ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

カメラ

2022年01月26日 | 社会派らぼ
JR東日本が、夜間勤務の駅員にウェアラブルカメラを配備することを検討していると報じられています。乗客とのトラブルに遭うリスクを減らすのが狙いだと言います。

ドライブレコーダーは、タクシーや運送トラックなどには以前から装着されていたかも知れません。が、2000年代に入ってから一般ドライバー向けの商品が開発され、高画質記録が可能で安価で手に入るものが増えて来るにつれ、多くの人が関心を示すようになりました。国土交通省の調査によれば、装着により事故率の低減効果が見られるとのことです。事故が起こった時の事実確認がスムーズにできる事に加え、何より安全への意識向上が顕著だということです。

昨年秋、京王線の特急列車内で、乗客が刃物で他の乗客を切りつけ、液体を撒いて放火するという事件がありました。これを受けて、国土交通省は、鉄道事業者に対し、新規の全車両に防犯カメラの設置を義務付けることを定めています。ドラレコ同様、万一起きた事件の一部始終が記録されると共に、防犯カメラが設置されているとの意識が、抑止力に働くことを期待しての措置かと思われます。

今回の駅員のカメラ装着もその抑止力に期待する部分大かと思われます。

京都アニメーション放火殺人事件が起きたのが2019年夏。以来、先日の北新地ビル放火や東大前での受験生殺傷など、無差別に多くを巻き込もうとする身勝手な事件が続きます。抑止力に期待するカメラの装備も想定の範疇でしょうか。いずれ(既に?)、街なかや建物内のあちこちにカメラが設置され、そうして確保された安全の中で暮らすことが普通になるのでしょうか。

そうではない抑止力というものは、既に意味を持たないものなのでしょうか。「人として」どのように襟を正して生きるべきか…といった事を各自がが模索する時代…というのは訪れることがないのでしょうか。「悪いことをしてはいけない」のでなく、どうすれば「より良く生きられるか」を目指されなければならないと子どもたちに教えることはできないのでしょうか。

自分自身をどうしたら演出できるのかと考えるのではなく、自分の中身を高めようとすることが求められます。自分らしさをどうしたら貫けるのかではなく、もっと純な想いにどうしたら自分を活かすことができるかを考えられたらいいなと思います。

生きる

2022年01月17日 | 社会派らぼ
起きてはならない事件が起こりました。大学入学共通テストが始まるという日に東大前で、名古屋の高校生が無差別に受験生ら3人の背中を刃物で刺した…というもの。名古屋から来たという高校2年生は、東大医学部を目指しているものの成績が伸びず、大きな事件を起こして死のうと思ったとその動機を説明しているそうです。犯行前には、駅付近で火を付けたようですが、こちらはすぐに消し止められ、大事に至らなかった、いわば失敗した模様です。

彼が、人知れず悩み、犯行にまで行きついたその過程に一体何があったのか。逮捕された少年の取り調べや、学校・家庭などにこれから捜査が入ることになります。あぶりだされて来るものが、多少は想像がつくようで、想像がつくところが更に恐ろしい気がします。

世の中には、勉強や学歴よりも大切なものがある…というのは、衆知の事実です。どんなご家庭の親御さんであれ、それは十二分に理解しています。それでも、できないよりはできた方が良い、あなただけはできねばならない…を抱えた子どもは、きっと山のようにいます。そうして、その目標を軽く超えていく人もいれば、挫折を味わって更に一回り大きく成長する人もいます。人生とはそういうもので、決して思い通りにはなってくれません。絵に描いたような恵まれ続けた人生というのは皆無に等しいのだと、年齢を重ねて思います。

昔は、人々の生活は決して豊かではありませんでした。豊かな衣食住は、苦労してつかんでいくものだったけれど、先人たちの努力の結果、今の子どもたちは豊かなベースに立って、より高度な人生の成功を手に入れることを要求されていようです。

「学ぶ」ことと「生きる」ことがもっと近い時代がありました。「学ぶ」ことの最大目標が「人格形成」にあったと言うべきかもしれません。いつしか「知識」と「知恵」が二分されて、知識のみが先行しています。人権とかいじめとか現代の子どもたちに語りかけられる言葉以前に、どのような人間であるべきなのか…という、もっと高次な問題提起が必要な気がします。




教員免許

2022年01月16日 | 社会派らぼ
文科省が、教員免許更新制を今夏にも廃止する方針だという事です。免許の更新期限が7月1日以降の者は、更新手続きが不要ということになりそうです。現在の教員免許には10年の期限があり、期限が切れる前の2年間に30時間以上の更新講習を受けることが必須とされており、この講習の修了認定が無い場合、教員免許は失効するという制度なのだそうです。が、この手続きが不要になるということです。制度廃止後は代わって、教育委員会や校長が受講状況を把握して管理する仕組みを導入するのだそうです。

本来、教員として必要な資質能力を保つためということで実施されていますが、費用が本人の自己負担であることや休日を利用して受講する必要がある事など、不満の声が絶えなかったと言います。期限を忘れていてうっかり失効するケースもあったり、休職後の復帰のかせになっているという意見や、定年間近の場合には早期退職を選択するなど人手不足の原因を作っているとの見方が多くあったようです。

先生方が授業以外の雑務に多くの時間をとられていて思うように、授業の準備などに時間が割けないといった事は再三言われて来ています。この「更新講習」と言われているものの実態が実は問題なのではないでしょうか。参加しても大して意味のない内容で形式上のものであるとしたら、忙しい先生方には大きな負担になるだろうと想像します。

が逆に、学校の先生という仕事は、いわば密室の中で行われて(少し語弊があるでしょうか)います。教室内には、先生と生徒しかいません。例えば体罰だとか暴言だとかのレベルであれば、子どもたち経由で保護者にも伝わりますが、先生の資質や教え方の巧拙に関しては、子どもたちに判断できるレベルのことではありません。教員自身も、本人が考える以上の見地から、自分の授業を客観視する機会に恵まれません。客観視し、授業の進め方自体を根本的に反省したり、見直したりする機会はなければならないと思います。

「弁護士も医師も免許は終身制なのに、なぜ教員だけが更新制なのか」といった不公平感が現場にはあると聞きます。偽医者も悪徳弁護士も世の中にはいると思いますが、最低限法律の知識や医学の知識を持たなければ(少なくとも持っているように見えなければ)これらの職業は成り立ちません。翻って、教員という仕事は、教える内容はかつて自分が学習した範囲の事ですから、極端な物言いをすれば、学生アルバイトであっても、恰好だけはつくという事になります。

免許更新制が廃止されること自体は問題はありません。多分、これまでの更新講習というのは、多くの先生方が「出席してもしなくても変わらない」くらいにしか思えない内容であったのではないでしょうか。本当に必要なことは、「教員」という仕事のノウハウは一生磨き続けなければならない…という事を、それぞれの先生方に知っておくことかと思います。

奇しくも、日本のイヤ世界の体操男子をけん引してきた内村航平氏が現役引退を表明されました。会見で「体操だけうまくても駄目だ」という事をおっしゃっています。「体操選手である前に一人の人間としてちゃんとしてないと駄目だ」と。すべての世界で、その道だけの能力が高くてもそれをプロとは言わない…と私は思っています。本当に不必要な雑務はできるだけ省いて、先生方が授業に専念できる職場を整えていただきたいと思います。ですが、寸暇を惜しんで自分の力量を上げる努力は惜しまないでいただきたいと思います。

迷惑メール

2022年01月03日 | 社会派らぼ
新年早々、迷惑メールの削除作業ついでに、実際に停止されるかどうか定かではありませんが、「配信停止」の作業に明け暮れました。


もう昨年の事ですが、ニベア花王が「他の製品と混ぜて使わないでください」という異例の注意喚起を行いました。「青缶にコレで」をうたい文句に「シミは消える」と宣伝を繰り返した会社があったのです。「青缶」としか書かれてはいないのですが、写真には「NIVEA」という文字が映っています。私も何度か見かけたことがありますが、かなり前から同様の広告が繰り返されており、広告会社に停止依頼を行ったりも使用ですが、問い合わせなどもあり、腹に据えかねて…の措置でしょうか。

ニベア花王ほどの企業はさすが…、訴えるとかの手段でなく「他の製品と混ぜると、本来の働きが失われる」として混ぜる行為自体をたしなめるソフト路線で、社会の注目を惹くことに成功したようです。肝心の広告主は、問題の広告制作には関与していないと回答したようです。調査をする…との事ですが、トカゲの尻尾切りで幕が引かれる感が否めません。広告会社のモラル云々も取りざたされますが、こちらも結局は「いたちごっこ」の顛末をたどるしか無さそうです。


日本の広告費は、東日本大震災以来、成長を続けてきたようですが、2020年にはどんと減少しました。旅行会社、芸能・文化施設などのイベント告知が大きく減少し、巣ごもり生活でファッション、アクセサリー、化粧品なども大幅減。マスコミ4媒体広告費はすべて前年割れ。プロモーションメディア(屋外広告、交通広告、折込)も、営業時間短縮やイベント中止、交通機関利用者減少などの影響で、広告収入は大きく減少。新型コロナウイルス感染症拡大の煽りと言えるでしょうか。唯一インターネット広告は、プラスだったとか。21年度は20年度よりは10%増。ここでもインターネット広告が一段と成長し全体を牽引しているようです。

好むと好まざるとに関わらず、今後もネット広告は増大し続けると思われます。コンプレックスを刺激するようなものや怪しいものは、正論では不愉快だと言われつつ、クリックを誘発しやすく、広告的には「見てもらえた」という評価につながります。他のメディアに比べて制作費もかからないところも魅力でしょう。

政府もやっと取り組みが議論されているようですが、ネット世界のスピードにはお役所は太刀打ちできそうもありません。要は、いくら広告を打っても、売り上げに繋がらないという事を企業側が理解するしかないのでしょうか。製品名を連呼したり、人間のイヤな部分を突っつくような広告ではなく、もっと壮大でアートの域にも迫るかの広告を競う時代になればいいですね。

年賀状

2022年01月01日 | 雑談
明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

日本に暦が伝わってきたのは6世紀頃とも言われていますから、それ以前の古墳時代や弥生時代に遡ると、現代のようにカレンダーを見てそろそろ寒さもピークだろうとか、もう少しで春が来る…といった感覚は持てなかったでしょう。長年の勘が、耐え忍べばいつか芽吹く春が来るという事はわかっていたかも知れませんが、カレンダーを1枚めくって、気持ちをまっさらにするなどといった芸当には縁がなかった時代でしょう。

現代の私たちは、暦を手に入れて季節の巡りを頭で理解することができ、辛いことや苦しいことがあった時にも、その都度気持ちをリセットする節目を手に入れました。新年は「もう一度1から」と思い直す良い機会です。

年頭に当たって送り合う年賀状の習慣が廃れつつあると言われます。メールやSNSの普及がその背景にあることは明白です。1枚1枚手でしたためた時代がありましたが、今ではプリンタが自動で印刷をしてくれます。それでも年賀状のデザインを考え(数あるサンプルから選び?)ハガキを買って来てプリンタにセットし、パソコンを操作するその手間ヒマから解放されたい…と思う人が多いということでしょうか。

虚礼廃止といった言葉もまことしやかに叫ばれた事もあります。要するに、誰だったか(…は大げさにしても)も考えず、機械的に挨拶を送ること自体に意味は無いとする考え方です。子どもの頃、父親の年賀状の宛名書きをしていましたが、選挙運動のアルバイトみたいなもので、虚礼と言えば虚礼かもしれません。が、いただいた年賀状を嬉しそうに見ていた父の姿を思うと、虚礼とは言い難いものがあります。

この時代ですから、年賀状はやめてSNSでご挨拶も良いかも知れませんね。でも「SNSで年末や新年の挨拶はどうする? 参考になる例文テンプレート・投稿事例集」なんていうサイトが立ち上がっていたりするのを見ると、それって意味があるのかなと笑ってしまいました。

年賀状を書くのが大変なので「出さずにスルーする」という動きも広がっているとか。ご年配の方を中心に「今年限りでご挨拶は失礼します」といった「年賀状卒業」の儀式を経ずに、ただ出さないといった「年賀状スルー」。「『年賀状スルー』あ、出さないでもいいのか」という反応を見て、う~んそうじゃないだろう、出すか出さないかは個々人の考え方ひとつなのではないだろうかと思いました。出すもよし、出さぬもよし。自分自身が、相手とどう繋がっていきたいか?だけなのだと思います。

今年も皆様と細々と繋がっていたい…と願う当ブログです。