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No862トルコ映画『卵』『ミルク』のこと~雨の音に思いを馳せる…~

観に行くことができなかった映画について語りたい。

木々が静かに立ち並ぶ森の中
ひっそりと深い湖が広がっている。
その縁にそっと立ち、水面に映った自分の姿を
じっと眺めている。
耳に聞こえるのは、鳥の音、あるいは、雨の音だろうか。
そんな気分になる映画…。

トルコ映画の『卵』(2007年)。
忘れられないのが冒頭のシーン。
おばあさんが雨の中、田んぼか畑のような広い空間を
とぼとぼ歩いていくのを
ロングショットでずっととらえたまま。
すごい長回し。
あの雨の音と、けぶった光景、
ただただ画面に吸い寄せられ
雨の音に、我を忘れた。
そこに映っている世界に吸い寄せられる、
自分自身が、画面に溶け入ってしまう、
物語とは全く関係ない、そんな体験。
多分、あの世に逝くのに、こんな光景だったらいいなと
今から思い出してみる。

そんなことを思い出したのも
この土曜日、
京都みなみ会館で同じセミフ・カプランオール監督の
『ミルク』(2008年)を観てきたから。
冒頭、緑の青々とした草原のようなところで
老人がテーブルの上で小さな字で、紙に何か書き付けている。
やはりすごい長回し。
その後、木に女性を逆さにぶら下げて
ミルクの沸き立つ鍋の上につるす。
鍋に、お札のように、細かい字を書いた紙を入れると
ミルクの湯気で
女の口から蛇が出てくる…。
全くわけがわからないまま、でも忘れられない光景。
そして、ゆっくりタイトルインすると
やっぱり聞こえてくるのが雨の音で、
すっかり心奪われた…。

タイトルから画面が変わると、主人公の青年の家の中なので
やはり、この監督、雨の音が好きなのだと思った。
監督の最新作『蜂蜜』(2010年)の
最後の教室で聞こえてくる雨の音も忘れられない。

ラスト、詩を書くことをあきらめた青年が
炭坑のようなところで肉体労働をしている。
夜、休み時間か、休憩している彼を
じっと見つめるカメラ。
彼の心の底はわからない。
ヘッドランプをつけたままでまぶしい。何もみえない。
でも、逆にそのライトは
自分の心の内側を照らしているようで、
青年が、今の私自身のありようを見つめ返しているような気がした。

『ミルク』の冒頭画面で、緑のあまりのきれいさに、
映画館のちらしにはDVと書かれていたけれど
劇場が変われば(初見はテアトル梅田でDV上映)
こんなにきれいになるものかと思っていたら、
後日、35ミリフィルムだったと知った。

本当に音も映像もきれいで、
私にはちょうど波長が合うアルファ波でも出ているのか、
中盤、疲れで少し居眠りしてしまい、
前回も、今回の再見も、悔いが残った。

明日みなみ会館(JR京都駅から近鉄で1駅)
で午後4時5分からの『卵』の上映が
同監督作品の関西での最後の上映になります。
今日昼から休んで行きたかったですが、かないませんでした。
明日、時間のある方、ぜひぜひ観に行ってみてください。

ちなみに恥ずかしながらテアトル梅田で観たときの
前回の感想文です(蜂蜜ミルク
稚拙ですみません。
観れなかったこと、
観に行ったのに観そこなったシーンがあったことで、
私にとっては、より強烈に焼きつきそうです。
でも、こういう作品こそ、私の大好きな世界だなあと
自己発見もしました。

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