ぱそらぼ (ぱぁと1)

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自らの光り方

2021年12月31日 | 命の生き方
2021年も後1時間ほどで、新しい2022年が明けます。

第5波と呼ばれた感染者の波がようやく引き、「やっと」の思いをあざ笑うかのように諸外国に「オミクロン株」が猛威を振るい、一旦「0」になったかに見えた感染者数が再び上がる兆しを見せています。社会的にはコロナに明けコロナに暮れた一年だったかも知れません。個人的にも大きな波がやっと引いて来たかのような位置に居ます。明けてくる新年が、すべての人にとって「復活」の年でありますように。

一年の総決算を振り返ろうかといった12月に事件は起こりました。当初は北新地のビル4階のクリニックから火が出て多数が心肺停止状態で搬送された…という火災ニュースでした。実はクリニックに通う患者の放火殺人事件だという衝撃的なもので、意識不明となった容疑者が入院先で死亡したと報道されました。

火災の翌日でしたから、ニュースはひっそり報道された感もありましたが、神田沙也加さんがホテルの高層階の部屋の窓から転落死した…と報じられたのも社会には大きな衝撃でした。何しろ、俳優の神田正輝さんを父に歌手の松田聖子さんを母に持つというサラブレッドでしたから、その七光りとプレッシャーに苛まれた人生であったろう…と誰もがその思いを何となくわかるような気がしたのかも知れません。

年末に立て続けに起こった事件は、閉塞感の2021年を象徴する事件だったのかも知れません。教育現場は、だから「命を大切に」が更に声を大にするところだろうと想像します。命は尊いものだから、自らの命を大切に、そして他人のそれも決して揺るがしてはならないものだと、今一度原点に戻って、子ども達に伝えていかねばならないと、決意を新たにしておられるところではないでしょうか。

ただ「命を大切に」といったお題目では解決しない問題のような気がします。放火事件の容疑者も、自死と断定するのは多少はばかられるのかも知れませんが沙也加さんも「死を選んだ」というより「生きていく方法が分からなくなった」のではないかと思うからです。

「命を大切に」というけれど、その「命」をどう生きていくのか…は、「それぞれの生き方がある」的な一般論でくくられて、実際に青春をかけて右往左往することが無いのが現代です。「自らの光り方」が分からぬままに、見かけだけを求める人たちがSNSにも多くあふれている気がします。とことん「生きる」事に悩む日々を過ごさず、自分軸の人生を描いて来た先は、その重ねた日々の分しか光らない。


新しい年には、これまでの何かを払しょくする力があります。2022年「自らの光り方」を探り、小さな何かが見つけられるとイイなと思っています。

一年間、大変お世話になりました。来る年がすべての人にとって輝かしいものでありますように。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

オタク文化

2021年12月07日 | 社会派らぼ
今や「オタク」文化は、日本の誇るべき財産となって、不動のポジションを獲得したようです。400億とも500億ともいわれる規模の市場を持ち、グローバルに発信されており、その高い作品性は世界に類を見ないものとなっています。日本のマンガ・アニメ・ゲームは、世界に通用する日本独自の武器なのかも知れません。

年配世代には軽んじられることも多い分野ではありますが、宮崎駿さんの名を出せば、単なる娯楽でしかないと思われているアニメを、メッセージ性の高い芸術にまで高められようとしているその動きを実感できるかも知れません。

スポーツでもそうなのですが、トップレベルの水準が上がるには、「その他大勢」が夢中になる広い裾野が必要です。強くもなんともない草野球のチームでどろんこになっている子ども達が多ければ多いほど、世界の「大谷翔平」が出て来る可能性が上がる…という図式です。裾野のくだらない(失礼します)マンガやゲームがあるからこそ、日本が世界に誇る文化が育つ…というわけでしょうか。

ゲームやアニメには、多分中毒性があります。(これも偏見でしょうね。)それは、ここでも何度か言ったことのある「受動脳」を助長するのではないかという懸念です。自身は、単純な頭の使い方しかしていないのに、外界からの刺激がどんどん内に入り込んで来るための充実感や達成感、時に感動とまで言えるほどの受け身体験に事欠かないため、自ら考えて動く能動性をいつの間にか失う…という危うさを感じます。無防備で居るのでなく、そうした事を念頭に置いておけば、きっと程よいバランスを保つ事もできるのではないかと想像します。ゲームやマンガが悪いわけではなく、その楽しみ方に気を付けるべきでしょうか。

ゲームやマンガは年齢を問いません。幼稚園児がゲームっ子になるのに、そんなに時間は要りません。若いお母さん方もそのあたりも心得ておられて、時間を決めて遊ばせる…とか、親御さんが認めたものだけ遊ばせる…とか、きちんと気を配られているようです。が、現実の子ども達は、どこまでが偽物でどこからが真実なのかをシッカリわかっているかというと、幼ければ幼いほどそこに明確な線は無いような気がします。要するに「竈門炭治郎」と「二宮金次郎」の区別がついていない…ということ。(今どきの子どもさんは二宮金次郎を知らないかもしれませんね)。「ポケモン」と「ティラノサウルス」がシームレスだということ。

大人になっても区別がつかない人はいませんから、いつかはわかる…わけで、それでよしとするのか、空想の世界ははっきりと空想だとわかっていて欲しいのか、これも意見の分かれるところでしょうか。「月光仮面」は実在しない…と知って夢中になったかつての少年たちとは明らかに違う世代が育っている気がします。