ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

読書ゼロ

2018年02月27日 | 社会派らぼ
全国大学生協連の発表した調査結果によると、1日の読書時間が「ゼロ」だと回答した大学生が5割を超えて53%でした。調査を始めて以来、5割を超えたのが初めてだということです。ただ、この結果にはむしろ、1日に何らかの読書をすると答えた学生が5割近くもいるんだ…と、思ったのが正直な感想です。

当然…でしょうけれど、1日にスマホを使う時間は前年よりも増えて平均177.3分。3時間近くを費やしている…という結果です。だから、読書時間が減ったのはスマホが原因だというわけではないと分析している人もいるようです。スマホが原因というより、読書習慣ができていない事が大きな要因に挙げられているようです。

「余暇」の使い方…は、人それぞれでしょうけれど、バイトや友人と過ごす時間を除き、自宅でたった一人で過ごす時間を考えた時、昔は刺激のあるものがそうたくさんあるわけではありませんでした。一人暮らしの下宿にテレビが必ずあるか…というと、そうでは無かった時代、恐らくは本を読むというのが手軽な時間のつぶし方だったのだと思います。一家に一台だったテレビが一人に一台の時代を迎え、読書よりも労少なくして刺激を得る娯楽の時間が増えて行ったのだと思います。今では、手軽なスマホがテレビよりも更に縦横無尽にエンタテイメントを提供してくれます。自宅に一人で居ても、SNSなどで人と繋がっている時間が増え、読書などをしなくても、安易に刺激がどんどん得られるようになった…という背景は大きいと思います。

スマホが直接の原因では無く、読書習慣が育っていない…というのは、確かなのでしょうけれど、ではなぜ大学に入るまでに読書習慣が育っていないのか?というと、もっと安易な刺激がたくさんあるから…ということになりそうです。

塾講師でタレントの林修氏が現在のベストセラー本を「離乳食だ」という表現しました。口当たりがよく、消化も良いけれど、読みごたえが無いと評しているのです。出版業界自体が不況と言われていますが、冒頭の調査では「電子書籍」も「本」のうちに入れているとか。ただの「読み物」や「How To本」「雑誌」などが溢れかえっており、出版物をどう分類するのかは難しい話でっすが、いわゆる「純文学」と言われる領域は斜陽なのではないでしょうか。

現代は手間暇をかけて、良いものを熟成する時間的な余裕を持ちません。短時間で、読者に迎合するものを提供せざるを得ないところにも大きな問題があるような気がします。作家の持つ執筆の動機そのものが、以前とは大きく変わっているような気がしてなりません。

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言葉

2018年02月24日 | 社会派らぼ
先日のバレンタインデー、アメリカ・フロリダ州パークランドにある高校で、銃乱射事件が起こりました。14人の生徒と3人の学校スタッフが亡くなりました。銃社会のアメリカでは、しばしばこのような乱射事件が起こっており、その度に銃規制の声が上がるものの、なかなか法律そのものは変わらないと言います。

19歳の犯人はこの高校にかつて在学しており、他の生徒への暴行事件などを起こして退学処分を受けていました。当時から粗暴な行動が多く、精神疾患を患っていたといった噂もあるようです。彼は逮捕時、JROTCと書かれたシャツを着ていたと言いますが、大学に設置されている予備役将校を訓練するための教育プログラムROTCの高校版を意味するのだそうです。訓練プログラムは、アメリカライフル協会も支援しており、卒業後は軍隊でエリート特殊部隊兵になる夢があったようですが、その粗暴な行動ゆえに夢はついえたのでしょう。同じJROTCプログラムに参加していた被害者生徒の一人は、学んだ事を生かして、屋外に逃げ出す生徒を教室に呼び戻してバリケードを作って彼らを守ったと言います。訓練プログラムも、その素材(メンバー)によれば、善にも悪にもなり得るわけで、教育の難しさがそこにあります。知識や技術を磨く以上に、心を育てる重要性を、教育現場は肝に銘じるべきです。

ともかく、その銃乱射事件での生存者である高校生たちは、自らの恐怖体験を踏まえて、銃規制強化を訴えました。事件後、生徒たちは集会を開き、ワシントンの政治家に向けても銃規制を要求しています。その生徒たちが、全米から誹謗中傷を受けている…というニュースに、一瞬は意味が理解できませんでした。加害者ではなく、被害者が非難を受けている言われは何なのでしょうか。

生徒たちは、集会を開き、「全米ライフル協会」のメンバーにも自動小銃禁止法案の支持を訴え、上院議員には協会の政治献金を拒否するかといった質問も投げかけて、その行動を起こしました。こうした運動は、これまでアメリカの中にくすぶっていた銃反対論を目覚めさせ、全米に広がって行っているということなのですが、これに危機感を抱いた銃規制反対者たちからのオンラインハラスメントやいじめを引き起こしてしまったようなのです。こうした生徒たちの純粋な動きを、銃規制の政治目的のために雇われた偽物だと決めつけて批判しているようです。生存者を嘲るツイートや殺害予告にまで発展し、その主張の違いが陰湿な形を呈しています。

ネット上、SNS上の振る舞いはしばしば人の礼節を欠いて広がります。地球上の距離的な隔たりを超えて、相手にアポを乞うことも無く、ずかずかと暴言を浴びせる事ができる…というこのシステムは、いつか人を滅ぼすかも知れません。使う言葉によって、人は容易にエキサイトします。自らの主張をどのような言葉で形にするか…は、とても大切な事だと思います。ただ喚くだけでは、人には何も伝わらず、むしろ憎悪や嫌悪を掻き立てるだけに過ぎません。論旨を明快にすること。誰もが納得する理由をきちんと理性的に説明すること。そして尚且つ、自分の意見とは異なる意見を持つ者を切り捨てるのではなく、最大限の敬意を示すこと。それも、「(それぞれの国の)国語」が教えねばならない大切なことのような気がします。キチンとした言葉を使えることは大切です。

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180224表記を2018/02/24に変換したい

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オリンピック

2018年02月23日 | 命の生き方
平昌五輪も終盤を迎えています。日本勢のメダルは金3個を含む11個で、長野大会を上回って過去最多を誇ります。こういう時ばかりは、誰しもが「日本」選手を固唾をのんで見守り、その結果に一喜一憂するものです。日ごろは「国」という事をあまり感じる事がない人々まで、日章旗を誇らしく見上げます。卒業式で日章旗をよく思わない人々まで、おそらく高く上がる国旗を、それなりの感慨で見つめているかと思うと、スポーツの祭典と言われるオリンピックというものの底力を感じさせられます。

傍観者の私たちでさえ、そうなのですから、当事者のアスリート達の感慨はひとしおかと思います。マスコミは、そうした当事者たちを追いかけて、何とかコメントをもらおうと必死にマイクを向けます。やはり全身全霊で競技に身を捧げて来た彼らですから、コメントには万感の重さを感じます。

女子フィギュアの金メダルは15歳のアリーナ・ザギトワが手にしました。ロシアが五輪から締め出されたため、個人資格での参加となりました。同じOAR(Olymic Athlete from Russia)のメドベージェワが銀メダルを獲得し、二人の試合とその採点を巡って、また様々な事をいう人たちがあるようですが、金は金、銀は銀。二人の演技に心からの敬意を表したいと思います。

臨んだ記者会見で、ザギトワは「とても幸せなのと同時に、心に穴があいたような気分になりました。」と述べています。その「心に穴があいた」理由を彼女は「10年近く頑張って、いろいろなものを乗り越えて手にした金メダルだったからです」といった風に説明をしています。つきっきりでオリンピック報道を見ているわけではありませんので、たまたま目に付いた応答だっただけですが、妙に心に残りました。

私は人間の幸せは「結果」にあるのではなくて、その「過程」にあるものだと思っています。スポーツをする一流のアスリート達にとって、オリンピックは多分、特別です。その特別な舞台で、最高の色のメダルを手にする…というのは、とてつもなく大きな目標であるに違いありません。その可能性を持ったアスリートは何人もいる中で、本当に手にする人は一人だけなのですから。その大きな目標に向かって、身を削る日々は、おそらく過酷ではあるけれど、最高に幸せな時間なのだと想像します。彼女が「とても幸せ」なのは、目指してきた過程がとてつもなく充実していたことを指しているのだと思います。が、「幸せ」は手にした瞬間に色あせるのだと、実は思えるのです。目指したものを実現した瞬間に、それは目標ではなくなるからで、全力で目指す次の何かが生まれない限り、喪失感は埋まらないような気がします。

がきっと、オリンピックをただ「見る」だけの者には想像すらできない世界がそこにはあるのだろうと思います。

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iCloudからダウンロードした写真がところどころ見えない

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ネットの品性

2018年02月22日 | 社会派らぼ
平昌五輪の女子ショートトラックで、韓国の選手がカナダの選手を押したとして失格になりました。一方カナダの選手は銅メダルを獲得。すると、このカナダ選手のSNSに非難のコメントが殺到し、中には「殺してやる」といった内容のものまであって、韓国警察が捜査を始め、カナダ当局も選手の保護に乗り出したと言います。

また女子スピードスケート追い抜きでは、韓国チームの選手2人への国家代表資格剥奪請願が14万通を超える事態になっています。レースは8チーム中7位に終わったのですが、順位では無く、最終周でスパートしたチームの最後尾選手が大きく離れてゴールしたその内容への批判です。最後尾の選手のゴールで順位が決まる種目のため、遅れる選手を前から引っ張り後ろから押してレースを展開するのが通常のやり方なのに、バラバラでゴールしたレース展開に多くの人が疑問を持ちました。更にチームをけん引した選手が「最後尾の選手の体力が落ち、格差が広がった」と笑いながら話したことが、火に油を注ぎ、該当選手のSNSに悪質なメッセージが相次いだとされています。

それぞれに、非難される側にその因が皆無というわけでは無く、ケースによれば明らかに非がある事もしばしばです。ですが、だからと言って、単なる傍観者でしかないネットユーザーが口汚く、選手をののしるのが「正義」なのでしょうか。ネットという文化が定着し、特別の立場が無くても、大きな声が出せるようになりました。恐らくそれは良い事なのですが、対面での発言でないとどうやら人は品格をかなぐり捨てるところがあるようです。

会議などの席ではシーンとして意見も出さないのに、陰ではヒソヒソ、コソコソ他人をあげつらうという人は多いものです。それの最たるものがネットなのだと思います。自分を矢面に出さず、どこの誰か分からないように身を隠したまま暴言を吐く人達に、快感というものがあるのでしょうか。人は、最低限の品格の衣を身にまとうべきです。ネットには、品性を捨てさせる何かがあるような気がしてなりません。

オリンピックを舞台に、様々なドラマが生まれています。そこには勝者も敗者もあって、それぞれの振る舞いが記事になって、日々届けられます。おおむね、マスコミは感動話に仕立て上げようと演出しているようですが、一つ一つに「人」としての在り方を見る思いがしています。キチンと生きたい…と思います。

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公平

2018年02月17日 | 雑談
このところ、大学入試の合否に関するミス報道が続いています。入試から1年近く経ってから発覚したケースもあり、追加合格などの措置、また金銭的な補償なども併せて検討されているようです。論調では「ミスはあり得ない」という思い込み、驕りが無かったかといったものが多く、一生懸命勉学に励んで来た受験生を泣かせた責任は大きい…といった風に断罪されているようです。

報道では追加合格などの連絡を受けて、入学に応じる人もいれば、既に進学を決めていたセカンドベストでそのまま勉学を続ける決断をした人もおられるようです。報道には出て来ませんが、追加合格者がいるということは、本当なら不合格だったにも関わらず、合格者に名を連ねた人もいる…ということになります。ただ、ミスは大学側にあったわけで、今更不合格通知ができたものではありませんから、これはこれ…なのだと思います。

多くの受験生がしのぎを削る中、入試は公平でなければなりません。なりませんが、果たして過去の入学試験全てにおいて、全く公平で間違いが一切無かったか?というと、それは恐らくそうではないような気がしています。出題ミスが指摘されていますが、採点ミスは指摘のしようがありません。マーク式などコンピュータが判読していて間違いなど無さそうに思いますが、誤作動も含めてこれまで一度も間違いが無かったのかと言えば、保証の限りではないような気がします。

間違いはあってはなりません、絶対に。が、もしかしたら、この判定は間違いかも知れない…と思わせてしまうことは、もっと御法度ではないかと考えます。人間には、運も不運もあります。運を引き寄せるのも能力の一つだと言われることすらあります。「東大に入る」ことが人生の勝利か?というと、実はそうとは限りません。人生は何が功を奏するかわからないし、何に足を取られるかわからないものなのです。つまり人生は、二股に分かれたところで、結果として進んだ方向が「正しい」のだと思います。本当はどちらが正しかったのか?と、岐路を振り返る意味は、多分ありません。

ワープロ検定を受験される方によく言っていたのは、もしも問題文に誤字があったとしたら(あってはならないのですが)、正しい文字に打ち換えて打ってはいけません。出題の誤字のまま、入力してください。問題は「絶対」なのです。誤解を承知で言えば、出題ミスにどう対応するのか…も含めて、選考する側は、自らの基準で入学者を判別するものと、割り切るしかないような気がしています。幾重にもミスが起きないような、完璧な体制を模索すると同時に、情報は非開示でも良いのではないでしょうか。

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服育

2018年02月15日 | 社会派らぼ
銀座の区立小学校で今春から導入されるという「アルマーニ」標準服が話題になっており、教育委員会や学校には多くの意見が寄せられているようです。今春入学の1年生からが対象ということのようですが、一式をそろえると最大で8万円を超える場合があると報道されています。

導入を決めた小学校長は「銀座の学校として発展していくために、ブランドの力を借りるのも一つの方法だと思った」と述べている他、「服育」という言葉を使って、教育効果の説明をしているようです。

多くの意見で主流を占めるのが、やはり「高すぎる」という問題のようです。「服育」というのはあまり聞きなれない言葉ですが、衣服のTPOや服装上のマナーなど子どもたちが習得すべきことは、それなりにあるとは感じますが、「値段が高い」=「良い服」でない事は確かです。TPOという意味では、小学生という年齢の子どもが毎日のように身に着ける服は、衛生的で堅牢であるべきであって、布の肌触りやデザインはその次に求められる事かとは思います。

「標準服」という位置づけも微妙ですが、「着る義務を持たない」服装ということですので、新1年生のご家庭では、毎日を「私服」で通学する選択というものも、視野に入れていただきたいたと思います。今でも公立小学校で「制服」「標準服」を持たないところはたくさんあります。多くのご意見の中に、私服だと「華美になりすぎる」「何を着せていくか考えなくてはならない」といった批判がたくさん見られるのは承知ですが、実際に私服通学の小学生たちが「華美に走り」困っているという話はあまり聞きません。それなりに、常識の範囲内でうまくやっておられるようです。

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スキャンすると、原稿を2分されて、一部しかスキャンできませんでした

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ホームページ

2018年02月13日 | 社会派らぼ
メドピアは、ネット上でMedPeerを運営しています。医師専用のサイトで、人材紹介やネットリサーチサービスなどを手掛けています。そのメドピアが実施したアンケートによれば「ネットで調べた情報で自己診断、自己処置をした患者の対応に困った」経験を持つ医師が3割に上るそうです。と同時に、医師が利用する場合には信頼できる情報があっても、患者自身が正しい情報にたどり着くのは「難しく」「コツが必要」であると説明しています。

今や、調べものをするのは「ネット」。図書館に出向いて、本をあれこれひっくり返す…というのは、もう流行らなくなりました。ただ、「ネットの情報が正しいとは限らない」ということも、再三警鐘が鳴らされるところです。メドピアのアンケートによれば、医師の9割はネットに情報を発信はしていません。言い換えれば、ネット上で行き当たる情報の大半は、素人が書いているもの…だと言えます。

医師が発信する「正しい情報」を探し当てるには「専門用語」で正しく検索をかける必要があるわけですが、大半の患者はもっと場当たり的な日常語でしか、検索することができません。同じ病名であっても、その症状に個人差があることは、容易に想像できますし、同じ薬を服用しても、その効果の出方・副作用の出方にも当然ながら個人差があります。調査では、8割の意思が「ネット検索より、医療従事者に聞いて欲しい」と答えています。

医療に関わることは、いわば「人の命」に関わることであり、ネット上の不確かな情報をあれやこれや検索するより、受診するのが良い事は、百も承知です。ですが、翌日もしくは次の受診日まで待てない不安はよく理解できます。「藁をもすがる」と言いましょうか、医師には根ほり葉ほり尋ねられない事をネットで調べまわったり、不安を消したくて情報を探し回る患者の心理は、誰しも心当たりがあるのではないでしょうか。

ネットという技術がクローズアップされた当初は、キチンとしたホームページが多く見られた気がします。ある分野の正しい知識をキチンと整理するホームページを作成するには、途方もない時間とエネルギーが必要です。対価が発生する事のないページづくり(対価を求めたところで、なかなか利用数が上がるとは思えません)に、手間暇をかける余裕は、大半の専門家にはありません。そうしたホームページが影を潜めたのとは逆に、素人の発信のハードルは下がりました。無責任な感想を書き込むことが、実は妙に「ヴァーチャル充」を満足させたりもするようです。

医療関連の事ばかりでなく、このネット上の脈絡もない情報の塊を、精査してキチンと後世に残していくことを、もう少し真面目に考えても良いのではないでしょうか。

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メディアライブラリで削除した画像が復活する

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奨学金

2018年02月12日 | 社会派らぼ
借りた奨学金の返済に困る人が急増中で社会問題化しつつあると言います。実際に返済できず、自己破産するケースも珍しくないと言います。奨学金のタイプにも色々あるようですが、本人が自己破産しても、連帯保証人になっている親族に返済義務が発生するわけで、保証人に支払い能力が無いと、共に自己破産するしかないといった事態を招くわけです。

「奨学金」は、かつては成績が優秀なのに、経済的に余裕のない学生に対して貸与される性質のものでした。当然、貸与基準は厳しいもので、希望したから受けられるといったものではありませんでした。が、相応の成績で「大卒」の資格を手にした後は、大手企業などに就職を決め、その安定した給与で返済に困るような事態には至らなかったものと思われます。

ところが、奨学金制度が大きく変わり、成績や親の収入などの基準も緩和され、優秀でなくても(苦笑)借りることが可能になりました。にも関わらず、卒業後安定した仕事に就けないケースが目立つようになってきました。非正規雇用に甘んじざるを得ない事もあるわけですし、大学院などに進学してしまうとかえって正社員での就職が難しくなってしまう場合もあるようです。

奨学金が、誰でも無審査でキャッシングが可能…とうたうサラ金と同じになり果てるのは、やはりまずいと思います。本当に学ぶ意思とその才能があるのに、家庭の経済がそれを許さない…という特別なケースに限り、奨学金を利用できるという過去のやり方に戻すべきでは無いのでしょうか。

安易な「奨学金制度」の利用そのものを見直す必要があります。…と同時に、大学進学が当たり前という風潮を見直す必要があるのかも知れません。と言って、今更急に「うちの子は大学へは行かせません」といった選択が簡単だとも思えません。「とりあえず、大学は出ておきなさい」というのが結局は親心です。

そこで、根本的な教育改革が必要だと感じています。これまでの「6・3・3・4制」そのものをひっくり返すような制度でない限り、社会は「なんでもかんでも大学」を見直すことはないだろうと思うからです。もしかすると「小学校、中学校、高等学校、大学」といった呼称すら変えてしまっても良いのかも知れません。

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スキャンデータが少し傾いているのを直したい

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AIジャッジ

2018年02月11日 | 社会派らぼ
なんだかんだ言いながら、平昌オリンピックが開幕しました。好成績を期待されている選手たちも、五輪という独特の大舞台に緊張し、いまひとつ伸びやかさに欠けているのかも知れません。先陣を切ってメダルを手にし、日本選手団を活気づけたいと各選手が願っているにも関わらず、未だ号砲は鳴りません。

フィギュア団体予選でも、宮原選手の得点が伸び悩みました。演技後にガッツポーズを見せ、満足感を漂わせていたにも関わらず、キスアンドクライでは予想外の低得点に驚いた表情を見せました。

勿論、ジャッジに抗議するといった素振りも見せませんでした。スポーツでは審判が絶対で、抗議は見ていて美しくありません。が、世界中のフィギュアファンからは、ジャッジたちの判定を残念とする声が沸き起こっていると言います。

バンクーバー五輪でフィギュアの審判を務め、その後引退したベルギーのパトリック・イベンス氏は、かつてインタビューで「完璧に公正なジャッジは、10%くらいしかいない」といった意味の事を話されたことがあります。ジャッジは匿名で行われはしますが、自分の国のスケーターを守るための愛国的偏向はあるというのです。それでも、選手は異を唱えないのがマナーでもあります。

そうなって来ると、AIにジャッジをさせる…という話が現実味を帯びてきます。将来AIにとって代わられる職業…のリストに、多くの職業が名を連ねました。AIで可能だから…という理由で、人間の仕事をAIに明け渡すべきではないと私は思っています。AIというのは、人間にとって代わるものでは無く、人間をサポートするものでなければならないからです。

フィギュアのジャッジが可能なプログラムが開発されたとして、だから人間の審判が不要かというと、そうではないはずなのです。ただ、参考点としてAIが客観的に審判することは、もしかしたら有益かも知れないと思うようになりました。AIとあまりにかけ離れた得点を出すジャッジがその場でチェックできれば、パトリック氏が言うような「公正なジャッジは10%しかいない」という現状を変えられるかも知れません。

今回の平昌オリンピックは、あまりにもスポーツが政治に利用されることを端的に示す例となりました。選手たちは、全身全霊をかけて、この4年間、練習に打ち込んで来たはずです。選手たちの練習成果が本番で遺憾なく発揮できますように。誰もが納得できる五輪だったと、後から振り返ることができますように。

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3Dオブジェクトというフォルダーが増えているのですが、何でしょうか。

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