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No1166『ドストエフスキーと愛に生きる』~翻訳家の老女のたたずまいの美しさ…その半生をたどる~

「誰でも一度は言葉を話す魚に出会う」

はっきりとした意味はわからないが、(もう一回観なくちゃ)
神秘的で運命的な響きにとらえられた。

84歳の翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーさんが語る、
珠玉のような言葉の数々に魅せられた。

「知性と感性は、年をとるほど磨かれる」

のほほんと知らぬ間に、年ばかりとっていく私は、
この言葉に、どれだけ勇気づけられたことか。

青い瞳がきらきら輝いていて、
落ち着いた風格、
やさしい物腰、あたたかみのある表情、くすりと笑う笑顔、
丁寧に言葉を選びながらも、毅然とした態度で話す姿が
本当にすてきだ。

ドイツから故郷への旅の道中、
会話を途中でさえぎらないよう、
終わるまでパスポートの検閲を待っていた車掌に
スヴェトラーナさんが、丁寧に、誠意を込めてお礼を言う。

普段がさつで無頓着な私は、彼女の姿を心に刻み付けて、
他人に敬意を払うことを忘れないでいたいと思った。

映画は、ウクライナのキエフ出身で
スターリン、ナチスと激動の時代を生き抜き、
今は、ドイツに住むスヴェトラーナさんの半生を浮き彫りにする。
料理したり、家事をこなす普段の生活ぶりや、
翻訳の仕事にうちこむ姿も丁寧に映し出され、
そのありよう、たたずまいの美しさに
うっとりさせられた。

腰の高さの大きなアイロン台をひっぱり出して、
白いブラウスにアイロンをかけていく。

「洗濯をすると繊維は方向性を失う。
その糸の方向をもう一度整えてやらねばならない。
織りあわされた糸、文章も織物と同じこと」

生地を表す“テキスタイル”と
文章を表す“テキスト”は同じランテン語の“織る”が語源で、
一本一本、糸が密に絡み合い、織り重なって、生地ができる。
文学もまた言葉の織物と
スヴェトラーナさんは語る。(パンフ引用)

細かく編んだレースをひろげたり、
料理のため、材料を細かく刻む手つきが、
淡くやわらかな光の中で映し出され、本当にすてきだ。

かくしゃくとした姿、言葉を選びながら語る姿は、
こんなふうに年をとれたらという理想…。

監督がインタビュー記事で、
彼女はお茶の時間を大切にする「ティー・ドリンカー」だと言っていた。
紅茶を飲む時、
「ティーカップの受け皿を(書斎のテーブルに)持ってきて」と
彼女が頼むシーンがあって、それも納得。
私なぞは、つい、ひとりもののものぐさで、
受け皿を使うなんて、ここ最近、なかったが、
「丁寧に暮らす」というのが、どういうことか、考えさせられた。

「翻訳する時は、鼻を上げなさい」

「翻訳というのは
言葉を右から左へ移し替える尺取虫だけじゃダメってこと。
原文に寄り添い、一度すべてを自分の中に取り込む、
つまり心で読み込まなきゃならないの」

「鼻を上げる」、「尺取虫」という表現の新鮮さは、忘れられない。

「翻訳は常に全体から生まれるものです。
全体を見て、愛さなければ
一つ一つを理解できない。
文章の全体を、自分の中に取り込む、
ドイツ語では、“内面化する”と言います。
文章を自分の内側に取り込んで、
心と一体化するのです」

ぜひ公式サイトの予告編を見てほしい。
腰の曲がった彼女が、
ドストエフスキーの長編小説の重い装丁本を何冊も抱えて
部屋に入ってくる。
「罪と罰」と一冊ずつ、タイトルを読み上げながら、置いていく。
その仕草を見ているだけで、情緒的な音楽もあいまって
なんだか、感極まる。

「ドストエフスキーの文章は宝探しのよう。
二度、三度と読んで
初めて見つかるような宝石が、
目立たない場所に隠されているから。
すでに訳したことがあっても、訳しきれない。
それこそが、おそらく最高の価値を持った
文章である証拠です」

「人はなぜ翻訳するのか?
きっと逃れ去ってゆくものへの
憧れかもしれない」

彼女の書斎は、本当にすばらしい。
大きな窓の向こうは、緑の木々。
大きなテーブルは、窓に面していて
机の上には、本が積まれている。

翻訳家である彼女の姿はもちろんだけれど、
彼女の、生き様、日常を生きる姿のすてきさが、
多くの観客の心を打つのだろう。

この映画について語るブログの感想は、
どれもあたたかで、愛に満ちている。
きっと、この映画の静けさ、語り口、優しい光と、
彼女のありよう、たたずまい、生き様が、確かに伝わったからだろう。
本当にすてきなドキュメンタリー映画。

ロシア語がわかったら・・とドイツ語もわからない私は
その美しい響きを聞いて思った。

<おまけ>
この映画の感想について書かれたブログを幾つか読んでいて
偶然見つけたもの。
「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る 常に希望を語る姿勢でいられたら」
で書かれた文章を引用させていただきます。

「プロとは、クリエイティブなモノを待ち望むのではなく、
毎日同じ作業をして習慣化する中で、
何かをひねり出して行くのである。
毎日同じようにすることで、洗練されて行く」

哲学者のカントは、毎日同じ時間に町を散歩していて、
その姿を見て、町の人たちは、時間がわかったほどに正確だったそうです。
村上春樹さんも、小説を書く時間は毎日決めていると
エッセイにありました。

毎日、毎日、こつこつ、が無理でも
せめて、一週間のこの一日、この何時間だけかは、きちんとしたいなあと
最近、映画を観に行かない週末の静かな午後に思ったりします。

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