ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

便利

2021年06月09日 | 社会派らぼ
看護師が、宿泊療養施設の男性が携帯電話で送信した画像を見誤り、血中酸素濃度が重篤な状態だったのを見落とし、男性が死亡した…と京都府が謝罪しました。コロナウイルス感染拡大の中、血中酸素飽和度が重症化の目安となる…ということで、パルスオキシメーターがクローズアップされるようになりました。該当機種は酸素濃度と脈拍数が両方表示されるもので、ボタンを押すと逆方向からも見えるように、数値が上下反転して表示されるようになっていたため、看護師は酸素濃度と脈拍数を勘違いして記録したと言います。京都府では、表示切替機能のあるパルスオキシメーターの使用を中止しました。

コロナ禍で多くの命が失われる事になり、今現在も進行中の大きな災害であると考えるほかありません。大地震や洪水などで命を落とした方と同様、抗う術の無かった事態として、本人は勿論残された家族もただ唇を噛むしか許されない。そんな状況です。現場の医療関係者は恐らく疲弊しきっており、誰もこの看護師を責めることはできないと思いますが、看護師本人の気持ちを想像すると、複雑なものがあります。

多分、今回のミスは誰彼に責められる以前に、ご自分を苦しめるものになっているのではないでしょうか。もとより医療現場におられる方ですから、人の生き死にの場面には多々出会っておられる事とは思いますが、自分の単純なミスが死に繋がったとなれば、自分を責める事になるでしょうし、現場に居る資格さえないと自分を追い詰めることに繋がりかねません。

私たちの生活は、どんどん「便利」が追求されます。パソコンもその最たるもので、手間を省いて簡単にクォリティの高いものを手に入れることが目指されています。現代の暮らしにとっては当たり前、必需品ですらある家電も、人手をかけてこなすことが当たり前の家事労働の手間を省くために開発されてきたものですから、その「便利」がどんどん当たり前になって行きます。

「便利」が「当たり前」になることは、好ましい事なのですが、その陰で消えているものがあるということは、肝に銘じておかなければならないのでしょうね。コロナ禍で、患者が他者と接触することを極力避けることができるのも、こうした手軽に測定できるパルスオキシメーターの開発によるものでしょう。画面ショットを送るといった作業も、誰もができる簡単な作業です。簡単な日常だからこそ、うっかり思い込んでしまった…というのが今回の過ちに繋がりました。今ひとつの確認があれば問題はなかったと想像できます。JR運転士の「右ヨシ 左ヨシ 出発 進行」に似てるかもしれません。声に出して確認させることで、万一の不注意を防ごうというものでしょうけれど、それすら当たり前になって確認の気持ちが減れば、意味のない掛け声になってしまいます。

パソコンの世界は便利です。ボタンを押せば、すぐにクォリティの高い画面が手に入ります。でも…そこには、自分の意図を反映させる機会が含まれていない事、なぜこうなるのか、どうしてこうするのか…私たちが、声に出して確認して進めなければならない事が、多分たくさんあるのだと思います。

最前線の医療関係者の皆様、ひるまないでいただきたいと思います。細心の注意を払いながら、最善を尽くしていただいている事を、信じています。

オンライン会議

2021年06月03日 | 社会派らぼ
コロナ禍でリモートワークが陽の目を浴び、オンライン会議の市民権も日に日に大きくなっています。「緊急事態宣言」や「まん延防止等重点措置」、日常では聞くことの無かった言葉が当たり前のように、私たちの日常生活に入って来ました。
「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)委員会」もオンライン形式で行われた…とかで、報道された関連写真はオンライン会議の画面でした。

コロナ感染がなかなか収まりません。ワクチン接種が一番の話題となっている昨今です。多人数が密になることは避けたい。…と言って、全ての活動をストップするわけにはいかないからと、ビジネスの会議や大学の講義、多人数の会合などに、オンラインミーティングが取り入れられるようになりました。以前から「テレビ会議」などの名称で、技術は既に存在していましたが、技術開発も更に進みオンライン会議ソフトも次々進化したものが登場し、とても身近な技術になった感があります。

今はコロナ禍で、こうした技術に説得力があります。但し、一堂に会する必要がないこの技術は、コロナ後も多分一層進化し、随所で取り入れられていくと思われます。交通費がかからない、移動の必要がない、などのメリットは、捨てがたいものがあるからです。が、オンラインが当たり前になって行った時、そこにはメリットのみでなく、ディメリットがある事も確かで、未来は一層技術の進化が見込まれはしますが、そればかりに頼るのは多分違っていると思います。

人と人が生身で向き合う時の感性は、画面を通した温度とは根本的に異なるもので、どんなに頑張ってみても実体験を超えることはできません。画面の中の世界は、現実の世界と同様に見えて、実は平面の世界でしかなく、奥行きを持ちません。

ラインサービスが若い人たちの間に爆発的に広がって行った頃、既読になっているのになぜ返信をしない…といった些細な理由で、仲間外れにしたり、時に行き過ぎた事件に発展してしまった事もあり、おかげで、当初「ラインは怖いものだ」といった認識が、社会に広がった事がありました。若者たちの大きな間違いは、ラインのようなSNSを使って友人関係を構築しようとしたところにありました。友人関係はSNSを使って構築するものでなく、既に信頼関係がシッカリ作り上げられた同士が連絡を取り合う事にSNSを利用すべきだったのです。

それと同様に、初顔合わせ同士がオンライン上で、平面の顔を向き合わせても、そこに信頼関係が生まれるわけではありません。なまじ顔を合わせているため、実際に出会っているのと変わりないと思う勘違いが、いつか現実の食い違いを生む気がしてしまいます。人と人が生身の顔を合わせない事が、社会の通例となるのは、キット少し違います。

会見拒否

2021年06月01日 | 社会派らぼ
テニスの大坂なおみ選手が、全仏オープン1回戦に勝利。コート上でのインタビューに応じた後、試合後の会見は拒否しました。これに対し、約165万円の罰金が課されました。更に会見拒否を続ければ、多額の罰金及び出場停止もあり得るという見解が示されていましたが、大坂選手が2回戦を棄権すると発表しています。

大坂選手と言えば、元々は日米二重国籍。その後日本国籍を選択。全米オープン、全豪オープンの優勝者でもある女子テニスの第一人者です。これまでも、黒人差別への抗議活動のため、試合棄権を発表したり、犠牲者の名前を付けたマスクをして試合に臨んだり…、自身の考えを体現することをためらわない選手です。

今回の会見拒否宣言に対しては、否定的な意見も多いようです。現在はスポーツキャスターである松岡修造氏も「表に出て真意を説明して欲しい」としています。が、既に「アスリートの心の健康状態が無視されているような気がしている」といった事を訴えており、彼女の意図は明白であるような気がします。

これまで、様々なスポーツ選手は試合の後、記者会見に応じて来ました。悔しい敗戦を喫した後であっても、健気に唇を噛みしめて記者会見に応じている姿を私たちは何度も見ています。その言動は「気丈に応じた」などと報道され、ある意味で選手の好感度アップに一役買った場合も多々あります。

が、スポーツ選手は、類稀な才能であればあるほど、その世界に徹していただき、私たちは彼らの活躍に拍手を贈るだけで十分では無いかと私は思います。イヤ、プロ選手と言うのは、それで報酬を得ているわけだから、そうした会見に応じるべきであるとする主張は間違ってはいないのかもしれませんが、払われる報酬は「佳い試合」に対してのものであり、その人となりは雲の中であっても良いのかもしれません。しばしば「知る権利」と言う言葉が使われます。スポーツ選手のみでなく、犯罪に巻き込まれた人や犯人の身内、芸能人のプライバシーなどにずかずか踏み込むマスコミは、社会がそれらを「知る」事を欲していると言います。が、人には「知る権利」以外に、そのような報道自体に目をつぶる「知らされない権利」、更には当事者の「知られない権利」も存在するのではないでしょうか。

会見に応じなければならない、それは義務だとする組織や今の社会は、今回の彼女の意図を今一度、十分に考え直してみる必要はあるように思います。人はそんなには強くありません。様々な心の葛藤を知りたい…のであれば、まずは取材する側が取材される側の信頼を得なければならないのではないでしょうか。本音などと言うものは、いきなり向けられたマイクに対しては誰も語りません。言う方も聞く方も「きれいごと」のやり取りに終わるだけで、それを聞いて留飲を下げる事に、さした価値は見出しません。本当の思いは、ご本人の中に大切にしまっておけばよい…と私は思います。