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No1159『母のおもかげ』~素直にお母さんと呼べない、子どもの仁義~

いくらきれいで優しいお継母さんでも、
素直に「おかあさん」と呼べない少年。
まわりじゅうから、いいおかあさんだね、と言われると、
なおさら言いにくい。
継母の優しさに、ありがとうの言葉も言えず、
本心とは裏腹に、意固地になって、
ほしいものも、要らないと言ってしまう。
素直になれない悪循環・・・。
かたくなになるこころ。

少年は少年なりにわけがある。
亡き母への思い。
継母を「おかあさん」と呼んでは、
亡き母にわるいんじゃないかという、子どもなりの仁義。

目前の優しい継母に甘えたい気持ちとの狭間で悩む。
甘えたいのに甘えられない。
こどもなりの意地と本音が心の中でぶつかりあう。

継母の外出中、ひとりで留守番をしている時のこと。
壁にかかっている継母の洋服の袖を手で握ってみる。
「おかあさん、グローブ買ってよ」と言ってみる。
少し離れて、仕切り戸から顔だけのぞかせて、
洋服に語りかけてみる。
「おかあさん」
あっちこっち場所を変えて言ってみる。
あんなに言えなかった言葉が、
洋服に向かってなら言える。
少年のうれしそうな笑顔がかわいい。

清水宏監督の1955年の作品で、遺作。

清水監督の作品では、こんなふうに
母子が、素直に親子の絆、情を結び合うことができないものが多い。
『次郎物語』のように、
実母であっても、素直に愛せなかったり、
妙に意地を張ったりして、
関係をこじらせてしまう。

すれちがったり、拒まれたり、いろんなことがあっても、
こどもは、こどもなりに、懸命に母や父を思っていて、
その心の純真さに胸がつまるような気持ちになる。

すれちがいを重ね、
切なさを重ね、
時間を経ることで、少しずつ関係が変わっていく。
こじれてしまって、別れが決定的になったとしても、
別れの一歩手前で、真実の思いに気づく。

この人をうしなっちゃいけない、悲しませちゃいけない。
少年の心の中の変なこだわり、意固地な部分が一気に決壊して、
素直で本当の思いがあふれ出す。

本作でいえば、
継母と義妹が、荷物を持って家を出ていく。
少年は、向かいの家のガラス戸から
そっとその姿を見つめている。
窓の木枠のさんのところを、カメラが横移動し、
歩いていく継母をとらえる。

映画は、少年のこころの変化を言葉になんてしない。
ただ、動きで伝える。
義母が去っていくのを見つめる少年の視線で、表情で
こころが伝わる。

少年の意固地さが、父を、義妹を、継母を悲しませている、
なにより、少年自身が、継母に去ってほしくない、いっしょにいたい、
家にいてほしい、という真実の思いに気づく。
少年にすれば、悲鳴に近いような、そんな気持ちが、
最後にはじめて、少年を自ら行動に向かわせる。

一本道をとぼとぼ歩いていく継母の前に現れる少年。
継母に向かって、初めて「おかあさん」と呼びかける・・。
継母の驚きとうれしさがあふれだす顔。

あとは、もう何も語らなくても伝わる。
継母と少年と義妹の三人が、手をつないで帰っていくうしろ姿があればいい。
なんとあたたかく、やさしいことか。

少年は亡き母の形見として伝書鳩を飼っていて、
本作でも、空が映る。浅草の境内の空。

橋を渡っていく継母の姿を、
トラックの陰から
少年がそっと見守っていたり、
清水宏監督作品のいろんな魅力が満載。

かわいらしというよりは、ちょっと癖のある顔の主人公の少年が
いじらしく、終いには、忘れられない顔になる。

継母を演じたのは、淡島千景。
悩みながら、少年の母になろうと、懸命に尽くす姿がすてきで、
立ち居振る舞いが美しい。
本当に絵になる女優さん。

こうして、清水宏監督の作品について思い出して、書くだけで
気持ちが救われる。
映画が、わたしに、何か語りかけてくれる気がする。
気のせいかな。
でも、やっぱり、清水宏監督のやさしく、あたたかい世界が大好きなのだ。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
表情 (PineWood)
2016-05-15 08:45:42
主演の息子役の充宏君の癖のある表情が実に佳かった!ちょっとずつ変化して行く心の成長も見事でした。フランソワ・トリュフォー監督の(大人は判ってくれない)のアントワーヌ・ドワネル君を連想させました♪(蜂の巣の子どもたち)はもう、(トリュフォーの思春期)ですね!子どもたちに囲まれて…
 
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