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No1139『有りがたうさん』~街道渡世の仁義~

清水宏監督の作品の中でも、ダントツに好きな中の1本。
バスに乗って遠足にいくような気分で、
いっしょに揺られながら、流れる風景を観ていた。

南伊豆の乗り合いバスの運転手が上原謙。
歩く人、荷台を引く人、いろんな人や車を追い抜くたびに、
「ありがとう」と声をかけることから、
「ありがとうさん」と呼ばれ、慕われている。

初めて観た時、
カメラをバスの正面に向け、
前方を歩く人に近づき、追い抜いていくところを、
抜かしてからは、
今度、カメラを後ろに向けて、
遠ざかっていく人を撮る。
この近づき、遠ざかるシーンの、得も言われぬ美しさに
心奪われた。

今回、あらためて観て、
バスを乗り降りする人たちのいろんな会話から、
1936年という映画がつくられた当時の
世相や社会状況、人間ドラマが散りばめられていて、
さりげないけれど、深い余韻が残った。

ありがとうさんは、街道を歩く人から
言伝を頼まれたり、買い物を頼まれたりする。
乗客から、大変だね、と声をかけられ、
「いえ、これも、街道渡世の仁義ですから」と
にっこり笑って答える。

流行歌のレコードを一枚買ってきてほしいと頼まれ、
この一枚で、村の娘たちが皆喜ぶんです、
村では、なにも楽しみがないですからね、との
ありがとうさんのコメントが、なんとも心にしみる。

「あたしたち、今度くるバスが
ありがとうさんの車かどうか、当てっこしてたのよ」

「気立てはいいし、男っぷりもいいから
街道筋の娘っこが騒ぐのも無理はないねえ」
なんてセリフもある。

バスが追い抜いていく人たちは、
バスに乗りたくても、乗車賃をもっていない人も多い。
いつか、ありがとうさんのバスに乗って峠を越えたい、と
言う人もいる。

不況で仕事がなく、田舎に帰ってくる人たち。
子どもが産まれても、
男の子は仕事がなくてルンペンになるし、
女の子は身売りに出されてで、めでたくない、なんて話が
陣痛の知らせにあわてて駆け付けようと、
バスに乗ったお医者さんと乗客との間で交わされる。

ほのぼのとしているようで、
会話の内容は、生きづらい当時の世相を伝えるものばかり。
ありがとうさんは、バスを運転しながら、
そんな辛い社会状況の中で、
懸命に生きている人、歩いている人たちを
じっとあたたかい目で見てきたんだとわかる。

白いチマチョゴリを着た娘とありがとうさんとのシーンがいい。
道をつくる仕事をしてきて、
でも、自分たちがつくった道を歩くこともなく、
また次の道をつくる仕事のために、信州へと旅立つ。
ありがとうさんに、
(工事中に亡くなった)お父さんのお墓に時々お水をあげてね、と頼む娘。
ありがとうさんは、バスに乗っていきなさいよ、と言うが、
娘たちが振り向くと、山すその方に、
大勢の朝鮮人労務者が街道を歩いている姿が、
俯瞰気味のロングで画面いっぱいに映される。
娘は、皆といっしょに歩いていく、とにっこり答えて、別れを告げる。
ありがとうさんが、バスに乗ろうとする姿を、
真横からとらえたロングショットのきれいなこと。

バスの乗客の
身売りにいく娘とその母(二葉かほる)や
桑野通子演じる、流浪の女とのやりとりがメインになる。

冒頭、バスが出発する前、
茶店で娘はずっと泣いている。
その傍らで、上原謙がねっころがっていることに、今回気付いた。

同じバスの運転手がでてくる『暁の合唱』でも
運転手の佐分利信がねっころがってるシーンがあって、
このシーンがとってもいいのだ!

運転手と、街道をいく人たちとの、ちょっとした会話が全部心に残る。


 7年前初見の感想

コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
有難う (川端康成)
2014-01-26 01:05:41
今年は柿の豊年で山の秋が美しい。
半島の南の端の港である。駄菓子を並べた待合所の二階から、紫の襟の黄色い服を着た運転手が下りて来る。表には大型の赤い定期乗合自動車が紫の旗を立てている。
母親は駄菓子の紙袋の口を握りしめて立ち上がりながら、靴の紐を綺麗に結んでいる運転手に言う。
「今日はお前さんの番だね。そうかい。有難うさんに連れて行ってもらうんなら、この子もいい運にめぐり合えるじゃろ。いいことのあるしるしじゃろ。」
運転手は傍の娘を見て黙っている。
「いつまで延ばしてもきりがないからな。それにもうそろそろ冬じゃからな。寒い時分にこの子を遠くへやるのは可哀想じゃからな。同じ出すなら時候のいいうちにと思ってな。連れて行くことにしましたよ。」
運転手は黙ってうなずきながら、兵士のように自動車へ歩み寄って、運転台の座蒲団を正しく直す。
「お婆さん、一番前へ乗んなさいよ。前ほど揺れないんだ。道が遠いからね。」
母親が十五里北の汽車のある町へ娘を売りに行くのである。

山道に揺られながら娘は直ぐ前の運転手の正しい肩に目の光を折り取られている。黄色い服が目の中で世界のように拡がって行く。山々の姿がその肩の両方へ分れて行く。自転車は高い峠を二つ越えなければならない。
乗合馬車に追い附く。馬車が道端へ寄る。
「ありがとう。」
運転手は澄んだ声ではっきりと言いながら、啄木鳥のように頭を下げていさぎよく敬礼する。
材木の馬力に行き違う。馬力が道端へ寄る。
「ありがとう。」
大八車。
「ありがとう。」
人力車。
「ありがとう。」
馬。
「ありがとう。」
彼は十分間に三十台の車を追い越しても、礼儀を欠かさない。百里を疾走しても端正な姿を崩さない。それが真直ぐな杉の木のように素朴で自然である。
港を三時過ぎに出た自動車は途中で明かりをつける。運転手は馬に出会う度に一々前燈を消してやる。そして、
「ありがとう。」
「ありがとう。」
「ありがとう。」
彼は十五里の街道の馬車や荷車や馬に一番評判のいい運転手である。

停車場の広場の夕闇へ下りると、娘はからだが揺れ、足が浮き上がっているような気持でふらふらしながら母親につかまる。
「お待ちよ。」と言い棄てて母親は運転手に追い縋る。
「ねえ、この子がお前さんを好きじゃとよ。私のお願いじゃからよ。手を合わせて拝みます。どうせ明日から見も知らない人様の慰み物になるんじゃもの。ほんとによ。どんな町のお嬢さまだってお前さんの自動車に十里も乗ったらな。」

次の日の明け方、運転手は木賃宿を出て兵士のように広場を横切ってゆく。その後から母親と娘がちょこちょこ走りについて行く。車庫から出た大型の赤い定期乗合自動車が紫の旗を立てて一番の汽車を待つ。
娘は先に乗って唇を擦り合わせながら運転手台の黒い革を撫でている。母親は朝寒に袂を合わせている。
「どりゃどりゃ、またこの子を連れてお帰りか。今朝になってこの子には泣かれるし、お前さんには叱られるし。私の思いやりがしくじりさ。連れて帰るには帰るが、いいかい、春までじゃよ。これから寒い時分に出すのは可哀想じゃから辛抱するけど、こんどいい時候になったらこの子は家に置けんのじゃよ。」

一番の汽車が三人の客を自動車に落として行く。
運転手が運転台の座蒲団を正しく直す。娘は直ぐ前の温かい肩に目の光を折り取られている。秋の朝風がその肩の両方へ流れて吹く。
乗合馬車に追いつく。馬車が道端へ寄る。
「ありがとう。」
荷車。
「ありがとう。」
馬。
「ありがとう。」
「ありがとう。」
「ありがとう。」
彼は十五里の野山に感謝を一ぱいにして、半島の南の端の港に帰る。
今年は柿の豊年で山の秋が美しい。
 
 
 
川端さまへ (パラパラ)
2014-01-26 01:12:17
コメントありがとうございます。
というか、原作を読ませてくださり、感謝です。とっても読みたかったので。
折り目正しく、端正な運転手のイメージは、上原謙ぴったりでした。
原作を読んで、あらためて映画のすごさに感じ入ります。
ありがとうございます。
 
 
 
共通項は (川端改めさきたろう)
2014-01-26 01:24:12
心地いいリズムと「ありがとう」という魔法の言葉でしょうか。
 
 
 
どうもすみません。 (さきたろう)
2014-01-26 01:32:04
川端先生の作品はまだ著作権がきれてなかったようです。
削除をお願いします。
 
 
 
さきたろう (パラパラ)
2014-01-26 01:32:35
多分、さきたろうさんではないかと思っていました。川端さんが生きてるわけないしね。というか、今日、上野さんが、永井荷風に感想を聞けるわけもないけど、聞いてみたいと言われてたのが、印象に残ったりもしたところです。
原作のわずかなやりとりを映画の核に、いろんな登場人物を書き加えて、ふくらませ、当時の空気を感じさせる。さすがです。

バスに乗ってるときの、エンジン音、警笛の音、音楽もいい感じで、そのリズム感は、遠足にいってるみたいで、思わず心が軽く、浮足立ちました。
上原謙の「ありがとう」も、道行く人の「ありがとう」もいいんですよね。
 
 
 
有難うござます… (PineWood)
2016-05-13 06:07:17
車内に放送が流れる…有難うござます…。有難う…この言葉の響きを人物に運転手の爽やかな人物に託して色彩感豊かな詩情溢れる一篇に結晶させた川端康成…。その持ち味を生かしてユーモアとペーソスのあるジャック・タチ監督作品の様に伸び伸びと描く清水宏監督!モーパッサンの短篇(野遊び)を(ピクニック)という珠玉の名作にしたジャン・ルノワール監督の手腕の事を本編を観ていて思い出したー。佳い映画、有難う♪
 
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