世の中です。

避難勧告などは、とても大切な情報です。ただ、危険が迫っているかどうか、避難すべきか否かは、おそらくは個人が判断すべきことなのかも知れません。荒れ狂う空を見て、現在の台風の位置情報を見て、自身で判断する事は大切なのではないかと思います(素人判断にならない程度に)。そのためには正しい客観情報が必要なのかも知れません。今回の台風では各地で100万人超に避難勧告が出されていると言います。果たしてそのうちの何人が実際に避難をしたのでしょうか?

ネットを利用して、情報が手軽に手に入るようになりました。タイミングが良ければ、ネットで最新情報を探すことができますが、天気図が1時間も2時間も前のままの情報しか見られない事もしばしばです。静止画像でなく、動画のような形でリアルタイム天気図や予報円が見られても良いのではないでしょうか。分かりやすい解説も必要だとは思いますが、大元の生の情報が正しく発信される仕組みが欲しいと思います。

何事も無く、台風が通り過ぎてくれますように。
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置き勉

2018年09月03日 | 社会派らぼ
小学生が背負っているランドセルが重すぎる…というのが問題となっています。ある調査によると、小学1年生から3年生20人の(調査というには、この数字少なすぎませんか?)平均重量が7.7kgだったとされています。教科書やノートなど、宿題のあるなしに関わらず、基本すべてを自宅に持ち帰るように…というのが学校の指導のようです。これに対し、このほど文部科学省が、家庭学習で使用しない教科書などは教室などに置いて帰る、いわゆる「置き勉」を認めるよう、全国の教育委員会に通達を出す方針だと報じられています。

昔…、そんなに重かったっけ?と思い出していますが、教える量の増加で教科書が分厚くなり、教材も増えているのだとありました。私が小学生の頃、「置き勉」といった呼び方は誰もしませんでしたが、高学年になったらほぼ教室の机の中に教科書は置いていました。誰もが置いていたわけではなく、勝手に置いていた…だけです。が、特に咎められた覚えもありません。教室の掃除の時に友だちから、机が重いと笑いながら言われたことがある程度です。宿題が出ると、持って帰らなければなりませんので、授業中にやってしまっていました。今から思うと「古き良き時代」なのかもしれません。宿題の量が少なかったのでしょうね。

ですから、文科省が「置き勉」を認める通知を出す…と言う時点で、え?そんな大層な事?と思ってしまいました。文科省は、小中学生の荷物を軽くする指導の方をしていただきたい…と思います。例えば、教科書を分冊するとか、電子教科書にしてタブレット1つだけ持ち歩くとか、教科書は個人に配付せずに教室に備え付けるとか…、工夫はいくらでもできるのではないかと思います。が、それなりに経費がかかる事でしょうから、文科省主導でやっていただきたい。電子黒板などは正直要らない…と私は思っています。

教師の授業の進め方を一律にする必要はありません。教師は、それぞれに課されている(と聞く)事務仕事を軽減して、授業の準備に時間を充てられるようにしてあげて欲しい。どう教えるのか? 教える際に必要な補助教材を自分で工夫するとか…の時間を先生方が持てるようにしていただきたい。現在の状況なら、部活の顧問などの仕事も無くせば良いと思います。その分は、地域の指導者などをもっと広く採用し、その代わり指導者任せにするのではなく、指導者の指針などをキチンと整えて欲しい。

教科書を学校に置きっぱなしにして帰ろうが、全部持って帰ろうが、それは子ども一人ひとりが考えれば良いことではないでしょうか。中には時間割を全くせずに、すべての教科書をランドセルに入れているという猛者の話も聞きます。それは重いはずです。でも、それも含めて「子どもの工夫」なのではありませんか。こんなことを一々文科省が全国の教育委員会に対して通知し、各学校に指導するような内容とは思えないのですけれど。
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依存症

2018年09月02日 | 社会派らぼ
「ネット依存」という言葉が使われ始めました。まるで薬物かのように、ネットが手離せなかったり、リアルな生活よりもネットの世界の方が大切で実生活に歪みが生じてしまうような人が増えているというものです。単に趣味が高じている…と言うよりも精神疾患の一つと考え、必要に応じて「治療」しなければならない状況も考えられ始めています。

厚労省の調査によると、依存が疑われる中高生は、この5年間で40万人増えて93万人に上ると推計されています。「ネット依存外来」なる看板を掲げる病院も出現し、年間1500人が受診したとあります。93万人という数値からすれば1500人など「焼け石に水」で、異常の域に達しているのではと家族が考えていても受診に至らない人は山のようにいるという事になります。ほとんどは「ゲーム障害」で、重症の場合は脳が委縮してしまって理性をつかさどる機能が低下していると聞くと、何やら恐ろしい感があります。

ゲームがそれほど好きという訳ではありませんが、時間つぶしには格好の代物であることは確かです。根がケチですので(笑)、課金は一切しない範囲…と決めてはいますが、仕事に疲れた時にはスマホを手にするようになりました。庭仕事は嫌いですが、放置した草むしりを一旦始めると、何も考えずにただ草を抜くだけの仕事には、ツイ正体もなく無理をしてやり続けてしまう…ところがあります。その間、手さえ動かしていれば頭は何を考えても良いはずなのですが、これが意外と何も考えません(笑)。空白の時間…自体が多少心地よい。

ゲームはそれに似たところがあります。本当は考えなければならない事があるのに、良く言えば「無心」になれる、悪く言えば「現実から逃れる」事ができるのだと思います。引きこもりなど、何やら人間関係のボタンのかけ違いから、ツイ人を避けてしまっても、ネットさえあれば何やら自分が存在する場があるような錯覚に陥ります。

ゲームにしてもあるいはドラマなどにしても、「無」でいるのに刺激だけが外から勝手に飛び込んで来るものは、時間つぶしには最高かも知れません。が、一方でこうした受け身の世界でそれなりの存在感を楽しんでしまうと、自分が「無」から出たくなくなる(笑)気がします。何かしら受け身になって前向きに進むエネルギーを失う気がするのは私だけでしょうか。

ネットは、人を惹きつける術を考えるのが仕事でしょうけれど、ネットを終了して、外に出かけたくなるコンテンツ、人を前向きにさせる何かを発信することを、模索していただきたいと思います。
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自信

2018年09月01日 | 社会派らぼ
このところ、スポーツ界の不祥事が続きますが、今ネットを賑わせているのは、日本体操協会です。体操女子の宮川紗江選手に対し速見佑斗コーチが暴力をふるったとして、日本体操協会が無期限登録抹消の処分を下しました。この処分に対し、被害者であるはずの宮川選手は、記者会見を開き、暴力を伴う指導があったことは認めた上で、コーチの処分を軽くするよう求め、更に日本体操協会の副会長、女子の強化本部長からパワハラを受けたと逆に訴えたものです。協会側もすぐに会見を開き、コーチの処分は妥当であると主張した上で、パワハラの訴えは否定しています。

このところ、こうした不祥事が多く報じられますが、それは決して最近不祥事が頻発するようになったわけではなく、黙って泣き寝入りしなくなった…という事なのだと思います。一旦報じられると、世論を味方につけた方が有利になります。たいていは判官びいきというのとは少し違うのかも知れませんが、パワハラを受けていたらしき側に世論は肩入れします。密室で解決すると圧倒的に不利な立場にいる者が、逆に力を得る事になるわけですから、カミングアウトする選手が増えるのも頷けます。が、大きな組織を相手にする事になったりもするわけですから、勇気を振り絞って…の行動には違いありません。

パワハラは強く否定をされているようですが、主張が対立していますから、何らかの方法で裁定が行われなければなりません。心象で物を言うのは今は控えておきます。何でも「ハラ」を付ければ良いのか…と言うくらい、世の中は「パワハラ」をはじめとするハラスメントで溢れています。これだけ様々なハラスメントが報じられていて、それらのニュースを批判的に見聞きしていて、ハラスメントを断罪するような発言をもしていて、それなのに自分自身がハラスメントを続けているという人は、まだまだたくさん居るような気がします。

明らかにハラスメントだと思われるのに、なぜ本人が気づかないのか。「自分は正しい」と強く思っている人、あるいは「自分は正しい」と強く主張しなければ危うい人が、自分を勘違いしているのではないかと想像します。小さい頃から「お前は優秀だ」と言われて育った人、自分の力は秀でていると信じている人の「自信」は実はとても危険だったりします。自信を持つ事はトテモ良いことに違いないのですが、いつしか「自信」は「過信」に変わり、「過信」は気づけば「慢心」に変わります。他人より自分は優っている…との思いは、「百害あって一利なし」。

正しく真っすぐな「自信」を持つ事は難しいのです。だからこそ、それを備えている人が素晴らしいのだと思います。

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封じる

2018年08月31日 | 社会派らぼ
宝塚市の教育委員の男性が、公立小学校を訪問した際、難病で人工呼吸器が必要な女児が「養護学校の方が合っているのでは…」という趣旨の発言をし、委員を辞職しました。この委員は「養護学校の方がより良い対応が可能ではないかと思い発言した」といった趣旨の釈明をしたようですが、教育委員会協議会で「配慮にかけた差別発言だ」とされ、-元委員は謝罪をするとともに、辞表を提出し、受理されました。ニュースとして報じられるのは、事実のほんの一部であって、本当のところは当事者しか分からない事が多々あるのだとは思います。が、何でも「差別」だとして切って捨ててるのは違っているかもしれないと思います。

辞職されましたので、元委員となりますが、この元委員は昨年の市総合教育会議の席でも「障害の度合いに合わせて、養護学校に通学した方が子どものためになる…という指導を教育委員会からもすべきだ」といった発言をしていた…と言います。先生の負担にも配慮した上での発言のようです。

文科省は2013年時点で、子どもの就学先に障害の側から振り分ける「分離別学」でなく、「保護者の意向を最大限尊重する」方針に切り替えています。今回の難病女児も、市からは「養護学校が適当」と判定されていたものの、本人と両親の希望で学校に看護師を配置した公立小学校に入学した…という経緯をたどったものです。

入学前の時点で、市が「養護学校が適当」という判断を下していたことからも、この病児の状況はかなり深刻で、本人の強い意志と周りのサポートによって、公立小学校への通学が可能になっているものと想像されます。ですから、元委員が「養護学校の方が適切なのではないか」と考えた事も、ある意味では理解ができる状況なのだろうと思われます。問題なのは、一旦公立小学校への入学が認められ、実際に通学している状況下で、このような声を当事者にかけたことで、その場で言うべきことでは無かったかも知れません。元委員は、文科省の打ち出している「インクルーシブ教育」には、疑問を呈する考え方の持ち主だった訳で、その私見を病児の保護者などにそのまま披露してしまう事は、やはり配慮に欠けた行動だったと思います。

「誰もが違うこと」を前提とし、障害を持つ子どもの視点に立つわけでもなく、障害を持たない子どもの視点に立つわけでもなく、すべての子どものための教育を実践して行こうとするのが「インクルーシブ教育」の根幹だろうと思います。それが「理想」であることは分かりますが、実践する現場ではそれなりの課題や苦労がおそらくはあるわけで、元委員のような考え方に立った提案も、あながち人を蔑んだとんでもない意図があるわけではなく、すべての子どもの事を考えての違う視点からの別意見だったのではないかと思います。

発言の場所や相手を考慮すべきであることは間違いないにしても、この手の発言を一方的に「差別」だと断罪して、口を封じるような対処では、本当の意味での「差別のない社会」は目指せないのではないかと思った次第。

以前、ある種の会議に出席した際、ある委員が、会の根幹にかかわるような発言をされたことに出くわした事があります。(具体的に書けない事が多少もどかしいのですが)その委員の発言は、少なからず一般の人たちの素直な感想を代弁したものでもありました。たまたまその日は年度末最後の会議で、場所を変えて懇親会が催されました。懇親会場に到着し、会が始まるや否や、先ほどの委員が「先ほどは戯れ言を言ってしまい…」といった発言をされました。会場移動中に、なにがしかの「指導」が入ったのは明らかで、その時、私自身はその会議に未来を感じる事ができなくなった記憶があります。

理想を高く掲げて進むことは大切な事ですが、考え方を異にする人たちの誠実な疑問や提案を「封じて」はいけないと思います。反対論にも十二分に耳を傾け(場所を選んで)誠実な議論も戦わせ、より良い形を求めていく姿勢は失ってはいけないと思います。

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