ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

…講座について

2007年08月31日 | アイボ
「アイボの勉強会」2日目。ご都合がつかなかった方が少しおられたのが残念でしたが、取りあえず無事に終了しました。有難うございました。もっと時間があれば、課題を実習していただくことができるのですが、あのくらいで精一杯でした。

一時の「パソコン講座」ブームはとりあえず一段落して、最近は、使うくらいは何とか使えます…と言われる方が増えました。もちろん、若い時にそうした機械が普及していなかった中高年齢世代はそうはいきませんが、若い世代・仕事世代には行き渡ってきた感があります。

ところが…、「取りあえずは使えるよ」というレベルにはかなりの開きがあって…。再就職支援のセミナーを担当すると、「使えるんだけれど」「就職活動中というアピールのため」受講される方がおられたりします。初日の朝は「実は、知ってるんだわ」と余裕で構えておられても、講座が進むにつれ「仕事をしている時に、聞いておきたかった」と大変熱心な受講者に変身されるケースがあります。それは、当方の講座が、ごく普通のパソコン講座とは違っているからでもありますが、「取りあえずは知っているよ」という方にこそ、聞いていただきたいといつも思います。

一方で、一般的に実施されている講座だと、特に若い世代は「ワード・エクセル」では、今更?という気がしないでもありません。今尚「若年者対象」ということで、国の予算を使って「就職支援」のための講習が無料で実施されていますが、少し見直してもよいのではないでしょうか。就職のための支援であるにもかかわらず、実際は就業者が受講していたり、妊娠されて退職前の受講だったり…、挙句ワードとエクセルというのでは、無駄を感じます。若年層の失業率は明らかに回復し、求人率も「1」を超す数値が並んで来た今、税金を使って実施しているこれらの講座が名目倒れにならないようにしなければなりません。本当に国が関わって、就職を考えさせなければならないのは、そうした所に参加する層ではないはずです。


ワードで目次を作りたい
ワンポイント知識や講座案内を(ぱぁと2)に紹介しています。必要な「ID」はpc_labo@mail.goo.ne.jp宛、ご連絡頂ければ発行します。簡単なご質問も可能です。お気軽にご連絡ください。

お疲れ様でした

2007年08月30日 | アイボ
年齢を重ねるごとに、講座というものは私にとって生き物のように変わっていきます。勿論体力的な問題もあります(悲しい笑)。でもそれ以上に私にとっての講座はこの16年の間にそれなりに、進化・発展をし続けてきたはずです(←本当?)。

今日も皆さんと楽しい時間を過ごさせていただきながら、同時にいろいろな想いが頭を駆け巡っています。

多分私の講座は、普通の講座とは違っている。私はそう思っています。ごく普通のパソコン講座がしたいのではなくて、私でなければできない講座をしようとしています。どこのスクールででも展開している講座なら、それはスクールに任せておけば良くって、それを私がするならスクールの営業妨害(?)かも知れません。

今日も午前2時間、午後2時間。それぞれをたった1つのテーマだけで構成しています。そんなことに2時間も普通はかけませんし、かけられません。でも、そうして右から左から上から下から機能を徹底的に知り尽くしてみると…、パソコンはパラリと謎解きのように手の内が見えてくる。私のやりたいことはそんなことです。

そうして、それを応援してくださるたくさんの方。私以上に一生懸命になってくださる多くの方の存在を、本当にしみじみと有り難いと思っています。感謝。


数字の前後が妙に開きます
ワンポイント知識や講座案内を(ぱぁと2)に紹介しています。必要な「ID」はpc_labo@mail.goo.ne.jp宛、ご連絡頂ければ発行します。簡単なご質問も可能です。お気軽にご連絡ください。

余裕

2007年08月30日 | 命の生き方
自分に正直に生きることは大切だと思います。自分の心を自分で見詰めることも必要だと思います。ですが、それは煩悩のままに振舞うこととは、少し意味が違っていると思っています。

きっと、教育は「自我の目覚め」を促そうとしてきたのだと思います。「自分は一体何なの?」「自分が自分であるゆえんはどこにあるの?」そうした問いを突き付けるよう、道筋をひいてきたのだと思います。そこに「自分の感情が絶対である」ことを助長する意図はなかったと思います。

でも方向はどうやらそう向いてしまったかもしれません。電気コードが、もし裸で機器を繋いでいたら…、それは恐ろしく危険なことだと思います。他のコードと接触しようものなら、火花が散って発火し火事に至るはずです。他のコードとは言わず、水がこぼれたとか、ほこりが溜まったとか、そんなことでも発火する可能性は大です。ですから、電気コードは絶縁体でシールドされていなくてはなりません。

私達は、社会生活というものなしに、密林の中で狼に育てられたかのような生活は多分できません。人間はそうした野生の本能をとおに失っていますから。ですから、自分以外の存在を大前提としています。裸線のままでいることは危険なのです。

自分をごまかすのではありません。剥き出しの自分を、両手で優しくそっとくるんでやることも必要なことだと思うだけです。その中の自分を曲げることとは意味が違います。

今ではなく先を

2007年08月29日 | 雑談
残念なことに妊婦を搬送中の救急車が接触事故。女性は別の救急車で搬送されたが、流産に至ったとの報。事故との関係は不明とされていましたが、搬送先を探すのにかなりの時間を費やしていたようなので、そちらの方が問題のようです。果たして受け入れ先が瞬時に見つかっていたら、子どもの命を失わずに済んだかどうかは不明です。

ニュースは一斉に、昨年の分娩中に意識不明に陥った女性のケースを取り上げ、痛ましい事件が教訓として生かされなかった…という風に論じていました。搬送先が見つからず、女性が死亡した事件だったからです。

今、産婦人科医は絶対的に不足しています。そしてそれは、実は随分前から関係者の間では指摘されていたことでした。…にもかかわらず、解決策を講じることができず、今回や前回のような不運が起きてしまった。いくつかの病院を名指しで、特定の都道府県名を挙げて批判することは簡単ですが、根はもっと深いことを知っておかねばなりません。

人が何の職業に就くかは自由です。そして医学を選択しても、何科を選択するか更に自由です。ですが、社会全体としてはそのバランスは取れていなくてはなりません。この件だけに限らず、行政は10年先20年先を見越して舵取りをしていく必要があるのです。

警察は事件が起きてからでないと動こうとはしません。ネットの問題も指摘はされつつ、さまざまな犯罪の温床になり続けています。プロは「今」だけを見つめるのでは足りないはずなのに、先を見通すことが、どの分野でもできなくなってきています。それだけ社会が複雑になったのだと言えばそれまでですが、視点がどうしても単年度、目先のことに終始している気もします。今の批判をかわすことではなく、いずれこの国がどうなっていくのかを、見通す慧眼を持ちたいと思います。


セルを結合すると邪魔になる!
ワンポイント知識や講座案内を(ぱぁと2)に紹介しています。必要な「ID」はpc_labo@mail.goo.ne.jp宛、ご連絡頂ければ発行します。簡単なご質問も可能です。お気軽にご連絡ください。

息長く…

2007年08月28日 | 雑談
夏休みも終わりがけになると、あちこちの施設等で「まだ間に合う、自由研究」的な企画を目にすることがあります。いつの時代も、夏休みの終わる間際に慌てている小学生は多いようで、微笑ましい気がします。…そう言えば、毎日縄跳び練習をするという宿題が出ていたのを、夏の終わりに必死にまとめ跳びをしていた子どもの姿を懐かしく思い出します。

ただ、何でも手っとり早くつじつま合わせをしてしまおうとする意味では、世の中のある傾向を象徴しているかにも思います。じっくり腰を据えて攻略する、長く継続することで何かが見えてくる。そうした価値観は最近は殆ど顧みられません。こらえ性がなくて何でもすぐに結果が見えるものだと勘違いをしてしまっているようです。

ネットカフェ難民という言葉があります。定まった住居もなく、インターネットカフェなどで寝泊まりしている人を指すのだそうですが、全国で5,000人を超す勢いのようです。昼は日雇い的な労働で僅かなアルバイト料を手にしながら、もしくは全くの無収入。それでも冷暖房が効いており、テレビもパソコンもあってそこそこ快適。労なく日々がそれなりに流れるとなると、その循環からはなかなか抜け出せないようなのです。

「昨日と同じ自分じゃつまらない」。長期講習では、どうしてもマンネリで日々を流しがちになります。長時間受け身で講習を聞いていただいても、身につくものは僅かしかありません。息長く「攻め」の姿勢で自分の人生を生きていくことは、案外難しいことかも知れませんが、そうしてこそ人生だとも思えませんか。



エクセルでコピーしたのに何か変…
ワンポイント知識や講座案内を(ぱぁと2)に紹介しています。必要な「ID」はpc_labo@mail.goo.ne.jp宛、ご連絡頂ければ発行します。簡単なご質問も可能です。お気軽にご連絡ください。

教育再考

2007年08月27日 | 社会派らぼ
少子化の波を受けて、学校教育が様変わりをしています。

大学の全入時代が到来すると言われています。入学希望者数と合格者数が同じになるというわけです。ところが、試算されているのはあくまで数字ですから、人気が集中して過酷な競争の大学と、定員割れを起こす大学の2層に分かれことになるのは必至と思われます。

そこで、学校としては様々な宣伝活動が必要になります。有名私学が小学校を併設するケースも増えています。公立校は特別な事情がない限り、住居地により通う学校が定まっていたのですが、ここ数年小中学校でも「学校選択性」の導入など聞かれるようになってきました。ですから、保護者側からすると「選べるなら、より良い学校へ」。学校側からすると「選ばれる、より良い学校に」。ということになります。

結果、先般のニュースのように、受験実績の水増しや学力テストにおける学校主導の不正など、憂慮すべき事態が起きてきます。勿論「学校間の序列化や過度な競争等に繋がる」と、全国一斉学力テストの実施に懐疑的な学校も少なくありません。

俗に言う「学ぶ」とは一体何なのか。あまりにもヒステリックな現状を、誰が気付き変えることができるのでしょうか? 実社会で要求される「力」は学力テストなどでは測れません。常に数値で測って安心することしか能のなくなったせいで、政治家に身体検査が必要になったり、大相撲の星の数しか数えられなくなったのでしょうか。


ワードの初期設定が色々狂ってしまった
ワンポイント知識や講座案内を(ぱぁと2)に紹介しています。必要な「ID」はpc_labo@mail.goo.ne.jp宛、ご連絡頂ければ発行します。簡単なご質問も可能です。お気軽にご連絡ください。

本当の正確さ

2007年08月26日 | 社会派らぼ
パソコンやネットで注目される(流行る?)ものは時代によって変遷します。今でも「デジカメ講座」は人気があり、写真画像への興味はなかなかのものを感じますが、ネット上では「動画」がかなり増えてきている感じがします。以前にも名をあげたことがありますが、「You Tube」をはじめインターネット動画共有サービスはかなりたくさんあるようです。

動画には動画でしか表せないリアリティがあります。ただ情報としてではなく、感覚として、絵より写真、写真よりムービーがより正確だといった選択をしているなら、一考の余地はあるように思います。

昔の子供向け図鑑には「絵」が書いてありました。多分、図鑑ほどもの数の写真を載せるのはコスト的な問題があったのでしょう。時代はやがて「写真」が当たり前になりました。恐らくこれからはネット上での検索を中心に「動画」も活用されていくと思われます。ですが、本当に特徴を表そうとすると、一番は手で描く「絵」だと言われます。「写真」は偶然(というより、意図的でしょうが)の一瞬を切り取りますから、決め手となる特徴が映っていないことも多々あるようです。私達は写真の方が正確だと信じ込んでいますが、写真では見逃してしまうこともあるのです。動画も同様な落とし穴があります。ムービーになることで、制作者の意図がより深く直観的に入り込んできます。本来理性で見極めねばならないものが、制作者の意図に流されてしまうことだって起きてきますし、目の前の画像が動くわけですから、逆に私達の感性が止まってしまう危険性も感じます。

携帯が普及して、便利になりました。親子間の溝に悩むご家庭に、ある面朗報のようにも見えます。以前だと、家にいないと、どこで何をどうしてるんだか分らないと嘆かれていた親御さんが、日に一度、もしくは数日に一度のメールのやり取りで子供と繋がっているかに思えて、少し安堵をされるというケースはあるかと思います。

ですが、携帯は繋がっているように見えて、実は心の底には繋がっていません。動画も真実を映し出すように見えて、実はそうではないのと何か似ているような気もします。便利になること、科学を活用することと、心の糸をシッカリと繋いでおくこと、心の眼でものを見ることとの違いを忘れないでいたいと思います。

列幅変更の時の数字は何?
ワンポイント知識や講座案内を(ぱぁと2)に紹介しています。必要な「ID」はpc_labo@mail.goo.ne.jp宛、ご連絡頂ければ発行します。簡単なご質問も可能です。お気軽にご連絡ください。

再会

2007年08月25日 | ぱそこん道
あれは2004年の夏でしたから、ちょうど3年前になります。過去に何組もの3ヶ月講習を担当してきていますが、その中の1組が恒例の「夏の懇親会」で集まりました。パソコンの講習というと、様々な形態がありますが、私が担当した最長コースが3ヶ月です。3ヶ月間、ほぼ毎日(平日)1つの教室に通い、同じメンバーで、パソコンの習得に励むわけです。講習内容には検定試験等も組み込まれていますから、文字通り笑ったり泣いたり…共に仲間として過ごします。

そうした講習は全国的に展開されていますから、修了生は山といらっしゃるわけですが、幸いにもご一緒した仲間達は、皆結束が強く、この3年前のメンバーさん同様、時が経っても予定を合わせて親交を温めておられます。同様の講座を終了した人から、「自分達はそんな集まりは続いていない」とうらやましがられるそうです。

それぞれがそれぞれに道を歩み始めたにも関わらず、こうして数時間をご一緒できる機会が持てるというのは、本当に嬉しいですし、それこそが「私が目指した講座」でもありますから、いつも幸せな気持ちにさせていただけます。「パソコンさえできれば良いのではない」「パソコンの技術以上に大切なものがある」私が精魂傾けた日々に目指していたものです。

もう1つ「パソコンをただの暗記勉強にしたくない」。これも私の願いでした。「パソコンを理解すること」つまり「自分で考えて利用できる力を身につけること」。パソコンは「使えてなんぼ」のものですから、そうでなければ意味をなさないというのが私の持論です。

話の輪は途切れることがなく、あちらでもこちらでも口々に宴たけなわ。その中で言ってくださった何よりうれしい一言が今も私の心の中にあったかく残っています。『あの3ヶ月がなかったら、今の自分はありません。』それほどまでに濃い3ヶ月を皆さんに贈ることができたとしたら、私は本当に幸せです。


パソコンを新しく買いたいんだけど…
ワンポイント知識や講座案内を(ぱぁと2)に紹介しています。必要な「ID」はpc_labo@mail.goo.ne.jp宛、ご連絡頂ければ発行します。簡単なご質問も可能です。お気軽にご連絡ください。

説得力

2007年08月24日 | 雑談
説得力のあるものの言い方というのがあるような気がします。趣旨は同じことを言わんとしていても、一方で受け容れ易いものの言い方と、受け容れ難いものの言い方があります。大変難しいものだと思います。

先日もとある場面で、意見を求められた方が、かなり辛辣な言葉を混ぜながら(それでも冷静な)表現をされました。ですが、当事者相手の言葉ではなかったにも関わらず、その場に居合わせた者の間には、妙な拒絶感が流れました。それは恐らく、ただ単に言葉の羅列で現状を批判してみたに過ぎなかったからでしょう。

感情的な言葉を並べるだけでは、説得力は生まれません。冷静な現状分析と、論点の指摘、さらには改善の方向性まで示して、初めて頷かざるを得ない力というのは生まれてくるのではないでしょうか。口にする場合も、文章化する場合も同様ですが、文章化する場合は、それを更に理路整然とまとめる必要があります。面と向かって話している言葉というのは、意外と主語と述語が揃っていなくても、普通に聞けるのですが、文字化されると妙なぎくしゃくした文になってしまいます。

多分、私達はそういう訓練を受けてきていないのかも知れませんね。ディベートなどということが一時流行りましたが、競技化されすぎていて、現実感が希薄な気がしていました。だから…小学生も見ているというのに、ろくなやり取りが議員さんの口から出て来ないのも、いたしかたないのでしょうか。過激な論かもしれませんが、小学生は国語と算数さえシッカリ勉強しておけばいい…そんな風に思ったりします。


画面が消える
ワンポイント知識や講座案内を(ぱぁと2)に紹介しています。必要な「ID」はpc_labo@mail.goo.ne.jp宛、ご連絡頂ければ発行します。簡単なご質問も可能です。お気軽にご連絡ください。

0と1の違い

2007年08月23日 | 社会派らぼ
先般から、中国での偽ディズニーランドや粗悪食品などのニュースが報じられました。映画や音楽のビデオ、DVDから電動工具、計測器、医薬品、酒など、偽造大国とでも言える実態を、私達はニュースで知りました。こんなことで、北京オリンピックが無事に開催されるのだろうかと危ぶむ声さえ聞こえます。

そう言いながら、日本自身、この中国の意識レベルに比して胸を張れるのでしょうか? 中国から輸入された偽ブランド品が大量に押収されていたり、誰もがいただいたことがあると思いだすような有名菓子の賞味期限が改ざんされていたり…。牛肉偽装や賞味期限の改ざんは今に始まったことではなく、何度も社会問題になり、警鐘が鳴らされたにも関わらず、一方では自分の姿勢を改めていない会社がまだまだあるということなのだと思います。こんな日本に、中国のことをとやかく批判する資格などあるはずがありません。

程度が問題だという議論もあるかとは思います。例えば全量を仮に「100」としましょうか。それに対して「50」とか「60」といった数値は多いけれど「1」は微々たるものだという論です。確かに1%という比率は、これはほぼないに等しいと理解される数値なのかもしれません。が、私は「0」と「1」の間には、雲泥の相違があると思います。「1」は確かに少ない数値ですが、「50倍」すれば「50」になります。「1」の立場から「50」をあざ笑う資格はないはずです。「0」は何万倍しても「0」なのですから、「0」であって初めてものが言える。

日常の小さな問題から、国際社会での問題まで、異なる立場の多くの者が一触即発とでも言えるほどの片足バランスを保っているような世の中で、確かなものは「凛とした自分」でしかないように感じたりします。

メールで画像を送れません
ワンポイント知識や講座案内を(ぱぁと2)に紹介しています。必要な「ID」はpc_labo@mail.goo.ne.jp宛、ご連絡頂ければ発行します。簡単なご質問も可能です。お気軽にご連絡ください。