映画の感想をざっくばらんに、パラパラ読めるよう綴っています。最近は映画だけでなく音楽などなど、心に印象に残ったことも。
パラパラ映画手帖
No790『残菊物語』~画面の奥行きの深さと、女のまごころ~
昨日から始まったヌーヴォでの「浪花の映画大特集」の1本。
お徳が、赤ん坊をあやしながら土手を歩いていくと
芝居が終わり芸妓と遊んで、人力車で帰って来る菊之助とすれちがう。
菊之助が車を降り、二人並んで歩いて帰るのを、
ワンカット長回しの横移動でとらえる。
途中、風鈴売りとすれ違ったりしながら、
お徳は、他人はちやほやしても、今日自分の目で確かめたら、
坊ちゃんの芝居は巷の不評という評判どおりで、精進が必要だと、
率直な思いを意見する。
カメラは、土手の下の方から、少し見上げるようにして、二人をとらえ続ける。
この横移動がすごく印象的で、記憶に残っていた。
自分の頭の中では、たくさんの物売りとすれ違っていた気がしたが、
実際、風鈴売りと、もう一人の物売りとの二人だけだった。
それでも、この画面から漂う風情はすごい。
画面には映らない背景音のなせる業。
随所でみられる長回しの映像もすごいし、音もすごい。
冒頭からして、芝居小屋の入口あたり、階段をずっと長回しで
人の上がり下がりやら、行ったり来たりが念入りにとられ、
ゆっくりカメラがパンすると、部屋に、菊之助がいたりする。
この一見不必要にも思える、廊下やらのショットが
確実に、私たちを、あの時代のあの空間に連れて行ってくれる気がした。
奥行きのある空間をまるごと、とらえ、伝える見事さ。
歌舞伎役者で、五代目菊五郎の養子とちやほやされていた菊之助は、
率直に意見してくれる、乳飲み子の義理の弟の乳母のお徳に
心を許すようになる。
店の者が皆、夏祭りに行っている間、二人がすいかを食べるシーンの
すてきなこと。
二人の仲は許されず、
大阪の親類のもとに流れて、按摩の家の二階を間借りする。
ここで、外から聞こえてくる芝居小屋の音のすごさ。
玄関脇のすぐの狭い階段というのは、ドラマでとても重要になる。
お徳が、立派な役者になるようにと、内職や自分の着物を売って
菊之助のために鏡台を買う。
按摩を演じる志賀廻家弁慶が
鏡台を抱えて、狭い階段を上ろうとして、あちこちにぶつかり、
結局、上れないくだりもいい。
菊之助に夫婦だと言われ、
「あなた」と嬉しそうに呼ぶお徳。
叔父の死で、どさ回りに身を落とす菊之助。
病で咳ごみがちなお徳と、雑魚寝の宿に泊まる。
そこで、偶然、かつての幼馴染の役者が
東京から興行に来ていると知る。
この宿で、客の誰かが唸る謡の声が、画面に深い情を呼び起こす。
お徳は、、菊之助の抜擢を頼み込み、自分はこっそりと身を引く。
菊之助の初演は成功。
その拍手を聞き、喜びながらも、
一人、よろめきながら、こっそり芝居小屋を出るロングショットの美しさ。
カメラは決して寄らない。
人の顔や表情でなく、その場の空気そのものを映し出す。
薄暗い長屋街を縦の構図で撮り、お徳がふらふらと奥へ歩いていく後姿。
うっすらと家のあちこちから灯りがさしている。
家に帰ると、按摩もその娘も、誰もいない。
真っ暗な家を、階段を上って二階に行き、座り込む。
危篤となったお徳の病床で、うちわでずっと仰ぎ続ける按摩がいい。
時代も空間も人間の生き様も、まとめて一気に心に押し寄せてきて、
お徳のまごころが、身にしみた。
ああ、すごいすごいと思って、帰って、以前の感想をみてみたら、
あまり変わらないことを書いていた。
それにしても、本当に、溝口健二監督はすごいとやっとわかってきたような気がする。
これが戦前、1939年の作品。
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