ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

ゆく年

2009年12月30日 | 雑談
2009年も暮れようとしています。

今年も、たくさんの皆様に大変お世話になりました。有難うございました。年数を重ねれば重ねるほどに、この仕事が単純にパソコンの腕さえあればできるものでないことを、より深く知るようになっていきます。自分の想いの丈を、講座の中に埋め込もうとすると、それを好ましくは思わない人達との間に軋轢が生まれることを、身をもって体験してきました。だからこそ今、時に熱く暴走しかける(笑)私を、受け容れてくださる多くの方々に、心から感謝しています。そして、自分の中に感じるものに、確信さえ抱けるような気がします。

年齢を重ねてくると、ここから先のストーリーをどう展開していけば良いか、自分の中での次章をどう描けばよいのか、それが気になってきます。人生には、成るようにしかならぬことと、意思を持って為すこととがあるように思います。2日先に明けようとしている2010年は、次章を考える年かも知れません。

今年も多くの方が、惜しまれて鬼籍に入られました。これも世の定めですが、志半ばにして国を憂えて亡くなられた方の数も知れません。私達の国の行く先を憂う人がいてくれている間に、私達は何とか踏みとどまりたいと思っています。流行るものは変わります。ファッションも文明も食べ物も暮らし方も、嗜好も考えも…その全てが1つとして確たるものはなく、時代につられてふらふらと変わっていきます。それでもその中に、絶対に変わってはならないことというものがあるはずなのだと思います。それらは、どんな時でも失ってはならないもので、流行り廃りには関係があってはならないもののはずです。

世の中の動きをいち早く読み取ることができ、その動きに乗り遅れることなく先手を打っていく人をして、本当の実力者というのだと思います。ただ、大いなる流れを味方につけてのし上がって行くのでなく、失ってはならないものを守り通せる人でありたいと私は思っています。そういう国であって欲しいと私は思っています。

今年1年への深い感謝と共に、来年が皆様にとって幸せな年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。


ボタンを描いても「マクロの登録」ウィンドウが開かない
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引退

2009年12月29日 | 雑談
続々と、バンクーバー冬季五輪の出場選手が定まります。そこには、当然ながら、悲喜こもごものドラマが幾つも繰り広げられています。

スピードスケートでは5回目の五輪出場を決めた岡崎朋美選手の38歳が圧巻です。諦めずに挑戦することの大切さを教えてくれると絶賛される一方で、アスリート達の直面する問題が、単純に「気力」だけでカバーできるかと言えば、それは到底無理な問題だと誰もが理解しています。

同じくスピードスケートで、35歳の清水宏保選手が、5度目の五輪出場を逃したのは、いたし方ないことのように思えます。むしろ岡崎選手や、テニスの伊達公子選手が特別なのでしょう。

アスリート達にとって、どこで引退するのかというのは、一番の難題です。誰もが荒川静香選手のような引き際に恵まれるわけではありません。むしろ、スポーツ選手なら、年齢と共に力が通用しなくなり、自分の弱さを認めてのリタイアが一番美しいような気もします。スポーツを愛していればそうならざるを得ないように思うからです。「強い自分」への愛の場合は、負ける試合はしたくないでしょうから。

但し、その世界で一線を張って来た人間ですから、現役をリタイアした後も、そのスポーツ界で貢献し続けることはいくらでも可能だと思います。新しい若い力の台頭と共に、静かにその座を明け渡していく往年の王者達に、それ相応のねぎらいと尊敬の思いが伝わりますように。

年齢と共に、その世界への関わり方を考えて行くことは、生き方の大切な部分ですね、キット。


年賀状の宛名印刷ができない
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失敗

2009年12月28日 | 雑談
今年も後わずかとなりました。時間の経つのが矢のように速いと痛感しています。浅田真央選手がバンクーバー行きを決めました。先立ってのグランプリシリーズでの絶不調に、心配もありましたが、誰もがホッとしたと思います。年齢制限の壁に阻まれて、トリノオリンピック出場が叶わなかったのが4年前ですから、えっあれからもう4年も経ったの?との思いがあります。当の浅田選手にとっては、長い4年だったのでしょうね。

生きている限り、好調な時もあれば不調な時もあります。スポーツマンにとっては、必ず襲ってくるスランプという魔物とどのように向き合い、どんな風に克服するかが、何より大切なテーマに違いありません。あのイチロー選手でも、WBCの時には絶不調に苦しんでいました。

現代の教育は、いつも失敗をさせないことに最大の努力が払われているような気がします。結果「失敗をしたことがない」子ども達が育ちます。「いじめ」はいけない…と、お題目のように指導が繰り返されます。が、本当の指導は、現実にある「いじめ」を皆が正視し、その卑劣さを知り、そこから立ち上がる勇気を学ぶことではないかと思ったりします。

パソコンの講座でも、最初の誘導時は、ヒタスラ丁寧に手順を説明しますが、次第にその誘導を控えていきます。ある場面では、無理やり「やって」いただきます。正解が分からなければ、立ちすくんでしまう人は意外と多いものです。失敗することの中から得られるものは意外と大きいものなのです。


比率計算をしても「1」になってしまう
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天網恢恢

2009年12月27日 | 雑談
「天網恢恢疎にして漏らさず」

鳩山首相の資金管理団体での献金事件で、元政策秘書が略式起訴の処分を受けました。このニュースをして、上記の感想を漏らされたコラムがありました。天の網は目が粗くて、悪事をお目こぼししてしまうようですが、悪いことは必ず発覚して、天罰を受けるものだという意味です。

正直な感想は、「天網疎にして漏れあり」? 世の中は、不正とされることが必ず発覚して、誰もがその報いを受けているかと言えば、実はそうでもなさそうな。「氷山の一角」といった表現が良く使われますが、多くの悪事が水面下に隠れていて、摘発されるのが逆にほんの一部のような…。

時間をさかのぼると、日本人の誰もが心の中に「善悪」の尺度をシッカリと持っていた時代はあったような気がします。社会的な制裁を受けずとも、人は自分の中にやましい汚点を持っている限り、毎日を穏やかに過ごすことはできませんでした。それこそが、「漏らさず」その報いを受けるという意味のような気がします。

現代は、きちんとした善悪の基準が希薄です。1つには世の中が複雑で、法律などが網の目のように張り巡らせているにもかかわらず(張り巡らされているからこそ?)、本当のところ正しいのか正しくないのかが分からない…ということも多いものです。中国のディズニーランドもどきには、誰もが呆れていても、巷に出回っている商品全てが合法とは限らない世の中です。本人が意図しなくても、著作権侵害など日常的に転がっていたりします。「悪いこと」をしている意識もなしに、不正な行為をしている場合も多いのです。

更に、不正を恥じる意識が希薄です。中には手柄話のように、不正を威張る人もいたりします。そして、それらの行為を咎めることが、大人気ないかのような雰囲気さえあったりして、言葉を呑む人も多いものです。

天網は「疎」でしかありません。だからこそ、私達の心の中に、きちんとした知識と、毅然とした姿勢を持っていたいと思います。



フチなし印刷をすると紙が汚れる
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桜の開花予想

2009年12月26日 | 社会派らぼ
気象庁が「桜の開花予想」を来春から行わないと発表しました。多分、世界中を見回しても、「桜前線」などといった気象用語?を持つ国は例を見ないことでしょう。固いばかりのイメージの役所が行うサービスとしては、なかなか洒落たものだったと思いますから、それがなくなるというのも少し寂しい気がします。

民間事業者も開花予想を行うようになり、その役割を終えたと考えている…というのが気象庁の言う理由です。確かに昨年度などは、民間事業者の予想と気象庁の予想が微妙に食い違い、話題になったことを思い出します。それらの発表を基に、春のイベントの日程を定めるような所もあるようで、かなりの混乱ぶりが報道されていました。このご時勢ですから、予想が外れたとのクレームも後を絶たなかったことでしょう。生活に必須の情報ではありませんから、気象庁がそのような判断をしても仕方がないのかも知れません。

「民」と「官」の兼ね合いはよく問題にされることです。「民」に任せることのできるものは「民」へ、といった傾向は随分前から強くなっていました。「協働」といったことも流行り言葉のようによく使われます。でもこの棲み分けを勘違いすると、とんでもない愚策になりかねませんから、心しておきたいと思います。

「民」は時に無責任です。気分に応じて始めたり、終えたりすることが勝手です。勿論「桜の開花予想」など、いずれ民間の会社が止めた時には、それに代わる会社が継続をすればよいだけの話ですし、複数の開花予想が混在する可能性も充分あり得ます。問題なのは、継続性に信頼度が足りない…という程度のことでしょうか。

「官」が手を引く際には、理由のかなりの部分を経済的なことが占めていたりします。その割には「民」の経済状況には心配りがありません。役所が「協働」などとこぎれいなことを言われても、結局は「民」に期待しているのは経済的な部分だけだったりして、正直興ざめをしてしまう場面が幾度もありました。逆のような気がします。「官」は必要なことには予算をキチンと組んで、その経済性と信頼度を支え、具体的な運用を「民」に任せて「民」の経済活動を支えてやる。

その為にこそ、私達は税金を払っていると思っています。民間の経済活動で支えきることの出来ない、本当に必要なこと、日本人の将来に関わる大切なことは何なのか、それを見極めてくれる政治を望んでいます。



表の角を丸くしたい
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アニミズム

2009年12月25日 | 雑談
この時期になると、毎年のように揶揄されることがあります。それは「クリスマスを祝い、除夜の鐘をつきつつ、初詣に出かける」日本人の宗教観の節操の無さです。宗教は戦を生みます。どこまで行っても相容れることの無い2つの宗教は、憎しみを生み、相手を威圧し組み伏せようとし、いつか宗教とは全く異なる次元の問題に発展し、解決がつかなくなります。

日本人の中に根ざしている宗教は、多分多神教なのです。あらゆるものに神が宿ると昔の人は信じました。山には山の、海には海の、森には森の…。アニミズムと呼ばれるのでしょうか。キリスト教こそが先進のものだとするヨーロッパの視点からすれば、アニミズムは原始的なものと多分分類されていると思います。が、日本人の根幹はそこにあるのだと思います。

欧米では「yes」と「no」をキチンと表現するのに、日本にはその文化がありません。どちらかと言うと、常に結論はもやもやと曖昧にしておいて、どうとでも解釈できるようにしておくことが好まれます。ですから、日本人の中ではクリスマスも除夜の鐘も初詣も、すべてがキチンと成立しているのでしょう。ですが、大半の人が気づいているように、それは宗教などという大層なものではもはやなくなっていて、単純にファッションかエンタテイメントになってしまっているみたいです。

日本人同士では何の違和感もない感情であっても、対・外国の話の時には、白黒の結論でのみ判断されるということもよく知っておく必要があります。




「元に戻す」と「Esc」の違いは?
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心あらたまる日

2009年12月24日 | 雑談
クリスマスイブの夜は如何お過ごしですか? 別段キリスト教を信じているわけでもなく、別段ロマンチックなムードを楽しむほどマメでもなく、いつもとこれと言って変わらない時間が流れています。それでも鶏のももにタレをつけて焼いてみたし、チッチャなケーキを買ってみました。それから、独立した子ども達にクッキーなど送ってみたりしました。かなり日本人的なクリスマスの夜です。

言うまでも無く、クリスマスと言うのはキリスト教ではイエズス・キリストが生まれた日です。カトリックの国であるスウェーデンでは、アドベント(待降節)と称して、その4週前から4本のろうそくを窓際に飾り、1週に1つずつろうそくに灯りを点して、その日を待ちます。要は心の準備を整え、心静かにその日を待つと言うものです。日本はカトリックの国ではありませんので、それがクリスマスでなくお正月なのですね。随分前からその日のために、周囲を掃き清め、(多分)身も心も新たにその日を待ちます。今でも年末年始は、生活の中で大きな行事ですから、心があらたまる気がしますが、きっと昔ほどにはピンと張り詰めたものではなくなっています。

子どもの頃は、学校がありますから、4月から3月までがワンセットになっていました。1年と言う単位がキチンとめぐって来ることで、新たな節目を作ることが出来ました。何かが新しくなったような気になれたものです。無条件に新しくなれる日というのは、少し魅力的な気がします。



VISTA仕様のダイアログボックス
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ネット販売

2009年12月23日 | 雑談
秋頃にとある商品を店舗で購入しました。この時は、知人に売っている店を教えてもらって買いに行きました。店頭で実物を目で見て、大きさを感じて購入しました。同等の製品が2社から出ていましたので、それも見比べて買うことができました。大きな商品でしたので、車まで運んで積み込むのはそこそこ大変でした。ところが故あって、この商品は人に譲りました。どうしても2箇所で必要な物だったので、後日もう一つ手に入れるつもりでした。

…と、今度はメーカーも商品名も定価もわかっている状態です。そこで今回はネットで手に入れることにしました。商品名が分かっているわけですから、検索は簡単です。勿論中古品なども手に入れることができますが、今回は新品で購入することにしました。そうですね。元々店頭で販売されていた価格は、定価とされていた金額の8割程度でしたが、ネット販売は更に店頭の7割程度の値段で手に入れることができるようです。商品の単価がある程度以上のものについては、配送料も不要。しかも2日程度でスグに入手可能とのことでした。代引きで注文しましたら、商品はスグに届きました。

大変便利で、しかも安価です。重い商品を玄関まで届けてもらえて、しかも安い。安く買える理由は、産地直送野菜と同じ理由でしょうか。中間搾取がありません。冒頭に書いたように、これが初回の買い物であれば、かなり冒険だったかも知れません。恐らく購入を躊躇すると思います。メーカーも商品名も使い勝手も全て分かっている為に、賢い買い物ができたようです。若干の代引き手数料を支払いましたが、ヤハリネットでの決済は未だにコンビニ決済や今回の代引き等の選択をしたいと思っています。万に一つのトラブルに出会わない為です。

商業と言うのは、販売者が卸売業者に売り、卸売業者が小売業者に売り…を繰り返す中、成り立っています。その間に商品の値段は少しずつ、利益が上乗せされることで、せり上がっていきます。結果、多くの中間業者さん達の生活が成り立ちます。以前の事故米の報道の時、転売・転売が一体幾つ組み合わさっているのかを間近で見聞きし、その巧妙なからくりにため息が出るほどでした。

私達は、たくさんの商品を、日本国中に散らばる多くの生産者に直接購入しに行くことは不可能です。物々交換の時代には手に入れることの出来なかった商品を、「商業」は津々浦々の小さな町の片隅にまで運んでくれます。それでも、これからの時代はネットでしょうか。究極に無駄を省くと、消費差者が直接生産者から入手することになります。すぐに全てがそうなるかと言えば、それはまだまだ遠い先に話です。それでも、インターネットと宅配業者が、これからのビジネスの1つの鍵を握っているのは確かでしょうね。


入れたはずの写真が大きくなっている
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2009年12月22日 | 命の生き方
誰もが自分だけは正しいと思って行動しているのでしょうけれど、世の中には価値観の異なる人が山と居て、正しいはずの言動がいつしか人を傷つけていることはしばしばです。人は誰しも、自分だけの価値観でしか物事を計ることはできないのですが、それは他の立場の人から見ると、全く正反対に近いとらえ方をされても不思議でもないのです。言葉は剣に似ています。刺すつもりはなくても、振り回せばいとも簡単に他人の気持ちを貫くことができてしまいます。

剣客はただ単に腕と力で剣を振り回す人ではなく、その剣先が行きずりの人には当たることのないよう、最大限の配慮を切っ先に込めることの出来る人のことを言います。立場を異にする人が聞いた時に、それがどんな風に聞こえるのかを知って、話すべきです。わけもなく人を傷つける言葉は使うべきではありません。自分の立場というのは、自分ではどんなに正しいと思っていても、それは単純にある1つの考え方に過ぎないことを分かっていなくてはなりません。剣を持つ者は、やはり剣の道を究めておかなければなりません。

言葉は選んで、人の魂の内側にそっと滑り込ませるように話さなければ、伝わらない気がします。あまりにも見かけだけの矮小なことで自身の心を惑わせるのは止めておきましょう。人間をやって○十年と経った「人間のプロ」なら、その話し方がどんな風に人を傷つけるのかを知っておきましょう。そんな風なことは、社会的な訓練の中で自然に学ぶことなのだと思いますが、現代人は社会的訓練が足りないのかも知れません。



データの間に1行ずつ挿入したい
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議論

2009年12月21日 | 社会派らぼ
多分、昔と比べると、世の中の価値観が多様化しています。様々な考え方が存在することは悪いことではありませんが、その分皆の合意ができにくくなりました。コペンハーゲンで行われたCOP15の会議が期待外れに終わったことでも良く分かります。世界中が不況の中、先進国や途上国、そしてそれぞれの国の思惑が異なり、それぞれがそれぞれの主張を繰り返すばかりでは、話し合いはまとまるはずがありません。

では意見が出なければ良いのかというと、そうでは決してありません。然るべき話し合いの場で、充分な議論が尽くされ、異なる意見の立場も互いに充分理解した上で、歩み寄るべきところは歩み寄って結論に至るというのが理想なのでしょうが、どうも世の中はそうは回っていません。

世の中、ある場面では「声の大きい」意見がまかり通ります。少々歪んだ意見であるにも関わらず「言ったもん勝ち」みたいな場面が少なくありません。それは多分、意見を出さない者のせいだったりするのですが、どうも日本人は自分の意見をキチンと言うことが下手です。井戸端会議のように、個々に話す話題の場合は、何かと言葉が飛び交うのに、イザとなると「別に…いいし」などと発言したがりません。せいぜいが小声で文句を言う程度であり、従って周りを封じ込めるかのような言い方をする言動を封じ込めることはできません。行き過ぎると「パワハラ」とでも呼ばれるのでしょうが、何せそのような威圧的な言葉には他を黙り込ませる凄みがあったりするものです。

そのような人を豪腕と呼ぶのかも知れませんが、それでは人心をまとめることはできません。議論は「勝った」「負けた」を競うものではなく、正論を正論として認める潔さが必要です。そしてどんな場面にでも、必ず正論をハッキリと唱える人が必要です。筋の通ったことをキチンと話す人が居て、皆がそうした意見にキチンと耳を傾けて、初めて議論は成立すると思います。


ズームスライダが消えた!
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