ユーミンこと松任谷由実さんは、言わずと知れた日本のシンガーソングライターで、今なお第一線で活躍されています。彼女がパーソナリティーを務めるラジオ番組で、ダイニングテーブルを取り上げ、この場所を充実させればきっと幸せな気分になる…といった事を話されていました。…で、充実させるためには面倒な事が必要なのだといった趣旨の事を言っておられたようです。(聞くともなく聞いていた…のでニュアンスは少し違うかもしれません。)
面倒でも手間暇をかけることが、幸せに繋がるのだという事でしょうか。ダイニングテーブル周りの花も、プリザーブドフラワーだと手間もかからず、本物と見間違うくらいなのだけれど、本物の花にはかなわない。お惣菜も買ってきたパッケージのまま食卓に並べるなどという事はしないでくださいといった事を話されていました。
現代が目指すものは、いかにして「手間」を省くか…というところに尽きるような気がします。如何に人の手を煩わせずに、クオリティの高いものを実現できるか…に力が注がれて来たと言っても過言ではないかもしれません。そしてそれは一歩ずつ進化して来て、昔は人がすることが当たり前であったものが、今では当たり前のように機械がとって代わる時代になりました。洗濯機、掃除機、炊飯器、食洗機…昔の人が見れば口あんぐり…といったところでしょうけれど、現代人は昔の重労働だった家事から解放されました。駅の切符売り場や、改札口、言うならば水道だって電気だってみんなそうで、それが文明というもので、現代人の私たちはそうしたものの恩恵をフルに享受して、豊かな生活を送っています。人類の進化…というものは、今や宇宙にまでロケットを飛ばし、この先まだまだもっと未来へ向けて進化しようとしています。それは違っているとは思いません。それこそが、文明なのだと思います。
ただ一方で、手間をかけずに良いものが作れると思いこんでしまっているのは、それはユーミンの指摘を待つまでも無く、少し違うのではないかと思います。パソコンで言うなら、例えば…写真の加工のような場面で良く思います。パソコンなのだから、ボタンを一つ押せばあっという間に芸術的な写真に早変わりするのではといった感覚に知らないうちに陥ってしまいます。ポスターデザインも、テンプレートのようなものを落として、題名だけチャチャッと書き換えれば、見場の良いものがあっという間に出来上がるという感覚です。でもそうして手間をかけずに作ったものが、本当に良いものかというとそれは違います。他人の眼はごまかせても、自分の感性はごまかせません。文だって、書だって、苦も無くスラスラ書けるわけではないのです。
本当に、良いと思えるものにするには、地道な試行錯誤がどうしても必要だという事を、一方で分かっているはずなのですが、現場ではツイチャチャッとと思ってしまいがちです。一部の特殊な才能の人はともかく、本当に良いものに仕上げるために人が払っている目に見えない時間と努力の積み重ね。それを感じる力が必要です。それを知っていれば、自分ごときがチャチャッと良いものを手にすることなどできないことも、当然の事として分かるはずだと思います。良いものにする…には、面倒な手間暇がどうしても要るのだという事を、忘れてしまわないようにしたいと思います。
面倒でも手間暇をかけることが、幸せに繋がるのだという事でしょうか。ダイニングテーブル周りの花も、プリザーブドフラワーだと手間もかからず、本物と見間違うくらいなのだけれど、本物の花にはかなわない。お惣菜も買ってきたパッケージのまま食卓に並べるなどという事はしないでくださいといった事を話されていました。
現代が目指すものは、いかにして「手間」を省くか…というところに尽きるような気がします。如何に人の手を煩わせずに、クオリティの高いものを実現できるか…に力が注がれて来たと言っても過言ではないかもしれません。そしてそれは一歩ずつ進化して来て、昔は人がすることが当たり前であったものが、今では当たり前のように機械がとって代わる時代になりました。洗濯機、掃除機、炊飯器、食洗機…昔の人が見れば口あんぐり…といったところでしょうけれど、現代人は昔の重労働だった家事から解放されました。駅の切符売り場や、改札口、言うならば水道だって電気だってみんなそうで、それが文明というもので、現代人の私たちはそうしたものの恩恵をフルに享受して、豊かな生活を送っています。人類の進化…というものは、今や宇宙にまでロケットを飛ばし、この先まだまだもっと未来へ向けて進化しようとしています。それは違っているとは思いません。それこそが、文明なのだと思います。
ただ一方で、手間をかけずに良いものが作れると思いこんでしまっているのは、それはユーミンの指摘を待つまでも無く、少し違うのではないかと思います。パソコンで言うなら、例えば…写真の加工のような場面で良く思います。パソコンなのだから、ボタンを一つ押せばあっという間に芸術的な写真に早変わりするのではといった感覚に知らないうちに陥ってしまいます。ポスターデザインも、テンプレートのようなものを落として、題名だけチャチャッと書き換えれば、見場の良いものがあっという間に出来上がるという感覚です。でもそうして手間をかけずに作ったものが、本当に良いものかというとそれは違います。他人の眼はごまかせても、自分の感性はごまかせません。文だって、書だって、苦も無くスラスラ書けるわけではないのです。
本当に、良いと思えるものにするには、地道な試行錯誤がどうしても必要だという事を、一方で分かっているはずなのですが、現場ではツイチャチャッとと思ってしまいがちです。一部の特殊な才能の人はともかく、本当に良いものに仕上げるために人が払っている目に見えない時間と努力の積み重ね。それを感じる力が必要です。それを知っていれば、自分ごときがチャチャッと良いものを手にすることなどできないことも、当然の事として分かるはずだと思います。良いものにする…には、面倒な手間暇がどうしても要るのだという事を、忘れてしまわないようにしたいと思います。