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ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

2015年03月31日 | 雑談
ウェブページ全体をキャプチャーしたい

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ネット

2015年03月28日 | 社会派らぼ
我が家には、今テレビがありません。地デジに移行した際に、当面不便を感じるまでテレビを止めてみたところ、全く不便を感じないで今に至ります。新聞は購読しています。が、恐らく新聞購読を止めても、さして不便は感じないと思います。実際、世の中の傾向もテレビや新聞離れが、若い世代を中心に進みつつあるようです。テレビで活躍しているタレントもどうやら世代交代が進まず、40~50歳といったキャスターが今でも活躍している風に見えます。

勿論、これらのメディア離れが進むのは、ネットがそれだけ普及してきたからに他なりません。広告費の推移が顕著で、テレビやラジオ、新聞や雑誌が横ばいかもしくは落ち込んで来ているのに対し、ネットの広告費は10年足らずで倍増しています。今では放送局が番組コンテンツをネット配信するサービスも出現して来ており、むしろテレビがネットと一体化しようとしていくのかも知れません。ともかく、ネットの時代です。

そんな時代ですから、ネットサービスは充実の一途をたどっており、実に色々な事が居ながらにしてできるようになってきました。トテモ便利になったものだと思います。ただし、良く指摘されるように、ネット上には管理者が存在しません。それぞれのコンテンツはそれぞれが管理しているだけで、実際には善意のものも悪意のものも玉石混淆であるのが現実です。合法・非合法が入り混じったとてつもなく大量の情報が、予備知識を持たない人たちの前に広がっているのです。You Tube等にアップされている楽曲であっても、権利を持っているところがアップしている場合と、そうではない違法のものとが混在しているのです。

悪意なく、これらを区別せず視聴している人はたくさんおられます。そして悪意なく、これらをパソコンに保存したい…とおっしゃいます。最近は「違法アップロード」を啓発する場面にも多く行当るようになった気がします。それでも、黒か白かあるいはグレーか、ユーザーが自分自身で、自分の行為が理解できていないのが現実です。黒をくぐり抜けて白と言いくるめるのは、実体を知っている人だけで、そんなケースは言語道断ですが、その多くが微塵も自身の行為を疑わない人たちの善意の違法だったりするのが、何とも割り切れません。法律の整備ではなく…、もっと根本的な解決ができないでしょうか。



画像のサイズ変更時、角のハンドルを使っているのに、縦横比が狂う

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選挙違反

2015年03月27日 | 社会派らぼ
統一地方選が近づいて、選挙の立て看板が立てられたり、政党の街宣車が走っていたり…俄かに町は忙しくなりつつあります。ここ滋賀県では、知事選は行われず、県議会議員選挙が4月3日に告示される予定です。

…ということは、現在はまだ「告示前」ですから、「政治活動」をすることはできても、「選挙運動」をすることはできないはずです。実際、選挙運動と政治活動の間に線を引くことは難しい部分もあってツイ曖昧になりがちですが、「特定の選挙について、特定の候補者の当選を目的とする行為」が選挙運動です。

我が家に今夜、一本の電話がかかりました。「○○党」からだと名乗った電話は、「今度県議会議員の選挙が告示されますが、○○××が立候補を予定していますので…」と続きました。「まだ選挙は始まってはいませんよね。」と軽く応じたところ(実は、それで気づいてもらえるかと思ったのです)、「4月3日に告示されて県議会議員選挙が始まるのです。それに、○○××が立候補を予定しております。」と説明が続きました。どうやらこちらが選挙が行われることを知らずにいた…風に、勘違いをされたようで、日付もシッカリとおっしゃった上で、○○××は…と続きます。「今、こういうことはダメなのではないですか?」と更に返答したのですが、電話の向こうからは、「だから、今回の県知事選に、○○××が…」とひるまれる様子もありません。そこで、申し訳ありませんでしたが、「失礼します」と切らせていただきました。

「告示前ですから、選挙運動をすることはできないはずですよね」と言った風に、説明をした方が良かったのだろうかと一抹の後悔が頭をよぎります。いつも、こうしたフライングは目にしているような気がするのですが、これと言った対処が取れずにいます。告示前なのに、候補者の名前を連呼する街宣車が走っていたり、駅前で立候補予定者が名前を叫んで「ごあいさつ」に立たれていたり。以前は投票日当日に、候補者名を名乗って選挙に行くよう、電話がかかった事もあります。「今日は選挙です。必ず投票に行きましょう」といった選挙管理委員会の街宣車が回るのは分かるのですが、候補者名を名乗っての電話は、選挙運動としか思えません。

金品の受渡があったりするような選挙違反は、さすがに取り締まっているのでしょうが(だろう…、であって欲しい…と思っているばかりですが)、小さな選挙違反は取り締まりも行えないくらい蔓延している気がします。しかも…今日の電話と言い、何年前だったでしょうかね、上述の投票日当日の電話と言い、かけている運動員の方に、全くと言ってよいほど罪悪感がありません。選挙運動ができるのは、告示日が済んでから、投票日の前夜までと理解しているのですが、これが違っていますか? 立候補される方は、「運動員が勝手に」とおっしゃるのでしょうけれど、ヤハリ○○××の方には、絶対に投票はしないと思います。



インターネットエクスプローラを起ち上げると、タブがたくさん開いてきます

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デザイン

2015年03月26日 | 雑談
実は…、複数画像のレイアウトが自動でできる…という触れ込みのエクステンションを落としてインストールしてみたのですが、数回で飽きました(笑)。スマホにも、写真画像を簡単にコラージュできるアプリを入れていますが、こちらも数回使ったっきりです。確かに便利ですし、可愛らしいものがワンタッチで作れたりはするのですが、こちらも1~2度壁紙を作ったのに使った後、随分放置しています。

某新聞社支局に、記事を自動でレイアウトしてくれるソフトがあったそうです。トップ記事だけを据えたまま、他の記事を自在にレイアウト変更できるという優れもので、新聞づくりに威力を発揮してはくれたそうですが、これも結局誰も使わなくなった…とコラムにありました。こちらも定まったレイアウトでは飽きてしまうとの事でした。

時代は、便利な方へと流れています。パソコンにも「ひな形」が多く用意されていて、少し手を加えるだけで出来上がってしまうようなやり方が好まれます。簡単な操作で、いっぱしのレイアウトのものが仕上がるところが受けているのだと思いますが、私はヤハリあまり利用する気になりません。それよりは、時間をかけて、手間暇をかけて、作りたい方です。たくさんのひな形は、トテモ参考になりますから、そういう意味では有難い機能です。

デザインは嫌いではありません。センスはさして持ち合わせてはいないし、最初はそこそこ張り切るタイプですが、後は面倒になって妥協で終わるのが関の山なのですが、それでもワンタッチ便利アプリより、楽しめる気がします。何でもかんでも、ボタンを一つ押せば出てくる時代というのは、チョット悲しい気がします。誰が作っても同じでは、つまらないですからね。



システムの再セットアップの画面が出た

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第一人称

2015年03月24日 | 命の生き方
人は「第一人称」でものを考え、「第一人称」で行動せねばならない…と考えます。

チュニジアの博物館で、武装集団が外国人観光客らを銃で襲撃。日本人3名を含む19名が死亡、24名が負傷するという事件がありました。負傷者の中の日本人女性は、手記を発表し、事の経緯を説明し、それ以上のメディアの取材を暗に自粛するよう結んでいます。手記中、NHKで流れた自身のインタビューや、朝日新聞の強引な取材申込にショックを受けたと綴られていました。

NHKの取材も、朝日新聞の取材も、記者にすれば当たり前の話で、公的な発表のみではなく、当事者の生の情報が欲しいという事だったのだろうと思います。こうした事件発生時、現地の記者は勿論現場に駆けつけての情報収集が課せられているはずで、怠ったとしたら、記者としては懲戒ものかもしれません。様々な事件が起きる度に、こうしたメディアの取材は、「一般視聴者の知る権利」と、「当事者の心情」との間で、常に波風が絶えません。

今回の取材に限らず、どんな仕事であれ、どんな場面であれ、その行動の原点には「何のために」という明確な理由が欠かせません。何のために行動しようとしているのか、自分なりの明確な意志を持って、事に当たらねばならないと思うのです。「視聴者のために」で代表されるような、自分以外のヒトにその理由を帰属させるのは、多分違っているのだと思います。人は、第一人称で行動の理由を持つべきだと思うのです。

最近は年齢を重ねたせいで(笑)、以前より拒絶感は減りましたが、私は「ボランティア」という言葉が好きではありません。本来の言葉自体に原因があるわけでは無く、随所で繰り広げらている「○○のために」が、好きではないのです。人は第一人称で行動すべきだと強く思っているからです。誰かのために行動するのでなく、自分が目指すものは何なのかが明白でありたいのです。

事件の度に奔走する記者たちの苦労は並大抵のものでは無いと想像します。但し、記者個人として、自分の報道活動の原点に据えているモノは何なのかをキチンと把握しておかなければなりません。戦火の中を駆けねばならない理由、傷ついた人にマイクを向けねばならない理由、それらを第一人称で心に据えていなければ、人は心を開かないと思います。


数式バーが無くなりました

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フィルター

2015年03月21日 | 社会派らぼ
通販サイトの「楽天市場」が、損害賠償を求める訴訟を起こしました。楽天は、5段階で商品を評価しコメントも投稿できる「みんなのレビュー」を提供しています。口コミ情報として、買い物時に参考にされることが多々あります。そのレビューに、虚偽の投稿が繰り返されていることが判明しました。121もの出店者が、高評価の投稿をするよう業者に依頼をしており、業者がまとめて大量投稿していたようです。150件ごとに8万円という契約で、判明分だけで11万件以上とされています。楽天市場の規約では、自作自演の投稿が禁じられており、「公正なサービスを妨害された」という主張で投稿業者が訴えられました。

楽天の言い分は尤もなのですが、現状ではこのようなステマ(ステルスマーケティング)を規制する法律がありません。これまでも、この種の「やらせ投稿」は再三問題になって来ています。が、一方で「言論の自由」に抵触しかねないと、未だ直接規制する方法がありません。今回、楽天が訴えたのは、投稿の依頼業者では無く、投稿を請け負った業者の方です。一部の出店者とは、既に契約を解除しており、その事で損害が生じたとの訴えのようです。自作自演の投稿が禁じられているのは、楽天の規約上の話で、法律ではありませんから、この請け負い業者に非があるかと言えば…、楽天に勝ち目があるわけでも無さそうで、提訴する事で問題提起を狙っているのかもしれません。

私たちの生活には、ネットが隅々にまで入り込んで来ています。確かに便利なのですが、ネット上の情報は全てがふわっとしたもの(?)で、そこに確たる実体がありません。それでも当初は、ある程度信頼のおける機関などが、キチンとまとめたHPが見受けられたのですが、今では殆どの情報源を個人的な口コミに頼っている…という印象があります。正しくは、キチンとしたHPの数は変わってはいないのだけれど、圧倒的に個人の提供する情報が増えたということなのかも知れません。

一つひとつには、キチンとした根拠もなく、説得力のある理論もなく、ただの個人の感想に過ぎないようなものなのですが、それらがたくさん集まったところに、ふわっとした根拠のない事実が見えてくる…そんな感じがあります。もしかすると、それこそがインターネットの魅力なのかも知れないとは思いながらも、書籍が低迷している昨今、本当に確かな情報をキチンと収納するデータベースをどこかに作る必要があるような気がします。

ふわっとした、掴まえ所のない情報の海に、時折非常に鮮烈なプロパガンダが混じっているのが、今のネットの現状です。折しも、オウム事件から20年と言うことで、あれほどの大事件がなぜ起こってしまったのかを検証する記事があちこちに見受けられます。どれもが核心を突いて、警鐘を鳴らしているようで、何ら打つ手を持たないのが現状です。膨大な情報に社会としてフィルターがかけられない以上、フィルターをかけることができるのは、今のところそれぞれの個人でしかありません。フィルターが正常に働かないと、オウムの二の舞がどこかで起きる危惧は拭えません。ふわっとした情報は、フィルターにかけてキチンと精査する必要があります。



図をまとめて選択したい

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遺せるもの

2015年03月20日 | 命の生き方
「端正な」と評される上方落語の第一人者、人間国宝でもある桂米朝さんが89歳で亡くなられました。心よりご冥福をお祈りいたします。衰退していた上方落語を復権させた救世主として功は長く語り伝えられることになる方で、落語会はもとより各界から惜しむ声が寄せられています。

伝統芸能からミュージシャン、更にお笑いに至るまで、ひとくくりにして良いのかどうか分かりませんが、数少ない(?)品のある方だったように思います。残念ながら、寄席などで落語を最初から最後まで聞く機会というのはあまりなくて、テレビで放映される断片的な「しゃべり」しか聞いたことはありません。むしろ、関西ローカルのミニ番組「味の招待席」でのタキシード姿と柔らかな語り口が印象に残っていたりします。(師匠には大変失礼な言いぐさで申し訳ありません。)人を笑わせるのに、品位をかなぐり捨てている今どきの芸人さんたちとは、一線を引いておきたい気がします。

文化勲章受章者で人間国宝でもあったその「芸」のみでなく、数多くの弟子を育てたという意味でも、落語界に大きな功績を遺した方です。人の生は限られていて、必ず終わりを迎えます。その姿が消えたとき、どれだけの生き続けるものを遺せるか…が、その人のスケールを語る尺度なのかも知れません。



使用量を示すバーの赤い色を消したい

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広告のない町

2015年03月19日 | 雑談
Nicolas Damiensというフランスのグラフィックデザイナーが、「Tokyo No Ads」という作品を発表しておられます。Nicolas氏は、フランスの広告代理店で、アートディレクターとして8年間働いた後に、独立して、奥様とデザイン事務所を起ち上げました。氏の発表した「Tokyo No Ads」は、東京のh町の写真から、看板や広告の文字をすべて消し去ったもの。現状の写真と文字を消し去った同じアングルの写真が対比させてあります。

建物のたたずまいは同じでも、広告の文字が一切消えると町は一度に静かになります。写真ですから、元々音声は入ってはいないのですが、まるで今まで喧騒な音が聞こえていたような錯覚を起こすほど、町は途端に沈黙してしまいます。

広告そのものがアートであるという考え方はあります。もしかすると、あまたある広告や看板の中には、膨大なデザイン料がかけられているものもあるのかもしれません。でも、隣にどんな広告が来るのかまで考えたデザインではありませんから、それぞれがてんでバラバラに自己主張しています。

それが東京と言えばそれまでなのでしょうけれど、ヨーロッパの美しい町並みのように、町全体をトータルコーディネイトすることができればチョット素敵かも知れません。


見開き印刷のページ組がずれてしまう

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2015年03月18日 | 命の生き方
人間の性というのは哀しいもので、どこかで薄々気がついているように、どんな時代になっても、いじめも○○ハラも無くなりはしません。人とは本当に進歩のない生き物だとつくづく思わざるを得ません。実に心の弱い生き物なのです。但し、減らすことはできるのではないかとは思っています。人間は心の中に、非常に貧しい部分を抱えてはいますが、それでもそれを克服することを自らに課す理性も、同時に備えているはずです。

「個性」という名のもとに、時に私たちは、自分の心の貧しさをそのままで、他人にぶつけてしまってはいないでしょうか。下手すると、自分だけは…と、突出した自己愛が強すぎて、気づかぬうちに周りを見下げていたりもするものですが、大人になればそれを諌めてもらえるチャンスは皆無に等しくなります。人間はでこぼこしているものなのですから、色々な欠点も仕方が無いと受け容れざるを得ません。私自身もそうやって、社会に受け容れてもらっていることを忘れないようにしたいと思っています。それでも、身勝手な「個性」だとか「自由」だとかを振り回す前に、自分には無いモノを備えている他人を尊敬し、巧くコミュニケーションを取って、「人として」揺るがぬ誠実さを習得することの大切さを、かみしめておきたいものだと、強く思います。

何よりそれは、幼いうちから学ばねばならないもので、大人になってから「変化」するには、時にハードルが高くなってしまいます。本物のコミュニケーション能力を磨かせる以前に、社会は、子ども達に「型」を押しつけ過ぎているのかもしれません。多くの人間がいるわけですから、何かにつけ、ある一つの基準で評価し、数値化して並べる事は仕方のない事ではありますが、うまく習得できない原因は一人ひとり異なっていて、大人がどうアプローチするかによって、習得の成果は大きく変わるはずなのです。今、大人の方々を対象に、パソコンの説明している時でさえ、習得の壁になっているモノは、実は人間力の違いだったりする事を痛感しています。大人になってしまうと、自らの壁を克服するには、多くの困難を伴います。もっと、人生の初期の、頭もココロも素直で柔らかい間に、自分の壁が何であるかを認識し、他を尊敬することを覚え、自らの壁を一つひとつ克服していく術を学ぶことが、後々の人生にはトテモ大切であること。改めて見直しておくべきであるようなような気がします。



A4見開きのインデザインファイルを、縮小して印刷したい

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