先日、小学校でタブレットパソコンを活用した授業を見学させていただく機会をいただきました。中高齢世代が右往左往している間に(笑)、次世代の教育現場にはしっかりとタブレットが導入され、子ども達はすいすいと機器を使いこなしています。これからの時代には、こうしたツールは避けて通れないわけですから、それらを活用した教育というのは、それだけで意味があるかと思いました。
但し、機器に慣れるという意味合いなら、もう既に目的は果たしているわけで、現場ではより教育効果を上げることを考える必要があると考えます。タブレットを使うというだけの授業では意味がありません。タブレットを使うことが、そうではない場合に比べて、より教育効果を上げなければならないはずです。
タブレットなどのツールを現場に持ち込むことによって、教師の質を補う事ができると考えているのであれば、キットそれは大きな間違いです。確かに、タブレットの中のアプリに準備されている教材を使えば、先生は復習用のプリントを作る必要がありませんし、どの先生が使っても同じ効果が得られるはずです。…が、それは、タブレットを教師にするという誤りの第一歩のような気がするのです。
パソコンは私たちの日常生活の中に必須アイテムとして、その立場を得ました。パソコンが使えなければ、就職にも不利とされています。(現代は、スマホに頼る比率が高くなっており、若い人のパソコン離れが指摘されているようですが。。。。)一時ほど、パソコンスクールも華やかではありません。当たり前のツールになって来たからでしょう。スクールでは人件費の節減目的で、「ビデオ学習」が取り入れられているケースが目立ちます。受講者はモニター2つの前に座り、一方のモニター画面に表示される「説明」を見ながら、もう一方のモニターでパソコンを操るというやり方です。勿論教室に先生は配置されており、質問があればいつでも聞いてください…という体制が取られています。
確かに人件費の節約に繋がります。インストラクターによって教える事に差が生じません。ですが、ビデオ学習は、学習者のどこに原因があるとか、操作過程に不味い部分があるといった事は、判別できません。結果さえ正しく導くことができていれば、それはその単元を「理解できた」という事になってしまうのが、一番の落とし穴です。
小学校の教育現場でその愚を再現してはならないと思います。教育現場で第一に求められることは、試験の点数を上げる事に集約されています。単元が理解できていれば、試験には正答することができると考えるからです。国内・国際を問わず学力テストで何位であったといった事が取り沙汰されます。そしてそれは恐らく大切です。理解の不十分な子ども達は、試験に高い得点を取ることができないからです。
…が、教育で一番大切なのは、得点の先に繋がる世界だと私は思っています。ん十年生きてきて、日々様々な事に接していく中で一番大切な事は、物事を「順序立てて理解」し、物事を「順序立てて正しく伝える」能力ではないだろうかと思うのです。事に接して、ただ感情的に声を荒げるだけでは、事は解決しません。順序立てて物事を理解し、解決に導く正しい道筋を描いていける事と、それをきちんと筋を通して伝えていける事。それらが欠けているために、事態が混乱している現場を何度も見ています。瞬時に正しい答えを選択できることを教えるのが教育ではありません。理解力と表現力を養うことが、小学校の大切な教育の本質だと、そう思っているのですけれど。
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