噛みつき評論 ブログ版

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朝日新聞の不誠実と学力レベル

2010-10-25 10:09:24 | マスメディア
「2005年以来となった大規模な反日デモは、尖閣問題をめぐり東京であった抗議活動に対抗する狙いがある」

 これは「反日デモ」と題した朝日の社説(10-19付)の一部です。反日デモとは10月16日、17日の破壊活動を伴った中国でのデモ騒動を指し、東京であった抗議活動とは、16日、東京都港区で行われた中国政府に抗議するデモ行進のことを指していると思われます(*1)。つまり日本のデモ行進が中国の反日デモの原因だと、この社説は指摘しています。

 日本の抗議デモがなければ反日デモは起こらなかったから、反日デモの原因は日本にあると言わんばかりの文章です。しかしこの因果関係を裏付ける事実は何ひとつ示されることなく、記者は「東京であった抗議活動に対抗する狙いがある」と断定しています(後日、誤りが判明)。裏づけのない推定ならば「・・・の可能性がある」とか「理由のひとつと推定できる」などとするのがウソつきでない、普通の書き方です。

 細かい点をつっつくようですが、これが権威ある筈の一流新聞の社説だからです。つまり一流紙の社説は優秀な記者が書き、さらに十分吟味された上で掲載されるものという信頼を裏切るものであるからです。主張はそれぞれ異なって当然ですが、前提になる事実にウソを書くことは許されません。検察官が証拠改ざんをしたり、研究者が実験データを偽って論文を書くのと同じで、大きく信用を失います。

 この結末は22日付の同紙に載った「だが、反日デモの呼びかけは日本のデモの動きが中国で報じられる数日前には始まっていた」という記事にあるとおりであり、社説の「東京であった抗議活動に対抗する狙いがある」という記述が誤りであることは明らかです。

 社説はデモの破壊行為やデモに対する中国当局の寛容さを型どおり非難しながらも、その原因は日本の抗議行動であるとしていますが、これは中国への温かい気持ちが表れています。まあ何年か先、中国の膨張政策が功を奏して、日本自治区というようなことになっても朝日はきっと優遇されることでしょう。まさに深謀遠慮というべきかもしれません。文革当時、他のメディアが次々と追放される中、中国と「親しい関係」の朝日だけが残留を許されたように。そして真っ先に取り潰しの憂き目にあうのは産経であることはまず疑いのないところでしょう。

 ところで24日現在、電子版の社説はそのままであり、また訂正記事も見当たりません。どうやら、頬被りの気配が濃厚です。ついでながらもうひとつ朝日新聞について指摘したいことがあります。これは政治的な意図や誠実度とは別の問題で、単なる学力の低さを物語るものですが、一面トップの記事であり、重要なものなので指摘しておきます。

 10月21日の一面トップの「レアアース 停滞深刻」という記事の中に中国商務省の話として、以下のような記述があります。
『中国はレアアースの輸出では世界の9割以上を占めるが、備蓄では3割程度。チャイナデーリーは19日、同省関係者の話として「このままでは15~20年で(中国の)備蓄が枯渇する」と、制限する事情を伝えている』

 恐らく埋蔵量と「備蓄」とを取り違えているのだろうと思います。言うまでもありませんが、埋蔵量は地下に埋蔵されている量であり、備蓄(量)は需給の変動に備えるため採掘した物や精製した物を一時的に貯えている量を指します。

 これは記者をはじめとしてこの記事の内容に関係した全員が意味をまるっきり理解していなかったことを示しており、基礎学力に深刻な問題があることを疑わせます。また、こちらも電子版にそのまま掲載中であり、訂正記事もないようですから、誤りの自覚すらないのかも知れません。

 ここで私が指摘した二つのこと自体はたいしたことでないかもしれません。検察の証拠改ざんのインパクトにはとても及びません。しかし朝日新聞の誠実さや理解能力、つまり信頼度を測るものとして少しはご参考になるのではないかと思う次第です。

(*1)2800人が参加したとされるデモなのに、なぜかあまり報道されませんでした。また前回、10月2日に実施された同趣旨のデモは主要メディアに完全に黙殺されました。(参考拙文尖閣問題、反中デモを報道せず)
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二重課税を廃した主婦の功績

2010-10-21 11:00:11 | Weblog
 年金型保険に対する相続税と所得税の二重課税で国が敗訴したことを受けて、払いすぎた所得税の還付手続きが始まりました。今回分は05~09年分の6万~9万件で、還付金は総額60~90億円に達するとされています。

 この恩恵を受ける方は少なくありませんが、これは長崎市の主婦と税理士の7年にもわたる努力の結果だそうです。しかも一審は大勢の国側代理人を相手に本人訴訟で勝ったのですから痛快です。二審では敗訴、そして最高裁で勝訴となって長年の苦労が報われたわけですが、その代償としてご本人に返ってくるのはたったの2万5600円だそうで、とても自分の利益のために出来ることではありません。

 やや特殊なケースですが、私も理不尽と思われる課税に直面したことがありました。しかし訴訟の苦労や納税者側の勝つ確率が10%程度であることを考えると、とてもそんな気にはなれませんでした。したがってこのお二人には頭が下がります。長年の二重課税という誤りを正し、公共の利益に尽くされたわけですから、国はその労苦に報いるためこのお二人を表彰すればよいと思います。それは度量の大きさを示すことになるでしょう。・・・度量がなければ仕方ないですが。

 ところで、課税に異議がある場合、訴訟という方法が用意されているわけですが、それにはたいへんな長期の裁判を覚悟する必要があるようです。この困難さが訴訟の実質的な障壁となって、不適切な課税が放置されていると言えるでしょう。とくに今回のケースでは二重課税されていた納税者数が多く、長時間を費やす裁判は大きく公共の利益を損ないます。時効を延長して過去10年までの分を還付するということですが、それ以前のものは泣き寝入り、すなわち国がネコババすることなります。裁判が長引くほど国のネコババ金額が大きくなるという仕組みです。

 還付を受ける数万人の人は労せずして利益を受けます。つまりフリーライダー、タダ乗りです。この主婦の方らの働きに感謝して、たとえ1%でもカンパをしたらどうでしょうか。1%でも数千万円になります。まあそうなれば税務署が「こちらにも寄こせ」と所得税を取りに来るでしょうけど。
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男の顔

2010-10-18 07:51:16 | Weblog
 リンカーンは閣僚として推薦された人物に対し「顔が気に入らない」と言って同意せず、「顔で決めるのですか」との質問に対し、「40歳を過ぎれば、誰でも自分の顔に責任を持たなければならない」と答えたそうです。これは大宅壮一の有名な言葉、「男の顔は履歴書」とほぼ同じ意味で、ある程度の歳になれば顔に対する責任は親ではなく自分にあるということでしょう。

 優しい顔、怖い顔、善良そうな顔、悪辣な顔、神経質な顔、鈍感そうな顔、噛みつかれそうな顔・・・、いろんな顔があり、我々は顔から様々な情報を得て他人を判断する材料にします。大宅壮一が「男の顔」と限定した意図は知りませんが、私にとっても男の顔の方がより多くのことがわかるように感じます。女の顔の解釈が難しいのは思わず知らず「邪念」が入るからかもしれません。

 むろん腕白小僧のような顔をもつ人が有能な人格者であったり、優しそうな人物が残虐な人間であったりと、例外は少なくありません。しかしその相関はかなり確かである思われ、人を判断する材料としての有用性は十分にあると思います。また顔という、もっとも目立つ表看板にその内面の状態が書き記されているということはたいへん興味深いことです。

 単独行動をするネコには表情の必要がなく、ほとんど無表情ですが、共同生活を営むヒトには30個ほどの表情筋があり、複雑な表情を作ることできます。渋面ばかり作っているとそのような顔になるといわれるように、長年にわたる様々な表情の集積が顔に表れるのだ、と考えられるようですが、まあ本当のところは知りません。

 心理学者ポール・エクマンは、怒り、悲しみ、恐怖、驚き、嫌悪、喜びを表す表情が文化に依存したものでなく、人類共通の生得的なものであることを示したとされていますが、表情によるコミュニケーションは社会集団には大きい意味をもちます。したがって他人の表情からその意味を読み取ることは重要であり、顔を注視することで、表情だけでなく、顔から様々な情報を読み取る習性ができたのでしょう。

 少し前、核密約を取り上げたドキュメンタリー番組を見たのですが、密約の「主人公」佐藤栄作元首相の歴史を刻んだような締まった顔がとても魅力的に見えました。その大きな業績から生じる心理的なバイアスがあるかもしれませんが、吉田茂元首相や明治の元勲達の顔はなかなか魅力的なものが多いと感じます。

 歴史上の人物達と比べるのは少々酷かも知れませんが、残念ながらこのような魅力ある顔を今の政治家に見出すのはちょっと困難です。最近、政治家の質が低下したとよくいわれます。一部の例外はあるものの、たしかに顔を見てなるほどと思うことがよくあります。もしリンカーンにならって「顔が気に入らない」などと言えば、誰もいなくなった、なんてことになるかもしれません。
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見当違いの司法改革

2010-10-12 10:11:54 | Weblog
 郵便不正に関する事件は検事の逮捕にまで発展しました。強い権力を持ち、正義の味方である筈の検察が証拠改ざんというとんでもない不正義を行っていたことがバレたわけで、これ以上の大恥はないでしょう。前田検事に続き逮捕された大坪前部長と佐賀前副部長のお二人は最高検と相争うという「仲間割れ」状況であり、まさに恥の上塗りの感があります。

 この内輪もめの内容はいろいろいと報道されていますが、双方の言い分に食い違いがあり、本当のところはわかりません。ただ何人かが嘘をついていることは確かです。検事は他人の嘘を暴くのが仕事だと思っていたのですが、自らも嘘をおつきになることがわかりました。

 また証拠改ざんという衝撃の大きい事件であるために、上司お二人の逮捕は最高検が国民の怒りを鎮めるためにささげた生贄という意味があるような気がします。その点、お二人にはたいへん不運なことです。

 余談はこれくらいにして本題に入ります。検察は村木厚子氏の関与がなかったことを知りながら罪人に仕立て上げようとしたことが強く疑われています。これは市民の生命を守る警官が実は殺人者であったり、信じていた神父が実は悪魔の手先であったようなようなものです。

 この事件では上村氏など複数の関係者の供述調書に村木氏の関与を示す記述があったとされています。これらはその後の証言で否定されましたが、それにしても関係者から予定されたストーリーに沿う供述を取る能力の高さに改めて驚きます。11日の新聞には大阪地裁の公判で別の検事が脅迫的な取調べをしていた疑いが浮上とありましたが、なるほどと深く納得した次第です。

 反面、依頼したとされた石井議員の依頼日時の裏を取っていなかったことや、捜査報告書には偽証明書作成の日付が正しく6月1日と検察側の構図と矛盾したことが書かれ、それに初めて気づいたのが村木氏本人であったことが明らかにされました。

 この事件で明確になったのは証拠改ざんやその犯人隠避だけではありません。無理やり供述調書を作る場合の検察の素晴らしい能力と、緻密な論理で事件を解き明かす場合の低い能力の両方を天下に知らしめました。これらも負けず劣らず深刻な問題です。そして事件のポイントとなった偽証明書作成の日付に初めて気づいたのが、検察側でも弁護側でもなく、素人である村木氏本人であったことも重要な意味を持ちます。

 もし被告人が村木氏のように自ら矛盾を発見できる有能な人でなかったなら、結果は有罪となっていたかも知れません。これは司法全般への信頼が揺るぎかねない問題を含んでいます。エリートといわれる特捜部が手がけ、世間の注目を浴びた事件でさえこの程度のいい加減さならば、関係者以外には知られることのない多くの事件ではさらにいい加減ではないか、と疑われるのが自然の成行きです。日本の司法は精密司法であると法曹関係者は自慢していましたが、どこが精密なのでしょうか。

 司法制度改革によって裁判員制度、法曹人口の大増員などが実現しました。司法という壮大な建築物は民主化という飾りを施され、見かけだけはよくなりました。しかしいつの間にか土台が腐っていたことが明らかになりました。一部だけが腐っているのか、あるいはさらに広い範囲が腐りかけているのか、わかりませんが。

 例えばの話ですが、裁判員でなく素人の「検察員」を検察に送り込めば少なくとも取調べの可視化をしなくても脅迫的な取調べを防げます。素人の裁判員でも複雑な事件の全容を十分理解し適正な判決を下すという難しい作業ができるとされているわけですから、素人は検事の仕事ができないとは言えないでしょう。

 司法改革はさほど大きな欠陥があったわけでもない裁判制度を改変し、裁判に素人の裁判員を参加させました。しかしそれは大きな見当違いであって、本当に改革が必要であったのは検察ではなかったのでしょうか。
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尖閣問題、反中デモを報道せず

2010-10-04 10:10:17 | Weblog
 10月2日、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件をめぐり、日本では東京など7都市で中国に対する抗議デモが行われ、渋谷では2600人が参加したとも言われています。主催は田母神俊雄氏が会長を務める右派系の全国ネットワークです。検索で調べた限りですが、報道機関でこれを報じたのはAFP(日本語版)CNN(日本語版)、ロイター、WSJ、香港メディアの鳳凰網、シンガポールのチャンネル・ニュース・アジアなどであり、報道した国内メディアは皆無です。

 日中関係への関心が強くなっている現在、このニュースの価値は決して低くないと思われます。それは海外メディアが取り上げていることからもわかります。また2日には他のニュースを追いやるほどの重大ニュースはなかったので、国内メディアには何らかの圧力、あるいは配慮や忖度が働いたのではないかと勘ぐりたくなります。

 尖閣問題では、中国船の船長が釈放されるまで日本メディア冷静さが目立ちました。9月8日の船長逮捕の後、この問題を社説で取り上げたのは産経が最も早く14日、もっとも遅かったのは22日に初めて取り上げた朝日で、2週間後となっています。文末に関連した社説の表題を掲げましたが、中国よりの新聞ほど報道に消極的である様子が伺えます。例外は産経で25日までに5本を掲載し、船長釈放直後の25日、各社がそろって出したなかでも政府の措置への批判が際立ちます。

 領土問題、とりわけ中国や韓国との問題はナショナリズムを刺激しやすいと言われていますが、今回、国内であまり騒ぎが起きなかったのはこうした報道姿勢によるところがあるのでしょう。9月2日のデモが黙殺されたのもこのようなメディアの姿勢によるものとすれば辻褄が合います。しかし喜んで報道しそうな産経まで黙っていたのは報道の自粛以上のものがあったのではないかとの疑いが残り、不気味です。

 独裁国など、情報統制された国の国民は海外メディアによって初めて事態を知ることがあります。今回のデモ報道はよく似た有様で、恥ずかしいことに自由な言論が保障された先進国の出来事とは思えません。

 むろんナショナリズムを煽るような報道はよくありません。しかしだからといって隠してしまうのは間違っています。ナショナリズムの発露が事態をいっそう困難にするといった判断があったとしても、メディアがそれを恣意的にコントロールしようとするのは傲慢な越権行為でありましょう。戦前、国民の士気を低下させないためという理由で、不利な戦況を報道しなかったのと同様です。

 一方、メディアスクラムという言葉はひとつの事故・事件に同じような横並び報道が集中するという、メディアの付和雷同体質を指しますが、今回のように全てのメディアが一斉に黙殺するのも同じ体質の現れであると理解できます。全てのメディアが隠せば、事件があったことは無論のこと、隠したこと自体もわかりませんから、より厄介です。

 メディアは民意、民意という表の顔とは裏腹に、国民の判断は信頼できないという考えを密かに持っているのでしょう。腹の底では愚民どもよりも我々の方が正しい判断ができるというふうに。でなければ世論をリードするという自負が成り立たなくなります。

 しかし過去の報道を見てきた限りでは、メディアの判断に全幅の信頼を置くことは残念ながら期待できそうにありません。いっそ独立性の強い海外メディアに来てもらい、主要メディアの一角を担ってもらえば多様で自由な報道が実現するかもしれません。

朝日新聞
9月22日付 尖閣沖事件―冷静さこそ双方の利益だ
9月25日付 中国船長釈放―甘い外交、苦い政治判断
毎日新聞
9月21日付 閣僚交流停止 冷静さ欠く中国の対応
9月25日付 中国人船長釈放 不透明さがぬぐえない
読売新聞
9月16日付 尖閣沖漁船衝突 中国は「反日」沈静化に努めよ
9月25日付 中国人船長釈放 関係修復を優先した政治決着
産経新聞
9月14日付 対中姿勢 尖閣の守り強化が課題だ
9月17日付 反日運動 中国は邦人の安全を守れ
9月23日付 菅・オバマ会談 日米で尖閣防衛確認せよ9.23 02:37
9月23日付 尖閣漁船事件 危険はらむ中国首相発言9.23 02:37
9月25日付 中国人船長釈放 どこまで国を貶(おとし)めるのか
日経新聞
9月21日付 中国は対立激化を抑える冷静な行動を
9月25日付 筋通らぬ船長釈放 早く外交を立て直せ
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