ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

給食

2019年12月26日 | 社会派らぼ
堺市の高校教諭が、給食のパンと牛乳併せて31万円分を持ち帰ったとして、減給3か月の懲戒処分になったというニュースが報じています。この教諭は「廃棄するのがもったいないと思った」と話しており、既に退職し、「31万円」は市教委に返還したそうです。

これに対し、余った給食を持ち帰ることが、そんなに「悪い」事なのか?という反論の声が、少なからず起きています。無駄に廃棄するよりよほど価値がある、先生の行為は間違っていない…など。世の中の評価に敏感な市教委は、今後もしかすると処分を撤回したいと思うようになるかも知れません。が、先生はあまりにも鮮やかに「退職」「返還」を実行されており、せめて社会が今回の処分自体を反省し、食品ロスの世の中に警鐘を鳴らすきっかけにすべきかも知れません。

先生が支払ったという「31万円」は、どこかに生じた損害額ではありません。先生が持ち帰らなければ「31万円」という金額が、どこかの会計に残ったのであれば、その損害を支払う必要はあるかも知れません。が、この先生の行為の有無に関係なく、この金額は存在しないものです。逆を言うなら、市教委に「31万円」を受け取る権利はありません。それは根拠のない収入であって、余った給食を市教委が31万円で「売った」事にならないのでしょうか。

ホテルなどで華やかに行われる結婚式の披露宴では、時に余った食事を持ち帰ろうとする高齢者がおられたりすると言われます。「もったいない」世代であれば、そう考えるのも自然なのかも知れません。が、食中毒などの心配から「絶対に」客に持ち帰らせてはならない事になっていると言います。スタッフは、招待客のそうした振る舞いにも瞬時に反応し、客を傷つけることがないよう注意して、未然に防ぐのだそうです。

今回の給食持ち帰り…も、食中毒という観点から、推奨すべきではないけれどと断りを入れて、対応を非難している意見もあるようです。ホテルの食事持ち帰りも、給食の持ち帰りも、万が一の「食中毒」の責任をホテルや給食センター側に求める事が間違いではないだろうかとも思います。それは持ち帰って食した側の責任です。校長に相談するなど…他の手段が必要であったという指摘もあります。勿論、現場の教師としてそうした働きかけは必要であったのは確かです。

給食で余ったパンや牛乳を、その場で「余っていてもったいないから、誰か食べないか?」と声をかけ、手をあげた者で分配していたとしたら、何ら問題は起こらなかった…と考えると、この先生の行為をあたかも窃盗のように言うのはおかしいのかも知れません。更には、学校給食そのものが、開始された当初の目的とは大きく方向が変わって来ており、高校と言う場で果たして給食支給が必要なのかといった事まで考え直すとすると、この先生には問題提起をしていただいたと感謝すべきなのかも知れません。

人が作り出した「ルール」という代物には度々考えさせられます。この先生を責め、糾弾しているルールは一体何者なのでしょうか。心をルールで縛ろうとする行為は、いい加減に終わりにしたいと思います。真心というものは、ルールではなく、心で理解すべき事柄です。

敬意

2019年12月24日 | 社会派らぼ
フィギュアスケート全日本選手権が終わりました。思う以上の結果を残せた選手も、悔しい思いを残した選手もおられる事と思います。試合…と言うのは、残念ながら結果が出てしまうもので、1位を期待された羽生選手は2位に終わり、復調した宇野選手が優勝を飾りました。五輪を二連覇した羽生選手の優勝を期待していた(らしい)メディアは、宇野選手の4連覇を報じたものの、記事は華やかさに欠けていたと感じたのは私だけでしょうか。

ニュースと言うのは、客観的に事実を報じれば良いものですから、記事の扱いに「華やか」も「地味」も本当は無くて良いのだと思うのですが、マスコミにはやはり思惑があるようです。そんな中、サンデーモーニングの司会の関口宏氏が、今回を最後にアイスダンスへの転向を表明している高橋大輔選手の14位という結果を「思い出作りみたいなもの」と発言して、ネットは騒然としています。オリンピック銅メダルをはじめ全日本選手権を5度も制し、日本の男子フィギュア人気をけん引した立役者に対し、あまりにもリスペクトが無い…と言うのが、その怒りの理由です。

スポーツ選手の引き時というのは、難しいと思います。多分、選手個人の持つ美学にもよると思いますし、年齢を重ねる事で、下り坂になる体力とどう折り合いをつけて行くかという難問が立ち塞がります。努力によって、体力や技術を維持、更に向上させることはできたとしても、いずれ容赦なく年齢はそれを奪っていきます。先般のザギトワ選手の活動休止宣言も複雑なものでした。彼女はまだ17歳と言う若さですが、15~6歳の「少女」たちが軽やかに身を回転させるのに比べ、年齢が容赦なくその体型を「進化」させる事に抗う事ができなくなった結果です。

そうしたアスリート達の、身を削るような想いに対して、私たち側を代表すべき「メディア」は、論評する立場には無い事を今一度、確認すべきではないでしょうか。今回の全日本選手権を羽生選手が制していたら…、多分報道は「美辞麗句」を連ねた華々しいものになったのではないかと想像します。結果を出せた選手にも、出せなかった選手にも、メディアが論評を加えて、正念場だの復活だの軽々しく言わないで欲しいと思います。誰もが努力を重ねています。才能に恵まれた者たちが必死に努力を重ねて、そして残った結果には、選手自身が一喜一憂しているはずで、それら全ての努力に、私たちは敬意を表すべきなのではないでしょうか。

<蛇足>
私はパソコン講座を、多分こよなく愛してきました。そのために、自分のありとあらゆる感性を注いできたつもりです。それでも容赦なく「年齢」という壁に様々なものを奪われて行くのが現実です。私が愛したパソコンは、単なるマシンではなくて、恐らくはそこに人間が介して初めて始まるものだと思っています。それとどこまで付き合って行けるのか、どうやって「年齢」と折り合いをつけて行くのか。未知なる世界でもあります。

プライバシー

2019年12月19日 | 社会派らぼ
元フジテレビの局アナだった笠井信輔氏は、今秋フリーアナウンサーになられたばかり…でしたが、悪性リンパ腫の罹患を公表。治療への覚悟を語られています。アナウンサー業界でのフリー転身は、所属していた局で成功し、かなり力を持たれた方が更なる上昇を目指して挑戦される場合が多いように思っています。勿論笠井氏も、更なる活躍が期待されていた方だと思います。病気の治療も、どんどん進化している世の中です。病を克服されて、又活躍される報を聞きたいと思います。

ただ「32年間、ワイドアナウンサーとして生きてきて、あらゆる有名人のプライバシーを自分の言葉で紹介してきた」経緯から、そうした「病状を話す義務がある」と言う風に語られた事については、引っかかるものがありました。確かに、笠井氏個人としての思い…と言うのは、トテモ共感するものがあります。人のプライバシーは洗いざらい報道しておいて、自分に関してだけは何も語らない…という図が、アンフェアでは無いと感じるのは、当然かもしれません。が、もっとその大元に戻って、「有名人のプライバシー」を報道したがるマスコミに問題があると感じます。笠井氏の個人の興味で報道してきたわけでは無く、テレビ局の報道姿勢を彼がアナウンスしたに過ぎません。

個人情報に関して、随分神経質な世の中になりました。個人情報保護法制定以来、例えば子どもの学校の電話連絡網も無くなりましたし(時代が、今更電話連絡ではなくなっているのですけれど…)、クラスメイトの住所なども伏せられています。長期休暇中に友人同士暑中見舞いや年賀状のやり取りもできない…とか(今更、そういう時代ではないのですけれど)。私は、住所や名前は公開情報だと考えています。表札を掲げて(そう言えば、表札を出さないお家も増えているのかも…。マンションの共同郵便受けなど、部屋番号しか書いていないところ、たくさんありますね。)暮らしているのですから。地域の活動風景写真に、子どもの顔が少しでも写ると、ナイーブになるご家庭も多いようです。その他大勢で写っているだけなのですけれど。。。。本当の個人情報と言うのは、そんな事ではなく、例えばその方の病状などを指すのではないでしょうか。そんなものを赤裸々に語る必要はありません。

一身上の都合で降板、病気で静養。その程度で十分です。政治家の方々にしても、そうしたプライバシーはあるはずだと思います。週刊誌やテレビなどは、人々に「知る権利」がある…と言った風に主張しますが、他人のプライバシーを知る権利など、もとより存在しないのではないでしょうか。自らおっしゃりたい方は別ですが、有名人だからと言って、マスコミが自宅前に群がってネタを漁る様は要りません。そうしたネタを報道したがるマスコミは元より、そうしたネタに群がる私たちに原因があるのは確かです。

笠井氏の一日も早い回復を祈っております。

入試改革

2019年12月18日 | 社会派らぼ
大学入学共通テストの記述式問題導入が見送られることになりました。文科相によると、導入の延期ではなく白紙という事です。もとより、今回の大学入試改革には、何の意味も無いと感じていたところですから、妥当と言えば妥当な結論かと思います。が、入試を受ける側からすると、振り回されただけというところ。プロのする事ではありません。有識者会議のメンバーがどなたなのかは知りませんし(発表はされているのでしょうけれど)、結論がどう誘導されたかの経緯も分かりませんが、もっと現場の事が良く分かっている人たちの意見が必要です。

英語のコミュニケーション能力が大切であるとか、暗記一辺倒でなく論理だてた考え方が必要だという点は、おそらく間違ってはいないと思います。教育とは、そうした能力の高い人たちを選抜する事ではなく、そうした素養を育てるところにあります。そして、そうした能力とは、公平に測る事ができるものではありません。記述式問題を出題したとして、公平な採点方法があるとすれば、正解があるという事になります。本当に大切な事は、あらかじめ定まっている正解を答えられる能力ではなく、オリジナリティの高い考え方ができて、それを理路整然と説明する事のできる能力…ではないでしょうか。

大学入試と言うのは、文科省が先陣を切って、統制すべきことのようには思いません。ここは、もう自由に、各大学が欲しい人材を獲得する試験を実施すればよいのではないでしょうか。欲しい人材の基準は、大学によってバラバラで良いと思うのですが。。。。但し、社会を混乱させるのは良くありません。大学入試改革を行う前に、高校の教育内容の改革が必須でしょうし、高校を見直すには中学、中学を見直すには小学校のカリキュラムから検討し直さなければならないように思います。

紡ぐ

2019年12月17日 | 社会派らぼ
ツイッターで「融資をする」と騙って、現金約200万円を搾取した…として、19歳の少女が逮捕されました。「融資額の1割を担保としていただく」ことが条件だとして、銀行口座に振り込ませるというのが手口らしいのですが、小学6年生を含む115人が計200万円をだまし取られていました。少女は、自分が同じ手口の詐欺に遭ったので、そのお金を取り戻したかったと言っています。

お金をそんなに簡単に借りられると思う人がいる事、子どもを含めてそんな話に飛びつく人がいるという事が、多分異常なのだと思います。115人から200万円ですから、ざっと割り算すると、1人あたり1万7千円。多額の人もいたでしょうから、多数の人は1万円弱といった程度の詐欺金額で、お手頃?だったせいで、騙される人も多かったのでしょうか。

19歳で(年齢には関係ないのでしょうけれど)、人からお金を騙し取ろうという発想が、寂しい限りです。人生はそんなに甘くはありませんが、19歳と言えば「これから」、将来の夢にあふれていてもおかしくはない年頃です。「夢は大きく」といった風に言われますが、最近は「夢のつむぎ方」を知らない人が多いような気がします。幼い間は、夢を描くのに何の躊躇もなく、無邪気に短冊に書いて吊るしていました。年齢を重ねるごとに、「どうせ」さして大きな事などできるはずがない、「きっと」このままさして良い事も起こるはずがない、と妙に醒めてしまいます。地に足が着いている…と言うのかもしれません。叶うはずもない夢を追うより、堅実になって行くということでしょうか。

夢は「描く」ものではなくて、「紡ぐ」ものです。絵空事のような「大きな」夢は、キットただの夢で終わります。もっと地道に、目の前の事に一生懸命相対しているうちに、そうした日々の中で見えて来て、育てていくものがキット「夢」です。お金とか地位とか名声とか、そういうものでないものが本当の夢です。そして、それは一方的に実現するモノなのでは無く、多くの人との関わり合いの中で、学び、高め、愛おしみながら紡いでいくもののはずだと思うのです。

グレタさんが描く夢に足りないものは、紡いでいくことの大切さ…のような気がします。一方的に人を切って捨てるのではなく、まずは自身が豊かさの中で生まれ育ち、今ある事の感謝の上に反省を積み重ねるのでなくてはなりません。そうした作業を「紡ぐ」と言うのではないでしょうか。

虐待

2019年12月15日 | 社会派らぼ
ハワイに拠点を置く団体がらみの、虚偽の虐待被害訴えが相次いでいるそうです。団体は10年ほど前から、悩み相談や自己啓発の指導を行っていたようですが、団体に通い始めてから、幼少期に虐待を受けたとの理由で、親に金銭を要求したり、親を提訴したりするケースが増えています。京都の宗教トラブルセンターに持ち込まれたこの団体に関する相談は、約30件と言われています。民事で争われたケースでは、過去の虐待被害は認められず、団体の主宰者らの影響とみなされたようです。どうやら、主宰者から繰り返し虐待について尋ねられ、金銭を要求したらいい…と、マインドコントロールされているようで、手にしたお金は団体の方に流れる仕組みになっているようです。

家庭内での虐待は、外からは見えにくく、子どもの命に関わるような虐待事件が相次いだことにヒントを得たのでしょうか。逆に考えるなら、その見えにくい虐待を主張しても、裁判所に退けられているわけで、この団体の犯罪は非常に稚拙な事が露呈しています。巧妙で恐ろしいオウム真理教ほどの器?でなかった事が救いです。

千葉県で女児が父親からの虐待で死亡した事件がありましたが、これまでからもむごい虐待によって幼い命が失われた事件は、絶えることがありません。救えるはずの命が失われた事への反省から、児童虐待防止法などに、親による体罰禁止が盛り込まれました。2020年4月から施行される予定です。民法で認められている「懲戒権」も見直しが検討される予定です。衆院本会議では、全会一致で可決されましたが、こうした問題は人権の観点から、反対できない事案のような気がします。

法律を改正する事で本当に、家庭内という外からは見えにくい場所の悲劇が防げるのでしょうか。露見した時に「しつけのため」という言い訳が使えない…といった程度の効果しかもたらさないのではないだろうかという懸念は消えません。

世の中で定められているルールの殆どは、然るべき理由があって、正しい目的のために定められたものです。が、「○○をしてはいけない」というルールを作っても、すぐに「××もしてはいけない」「△△もしてはいけない」と補わねばならないような事案が起きて、あれもダメ、これもダメ…とがんじがらめになって行くばかりだったりします。法治国家と言うと、聞こえはいいのですが、本当に大切な事が何であるのか?を見失ったままの放置国家なのではないでしょうか。

「親が子どもに無償の愛を注ぐ」時代になるべきなのに、このままでは子どもが親を「虐待」で訴えて身を守る世の中になっていきそうで怖ろしい気さえします。家庭という場所が密室にならないような社会の工夫が要るのかも知れません。

キャビア

2019年12月14日 | 社会派らぼ
人口孵化したチョウザメに、女性ホルモンを混ぜた餌を半年間与えて飼育したところ、全て雌化したという研究が報告されていました。キャビアの量産が可能になるのではないかと期待されていると言います。

チョウザメの稚魚は、孵化した時点では、理論上雌雄半々ですが、外観から判別することができないそうです。そのため、これまでは3歳に育った頃に、一匹ずつ開腹して雌雄を確かめ、再度縫合して養殖池に戻しているのだそうです。雄は魚肉として出荷するそうですが、価格は安く、全て雌であれば、手間もかからず高価なキャビアの安定出荷に繋がるというモノ。但し、現在のところは、女性ホルモンが高価であり、人体への安全性が懸念されることから餌に使うことが認められていません。安全な他の物質への代替が前提条件だとか。

研究は研究です。し、キャビアに心を躍らせる向きには、朗報かも知れません。…が、人間はなんと勝手な事をしているのだろうかと改めて思わされます。人が「生命」をいただいて生きていることに変わりはありませんが、自然をただいただくだけでなく、意のままに左右しようとしている事を、朗報だ研究だと言っているのは、どうみても人間のエゴです。

世の中には「珍味」と呼ばれるものがあり、簡単に手に入らない事から高値でやり取りされます。食べたい人は、多額のお金を払えば良いし、高いからこそ消費量も少なく、需給のバランスも保たれるというものです。無理に量産化して価格を下げる…のは、人間には朗報かも知れませんが、チョウザメさんには迷惑な話です。チョウザメの完全雌化は、いつか人間の男女産み分けにも繋がるような危うい匂いさえ感じます。

悲しみ

2019年12月13日 | 社会派らぼ
ニュースというのは、そういうものでしょうけれど、いわゆる三面記事に、「刺した」だの「殺した」だの…の記事が溢れています。こうして、全国規模のニュースとなるのは、起きている事件のほんの一部で、全国津々浦々で起こっているに違いない事件のことを思うと、人間とは…なんと浅はかな生き物なんだろうと、思い知らされます。野生の動物は、生死をかけて闘いますが、それは「生きていくため」の手段であって、無駄な殺生をしているわけではありません。

息子を殺害した罪に問われている農林水産省の元事務次官に対し、検察側が懲役8年を求刑した事が報じられています。弁護側は執行猶予付きの判決を求めており、判決は16日だそうです。「悲しい事件ではあるが、許されない」と検察が表現するように、「憎悪」や「悪意」を感じないのがこの事件の特徴です。ひたすら「悲しい」のです。

どのような結論が言い渡されるのかは、判決を待つしかありません。ただ、検察の言う「専門家に相談するなどの手段を尽くしたとは言えない」という点には、疑問を感じる人も多いのではないでしょうか。ネットでは、事務次官というエリートの矜持が、家庭内の事を他者に相談する事をためらわせた…的な批判も多く見られます。が、どこかに相談したとして、果たして救いがあったかどうかは疑問です。たくさんの悲惨な事件が起きています。社会がそうした追い詰められた人たちに差し伸べることのできる手が、果たしてあるのかどうか疑問です。こういう施設もある、こういう窓口もある…という事はできるでしょうけれど、世の中のしくみが彼の信頼を得ることができなかった事を、反省すべきかもしれません。

フィギュア人気

2019年12月11日 | 社会派らぼ
日本のフィギュアスケート人気はトテモ高い。浅田真央選手や高橋大輔選手、羽生結弦選手などが、華麗に舞って、表彰台の一番高いところに上ってくれる姿は、日本人としてのDNAを掻き立てるのだと思います。スポーツの世界では、やはり強い選手がいる事で人気が上がり、人気が上がる事で裾野が広がり、裾野が広がる事で更に強い選手を輩出する…という循環が不可欠だと思われます。

先日、イタリアのトリノで行われたグランプリファイナルでは、残念ながら期待の羽生選手も紀平梨花選手も優勝できませんでした。それでも、この二人が「次」に向けて熱いメッセージを語ってくれると、心のどこかがホッとするから不思議です。逆を言えば、どんな状況にあっても、弱音を吐くことが許されない彼らは、本当に修験者のようでもあります。

紀平選手が4位に沈んだばかりでなく、ロシアのザギトワ選手は最下位に終わりました。代わって1位から3位を占めたのは、同じくロシア勢。紀平選手とザギトワ選手が17歳で、表彰台に上がったのは15歳、16歳。特にフィギュアの女子選手は、年齢が大きく影響すると言われています。年齢がまだ幼くて身軽な間はポンポンと簡単に跳べたジャンプが、身長が伸びて身体が大人になって行く事で跳べなくなるというモノです。フィギュアスケートの世界は15歳以上がシニアと呼ばれ、13歳以上19歳までのジュニアとは一線が引かれています。身軽なジュニアクラスの選手が、15歳を過ぎてシニアクラスでポンポンと優勝して行き、逆にそれまで軽々とジャンプしていた選手が低迷するといった状態が続きます。

レスリングや柔道には、体重別階級制度が導入されています。身体の大小のハンディを気にせず、戦えるシステムになっています。本当はフィギュアも、年齢でなく身体によって、クラスを分ける必要があるのかも知れません。

それはともかく、グランプリファイナルの表彰台に上がったロシアの3選手の評判がイマイチよくありません。表彰台に上がる選手が備えていなければならないとする品格に欠けるという批判です。古代オリンピックの場では、身体能力を競うのに、要らぬ条件は存在しませんでした。強ければ良い、速ければ良い。…が、現代は薬物を使って運動能力を上げるとか、ユニフォームや靴、道具が進化して、公平性を保つという事自体が難しくなって来ています。

フィギュアで表彰台を独占するロシアが、夏季オリンピックから締め出されている現実があります。今はドーピングが問題になっていますが、いずれかつての水泳の競泳スーツのように、人間の身体能力を上げる様々な技術と、順位を競う大会とがどう折り合いをつけて行くのか、キットこれからもっと大きな問題になって行くのではないでしょうか。

2019年12月02日 | 社会派らぼ
日本の桜は美しい。どんな花も美しく花を咲かせますが、これほどまでに眩しいばかりの美しさは、類を見ません。妖艶に華やかにあでやかに…。咲き誇って、急いで散る桜に、日本人は特別な想いを見ているようです。

桜が美しいのは、誰にも異論が無いと思うのと同様に、首相の「桜を見る会」の参加者や使われている予算に問題があるのは、誰しも異論は無さそうです。元来、各界の功労者を招待していたようですが、いつの間にやら招待客数が増え、勿論それに伴って予算が増えてしまっているようです。招待客を選ぶ基準があいまいだとか、供応接待に当たるのではないかとか、ともかく政府も脛に傷を持つようで、早々に来年の会の中止を発表し、幕引きを図りたいようです。長期政権の淀み…と言えば、そうなのかも知れません。

ただ、「桜を見る会」の追及に必死になっておられる方々も、それはそれで、違うのではないだろうかとの思いは消えません。シュレッダー待ちがどうのとか、削除したデータ復元がどうのとか、挙句に視察団が山口県を訪れて、地方議員や住民へのヒアリングって、それ必要でしょうか。無駄と不透明さをさっさと認めて、来年だけと言わず廃止にして、お終いにして欲しい話題です。

実は、特定の政治的な事や、宗教的な事などは、書くつもりはありません。特定の立場から、ものを見たくはありませんから。でも、本当の政治って、もっと次元の高いものではないでしょうか。世界は混とんとしています。今ほど、互いが自国の利益だけを大上段に掲げ、品位を捨てて実利をとり合っている時期は無いかも知れません。38年ぶりに日本を訪れたローマ教皇は、世界で「相互不信が拡大しつつある」という表現をされました。「信頼関係と相互の発展とを確かなものとするための構造が必要だ」と説かれました。「無関心でいて良い人はいない…」と。そういう高い次元の政治をしていただきたいと切に思います。

何かしら、事が発覚したとたん(勿論、それは褒められた出来事では無いのですが)、口を極めてそればかりあげつらう…図式は、どこかで見たような気がします。今のネット社会です。批判するのに、わざわざ自分の品性を下げる必要は無いはずなのですが、なぜか「叩く」事が快感で、どんどん言葉をエスカレートさせていく。悪い事は悪い。間違っている事は間違っている。それでも、それをただ大声であげつらっても、生産的な事は何もありません。もっと前向きな議論に繋げるべきです。

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