堺市の高校教諭が、給食のパンと牛乳併せて31万円分を持ち帰ったとして、減給3か月の懲戒処分になったというニュースが報じています。この教諭は「廃棄するのがもったいないと思った」と話しており、既に退職し、「31万円」は市教委に返還したそうです。
これに対し、余った給食を持ち帰ることが、そんなに「悪い」事なのか?という反論の声が、少なからず起きています。無駄に廃棄するよりよほど価値がある、先生の行為は間違っていない…など。世の中の評価に敏感な市教委は、今後もしかすると処分を撤回したいと思うようになるかも知れません。が、先生はあまりにも鮮やかに「退職」「返還」を実行されており、せめて社会が今回の処分自体を反省し、食品ロスの世の中に警鐘を鳴らすきっかけにすべきかも知れません。
先生が支払ったという「31万円」は、どこかに生じた損害額ではありません。先生が持ち帰らなければ「31万円」という金額が、どこかの会計に残ったのであれば、その損害を支払う必要はあるかも知れません。が、この先生の行為の有無に関係なく、この金額は存在しないものです。逆を言うなら、市教委に「31万円」を受け取る権利はありません。それは根拠のない収入であって、余った給食を市教委が31万円で「売った」事にならないのでしょうか。
ホテルなどで華やかに行われる結婚式の披露宴では、時に余った食事を持ち帰ろうとする高齢者がおられたりすると言われます。「もったいない」世代であれば、そう考えるのも自然なのかも知れません。が、食中毒などの心配から「絶対に」客に持ち帰らせてはならない事になっていると言います。スタッフは、招待客のそうした振る舞いにも瞬時に反応し、客を傷つけることがないよう注意して、未然に防ぐのだそうです。
今回の給食持ち帰り…も、食中毒という観点から、推奨すべきではないけれどと断りを入れて、対応を非難している意見もあるようです。ホテルの食事持ち帰りも、給食の持ち帰りも、万が一の「食中毒」の責任をホテルや給食センター側に求める事が間違いではないだろうかとも思います。それは持ち帰って食した側の責任です。校長に相談するなど…他の手段が必要であったという指摘もあります。勿論、現場の教師としてそうした働きかけは必要であったのは確かです。
給食で余ったパンや牛乳を、その場で「余っていてもったいないから、誰か食べないか?」と声をかけ、手をあげた者で分配していたとしたら、何ら問題は起こらなかった…と考えると、この先生の行為をあたかも窃盗のように言うのはおかしいのかも知れません。更には、学校給食そのものが、開始された当初の目的とは大きく方向が変わって来ており、高校と言う場で果たして給食支給が必要なのかといった事まで考え直すとすると、この先生には問題提起をしていただいたと感謝すべきなのかも知れません。
人が作り出した「ルール」という代物には度々考えさせられます。この先生を責め、糾弾しているルールは一体何者なのでしょうか。心をルールで縛ろうとする行為は、いい加減に終わりにしたいと思います。真心というものは、ルールではなく、心で理解すべき事柄です。
これに対し、余った給食を持ち帰ることが、そんなに「悪い」事なのか?という反論の声が、少なからず起きています。無駄に廃棄するよりよほど価値がある、先生の行為は間違っていない…など。世の中の評価に敏感な市教委は、今後もしかすると処分を撤回したいと思うようになるかも知れません。が、先生はあまりにも鮮やかに「退職」「返還」を実行されており、せめて社会が今回の処分自体を反省し、食品ロスの世の中に警鐘を鳴らすきっかけにすべきかも知れません。
先生が支払ったという「31万円」は、どこかに生じた損害額ではありません。先生が持ち帰らなければ「31万円」という金額が、どこかの会計に残ったのであれば、その損害を支払う必要はあるかも知れません。が、この先生の行為の有無に関係なく、この金額は存在しないものです。逆を言うなら、市教委に「31万円」を受け取る権利はありません。それは根拠のない収入であって、余った給食を市教委が31万円で「売った」事にならないのでしょうか。
ホテルなどで華やかに行われる結婚式の披露宴では、時に余った食事を持ち帰ろうとする高齢者がおられたりすると言われます。「もったいない」世代であれば、そう考えるのも自然なのかも知れません。が、食中毒などの心配から「絶対に」客に持ち帰らせてはならない事になっていると言います。スタッフは、招待客のそうした振る舞いにも瞬時に反応し、客を傷つけることがないよう注意して、未然に防ぐのだそうです。
今回の給食持ち帰り…も、食中毒という観点から、推奨すべきではないけれどと断りを入れて、対応を非難している意見もあるようです。ホテルの食事持ち帰りも、給食の持ち帰りも、万が一の「食中毒」の責任をホテルや給食センター側に求める事が間違いではないだろうかとも思います。それは持ち帰って食した側の責任です。校長に相談するなど…他の手段が必要であったという指摘もあります。勿論、現場の教師としてそうした働きかけは必要であったのは確かです。
給食で余ったパンや牛乳を、その場で「余っていてもったいないから、誰か食べないか?」と声をかけ、手をあげた者で分配していたとしたら、何ら問題は起こらなかった…と考えると、この先生の行為をあたかも窃盗のように言うのはおかしいのかも知れません。更には、学校給食そのものが、開始された当初の目的とは大きく方向が変わって来ており、高校と言う場で果たして給食支給が必要なのかといった事まで考え直すとすると、この先生には問題提起をしていただいたと感謝すべきなのかも知れません。
人が作り出した「ルール」という代物には度々考えさせられます。この先生を責め、糾弾しているルールは一体何者なのでしょうか。心をルールで縛ろうとする行為は、いい加減に終わりにしたいと思います。真心というものは、ルールではなく、心で理解すべき事柄です。