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中島貞夫監督が語る~脚本家小國英雄さんの作品について~

「劇映画でも、ちゃんと“残るもの”があって、
それは、キャラと結びついている。」

「脚本家小國英雄特集」(大阪九条のシネ・ヌーヴォ)に
映画監督の中島貞夫さんが来場され、
小國さんについて語ってくれた。
そのトークの中で一番心に残った言葉です。
(写真は中島監督~京都映画祭のパンフレットから~)

私、不肖ながら、ついぼんやりしていて
家を出るのが遅れ、
劇場に着いた時には、トーク開始後5分。
遅刻してしまったけれど、覚えてる限りで
印象に残ったお話をお伝えしたい。
少し詳細不明なところもありますが、ご容赦ください。

中島監督のお話は、
「マキノの親父」と言われたり、
本当に、映画の現場を生きてきた人の語りという感じがして
とてもわかりやすく、
ぽんぽんと明朗に語りかけるような口調がすてきで
とても楽しい。
とりわけ、マキノファンにとっては、
マキノ監督についてのお話は、いつまでも聞いていたいくらい。


(写真は、中島監督の著書「遊撃の美学 映画監督中島貞夫」から)

小國脚本については、
セリフの間合いがうまい。
セリフを投げる側と、受ける側のアンサンブルが見事で、
テンポもよく、
キャラの個性も生きている。
そういったことは、マキノ監督の演出から一番学んだ。

『昨日消えた男』('41年)という
マキノ正博監督の長屋ものの作品では、
長屋のシーンの演出が見事。

(これは、嫌われ者の家主が殺され、
長屋の住人全員が容疑者という、
アガサ・クリスティのミステリーを
オリエント急行の電車から、
長屋に場を移しかえたという粋な脚本。)

長屋の連中が、ドラマをつくっていて
批評家から何から、いろいろな役を長屋の連中が分担して演じている。
お話のおもしろさ、キャラのおもしろさが、
ただの勧善懲悪ではないものを感じさせる。

助監督の頃、マキノ監督に言われて
脚本を書いたが、
何度書き直しても、ダメ出しをされて、
とうとう腹が立って、
最初に書いた台本を出したら、OKが出た。
マキノ監督も、試行錯誤しているうちは、
なかなかすぐ答えを出せないよう。

小國さんの脚本は
アンサンブルをとりやすい、芝居の書き方。

マキノ監督も、小國さんの悪口を言うことはなく、
小國さんと山上伊太郎さんには、一目置いていたよう。

沢島忠監督が、
マキノ監督の『続清水港』('40年)のリメイクとして
『森の石松鬼より怖い』('60年)をつくった。
(『続清水港』の原作・脚本は小國さん。『森の石松鬼より怖い』の脚本の一人が小國さん)

「森の石松」の舞台稽古の演出をしていた演出家が
タイムスリップして、当の石松になってしまう。
石松は、閻魔堂で、都鳥一家の待ち伏せに会い、
あえない最期を遂げるという結末を知っているから、
石松になった演出家は、この結末をなんとか避けたいのに、
筋書きどおりに、進んでしまう。
果たして、どうなるのか…?というお話。

中島監督は、助監督の時に
沢島忠監督に「どんでん返しってないのですか」と尋ねたら、
(つまり、うまく逃げるとかして、運命から逃れる)
沢島監督に怒られたそうだ。

次郎長シリーズは、マキノ監督が何度も映画化しているが、
次郎長をヒーローとするものが大半。
『続清水港』は唯一、次郎長親分が前半に少し出てくるだけで
ほとんど出てこない。
設定が上手く、ラストで悲劇を迎えざるを得ない人物、
死ななきゃだめ、というキャラをつくっている。

小國さんは、そんなふうに、シチュエーションでドラマの根幹をつくっている。

昭和26年('51年)に(社名変更して)東映が生まれ、
中島監督は昭和34年('59年)頃に東映に入社。
当時、片岡千恵蔵の、遠山の金さんシリーズ、
市川右太右衛門の、旗本退屈男シリーズが人気絶頂。
中村錦之助、東千代之介は
当時はまだ“ジャリすくい”と言われ、
ラジオ番組の映画化作品だとか
子どもたち相手の映画づくりに駆り出されていた。

マキノ雅弘監督や、沢島忠監督は、
ともに、小國さんのオリジナルの脚本を下敷きに
多くの時代劇をつくっていった。

一心太助シリーズの、
沢島忠監督の『家光と彦左と一心太助』('60)、
山下耕作監督の『一心太助 江戸っ子祭り』(’67〉は、
小國さんの
『江戸っ子祭』('58)『家光と彦左』('41)を基にしていて、
その影響は計り知れない。 

小國さんの脚本は、ト書きが明快。
『昨日消えた男』を見ても、
人物の出し入れ、動きが見事。

セリフに、人物の個性を生かしている。
駕籠屋が言うのか、大家が言うのか、だれが言うのかによって、
口調も違う。

シリアスもの、コメディものと、いろいろ書き分けていて
読み物としても、文体自体も、しっかりしている。
時代劇を書くのに、大いに勉強になった。

「つくり」だけでなく「表現力」もすごい。
キャラのおもしろさ、セリフのおもしろさで
物語を展開させていく。

当時、エノケンとか、ロッパとか、
喜劇役者も個性的な俳優が多かったけれど、
役者の掴み、生かし方も心得ていた。

マキノ雅弘監督の父、マキノ省三監督が大変シナリオ重視で、
その影響をマキノ監督も受けている。

1スジ、2ヌケ、3ドウサ、とあるように、
1番大事なのが脚本、2番目が撮影技術、3番目に演出、芝居。

脚本がだめだと、俳優や監督がどんなに頑張っても
いい映画は生まれない。
というのが、マキノ監督の持論。

大正時代から昭和10年頃にかけて
シナリオライターが一番ギャラが高かった。
(当時は、キャメラマンもまあまあ高かったそうです)

小國さんも、相当高いギャラをもらっていたのは確かだが、
本数がすごいだけでなく、作品のバラエティが豊か。

飄々とつくっていくマキノ雅弘監督と、
ガチガチとつくっていく黒澤明監督、
非常に対照的な監督で、お二人とも脚本も書ける人で
かつ、新しいことに挑戦し、新しいことをやっていく人でもあった。
キャラ、演出家をのせてしまうような勢いのある台本を書ける人。

お話は以上です。
()は、私が補充した箇所です。

中島監督は、ついマキノ監督のお話ばかりになってしまいますが
といいつつ、いっぱいマキノ監督について
語ってくれて、とても嬉しかった。

中島監督は、話の最後に、
こういうめずらしい、小國さんの特集上映に来られるのは、
本当の映画好きでしょうから、
今日、こんなにたくさんの人が集まってくださって
とてもうれしい、
これから、小國さんの映画を観れるのはわくわくする、と
にこにこしながら、言っておられた。

小國英雄さんは1904年青森生まれ、1996年2月5日死去。享年91。
小國英雄さんの写真です。

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訂正お願いします (中島監督関係)
2018-05-09 21:36:58
お取り扱いの写真、中島貞夫監督ではありません。
訂正お願いいたします。
 
 
 
写真について (パラパラ)
2018-05-10 00:35:47
写真は、中島監督が語って下さった小國英雄さんのもので文中末尾にその旨はきちんと記載していました。でも、最後まで読まないとわからないので、誤解を招いたようで、大変失礼しました。
文頭にも加筆させていただくかたちで修正しようとして、ふとネットで中島監督についてグーグル検索をしたところ、なぜか当ブログの写真が出てきて、貴殿がご指摘された理由がわかりました。
尊敬する中島監督の検索画面に小國さんの写真が出てくるなんて、こちらとしても心外で、申し訳ない限りです。取り急ぎ、手持ちの本等で撮影した写真に差し替えさせていただきました。

小國さんの写真は一旦削除したのですが、それでもグーグル検索の画面は変わらなかったため、むしろ小國さんの写真だとわかるよう、文末に掲載を残したかたちに変更させていただきました。
どうぞよろしくお願いいたします。
 
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