映画の感想をざっくばらんに、パラパラ読めるよう綴っています。最近は映画だけでなく音楽などなど、心に印象に残ったことも。
パラパラ映画手帖
No1437『多重障害』~子どもたちの純粋な表情や仕草~
どうしても観たくて、昼から年休をもらって、
移転後、初めての京都みなみ会館へ。
階段状でとてもみやすく、きれいな映画館だった。
小さなタオルを懸命に四つにたたむ練習をする、
知的障害の少年。
繰り返し試みては、先生が声をかける。
その姿が、どこか神々しくみえて、涙が出そうになった。
きちんとたためて、先生が喜び、ほめる。
ご飯のシーンでも、
それぞれに懸命に食べている。
カメラが、その表情に釘付けになって、アップでとらえつづける。
ワイズマン監督に、あまりアップはなかったはずと思いつつ、
その輝きに、私たちも心奪われる。
食べるのを介助する先生たちも大変だ。
一人で4人くらいの面倒をみたりしている、
食べ終わった頃に、
川を一つ越え、またもう一つ越え〜と歌いながら、
歩いていく黒人の女性の先生。
なんだか、毎日が、川を渡っているような気がして、
その姿が心にやきついた。
食後、椅子に座る子もいれば、
好き勝手な格好で、椅子とからんだりしている。
あるべき、というのはなくて、
思いのまま、自由に、ふるまっている。
夜、眠る前も、どこかはしゃいだりしている子どもたち。
まっすぐな表情。
純粋なんだなと思う。
アラバマ盲聾学校のヘレン・ケラー校の記録映画。
1986年。
盲かつ聾唖の人に加え、
盲の多重障害、聾唖の多重障害という三種類の生徒が学んでいるそうだ。
生活していくのに最低限のスキルを身につけさせようと
知恵を絞り、熱心に議論する先生たち。
子ども達のことを真剣に考えていて、熱意があふれる。
時計の読み方、7時半を時計で示せるか。
たくさんの名前の札から、自分の姓と名のカードを選べるか。
先生を囲んで、
競うようにして、自分が動かした時計を先生にみてもらおうとする
知的障害の子どもたち。
女の子の後ろについて、
ずっと白い杖で歩くのを教える先生。
彼らの姿をみていると
生きるためには、何が必要なのか考えさせられる。
と同時に、教える先生たちの柔和な表情。
どう教えるのか、どうしたら覚えてもらえるのか。
先生たちの温厚な声、よくできたねとほめる声の響き。
色をおぼえ、形をおぼえる。
色紙でつくったとうもろこしの葉や茎。
どの子も先生も、表情がステキで、輝いていて、
見入ってしまう。
ワイズマン監督の作品で一番好きかもしれない。
子供たちの姿をいつまでも観ていたいと思った。
技術も知識もないけど、
退職したら、この学校で働きたいと思うくらい。
こどもって本当にすてきだ。
陽だまりのバスケットのコートで、
小さなスケボーのような板に座って、
先生が持っている紐を握って、
引っ張ってもらう子ども達の心地好さそうな表情といったら。
紐を持ち続けるところに、その子の意思を感じた。
学校で働いているのか、お手伝いしているのか、
いつもカートを押していったり、
お掃除しているひょうきんな少年の軽い足取り。
廊下で先生が子どもを教えているか支えている姿が
逆光でとらえられてシルエットになったショットの
なんと美しいこと。
先生と子ども達が、遠足か、出かけるのかで
歩いている姿をロングでとらえたりしているのも印象的。
随分昔に観た、びわこ学園の映画を思い出した。
あの学園の重度障害の子どもたちもすてきだった。
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