2021年も後1時間ほどで、新しい2022年が明けます。
第5波と呼ばれた感染者の波がようやく引き、「やっと」の思いをあざ笑うかのように諸外国に「オミクロン株」が猛威を振るい、一旦「0」になったかに見えた感染者数が再び上がる兆しを見せています。社会的にはコロナに明けコロナに暮れた一年だったかも知れません。個人的にも大きな波がやっと引いて来たかのような位置に居ます。明けてくる新年が、すべての人にとって「復活」の年でありますように。
一年の総決算を振り返ろうかといった12月に事件は起こりました。当初は北新地のビル4階のクリニックから火が出て多数が心肺停止状態で搬送された…という火災ニュースでした。実はクリニックに通う患者の放火殺人事件だという衝撃的なもので、意識不明となった容疑者が入院先で死亡したと報道されました。
火災の翌日でしたから、ニュースはひっそり報道された感もありましたが、神田沙也加さんがホテルの高層階の部屋の窓から転落死した…と報じられたのも社会には大きな衝撃でした。何しろ、俳優の神田正輝さんを父に歌手の松田聖子さんを母に持つというサラブレッドでしたから、その七光りとプレッシャーに苛まれた人生であったろう…と誰もがその思いを何となくわかるような気がしたのかも知れません。
年末に立て続けに起こった事件は、閉塞感の2021年を象徴する事件だったのかも知れません。教育現場は、だから「命を大切に」が更に声を大にするところだろうと想像します。命は尊いものだから、自らの命を大切に、そして他人のそれも決して揺るがしてはならないものだと、今一度原点に戻って、子ども達に伝えていかねばならないと、決意を新たにしておられるところではないでしょうか。
ただ「命を大切に」といったお題目では解決しない問題のような気がします。放火事件の容疑者も、自死と断定するのは多少はばかられるのかも知れませんが沙也加さんも「死を選んだ」というより「生きていく方法が分からなくなった」のではないかと思うからです。
「命を大切に」というけれど、その「命」をどう生きていくのか…は、「それぞれの生き方がある」的な一般論でくくられて、実際に青春をかけて右往左往することが無いのが現代です。「自らの光り方」が分からぬままに、見かけだけを求める人たちがSNSにも多くあふれている気がします。とことん「生きる」事に悩む日々を過ごさず、自分軸の人生を描いて来た先は、その重ねた日々の分しか光らない。
新しい年には、これまでの何かを払しょくする力があります。2022年「自らの光り方」を探り、小さな何かが見つけられるとイイなと思っています。
一年間、大変お世話になりました。来る年がすべての人にとって輝かしいものでありますように。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
第5波と呼ばれた感染者の波がようやく引き、「やっと」の思いをあざ笑うかのように諸外国に「オミクロン株」が猛威を振るい、一旦「0」になったかに見えた感染者数が再び上がる兆しを見せています。社会的にはコロナに明けコロナに暮れた一年だったかも知れません。個人的にも大きな波がやっと引いて来たかのような位置に居ます。明けてくる新年が、すべての人にとって「復活」の年でありますように。
一年の総決算を振り返ろうかといった12月に事件は起こりました。当初は北新地のビル4階のクリニックから火が出て多数が心肺停止状態で搬送された…という火災ニュースでした。実はクリニックに通う患者の放火殺人事件だという衝撃的なもので、意識不明となった容疑者が入院先で死亡したと報道されました。
火災の翌日でしたから、ニュースはひっそり報道された感もありましたが、神田沙也加さんがホテルの高層階の部屋の窓から転落死した…と報じられたのも社会には大きな衝撃でした。何しろ、俳優の神田正輝さんを父に歌手の松田聖子さんを母に持つというサラブレッドでしたから、その七光りとプレッシャーに苛まれた人生であったろう…と誰もがその思いを何となくわかるような気がしたのかも知れません。
年末に立て続けに起こった事件は、閉塞感の2021年を象徴する事件だったのかも知れません。教育現場は、だから「命を大切に」が更に声を大にするところだろうと想像します。命は尊いものだから、自らの命を大切に、そして他人のそれも決して揺るがしてはならないものだと、今一度原点に戻って、子ども達に伝えていかねばならないと、決意を新たにしておられるところではないでしょうか。
ただ「命を大切に」といったお題目では解決しない問題のような気がします。放火事件の容疑者も、自死と断定するのは多少はばかられるのかも知れませんが沙也加さんも「死を選んだ」というより「生きていく方法が分からなくなった」のではないかと思うからです。
「命を大切に」というけれど、その「命」をどう生きていくのか…は、「それぞれの生き方がある」的な一般論でくくられて、実際に青春をかけて右往左往することが無いのが現代です。「自らの光り方」が分からぬままに、見かけだけを求める人たちがSNSにも多くあふれている気がします。とことん「生きる」事に悩む日々を過ごさず、自分軸の人生を描いて来た先は、その重ねた日々の分しか光らない。
新しい年には、これまでの何かを払しょくする力があります。2022年「自らの光り方」を探り、小さな何かが見つけられるとイイなと思っています。
一年間、大変お世話になりました。来る年がすべての人にとって輝かしいものでありますように。これからもどうぞよろしくお願いいたします。