ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

ありがとうございました

2010年12月29日 | 雑談
今年も、後2日を残すのみとなりました。1年間、公私に渡り、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

世の中は不透明で、理不尽で、途方にくれるようなことで溢れています。それでも、世の中のことは、時計の振り子のように(もう、そんな時計は見かけなくなりましたね)、大きく揺れては必ず他方に大きく揺れ戻します。一方にひどく傾けば傾くほど、揺り戻すポテンシャルが高くなるはずなのです(本当はネ)。1つところに留まる時は、プラスにもマイナスにも力の加わらない0地点でなければならないはずなのです。だから、その揺り戻す自然の摂理を信じて、言い換えれば人間の力を信じて、諦めないでいることが大切なのかも知れません。願わくは、一方に振れ過ぎて何もかも焼き尽くす前に、自分達の力で戻りたいと思います。

人の一生は限られています。何歳まで生きられるかなどということは、誰にも等しく分かりません。ただ、どんな人にも必ず限りがあることだけが確かなことです。だから、どこまで何ができるのか、自分自身のことに関してすら分かりません。ただ、もうしばらく(笑)、想うものを追い続けていたいと思っています。来る2011年の歩みも、よちよちと頼りないものだとは思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

少し、宣伝を…(笑)
http://www.amazon.co.jp/dp/4862671012/
来年2/10頃、一冊の本が発売されます。私の夢は…本が創りたい…ということでしたし、今尚諦めたわけではありませんが、夢は口にしていれば必ず叶うというのは、こんなことだったのだろうかと、少し驚いてもいます。興味のある方は、又店頭でちょっと目に留めてやってください。

良いお年をお迎えください。


ワード2007での全画面表示
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ネット友情の輪

2010年12月28日 | 雑談
年賀状はもう出されましたか? 年末30日あたりに年賀状を作っている年もあったのですが、今年は既に投函しました。虚礼廃止…と言われながら、郵便が宅配に取って代わられる…と言われながら、年賀状を楽しみにする若い世代も少なくないようです。

とは言っても、年賀状は随分様変わりをしました。パソコンの普及で、誰にでも小奇麗に作れるようになりました。作成する年賀状のデザインを考える楽しみより、昨今はデザインを選択する楽しみに変わってしまった感があります。

そこへ持ってきて、当節はオンライン年賀状といったサービスが広がりつつあります。近年、年賀はがきの販売枚数は順調に(?)減少の一途をたどっていますが、JP日本郵便がネットサービス各社と組んで、2008年ごろから展開され始めました。昨年の利用は100万枚程度と言われ、今年は約3倍を見込んでいるのだそうです。個人的には、経費の面から考えるとなかなか利用をためらうものがあります(はがき代別で1枚78円程度)が、仕組み如何によって(広告代等)安く利用できる風になると、人気が出るかも知れません。

オンライン年賀状は、メール・SNSやツイッターなどと言った最近の付き合いの仕方に根ざしているもので、相手方の住所を知らなくても、郵送することができる仕組みになっています。ツイッターという付き合いの広げ方、付き合いの仕方には、大いなる疑問を感じています。一方で、スキャンダラスで醜悪な一面をさらけ出してはいますが、他方には静かに広がるネット友情の輪が確かにあります。

ネット技術は、人類が手に入れた「火」にも等しい発見だと、個人的には感じています。その「火」をどんな風に燃やし、どんな風に暖を取るか…で、私達の未来は左右されかねません。このまま行けば、個人を特定する個人情報の考え方そのものが、良いか悪いかは抜きにして、変わらざるを得ないような予感があります。


エクセルで描いた図形をワードで編集できません
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2010ハイライト

2010年12月27日 | 雑談
年末、どこの番組でも、似たような「2010○○」みたいなハイライトを流しています。毎年、こんなものかもしれませんが、どうも1年間がちぐはぐでばらばらな感じが否めません。世界がギクシャクしているせいでしょうか、民主党政権があたふたしているせいでしょうか、社会がざわついているせいでしょうか…。素敵な話も、頑張っている話も、あったかい話も、ここそこにあるはずなのに、大きなざわつきの中に埋もれて見えません。ピュアな想いに浸る暇がないといった感じです。

色々な話が聞こえすぎてくるせいでしょうか。情報化社会という風に呼ばれ、知る権利といった事が強く求められます。が、私たちが知りたいこと、知るべきことと、実際に知らされてしまう事の規模が違い過ぎるのかもしれません。

だから、氾濫する情報の中から、正しい情報を見分ける力、必要な情報を取り出す力を身につけなければならないということは、再三指摘されます。仮にそのような力を100%持っていたとして、それでも拾い上げるに忍びない多くの情報の渦は、見ているだけで私達の何かをそいでいく力を持っているような気がします。

加えて、最近は個々人が情報発信をする力を有していて、それが更に世の中の空気をどんよりさせることに繋がったりもします。僅かな情報発信とは言え、私自身も何かの匂いをネット上に発散する一人なのですから、ピュアな想いに浸れる発信でありたいと思います。





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片付け考

2010年12月26日 | 雑談
この頃、『断捨離』という言葉が使われます。身の回りに溢れるモノの多くは「今の自分」には必要のないもので、それらに囲まれていることで、人は知らず知らずのうちに「過去の自分」や「未来への不安」にとらわれているといった考え方を言うそうです。

そんな言葉とは間逆に、いやでもモノが増えていきます。ことさらモノへの執着心が強いわけでもありませんが、「いつか使うかも…」という思いには良くとらわれます。本もさして買う方ではないのですが、それでも増えていきますし、何より多いのが資料類…です。本はまだ、欲しければ買えば良いと思えるのですが、過去に精魂込めて作成した資料類はなかなか処分ができません。いつか使うかも…と思いながら使った試しはそんなにない(笑)。考えてみれば、自分が作ったものですから、又必要なら作れば良いはずです。

古くからの日本の住まい方というのは、1つ家に代々住み続けていくもので、古いものを家の中に置いておくスペースがありました。本を大切になさる方は、壁面一杯に作り付けの本棚などをしつらえて、本を収蔵されたりします。が、普通の家ではそうはいきません。出版される本も、今のように値打ちのあるものからないものまで、洪水のように次々溢れてくるわけではなかったかも知れません。少ないものを大切に収蔵し、古い家屋の中に先代、先々代の息吹が生きているような暮らし方が続けられてきました。

が今、そんな意味で、モノは次世代には伝わりません。家の中を小奇麗にして、あっさりと処分してしまうことが、モノにとらわれない生き方で、それは物理的に今の住環境では仕方のないことですが、考えれば、住まい方が変わることは、確かに生き方に繋がっているように思えます。数日あがいていますが、イマイチ家の中は片付きません。



小数点揃えタブって何ですか
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勝ち負け

2010年12月25日 | 雑談
「勝ち」「負け」という言葉を使いたがる風潮が世の中にあります。「勝ち組」とか「負け組」とかいうように、面白半分に分けたがる風潮です。多分「勝つ」とか「負ける」とかの言葉を使うのが不謹慎なだけで、自分の生き様に納得できるかそうではないかという言葉に置き換えれば、皆が考えていることかも知れません。つまり「勝つ」とか「負ける」を、誰か他の人に比べて使うのでなく、自分自身に対して使うとしたら、それぞれの思いの中に眠っている概念だったりするようです。

ただ、自分の生き様に納得できるか?という課題は、判断にとても迷うところがあります。期限をどこで切るか?によって、その答えは二転三転するものだから…です。ツイ最近も、そんな風に物事が展開するなど、10年前には思いもよらなかったことが進行していることを知って、少し驚いた経験をしました。ですから、10年、20年というスパンで物事を考えるのか、1年、2年で考えるのかによって、結論は違ってもくるのです。

本当のところ、そうしたことを評価する必要もないのだと思います。良く悟った人の言葉の中に、「一生を終える瞬間に、どんな風に思えるのか」が大切だと説くものがあるようです。が、それすら本当は必要がないはずだと思うのです。なぜかと言うと、「幸せ」というものは、結果として手に入れるものでなく、得たいと思う過程の中にしか存在しないもののように思うからです。

数学の世界というものは、正しいことの上に正しいことを積み重ねれば、必ず正しい答えに行き着きます。どんな風な積み重ね方をしようとも、過程をどのようにたどろうとも、必ず行き着くところは同じところに至ります。一つ一つの過程さえ正しければ。ですが、人生はそうは行きません。正しいことの上に、正しいことを積み重ねても、絶望にしか行き当たらなかったりもするし、正しいことの上に積むべき正しさが100通りもあったりするからです。だからと言って、自分にとってはこれで良かったのだといった風に、妙に悟ったような結論には至りたくありません。

何を目指していくべきか。いつまでに何をなすべきか…。多分、ある程度のスパンで切って考えることはとても大切なのだろうと、そんな風に思ったりします。




仕事中、すぐにデスクトップを表示させたい
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百年の計

2010年12月24日 | 雑談
この時期、来春卒業予定なのに、まだ就職が定まらない若者には、年末年始の浮かれ気分もそこそこにしか味わえないのではないかしら…と、要らぬお節介心がわいてきます。案外、今時の若者ですから、何とかなるさと悲観していないのかも知れませんけれどね。

就職の厳しさも悪循環を起こしているという批評も当たっているのかも知れません。この厳しい事情の中にあって、恐らく学生の一大関心事は就職であり、3回生からせっせと就活に励まねばならないようなご時勢とからしいです。ということは、最近の大学事情は良く知りませんが、専門の勉強を始めて間なしに、就活が本格化していくということです。学生は、当然授業もそこそこに、就活に励むことになります。また、最近の風潮として、企業側が求める人材は机の上の学問でなく、もっと人とのコミュニケーション能力に長けた学生であるといったノウハウが取りざたされていますから、一層学問よりもサークルやボランティア的なことに力を込めようとしてしまいます。結果、学生の質としては低下しているとささやかれますから、企業は更に優秀な人材を…と、就活の前倒しが起きていくことになりかねません。

私達の頃と大きく異なっているのは、ネットが著しく進化し、学生が個別に企業の情報も集められますし、更にエントリーも個々に可能になっています。ですから、一層、学生は大学とは無縁のところで、個々の就活に励むことになっていくようにも思えます。

一年の計は元旦にありと、良く言われます。その計を練る新年がもうすぐ来ようとしています。自分の計を描こうとしてみますが、なかなか仕事をどんな風に展開したいのか、具体的な言葉にまとまりません。やりたいことはあるし、考えなくてはならない方向もあるにはあるのだけれど、的確な形にまとまりません。

個人なら一年でしょうけれど、国家は百年の計を描かなくては成り立ちません。どうも、私たちは目先の「明日」しか頭になくて、もっと遠い将来を見通して何かをしなくてはならないような気がします。


ワードに挿入した画像が圧縮できない
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大掃除

2010年12月23日 | 雑談
今年の仕事が一段落して、やっと家の中でも片付けようかな…と。ただ、日頃の不精のせいで、どこから手をつければよいか(笑)。資料や本類が満杯状態になっているので、何とか整理をしようと手をつけたは良いものの、なかなか片がつきません。

思い切って処分しようと思い、古本で持って行ってもらおうと、玄関に山を作ったのですが、結局のところ、本棚はそんなに空きません。はて? 資料類も、使うことはないかっと思いながら、イザ捨てるとなるとちょっともったいなかったりして…。クリアファイルに1枚1枚収めてあると、それを1枚1枚抜き出す作業で疲れてしまいました。

今日は、それだけで終わってしまって、まだまだ掃除は山のように残っています。まぁ、少しずつ。本当は、資料も新しいものに作り変える仕事が山ほどあったり、既にいただいている新年度の仕事のための準備もあったりして。焦らない、焦らない。





写真画像の形状を変更する
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品位

2010年12月22日 | 雑談
調査捕鯨に同行した水産庁職員が土産の鯨肉を受け取ったとか、川の清掃職員が拾った現金を着服していたとか、相変わらずお粗末なニュースに事欠きません。そのことを思えば、尖閣諸島沖での漁船衝突ビデオ流出事件は、高い志の元に起きた事件と言えるのかと思います。

一昔前なら、三文週刊誌のネタにしかならなかったようなことを、ニュースが取り上げて騒ぐのもどうかという風に思いますが、酔っ払いの喧嘩が日本の伝統芸能に打撃を与えかねません。プロは、その一芸にだけ秀でていればそれで良いのではなく、あらゆる面においてバランスの取れた人間でなければならない、そんな風に思いますが、あらゆる面にバランスの取れた人間…という注文がとても難しい世の中になってしまいました。

中国という国が、今世界のトップクラスに躍り出ようとしていますが、強ければ良いという発想が、世界中に受け容れられるのかと言うと、そうとは思いません。ヤハリ、国もあらゆる面でバランスが取れていないと、世界中の尊敬を得るわけにはいかないようです。ガンダムの偽者が出現したり、海賊品が出回る温床であったり、隣国との境で船をぶつけてみたり…。一つ一つに関わっている中国人は、ほんの僅かな人なのですが、それが中国という国の印象の全てを作ります。

世界中の人が感じる日本という国が、どうぞ品位あるものでありますように。それは私達の日常と殆ど関係のない一握りの人達の手で壊されるているのかも知れないのですが、また一握りの人々の力で修復できるやも知れないのです。


ホームページを見ながら操作したい
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名前

2010年12月21日 | 命の生き方
落ち葉の季節が過ぎ去って、完全に葉を落とした木が寒さに耐える季節になってきました。落葉樹は、その色の変化が見事なものが多く、よくぞ日本に生まれた…と、改めて感動するような光景にもしばしば出会います。

が、実のところ、この落ち葉、なかなかの曲者で、気がつかないでいると、よそ様のお宅に多大な迷惑をかけていることがあります。枝の先が隣家に入り込んでいて葉を落とすのを、「枝があれば葉が落ちるのは当たり前でしょ」と言ってのけた猛者がいました。「落ちた葉っぱに名前が書いてあるわけじゃなし」。おいおい、それは逆の台詞でしょう? 他家の枝からの落ち葉を、「済みませんねぇ。」と木の所有者が頭を下げて来られた時の台詞です。名前が書いてあるわけじゃありませんし、葉が落ちるのは仕方のないことです、気になさらないで。それを、木の所有者の方が言うの?って、ちょっと思ってしまいました。きっと、こんな些細なことが隣家とのぎくしゃくに繋がったりするのでしょうね。

知識にも名前は書いてありません。特に知識などというものは、知っている人なら誰でも同じことを知っているもので、どうやってその知識を学んだかは知識の本質には不必要なことです。ですが、例えば他人のホームページを丸ごと写して、あたかも自分の所有している知識のように言うのは、それはキット違っています。

またまた中国で、偽ガンダムが出現したとやらで、日本のそれに酷似した雄姿がすっくりと立った写真が公開されていました。何でも注文どおりに出来上がらなかった…とかで、顔には覆いがかけられ、現在工事中とのことです。あのぉ、顔が似てたのでしょうか。。。恐らく中国の国には、それが一体何が悪いのかがキチンと理解されていないのでしょうね。でも、ツイ私たちも同じようなことをしてしまいがちだということ、忘れないようにしたいです。


ワード画面で写真が確認できません
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ひきこもり

2010年12月20日 | 命の生き方
取手市の駅前でバス乗客に切りつけたと逮捕された犯人は、ひきこもり生活をしていたとも伝えられています。「ひきこもり」は社会現象化して以来、確実に増えているようで、最近では次第に年齢層が上がっていると言います。(と言うか、ひきこもったまま、年齢を重ねたということでしょう。) ひきこもりが、病気なのか社会現象なのか…と言った論議が、役所を巻き込んで起こるほど、そうした人達は多いと理解すべきなのでしょう。

多分…、ひきこもっている人達の多くは、自信が持てないのだと思います。社会の価値観があまりにも一律で、一直線上に人を並べて、勝ったの負けたのとやりたがります。教育現場では「やれば、みんなできる!」みたいな掛け声が多く、できないのはやる気がないのだと決め付けられてしまいがちです。本当には、人間の才など同じなんてあり得ないのに、平等が行き渡り過ぎていて、皆が同じでないと許されなかったりするのです。そんな中、少しでも自分の容姿や性格、能力などに不安を感じたりすると、それがとてつもない劣等感に膨れ上がってしまいがちなのではないでしょうか。

人は何の為に生きるのか?といったテーマで、人が悩まなくなったような気がします。悩みは、もっと低レベルな、なぜ容姿が悪いのかとか、なぜ異性にもてないのだとか、なぜ人に嫌われるのかなどといった方向に向いていて、価値観が一律ですから、救われようがないところをさ迷わざるを得ないのかもしれません。

ひきこもりには幾つかの段階があるとされています。最初の混乱期を過ぎると、外には出なくなるもののそれなりに気持ちは安定していたりするようなのですが、こうではいけないと思う気持ちがやがて、ためらいながらも社会と関わる兆しをみせてくるといった…。但し、その関わり方が一歩間違うと、今回の事件のようになってしまうのかも知れません。

何より、人間は何の為に生きるのか?といった永遠のテーマを、もっと悩まねばならないのではないだろうかと思います。現代人は、すぐにハウツー本的なものに解決を見出そうとし過ぎます。問題集に解答があるように、ゲームのステージが上がるように、人生は一律ではないことを、もっとキチンと学ぶことが必要なのではないでしょうか。



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