ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

2021年11月29日 | 命の生き方
今年もあと1か月となりました。早かったのか、遅かったのか…という感慨さえなく過ぎた日々のように思います。

新聞やニュースは、望むと望まざるとにかかわらず、様々な「死」であふれています。命の灯が静かにぽったりと落ちるようなものから、非業の死に至るまで。どんなに科学が発達しても、この大きな大宇宙の中で、一つ一つの生命というものは、有限で、その大きな時の流れの中に飲み込まれていくようなものだという他ありません。そう言いつつ、それぞれの「死」には、主体であるべき当事者がいて、その個々人からすれば、天地がひっくり返るほどの「一大事」を私たちは生きています。

ある人が「人の晩年は、その人が『どう生きたか』で定まる」と言っていました。生きてきた集大成が「晩年」なのだと。ここでいう「晩年」は、決して病を患っているか否か…でなく、金銭に苦労しているか否か…でもなく、介護をする人がいるかいないか…でもなく、偏に心美しくいられるか否か…といったことを指しているのだと思います。

非業の死や理不尽な死が、そこここに散在する世の中ですから、彼の言っていることは半ば当たってはいませんが、それでもキット魂が救われるような高い見地から眺めると、そうなのかも知れません。狭い了見の中にしか価値観を見出せず汲々と生きて、良い人生だった、これはこれであり…だったと思う幸せは、きっと真のものではない…というのが、彼の言う正解でしょうか。

今年も多くの魂が鬼籍に入られました。それぞれの「人生」に敬意を表したいと思います。そしていささか遅きに失しているかも知れませんが、真摯に生きたいと思います。

将棋

2021年11月13日 | 雑談
14歳2か月という史上最年少でプロデビューした藤井聡太氏は、あっという間に王位、叡王、棋聖の3冠を獲得し、四冠目になる竜王に挑戦。四戦連勝でタイトルを手にされました。もちろん史上最年少のぶっちぎりの記録です。おめでとうございます。コロナ、コロナ…で、世の中が停滞している感が強い中、誰しもの心が少し踊るニュースです。

何より、ご両親の教育のおかげなのか、師匠の薫陶のおかげなのか、傲慢さを微塵も感じさせないところに好感を抱きます。勝率や最年少記録、タイトルに関心を寄せる世間とは別次元にあって、「強くなる」ことだけを目指している…という彼の姿勢が、生涯崩れないことを願います。

将棋も門外漢です。が、駒の並べ方と動かし方程度は、子どもの頃に教わった覚えがあります。7歳と5歳の姉弟に尋ねられたので、簡単な動きを教えたところ、あっという間に将棋にはまったのは意外でした。ゲームのようなビジュアル性や効果音などが全くない世界なのに、小さな子どもをが魅了されるのが不思議ですが、当面飽きないようです。一つひとつの駒の動きに別個のルールがあって、敵陣に入ると「成る」事で力が倍増す…など、初心者には初心者なりの楽しみ方があるようです。

ニュースとは無縁の子どもですので、藤井氏の活躍に感化されたわけではありません。これが将棋が長く愛されて生き残ってきた魅力なのかと漠然と感じます。少なくとも「受動脳」では無さそうなので、いつまでこのブームが続くかわかりませんが、当面楽しめたら良いなと思っています。まだまだ「漢字」の知識が無い5歳。「信用金庫」の看板に「金がある!」(うんうん)「角もある!)(えっ…?)。「用」の漢字が「角」に見えたらしい。「安全」標語にも「金がある!」(惜しいっ。「全」は「金」の点々がないよぉ)

ウィズコロナ

2021年11月07日 | 社会派らぼ
新型コロナウイルス感染拡大で経済は大打撃を受けました。これに伴い、昨年度には「特別定額給付金」として、国民一人当たり一律10万円の給付が行われました。しかし感染はなかなか収まらず、政府・与党が「18歳以下の子ども1人あたり10万円相当支給」を検討しているといいます。

もちろん、対象となる世代からは「あれば助かる」という声が上がる一方で、結局は貯蓄などに回る可能性も高く、消費を喚起するというより国の借金が増えるだけなのではないかという声も少なくはありません。コロナのせいで収入が激減して困窮している人々はおられると思います。今回の措置が所得制限なしで、コロナのおかげで収入が激減したわけでもなく、ある程度の定収入が確保されている家庭にまで行き渡るというところにきっと多くの人が違和感を覚えているのだと思います。

「新型コロナウイルス感染症生活困窮者自立支援金」「新型コロナウイルス感染症対応休業支援金・給付金」など、長ったらしい名称ですが、それぞれに応じて申請の手続ができるような支援金・給付金もあるように聞いています。こうした制度は、申請する側からすると「手続きが面倒」、給付する側からすると「審査が面倒」という事でしょうか。だから手っ取り早く、一律配ってしまえという事になっているのでしょうし、公平な審査というのがおよそ現実的ではない事なども、簡単に想像がつきます。

ただ、結局は「お金」なのね…という仕組みそのものが、なんとなくそれで良いのだろうかと気にかかります。結局は「お金」なのです。ですが、以前の社会には、「お金、お金…と言わない」妙なプライドが存在していました。「武士は食わねど…」の世界です。諸手を挙げてそれが良いというわけではないにせよ、算盤勘定でもみ手をしている様を卓越した生き方…が認められていた時代でした。子どもにも、金銭教育より自立して生活する術を教えることを優先させた風潮が、今は進んで「お金教育」をすべきだという世の中になっているように感じます。正しい金銭感覚を養うことはとても大切なことですが、世の中にはお金以上に大切なこともあるということが、子どもにも伝わる世の中であって欲しいと思います。

一律、子どもに給付金を配る代わりに、例えば給食費を徴収せず、国が給食業者に直接支払うとか、学校が家庭から徴収している事業費の一部を補助して、家庭への請求金額を抑えるなど、別のやり方があるようにも思います。

日本ではコロナが鳴りを潜めて来てはいます。が、ヨーロッパでは感染が再拡大しており、まだまだ予断を許さない状況かと思われます。「With Corona」の時代が始まっていくのだとしたら、一時的な給付金を配って何とかする…のでは無理なのではないでしょうか。