ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

学ぶ

2015年02月28日 | 雑談
新聞広告って、見ていないのですが、え?と思わず目が留まりました。大学の通信教育部の広告。学ぶと言う事に、高いハードルを作らず、もっと気軽にもっと日常的にもっと身構えずに、普段の生活のままで「学ぶ」ことが提案されているようでした。バスタブに浸かりながら、タブレットを手にする広告は、まさに学びは、学ぶ時や学ぶ場所を選ぶものではない事を如実に訴えているようでした。

ただ、この写真にフト目が留まったのは、どこでもいつでも「学ぶ」ことは大切かも知れないけれど、「学ぶ」には形もいるのではないだろうかと思ったからです。遊びの中にも、寛ぎの中にも、「学ぶ」ことを介在させることはできますが、「学問」として学ぶには、単に知識にとどまらない、もっと哲学のような修行のようなものがあって然るべきなのではないだろうか。そんなことをフト思わせたのです。

「本」を跨いではいけない…と、教えられて育ちました。幼い頃の遊び方というのは、チョット時間が経てば、部屋中に玩具や絵本などが散らかる事になりますが、その散らかっている絵本を跨いではいけないと教えられた覚えがあります。理由などありませんでしたが、それは「学ぶ」という事に対する畏敬の念であるかのように思います。そして、そういうことは、大切な事では無いだろうか?とフト思うのです。

電子黒板も電子教科書も良いと思います。ペーパーレスというのは、無駄が無くて良い。改訂版など、いくらでも出せてしまいますし、場所を取りませんし、印刷や紙などの経費も要りません。ワンタッチで拡大や縮小もできるでしょうし、フリガナを付けたり、注釈に飛んだりと、自在に世界を展開することができそうです…。が、きっと本を跨いではいけない…という感性を伝える事は出来なくなってしまいます。学ぶという事には、単に知識を知るにとどまらない、人としてのあり方のようなものが無ければならない…と思うのです。

因みに、この広告主の大学の広報部は、かなり定評があって、画期的なキャッチを提案したり、斬新なポスターで賞を受けたりしておられるようです。この広告も恐らく、そうしたすべての「?」「!」「♡」を計算し尽したモノに違いありません。



突然「再起動」を促すウィンドウが表示されます

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、
  当ブログとは一切関係はありません。

2015年02月27日 | 命の生き方
先日、多摩川河川敷で見つかった死体事件が、注目を集めています。被害者は13歳の男子中学生、上村遼太くんと分かり、警察が捜査を進めていましたが、殺人容疑で18歳の少年が逮捕されたようです。警察発表に先だって、インターネットには、複数少年の実名や顔写真が流出していたことも報じられており、こちらでも話題になっていました。

報道によると、上村君は身動きできない状態で暴行を受けたようで、はずみでというよりも、殺すことが目的だったような節があります。仲間も数名、逮捕されるようです。本人たちは否認しているようですが、取り調べが進めば、もう少し全容が見えてくるはずです。

最近、つとにこのような事件が増えて来ている感があります。奇しくも、世界的には「イスラム国」が残虐な行為を繰り返していますが、彼らがそうした風潮に影響を受けたのか、世界中の若者が心を見失う行動に走る何かしらの必然があるのか、定かではありません。「衣食足りて礼節を知る」とは言われましたが、「衣食余りて礼節を失う」というのが現代なのでしょうか。

「人を殺したい」と言ってはばからない若者がいるという事自体が、闇の深さを物語ります。このような犯罪が起きる度に、「二度と…」の誓いのもと、原因が多方面から探られます。が、大半は個人に起因したものとして、その生い立ちや病的な素因に原因を押し付けてしまいがちです。「人は何のために生まれ、何のために生きるのか」といった根本的な問いかけをしなくなったこと、生きる意味について真摯に考えなくなったこと、豊かなはずの今の時代の薄っぺらさに原因があるような気がしてなりません。

事件の度に、「命の大切さ」が叫ばれます。叫んだところで、彼らは表面的な解答を知っていますから、表面的な受け答えだけでおざなりにされ、心の闇は一層内へ秘められて、爆発するまで為す術がありません。表面だけのきれいな言葉を並べてみても、恐らく何も変わらない。子ども達に必要な「命」の教育は、今のような「きれいごと」では無いような気がするのです。

投票権を18歳に引き下げる改正案が、今国会で成立見通しと言われています。18歳を、まだ判断力に乏しいとする意見も根強いのは確かですが、一方で今の20歳が判断力をもっているか、はたまたもっと上の大人たちが、キチンとした見識を持っているかというと、苦しいところです。結局のところ、20歳でも18歳でも同じような状況なのかも知れません。その一方で、選挙権を引き下げるなら、少年法を何とかすべきだという声も日に日に大きくなっている気がします。

法律より、優先すべきは、多分教育ではないでしょうか。若者が抱える心の闇は、キチンとした道標が示されない時代が作り上げたものなのかも知れませんから。



計算の後、アクティブセルを下げたくない

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、
  当ブログとは一切関係はありません。

2015年02月26日 | 雑談
丁度、そんな年齢というのがあるのでしょうか。このところ、旧友からの連絡をしばしばいただきます。中には何十年ぶり…といった連絡もあって、時間と場所を約しても果たして分かるだろうか?などと心配の要る(笑)再会もありました。「まぁ、何となく、分かるでしょう」と目印など決めずに改札口で待ちましたが、幸い互いに一目で分かりました。そして、話せば、何の違和感も無く、何十年前に戻れることに深く感謝しました。電話で話す限り、全く変わらない声だけれど、合わない方が良いかも知れないね…と冗談を言って、再開の日を約束している友もあります。また、学生時代のクラブの先輩から、OB展をやりましょうとのお誘いもいただいて、果たして作品など作れるだろうかと参加を躊躇している今…です。

昨日とは打って変わって、冷たい雨の中、旧友と美術館を訪ねました。シェイクスピアの生誕450年を記念して、彼の残した名作の中の名場面を描いた絵画や版画、挿絵などが展示されていました。細かい版画の線には、400年をさかのぼる当時の人達の、心のひだが彫り込まれている気がしました。背中に羽根を背負った妖精たちは、人の心の闇と闇を怪しく飛び交う煩悩だったのかも知れません。それにしても、シェイクスピアという人は、劇作家として詩人として揺るぎない作品を残したばかりでなく、更に後世の非常に多くの芸術家たちの素材としてとても大きな影響を与えた人なのだと、改めてその偉大さを再認識する思いでした。

「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」 孔子は論語の中でそう述べています。出会いに恵まれても、居住する場所は将来にわたって同じというわけにはいきません。住まいが離れ、会わぬ時間が流れ、環境が変わり、思いが変わり…それでも、会えば一瞬にして時間を超えられる、そういう友人に恵まれたことに、本当に深く感謝しています。時折ニュースでは、仲間外れにされることを極端に怖がる今風の友だちづきあいが報じられていることがあります。時に、友だちづきあいの破たんは、凄惨な事件に発展したりもしています。相手の中に尊敬すべきものを見出すことができる…というのが、大切な事なのかもしれません。



シャットダウン時、Task Host Windowsが待機中と表示されます

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、
  当ブログとは一切関係はありません。

合掌

2015年02月25日 | 命の生き方
歌舞伎俳優である坂東三津五郎氏が、享年59歳で亡くなられました。膵臓がんの手術を受け、舞台に復帰したばかりだったと言います。59歳という、人生を終えるにはまだ早いであろう年齢が、悔しさを募らせます。周囲の落胆はもとより、何よりご本人が悔しかったに違いなかろうと想像します。歌舞伎界はまた一人、重鎮とも言える役者を失いました。喪主を務めた長男の巳之助氏は、父君の芸について「誰にでもできる小さな努力を、誰にもまねできないほど膨大な数、積み重ねた先にある一つの究極の形」だったのではないかと挨拶されました。歌舞伎の舞台などに縁のない私ですが、このごあいさつから、三津五郎氏の芸の姿を想像することができました。ご冥福をお祈りすると共に、大切な柱を失ったに違いない歌舞伎界の一層の発展を心より願います。

一方で、59歳という年齢は、自分の年齢(内緒!)と比べて身につまされる事も多いものでした。日本人の平均寿命からすれば、まだまだ働いてご活躍いただかなければおかしい年代の方です。けれど、哀しいかな人間は、必ずその生を閉じなければいけないという義務を抱えており、氏の寿命がそこまでとされているのであれば、それも致し方なしと思う気持ちが、一方にあります。現代は、健康志向の世の中で、長く生きることを目指して当たり前。如何にすれば、死に打ち克つことができるのかという事こそが、医学のテーマになっていたりもします。

うまく表現はできないのですが、どこかに違和感を感じています。人は死ななければならないのです。イスラム国が理不尽な殺害を繰り返しています。日本国内でも、まるで人を殺めるという行為自体が、顔を持って動き出したかのようにも錯覚する陰惨なニュースは後を絶ちません。そのような非業の死はあってはなりません。人の英知は、そのような死を、私たちが完全に忘れ去れるような社会を築くことができるに違いない…と、遠い未来に期待を託します。それでも、寿命に抗うことは容易ではありません。人の細胞そのものが、寿命の限界に来ているものを…、いたずらに嘆くことは意味のない事なのかも知れないと、フト思うのです。

そんな日は来ないに越したことはありませんが、来ないはずがありません。人間は、いつ死んでも、やり残したことだらけで悔しい思いをすることは必至です。この年齢だからと納得できる年齢があるわけでもありません。細く長く生きることも人の理想であると共に、太く短く生きることも同時に私たちの憧れかも知れません。合掌。



インターネット閲覧中、常にIMEをオンにしておきたい

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、
  当ブログとは一切関係はありません。

自由

2015年02月24日 | 雑談
ネット上には、色々な情報が転がっています。サービスが開始した当初は、いわゆるホームページ的な、誰かが作りこんだサイトに情報が詰め込まれました。今、色々なキーワードで検索をしてみると、出てくる情報の多くが、ユーザーからの主観的な情報で成り立っているように思います。特にその道の専門家でもない一般ユーザーたちが(勿論、専門家が発信している場合もあるわけですが…)、雑多な情報を持ち寄ることが、大きな情報源となっています。facebookやtwitterはその最たるものかも知れません。

そうしたサイトの一つに「食べログ」があります。ユーザーがレストランの口コミ情報や画像の投稿ができる仕組みになっています。味やサービスなど5分野で評価するようになっており、多人数の口コミ採点からその店の点数が算出される仕組みです。実際に食事をしたユーザーからの感想という意味で、貴重な情報となる反面、やらせや風評被害などの訴訟沙汰も幾度も聞かれました。

今回の訴訟は、その中でも少し異質だったかもしれませんが、食べログ側が勝訴しました。「秘密の隠れ家」的な営業戦略を取っていた大阪のバーが、投稿された写真や感想を削除するよう求めたようですが、違法とまでは言えないと請求が退けられました。バーがホームページなどで、自ら情報を公開しているといった事が判断の根拠になったようです。

私たちは、社会の一員として暮らしているわけで、好むと好まざるとに関わらず、社会の色々なものに制約され縛られ翻弄されて生きていることになります。ふと立ち止まって、自分を取り巻く様々なものをふりほどき、誰からも干渉されずに、自由気ままに生きることが許されていない窮屈さを、いつのまにか当たり前の事と受け止めている自分に気づくことがあります。多分…社会が未成熟な時代には、身を隠して生きることがもっと容易だったのだろうと想像します。その分、危険も責任も大きかったのは当然ですが、確かに自由度は高かったはずです。

世の中の流行り廃りや目まぐるしく進化(多分)する世の中の常識などに左右されない、「自分として」の原点があります。特に社会の常識に逆らおうとするものでもありませんが、何を好み、何を選び、何を目指すか…は、自分の基準で判断したいと、フト思います。隠れ家のオーナーがどういう意味をそこに見出しているのかは、想像する余地がありません。…が、社会の規範から著しく逸脱することの無い自由は、あっても良いような気がするのです。同時に、それは訴訟とかいった事で保証されるべき事では無く、人々の阿吽の呼吸の中で確保されるべき自由であるはずです。自由な時代に生きているはずの私たちが、「自由」を失っているのかも知れません。



アクセサリプログラムはどこから出す?

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、
  当ブログとは一切関係はありません。

ブログ

2015年02月22日 | 雑談
愛知県の中学校長が、学校のホームページ内のブログに、天皇に関する記述を書き込み、市教委から「押しつけだ」として口頭注意を受け、記事を削除したという事がニュースになっています。記事は削除されましたが、既にブログ内容は拡散しており、今もこの文面を読むことはできます。

一読しましたが、偏っているわけでは無く、仁徳天皇の逸話を「神話」「作り話」だとする説もある…としたうえで、「こうした神話こそが、国の国柄を示す」と語っておられます。むしろ、終戦処理に当たられた昭和天皇の話を交え、「日本という国は、天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた穏やかな民主主義精神に富んだ国家」だと位置づけたことが、市教委を逆なでしたかに思えます。

現状、このブログが偏狭だとするクレームはただの1通、残りの殆どの意見が「素晴らしい校長先生だ」との意見で、市教委こそ偏向だ、言論弾圧だとするものが大半を占めているそうです。

問題のブログは、建国記念日に因んで生徒たちに話した内容という事です。元々「建国記念日」の制定そのものに、異論を唱える方々も多いようです。建国神話に基づいて、神武天皇即位の日とされていることが反発の原因と想像はできますが、れっきとした「国民の祝日に関する法律」で定められた日です。「建国をしのび、国を愛する心を養う」日と、条文に定められていますから、むしろこの校長先生の話は規範通りという事になります。

異なる意見が多数共存して成り立っている社会です。言葉を口にする時、文字にする時は、そうした異論を唱える人たちの気持ちにも配慮する必要はある…と私は思っています。ただ大上段に論破すれば良いものではなく、異なる意見として素直に耳を傾ける気になるのには、やはりそれなりの配慮が必要だったりします。そういう意味で、この校長先生がおっしゃりたかったこと「私たちは、日本や日本人のことを卑下することなく、誇りを持って、世界や世界の人々に貢献できるよう、勉強に励んで欲しい」ことを皆に伝えるためにはどうすれば誤解無く伝わるのかを、皆で考える必要があるのかも知れません。ただ、偏狭だ、そちらこそ偏狭だと言い合うことは恐らく先生の本意ではありません。全体に、校長先生の文章がゆったりと柔らかかったことが印象的です。



チャームバーがうまく出せない

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、
  当ブログとは一切関係はありません。

パワハラ

2015年02月21日 | 社会派らぼ
大阪府の教育長の言動がパワハラに該当すると、第三者委員会が認定したようです。発端は、府教育委員会議で、女性教育委員が教育長より威圧的な発言を受けたとし、他の職員からも同様の指摘があったため、第三者委員会の判断に委ねられることになったとかで、その結果が冒頭に書いたとおり、パワハラだと認められたようです。

この教育長は、進退を知事に委ねるとしていましたが、知事は続投を求めました。元々知事擁護の発言がパワハラと認定されたような感じでもあり、パワハラ自体は反省すべきとしながらも、知事はむしろ女性職員に問題があると話したようです。組織の決定には従うべきだとの内容ですが、これの是非とパワハラは元々問題の根幹が違っているかと思われます。

セクハラという言葉が使われ出して以来、パワハラとかモラハラとか言った言葉が多数登場してきました。要するに他人に対して人格や尊厳を傷つけるような精神的ないじめ行為を行ってしまうこと…でしょうか。これらの言葉は、ハラスメントを受けた側から使われることが多く、そうしたいじめによる精神的な被害がしばしば問題になります。それは勿論、ケアできなければならないのですが、本来はハラスメントを行ってしまう側の指導が必要なのではないだろうかと思います。大概、ハラスメントをした側にはペナルティが与えられることが多いのですが、ハラスメントに走る自信の無さや劣等感、精神的な幼さなどに対する適切な指導というものが必要な気がします。



分数を入力したい

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、
  当ブログとは一切関係はありません。

ヤジ

2015年02月20日 | 社会派らぼ
このところ、衆議院の予算委員会のヤジが連日ニュースになっています。と言って、例のセクハラヤジではなくて、安倍首相のヤジと言いますから、チョットあんぐり…としてしまいます。

民主党の議員が農水相の献金問題について、質問中。突然、安倍首相が「日教組!」とヤジを入れたのだそうです。真面目な話だから、ヤジなど飛ばすなと質問者が反発しても、首相はヤジを止めず、委員長からも静かにするよう注意をされたと報じられました。…を受けて、民主党の前原氏が、首相に反省を促したものの、はぐらかされた感に前原氏が激高する展開になり、また委員長が「お互いに注意を」ととりなしたそうです。

なんだか、分かりにくい説明です。どうやら、西川農水相は、受けた献金が、政治資金規正法で禁じられている、国の補助金を受けた企業ではないかという指摘に、補助を受けた企業と、献金をした企業は別法人で問題はないとする説明をしたようです。そのことを追及している民主党に対し、その昔、日教組の本部ビルに政党を置いていた民主党議員が、日教組とビル所有者の日本教育会館とは別法人だと抗弁したことを、指摘する狙いだったとか。

いずれにしても、この手の世界は利害が絡み合って、どろどろしているのが当たり前のようで、今さら…という感が強くなってしまっています。(誉めた話ではありませんが。)ただそれよりも、予算員会という席で、議論すべきことは何一体、何なのでしょうか。国会は学級会ではありませんから、実りある必要な議論に時間を割いていただきたい。学級会のためには、別の場面を設けるのも一法かも知れません。それより、何より、ヤジは「国会の花」とも言われるそうですが(権威ある場所では、それすら謹んでいただきたいと思いますが)、それらすべてをまとめねばならない立場にある内閣総理大臣がヤジを飛ばすと言うのは、あまりにもご自分の立場をわきまえておられない…と言われても仕方がないと思います。たとえ議員がヤジの応酬に明け暮れても、首相はすべきではありません…よね。



用紙の端を表示する点線が表示されない

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、
  当ブログとは一切関係はありません。

3カ月の壁

2015年02月19日 | 社会派らぼ
高齢者の身内を抱える人は、私の周囲にもたくさんおられます。それぞれの状況が異なっていて、対応もそれぞれです。…そして、そこに「3カ月の壁」なるものが存在することは、衆知の事になりました。

少子高齢化は、日本が抱える大きな問題です。今後は、さらに高齢者が増え、医療費が破綻し、入院のベッド数が足りなくなると言われています。そこで国は、入院治療から在宅治療へ移行させようという狙いがあり、入院期間を3カ月で切ろうとしています。高齢者が一般病院に入院した場合、91日目以降は、特定入院基本料の算定が始まり、医療報酬が3分の2以下になると共に、投薬や検査については支払われない状況となるそうです。入院に対する保険点数が下げられてしまうため、患者を入院させておくと、病院経営が赤字になってしまうわけで、半ば強制的に退院が勧められるということになります。

と、同時に老人保健施設なども、介護保険開始前は医療保険の対象施設でしたので、3カ月を超えると診療報酬が減らされる仕組みになっていました。ですから、老人保健施設でも入居期間は3カ月とされている場合があり、病院と施設を行ったり来たりしている…という人も出てくる始末です。老人保健施設については、介護保険制度下では施設サービスの一つとなったために、入所期間が制限されることは無くなりました。但し、あくまでこれらの施設は、病院での治療後、自宅に戻るまでのリハビリなどを提供する一時滞在施設として位置づけられているため、様々な在宅復帰のための保険加算制度がつき、これらの加算期間が終わる段階で退去が求められる場合も少なくないとか。

などなど。法律や施設の仕組み、さらには国の抱える問題…それらは誰でも理解はできるのですが、現実に家庭で見切れない高齢者の介護が、大きな矛盾を抱えた問題であることも事実です。確かに経済的に言えば、施設は健全な収支を保たねばなりません。が、現実に家庭の中での介護が限界に達しているケースが放置されている社会は決して健全ではありません。

元を正していけば、寿命が長くなったことばかりでなく、昔の「家」制度が崩壊したことに、さらには家庭の状況などを一切加味しない会社の人事の仕組みなどが追い討ちをかけ、家の単位が小さくなってしまったことに大きな問題があるような気がします。家人がバラバラになり、一人や二人の家庭が増え、いざ介護となった時に、特定の個人に介護負担がのしかかってしまうことは否めません。もし、昔のように大きな家族単位で人が暮らしていれば…、日本の現状はもう少し変わるのでしょうか。



一度に複数の画像が挿入できませんか

パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。

↓ 尚、下の広告は、gooブログに自動で掲載されるもので、
  当ブログとは一切関係はありません。