噛みつき評論 ブログ版

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袴田事件・・・誰も責任を負わない不思議

2014-03-31 09:27:10 | マスメディア
「舞台は裕福な家庭、娘の婚約を祝う一家団らんの夜。そこに、警部と名乗る男が訪れて、ある貧しい若い女性が自殺したことを告げる。そして、その自殺に全員が深くかかわっていくのを暴いていく」

 これはイギリスの劇作家プリーストリーの戯曲「夜の来訪者」のあらすじです。工場主である父親はその自殺した女性を解雇したことがあり、娘の婚約者はその女性を捨てたことなどが次々と明らかにされます。父親、母親、息子、娘、娘の婚約者は別々に若い女性と接点があり、その一つひとつは自殺に追い込むほどのものではないのですが、それらが積み重なって女性を自殺へと追い込みます。

 袴田事件の再審開始を見て、この話を思い出しました。一人の人間が誤って死刑囚として48年間も拘束されていたことが明らかになりましたが、それは多くの人間が職務として少しずつ加担した結果であろうと思われます。結局のところ、誰一人責任を取る者がいません。見事な組織です、内部の人間にとってはですが。

 死刑の執行に脅える48年間という年月は殺人よりも残酷です。取り返しのつかないことです。刑を受ける立場から言えば北朝鮮の即刻処刑の方がはるかに「人道的」でしょう。結果的にこの48年間は死刑よりも重い刑を課したことになります。

 組織の過失による事件、事故が起きるたびに社長など組織の幹部がクビを連ねて謝罪し「再発防止に努めます」と会見するのがあたりまえの風景になっていますが、今回は誰も謝罪しません。記者らが傲慢な態度で、責任者に詰め寄るという恒例の光景も見られず、ちょっともの足りません。

 再審制度は司法の判断には間違いはあり得るという前提があって作られた制度だと思いますが、人間の寿命が有限である以上48年間もかかっていたら、その制度の意味がなくなります。袴田事件では第1次再審請求が最高裁で棄却されるだけで27年かかっています。それでも誰一人ペナルティを受けません。実に不可解な話で、制度自体に問題があるのでしょう。

 死刑判決の証拠を捏造した疑いが生じていますが、この長い年月で時効が成立して罪を問えません。再審の長期化は司法内部の庇い合いのためかと思いたくなります。長期化は再審制度を有名無実化するものであり、なぜ時間がかかったのかを是非知りたいものです。多分、机の中に放っておいたのだと思いますが。

 メディアは食品の偽装や消費期限問題、酒酔い運転事故などでは執拗な追求をしたおかけで、社会の認識は大きく変わり、厳罰化も進みました。司法に対しても同様に大騒ぎをすれば制度改正の気運を作ることぐらいのことはできるでしょう。食品偽装などよりずっと大事な問題だと思いますが、もうこの事件の続報はほとんど見られなくなりました。

 メディアは企業ような弱い組織には実に勇敢に攻撃しますが、司法のような強いものには腰が引けるようです。せめて誰がどのように関わって誤った判決が下されたのか、なぜここまでくるのに半世紀もの時間がかかったかの調査報道を望みたいものです。

言論の自由というけれど

2014-03-24 09:26:35 | マスメディア
 大音量の街宣車を使って街中で自分達の主張を声高に叫ぶのは右翼の街宣活動です。言論の自由とはいうものの、反対意見を威圧する効果があり、好ましいものとは思えません。またオウム真理教の危険な教義が広まったのも言論の自由のおかげと言えるでしょう。言論の自由は無条件で崇めるものではありません。

 3月20日の朝日新聞大阪版の一面トップにデカデカと載ったのは「小学校から『ゲン』回収」「泉佐野市長 差別的表現を問題視」という見出しの記事です。記事のすぐそばにはナントカ大学のナントカ教授による「一部を捉えて閲覧制限、よくない」との見出しのコメントが載っていますが、市長に賛成する意見はどこにもありません。

 さらに社会面の半分以上を使い、泉佐野市長を批判する記事が並んでいます。さらに「声」(3/21)、社説(3/22)をも動員する執心ぶりです。昨年、松江市でも「はだしのゲン」をめぐって同じような非難の大報道がありましたが、今回は「まだ懲りない奴ら」を徹底的に黙らせる意図があるのでしょう。

 これだけ激しく書かれれば市長は次の選挙への影響を考えざるを得なくなります。他の自治体の議員や首長に対しても、このような「反左翼的行動」すれば次の選挙で落選するかもしれないよ、という恫喝メッセージとなります。暴力的な言論であり、右翼の街宣活動と大差ありません。

 朝日新聞は報道機関というより、まるで政治団体の機関紙のようです。朝日新聞の政治的な動機が優先する特殊な体質が改めて気になります。この背景には自分達が社会をリードする、つまり支配するという意識があるのでしょう。裏返せばこれは読者を見下すことです。また選挙で選ばれていない連中が支配するのも筋が通りません。

 本来、メディアとは名前の通り、情報を左から右へ伝えるものです。けれど情報の選択や編集によって思いのままにできる立場であるため、厳しく中立性が要求されます。しかし中立性を担保するものは、メディアとしての良心くらいです。だから良心のないメディアは困りものです。

 大手メディアは右翼の街宣活動よりはるかに強い影響力を持っています。しかも、右翼は初めから特殊なものという認識がありますが、新聞は公正中立なものという「誤解」があるため、その影響力はさらに強いものとなります。

 言論の自由は重要なものですが、それにはおかしい言論や有害な言論が少々あっても全体としてはまともな言論が大勢を占めるだろうという前提があったのだと思われます。つまり大手の報道機関がまるごとおかしくなるような事態は想定していなかったのでしょう。このようなメディアや宗教がさらに巨大化すれば言論の自由は維持が難しくなります。

宗教と思想と妄想

2014-03-17 00:04:03 | マスメディア
 前回、左翼が硬直化した理由は高齢化による頭の硬直化や頑固な性格、怠慢、営業上の動機であろうと書きました。しかしひとつ抜けていました。宗教や思想に染まった人間によく見られる強い保守性です。宗教や思想は認識の根本に関わるもので、それを変えることは膨大な頭の作業を強いられるので、できるだけ避けたいことが理由のひとつでしょう。

 文芸春秋2月号に載った「グローバリズムという妖怪」という記事はグローバリズムという思想を扱ったものでした。エマニュエル・トッド(歴史人口学者)氏、藤井聡氏、中野剛志氏ら5名による座談会ですが、グローバリズムの負の面が豊富に出てきて、面白いものでした。

 グローバル化はできる限り規制を廃し、自由な市場に任せることで経済の発展を目指すものですが、グローバル化した後の先進国の経済成長率はそれ以前より低下しているというデータが紹介され、グローバル化は経済成長を促すと信じられてきた事実に疑問が投げかけられます。

 藤井聡氏は『道路にたとえるなら、車線があって信号があるから自動車は効率的に走れる。ところが「規制」は邪魔だ、もっと自由に走らせろと言い出して車線や信号を無くせば、道路上はメチャクチャになって、道路の効率性は著しく悪化する。自由化による成長鈍化はこれと同じです。しかも規制を無くしていけば、リーマンショックのよう「事故」も増える』とわかりやすく説明しています。

 藤井聡氏の話を持ち出すまでもなく、規制の必要性は明らかです。しかし、この数十年、新自由主義者達は規制の悪い面ばかりを強調し、規制は悪であるかのような単純な見方を広めた結果、規制の必要性が不当に評価されたように思います。複雑なものは複雑なものとして捉えることが必要ですが、わかりやすさのために単純化するのも思想や宗教の特徴です。

 もともと規制とは何に対してどのような規制を行うか、あるいは廃止するかということを個々に考えるべきもので、すべて規制は良いもの、あるいはすべて悪いものといった「哲学的」問題ではありません。それが新自由主義という思想に伝染すると価値の問題とされてしまい、単純に良いとか悪いとかで評価されてしまいます。これは新自由主義に限らず、他の思想や宗教に於いても広く見られることで、認識を大きく狂わせる原因となります。

 さらに悪いことに思想や宗教に伝染するとそれから逃れることは容易ではありません。ここで話は最初に戻るわけですが、宗教や思想を変えることは認識の基本を変えることであり、その面倒さのために安易な硬直化が起きるのでしょう。そして硬直化によって変化に対する適応力も失なわれます。

 左翼思想も新自由主義も現在の社会状況には適合しなくなっていることは明白ですが、硬直化した頭はそれを受け入れず、認識の方を無理やり変えて整合させるという作業を行います。〇〇主義者や宗教の人とは認識が合わないのは当然のことです。

 かつて思想といえば知的で格好良いものと思われていて、〇〇思想社などという名前の出版社も幾つかありました。むろん新しい視点を提供するなどの良い面もありますが、どちらかというと認識を誤らせたり、社会に無用の対立や混乱を招くものが多く、妄想とたいして変わらないものと思われます。約600万人ものユダヤ人の虐殺に関わったナチズムは史上最悪の思想といえるでしょう。有史以来、宗教を原因とする戦争が繰り返されてきましたが、その害悪は核兵器の比ではありません。

 まあ認識が異なるわけですから、〇〇主義者とか〇〇教の信者にまとも判断を求めたり、実のある議論を期待するのはそもそも無理な話です。噛み合わない議論が永遠に続くだけであります、困ったことに。

左翼メディアの硬直化現象

2014-03-10 10:10:51 | マスメディア
 中国の国防予算が前年実績比12・2%増の約8082億元(約13兆円)となり、4年連続2桁の伸びで、日本の防衛費の3倍近くに膨れあがったと報じられました。これに対して、主要5紙はそろって翌6日付の社説で取り上げました。

 最も危機感の薄いのが毎日で、国防費の増加に対しては2~3行触れただけで、懸念を示すという程度です。逆に危機感が強いのは産経で、中国の軍事的脅威を示した上「政府は防衛予算や自衛隊員数のさらなる確保に、国民の理解を求めるときではないか」と脅威を現実のものとして捉えています。

 朝日は読売と同様、社説では中国国防費の増加に強い懸念を示していますが、二面に載せた記事は扱いが大きいとは言えず、中国の軍事的脅威を一般に知らせたくない姿勢が感じられます(社説を読む人がごく少数なのを知ってのことでしょう)。

 巨額の予算を用いて軍事力を着々と増強するのには相応の目的がある筈です。あたりまえのことでが、それは軍事力の行使かそれによる威嚇以外に考えられません。まあ時には災害救助もあるでしょうが、空母や核ミサイル、ステルス戦闘機はちょっと使い勝手がよろしくないと思いますね。

 ところが、この隣国による軍事的脅威に対する認識は左派と右派では大きく異なります。しかし国際情勢の認識は客観的であるべきもので、政治的立場によって認識が異なるのはおかしい話です。左派が平等な社会を目指す、ということなら理解できますが、これは国際関係の認識の問題です。

 「九条の会」のように平和憲法さえあれば平和が守られるという考えは日本の周辺に優勢な軍事力を持つ国がない状況においてのみ成立します。彼らには外国から仕掛けられる戦争という概念が全く欠落しているようです。

 哲学者、田中美知太郎氏の「いわゆる平和憲法だけで平和が保障されるなら、ついでに台風の襲来も、憲法で禁止しておいた方がよかったかも知れない」という言葉は彼らの夢想をうまく皮肉っています。

 それは恐らく、彼らが共産国は平和主義であり、決して他国を侵略したりはしないという幻想を信じ続けていたためでしょう。しかしハンガリー動乱における旧ソ連の軍事介入(1956)、同アフガニスタン侵攻(1979)、中国によるベトナム侵攻(共産国同士の中越戦争1979)、同チベット侵攻(1950)などによってその幻想は徐々に消えていきました。

 ただこれらの事件はあまり報道されず、ご存知ない方も少なくないと思います。圧倒的な報道量があったベトナム戦争とは雲泥の差があります。多くの日本のメディアが左よりであったためですが、共産国の軍事侵攻に対する過小な報道は隣国の軍事的脅威を軽視することにつながったと思われます。

 そしてソ連の崩壊もあって、まともな頭の人は左派から離れていきました。このような環境の激変にもかかわらず、全くブレない方々がいるわけですが、実は化石のにように硬直化しているだけだ思います。九条の会の発起人らがみな超高齢であることは硬直化を示すひとつの例です。

 高齢による硬直化は仕方がありませんが、左派メディアを支配する現役の人たちの硬直化はなぜでしょうか。頑固な性格や、変化に対応しようとしない怠慢も大きな要素だと思いますが、それに加えて営業上の理由が大きいのではないかと思います。

 エログロを売りにしていた雑誌が急にまともになれば、既存の読者を失います。褒められたことではないとわかっていても魅力的な記事を載せてエログロファンを増やすのが正しい営業政策なのです。社会党は初めて政権を手にしたとき、自衛隊を認めるという現実路線を採ったために、古い支持者から見放されて凋落しました。時代に合わないとわかっていても頑なに変化を拒絶することが延命の道なのです。

 特定秘密保護法や集団安全保障をめぐる意見の対立は中国の軍事的脅威に対する認識の違いから生じたものと考えられます。つまり現政権は中国の軍事的脅威をかなり深刻に捉えていることが推定できます。

 隣国との軍事力の差が大きくなれば均衡が破れ、戦争の危険が増すことは歴史の教えるところです。情勢の変化に適応しない、硬直化したメディアは隣国の脅威を過小に見せ、抑止力の必要性を軽視させることによって、戦争の危険を増やしていると言えるでしょう。

アンネの日記、損壊事件・・・右傾化に結びつけたい朝日新聞

2014-03-03 09:55:23 | マスメディア
 「アンネの日記」などホロコーストに関わる書籍が図書館で300冊以上破られた事件は大きく報道され、世界からも反響がありました。まさに恥ずべき事件であるだけに、大きく報道することによってわざわざ世界に恥をさらしている観があります。恥だけでなく国際的な日本のイメージ低下は免れないでしょう。

『一方、イスラエルでは、事件の報道は国外通信社の配信を引用した小さな記事にとどまり、冷静に受け止められている。同国外務省のヒルシュソン副報道官は「一つの出来事が日本政府や日本人の考えを反映しているとは考えない」と話す』という記事が28日の朝日に載っています。

 イスラエルのメディアや政府の冷静さ、大人ぶりを表しているようです。大きく取り上げれば国民の注目を集めるであろう事件ですが、感情的な反応が外交面に無用な悪影響を与えることに配慮した結果なのでしょう。その冷静な判断は羨ましいほどです。逆に、興味本位で視聴率を優先する我が国メディアの軽薄さが際立ちます。これはまた報道の質ばかりでなく、量のもつ意味について考えるよい機会です。

 この事件は2つの解釈が可能です。まずは犯行がハイレベルの異常者によって個人的に起こされたもので、政治的な背景にはあまり関係がないとする見方です。もうひとつは政治的な背景、つまり右傾化が背景にあるという見方です。

 異常行動をする人間は一定の確率で出現するわけで、狂信的な人間はどの国にも存在します。「本破り」を異常者の犯行と考えることは十分可能です。ただこのような解釈は面白くないのでメディアは歓迎しないでしょう。

 一方、政治的な背景があるという見方も可能ですが、その場合、問題ははるかに深刻です。ナチスやレイシズム、ホロコーストに賛同するような動向が社会に生まれていることは重大な問題です。重大なだけにしっかりとした論証やその根拠を示すことが必要です。犯人の動機や意図もわからないときに、根拠のない憶測を撒き散らすのは厳に慎むべきです。

 朝日の同記事には「日本社会の右傾化が背景に」という解説が載っています。排外主義的な動きに詳しい高千穂大の五野井郁夫准教授の話とあります。

『首相の靖国参拝が一定の支持を集めるような社会の右傾化が背景にあるのではないか。歴史や領土の問題で中国や韓国に日本がおとしめられたと感じ、戦後の歴史観を否定しようとする人もいる。ネット上ではそうした意見が広がっており、戦勝国側の価値観を全て否定しようという意見さえ出始めている。その延長線上で、敗戦国が反省すべき象徴とも言えるホロコーストに関する本が狙われたのではないか。「ユダヤ人虐殺がうそならば、南京事件や慰安婦問題だって全否定でき、日本は悪くないと主張できる」というゆがんだ発想かもしれない。(以下略)』

 中韓の敵意ある態度が右翼を勢いづけた、まではわかります。しかしホロコーストを否定すれば→ユダヤ人虐殺も否定→南京事件や慰安婦問題も全否定できるからアンネの日記などが狙われたというご高説を誰が納得するのでしょうか。論理の飛躍が幾重にも重なって、これはもう「風が吹けば桶屋が儲かる」のレベルです。

 この事件を利用し、日本が右傾化しているという印象を読者に与え、左翼を元気づけたい一心で、このなんとか大学のなんとか准教授のご登場となったのでしょうが、想像(妄想?)のたくましさは認めますが、もう少し筋の通った話を期待したいものです。

 権威ある(ように見える)学識者などを登場させ、自分の意見を代弁させるのは朝日のいつもの手口です。これは発言責任を負わない狡猾なやり方ですが、朝日の自由な選択である以上、こんなレベルのものでも朝日の意見として読む必要があるでしょう。