ぱそらぼ (ぱぁと1)

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コロナ

2020年10月29日 | 社会派らぼ
フランスでは、コロナ感染拡大で2度目のロックダウンが行われていると報じられています。ドイツでも飲食店や劇場が閉鎖と発表されています。新型コロナウイルス感染第2波は、第1波より厳しく致命的なものになるといった報道も見られます。

これまでもサーズとか鳥インフルエンザとか、大流行してパンデミックになったら…という心配は何度もありましたが大事に至らず、今回の新型コロナもここまでの騒動になるとは誰も想像していなかったかもしれません。

感染症には最大の注意を払いつつ、一方で経済を回して行かねばならないとの配慮から「Go To」キャンペーンが叫ばれています。正直、自粛すべきなのか、日常を取り戻すべきなのか、誰もが迷いながら暮らしているのが現実です。国は、新型コロナウイルス感染防止を日常生活に取り入れた「新しい生活様式」を呼びかけています。

生活もそうですが、経済面で追い込まれている職場も珍しくはありません。日本経済が瀕死です。JALやANAといった航空会社やJR各社は外出自粛の影響をモロに受け、苦境に直面しています。勿論そんな大きな会社だけでなく、飲食業や観光業、小売業、それぞれに大打撃を受けています。病院すら、病院で他の病気に感染しないかなどの懸念から、患者が激減していると言います。

コロナが収束し、それぞれの場に人が戻り、経済が戻ることが待たれます。が、少し立ち止まって考えてみる事も必要ではないでしょうか。飛行機や新幹線に人が乗らなくなりました。本来なら、仕事で行き来しなければならないはずのところ、コロナ禍のせいでビジネスはリモートで済ませる事になったのでしょうが、逆に考えるならリモートで済ませることのできる仕事はたくさんあるのだという事ではないでしょうか。出勤せずにテレワークで仕事をする人も多かったようですが、逆に言えば仕事の仕方を見直すべきだという事ではないでしょうか。病院の受診者も減った…と言いますが、些細な症状なら、病院に行く事を我慢したわけで、つまりはこれまでが病院に行き過ぎだった…という見方もあります。

例年ならバスをチャーターして遠足に行っていたという保育園で、今年は歩いて近所の公園巡りをした…と言います。その方がずっと良くありませんか? 地域を自分の足で歩いて、秋の風を肌に感じ、金木犀の香りをかいで、ドングリを拾う。その方がずっと人間らしい…と思います。 

新しい生活様式というのは、単にマスクをしてビニールカーテンをひく事ではなく、割愛できる不要な行動を省き、文明の利器に頼らずに人の生きる力を見直すという事ではないでしょうか。

資本主義社会では、経済が全ての基盤としてシッカリしていなければなりません。ですから、一日も早く経済を立て直さなければ、国が傾いてしまいます。その一方で、資本主義は人間がたどり着いた最後の理想の制度だとは思いません。どう変化していくのかが問われているはずです。

五輪

2020年10月23日 | 社会派らぼ
一旦鎮まるかに見えたコロナですが、なだらかに下がって来ていたカーブはここのところ、微妙に上がったり下がったりしながら、下がるのを諦めたかに見えます。これが「コロナと共存」(with corona)という事でしょうか。冷え込んだ経済を何とか…と、「Go To なんとか」という呼び声は高いものの、多くの人が相変わらずの警戒モードと無防備の狭間で、半ば諦めのように活気を失っている感が否めません。こうなれば「人はどう生きるか?」みたいな信念が無いと、新しいことに挑む力が涌いて来ない気がします。

そんな中、来夏に延期されたオリンピックの開催が危ういといったニュースが漏れ聞こえています。IOCが政府や関係者に「東京大会中止を視野に入れるべきだ」との連絡をしてきたという情報で、真偽のほどは分かりません(32年再誘致の情報も…)。が、菅政権が「人類がコロナに打ち勝った証」としてと開催に前向きなのと裏腹に、国民の8割以上が開催をあきらめているといった意識調査の結果も報告されています。個人的には、コロナ対策をしつつ…の、五輪開催には無理があると感じています。

経費やその他現実的な事はさておいて、現在の世界はどこからどう見ても、「仲良く平和」には程遠いものがあります。コロナという人類共通の敵を目の前にして、足並みがそろわないこの状況で、テレビや新聞が大層に「世界の平和」を謳い上げる様が、美しくないと感じてしまうのは、コロナ疲れゆえの無気力のせいでしょうか。


ルール

2020年10月19日 | 社会派らぼ
男子テニスのサンクトベテルブルク・オープンで、トイレ休憩を取った選手が、コートに戻ってくる時間が遅い…とのことで、ペナルティを宣告されたというニュースがありました。コートに戻ると、遅延行為によりペナルティを宣告されたイバシカ選手は、激怒して絶叫して抗議をしたようです。この猛抗議が「試合の遅延」に当たるとして1ゲーム没収という結果に至りました。が、この試合1ゲームを失っても、格上選手を相手に勝利したということです。ルールはルール…というところでしょうか。

一方、池袋の暴走事故の公判では、被害者参加制度を利用する遺族が遺影の持ち込みを希望したものの、認められなかったというニュースもありました。11人が死傷したこの事件で、妻と娘を亡くした松永拓也さんは二人の遺影を持ち込みたいと希望しました。被害者参加人は、法廷では検察官の隣に座って、意見を述べたり被告に質問をしたりもできるようですが、傍聴席に遺影を持ち込むのは許されているものの、被害者参加人は持ち込めないのだという事でした。こちらもルールはルール。結局松永さんの母親が傍聴席で二人の遺影を持ったとありました。

どちらも、ルール通りに対処した審判や裁判所の判断は、決して間違ってはいないのだと思います。

細かいテニスのルールは知りませんが、主審はメディカルタイムアウトを主張するイバシカ選手に対し、メディカルタイムアウトでトイレに行くことはできないと説明、これ以上議論を続けると「試合の遅延」によって1ゲームを失うことになると警告もしたようですが、選手は抗議を止めなかったということです。

池袋暴走事故裁判では、被害者参加人の希望者が多く、検察官の隣に席が確保できないため、実際は傍聴席も被害者参加人席として確保したようですから、場所的に問題だったわけでなく、立場として「被害者参加人」は遺影を持ち込めないというルールに阻まれました。これまでも同様の持ち込み許可を訴えるケースは多く、その都度議論を呼んでいます。

ルールというのは、一体何のためにあるのでしょうか。不公平が生じないように、その場が混乱しないように…といった配慮が、明確なルール化に繋がって来たはずなのですが、一旦定められたルールはあくまでルールとして独り歩きを始め、そこには多分血肉が通わないものになる羽目になりがちです。

「大岡政談」という創作物の中で、大岡越前が行ったとされる裁判を「大岡裁き」といった風に呼びます。公平でなおかつ人情味のある巧みな裁判を行ったとする逸話は、実在の大岡忠相とは関係がないようですが、理想の判決として庶民の人気を博しました。今更それをせよとは思いませんが、ルールにはもっと血肉が通っていても良いのではないかと思います。

はんこ

2020年10月17日 | 社会派らぼ
はんこ

これまでからも行政のデジタル化が何度も課題に挙がっては来ましたが、業界からは印鑑存続を求める反対の声になかなか思うように勧められませんでした。菅内閣の河野太郎行政改革・規制改革相が、全府省に行政手続きでハンコを廃止するよう要請したことから、今度こそデジタル化に弾みがかかるかもしれません。もちろん、印鑑業界からは反発の声が上がります。

はんこの文化は元はと言えば、中国から伝わりました。歴史で習った覚えのある「漢委奴国王」と刻まれた金印は、日本最古の印鑑です。ところが中国には印鑑制度は存在していません。日本からはんこを導入した韓国では偽造問題が絶えず、廃止されました。現在では日本と台湾だけで印鑑が使われているようです。

日本では書画を作成した際、製作日や記名、詩文などを書きつけ、そこに印章を捺す習慣があります。落款と言われ、落款を含めて全体が作品とされます。陰(文字部分が彫り込まれるため白文字)と陽(文字以外の部分を彫り込むため朱文字)があり、大抵は上に陰、下に陽という組み合わせで二つ押されます。そうした印を作成する事自体も、創作活動の一部であり、他人ではない本人の作である事の何よりの証明となります。モノクロの世界にあってそこだけが朱である事は、ある意味で偽造を許さない、まさに本物であることの証明でもあったかと思います。(現代のようなスタンプ台の浅い赤でなく、深みのある朱肉の色は本物を感じさせます。)

石に印刀で、文字を彫り込んで行く行程は、なかなか根気の要る仕事で、力が入り過ぎると誤って彫り過ぎてしまいます。恐らくは、誤ってはみ出してしまった陰影などが贋作を見分ける手がかりともなるのだと思います。

印鑑文化は日本独特の文化で、無くしてしまう必要はありませんが、現代は「本人の証」であるという建前だけが生き残り、実際に使われているはんこは機械彫りの大量生産品であることが殆どです。正真正銘本人作であることの証に押された印鑑ですが、今ではそれほど本人確認を求める必要のない場面にまではんこが求められている気がします。「印を押す」という作業の中には、「覚悟を持つ」という側面があると思います。その覚悟がいつしか消えてなくなって、「見ました」の代わりに押されているような使い方になっていて、それならはんこは要らないのではないだろうかと思います。

それを生業としてきた方々には酷な話ですが、時代は進んでひとところにとどまりません。かつて繁栄を極めたものも、いつしか廃れていく運命にあります。印鑑の世界をもっと別方面に広げていく工夫や、印鑑の技術を使った他の分野への進出など、新しい時代に対応していく工夫が求められているのだと思います。

不正受給

2020年10月15日 | 社会派らぼ
いつの間にか…と表現するしかありません。暦は10月を迎えています。まだ2ヶ月半ばかり残ってはいますが、今年はコロナに明けてコロナに暮れる年となりそうです。

登録した県の新型コロナ対策パーソナルサポートからは、毎日のように〇名の感染患者が確認されました…というメッセージが送られてきます。第2波とされるグラフは、ピークを過ぎたかには見えますが、減りそうでなかなか思い切りよく減ってはくれません。それでも世の中は、徐々に規制が解除され、マスクやアクリル板が当たり前の生活にはなりましたが、賑わいは戻りつつある感じです。マスク生活は、正直すれ違っても「誰」なのかよくわかりません。相手の口元が見えない、つまりどんな表情をしているのかがわかりません。触れ合う事も御法度になっている時代を、子ども達がどんな風に生きて、どんな大人になっていくのか、皆目見当もつきません。

コロナで経済が冷え込んでしまいました。飲食業や接客業は、お客さんが来なければ、収入はありませんから、よほど体力がなければ持ちこたえることは難しいのも当然かも知れません。国は、このような苦境に陥った個人事業主などを支援する目的で「持続化給付金」を支給することを決めました。感染症拡大によって、特に大きな影響を受ける事業者に対して、事業の継続を下支えし、再起の糧とするため…として、中小法人には200万円、個人事業者には100万円が給付される仕組みだと言います。勿論、1ヶ月の売上が前年同月比で50%以上減少しているなど、満たさなければならない要件が定まっています。

個人事業主さんらにとっては救いとなるはずのこの給付金ですが、全国で不正受給が1000件を超えていると言います。不正受給者が逮捕されたことがニュースになったため、自分も捕まるのではないかと心配になって、相談してくるケースが多くみられると言います。自ら警察に出頭している人もいるようです。多くが「軽い気持ち」だと報じられていますが、虚偽の申請をしておいて、軽い気持ちも重い気持ちも無いというのが現実でしょうか。不正受給をそそのかす指南役がいて、搾取金の一部を吸い上げるといった構図ができているようなのですが、この指南役も大学生だったりして、仲間の学生に不正受給をそそのかしていたようです。

今回の措置は、困窮者を緊急に救う必要があったという事で、申請の審査や送金手続きなどの業務を外部委託したこともあって「国のチェックが甘すぎる」という指摘が相次いでいると言いますが、手続きがどうずさんであろうとなかろうと、軽い気持ちであろうとなかろうと、本来手にする権利を持たないお金を不正に手に入れようというのが、違います。軽いノリだと言いますが、物事の善悪の度合いも分からない学生は、学ぶ資格すら無いのではないかと考えます。

今回、経産省は「中小企業庁が調査を始める前に自主的に返還すれば、延滞金、加算金は求めない」という方針を明らかにしています。刑事罰については、経産省が決めることではない…という姿勢を示しており、警察の判断という事になります。現実に不正受給のケースが多すぎるため、詐欺の容疑がかけられても、起訴されるに至るものは悪質な例に限られるかと思います。

が「赤信号、みんなで渡れば怖くない」方式になるのは如何なものでしょうか。安易に自主返還でおとがめなしで、武勇伝にするのは違います。

いいね

2020年10月03日 | 社会派らぼ
アメリカのトランプ大統領夫妻がコロナウイルスに感染したというニュースは、瞬く間に世界中を駆け巡りました。折しも、約1月後に迫った大統領選挙の選挙運動中であり、大打撃とも言えます。当初、夫妻共に軽症でホワイトハウスで自主隔離とされていましたが、2日になって急遽、ヘリで軍医療センターに入院したと報じられました。慎重の上に慎重を期した措置として、元気である事が強調されてはいます。

第一報が、本人の「コロナの検査で陽性と診断された」というTwitterのようですから、これも現代的と言えるでしょうか。政治家の病気は、政治活動にとっては致命的であったりもする上に、大統領選の真っただ中。ですが、コロナ感染だけは隠しておくわけにはいきませんから、自分の口で語ってしまうのが一番という事でしょうか。ネット上では、各国首脳からの「お見舞い」も相次いでいるところも現代的。トップシークレットでもあるでしょうけれど、高齢で肥満というコロナ重篤化の要素を抱えているだけに、世界中が注視しています。

トランプ氏のツイートに対する反響が過去最大と言われています。ツイッターでは、他のユーザーが投稿したツイートに対して好意的な印象を持ったことを表したい場合「いいね」をすることができるようになっています。トランプ氏の感染を明かした投稿には3日夜で「いいね」が180万件を超えていると報じられました。Twitterには「いいね」しかなく、Facebookのように「超いいね」から「ひどいね」まで7段階もの反応が用意されていません。日本語訳が「いいね」なので(英語ではlikeでしょうか)、「コロナにかかった」「いいね」というやり取りに違和感がありますが、ニュースが報じるように「反響は早期回復を願う内容」である一方で、「これまでコロナを軽視してきたことへの皮肉」が込められている事も多少はあるようです。

このSNS独特の「いいね」マナーには、非常に違和感を覚えています。真にその投稿に対して共感を覚えているというわけでもなく、単なるあいさつ、儀礼的な要素が非常に高い印象を受けているからです。Facebookが近く、ニュースフィードから「いいね」のカウンターを削除するかもしれないという情報もあります。投稿者が「いいね」の数に影響されて、他のユーザーとの競争や自己検閲に陥る事を防ぐのが狙いだとされています。Instagramでは既に、「いいね」の総数ではなく、投稿者と友だち関係にあるユーザーが「いいね」をした事だけを表示するようテスト中だとも。友だちの「いいね」だからこそ、余計に儀礼的な要素も感じるのですが、少なくとも今の「いいね」の在り方に一石を投じる事に、「いいね!」を押したい心境です。

トランプ氏をはじめ、コロナに罹患して闘病中の方々が、一日も早く「生還」し、世界がコロナを克服したと言える日が速く訪れますように。