噛みつき評論 ブログ版

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米大統領の広島訪問

2016-05-30 09:08:38 | マスメディア
 オバマ大統領の広島訪問は大多数の人に歓迎され、両国の関係にとって喜ばしい結果となりました。もしこれがトランプ候補のような人物ならば、あるいは舛添都知事のような人物であったならば、このような成功はなかったことでしょう。つまりこの成功にはオバマ大統領の誠実な人柄が重要な役割を果たしていたと思われます。

 オバマ大統領は実行力には批判があるものの、理想主義者の側面を持ち、その演説には定評があります。7年前の就任演説は高く評価されました。広島での17分間の演説も期待にたがわず格調高いものでした。心を動かされた人は少なくなかったことでしょう。スピーチライターも優れているのかもしれませんが。

 演説によって人々の心を動かす、これは政治家にとって実に重要な資質です。もっとも心を動かすといっても、舛添都知事のように話せば話すほど、心が離れる方に動くという場合もありますが。この方の辞書には誠実という言葉がないのかもしれません。

 大統領の広島訪問をパーフォーマンスだとして冷たく受け取る人も少々はいるようですが、たとえパーフォーマンスであったとしても両国がより友好的になれればよいわけです。国と国との関係は多岐にわたるものであり、過去の不幸な出来事にこだわりつづけ全体の関係を損なうよりはずっといいわけです。慰安婦問題などで何年も対立を続けるよりは。

 多くのマスメディアの反応は大統領の広島訪問を歓迎するものでした。朝日も概ね好意的でしたが、28日のオピニオン欄に「米大統領の訪問 歓迎一色に違和感 怒り・恐怖どこへ」と題する山本昭宏氏の主張をほぼ1ページ使って載せています。山本氏は「反発や怒りが出てこなかったのが不思議でした。被爆者がアメリカに恨みを抱くのはごく自然のことで…」と述べています。怒りや反発のないことがご不満のようです。

 山本氏は反発や怒りが出て当然と思っておられるようですが、山本氏の方が時代から取り残されたようです。山本氏はいろいろと理屈を捏ねられていますが、70年余という時間の経過、国民の寛容さ、過去を水に流すという日本人の特性というか知恵、原爆投下に関係した人達はもうこの世にいないという事実などが歓迎の基礎的な条件になったのだと思われます。

 一方、韓国の朴槿恵大統領は日本に対して「加害者と被害者という立場は、千年過ぎても変わらない」と述べました。これは千年経っても日本を恨み続けると理解されています。山本氏のメンタリティーはこれに似ています。理由はどうあれ、世代を超えて対立を続けるより和解して友好的になる方が良いに決まっています。しつこく恨みつづけるのは勝手ですが、それにメディアが加担しては対立を助長することになります。

 また、28日に放送されたTBSの報道特集で、大統領の広島訪問にかなり批判的な姿勢が目立ちました。暗い顔の金平キャスターは「原爆投下は誰が落としたんだという主語が消えしまって、死が空から降ってきたという表現に対して非常に怒りを露わにされていた」と平岡敬元広島市長の言葉を紹介した上、「1945年8月6日を知る人の心からの叫びのような気がしました」と締めくくりました。私には、もっと怒れ、怒れと煽っているように聞こえます。(平岡氏はマスコミ九条の会の呼びかけ人でもあり、平岡氏の「(大統領は)何をしに来たのか」という攻撃的な談話が28日の毎日新聞に載っています)

 各国の声明を見ると、韓国と中国はオバマ大統領の広島訪問の成功を喜んでいないようです。日米関係がより親密になるのを望まないためでしょう。日米関係が親密化するのを妨害しようとする意図は一部の左派メディアの主張と重なります。中韓の意図は国益のためと思われますが、左派メディアの意図・目的は難解です。千年過ぎても恨み続けるといった執拗なメンタリティーによるものなのでしょうか。嘘までついて慰安婦問題を掘り返し、日韓関係に溝を作った意図と共に興味深い問題です。
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都知事選挙と情報

2016-05-23 09:23:59 | マスメディア
 今を時めく舛添都知事。たいていの人は叩けば多少の埃(ほこり)は出るものですが、この方の場合、どんどん埃が出て、まるで埃で出来た人のような感があります。それにしてもメディアのターゲットにされると恐ろしいです。その一方、四面楚歌の窮地に立つ知事のしぶとい頑張りもたいしたもので、潔くないことも一流です。

 都知事に立候補する前の政党交付金の使途にも問題があるとされていますが、有権者がそれを知っていたら選挙の結果は違っていたかもしれません。今、後追い報道で「精査」しているメディアが選挙前にその1割でも努力していればこんなことにはならなかったでしょう。

 政治資金収支報告書は公表されているものなので、決して不可能ではなく、それが選挙民に対するメディアの役割でありましょう(どうでもよい情報は実に豊富に流してくれるのですか)。しかし不祥事の発覚した現在、メディアが過去の不作為を反省したり、その責任に言及した様子は一切ありません。これは立候補者の情報を提供する役割があるという自覚がメディアにないことを示しています。

 舛添氏は東大法学部卒で助教授になった後、評論家、参院議員、そして都知事になられたそうで、輝かしい経歴の持主です。しかも東大入学前の模擬試験では2位、3位を争うほどの優秀な頭脳の持ち主であったそうです。

 しかし今回、高すぎる海外出張費や公私混同に対する批判に対し、知事は何度も言い訳をされていますが、その弁解に納得した人は2~3%とも言われます。ほとんどの人が彼の弁解に納得していないわけで、これほどまでに無意味な弁解、さらには逆効果にもなり得る強弁を続ける姿勢からは優秀な頭脳が感じられません。「窮すれば鈍する」ってことでしょうか。それとも他人の心が読めない人なのでしょうか。

 徴税の立場にあるものが税金を私物化しては納税者に対して言い訳ができません。パナマ文書によって税逃れが発覚したアイスランドの首相は違法ではないけれど、潔く辞任しました。きっと恥を知る人なのでしょう。

 まあ過去には大阪府知事の身で強制わいせつ事件を起こした横山ノックや青島幸雄らの「大物」がいました。彼らに比べればまだマシかもしれません。しかし彼らもまた、都民や府民の選挙によって選ばれた知事です。民主党政権の誕生と同様、メディア情報に基づいた選挙がいかにいい加減で、頼りないかを改めて考えるよい機会でもあります。
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嘘つきのコスト

2016-05-16 09:01:40 | マスメディア
 三菱自動車工業が燃費データに関し、嘘をついていたことが発覚し、経営の危機に陥りました。結局、日産の資金援助によって危機は回避されましたが、独立を失うことになりました。以前のリコール隠しという前科の影響もあったかもしれませんが、嘘つきの代償はまことに高価です。

 雪印食品による牛肉偽装事件、使用期限を過ぎた牛乳を使った不二家、 産地偽装や賞味期限切れ食品の販売した船場吉兆、牛肉ミンチの品質表示偽装事件のミートホープ、これらの企業は嘘をついたことがバレて、滅びるか、経営危機に陥りました。

 不二家の場合、健康被害を出したわけでもなく、社内規定の期限を1日過ぎただけでしたが、当時流行したマスコミの偽装バッシングによって過酷な仕打ちを受けました。TBSの「みのもんたの朝ズバッ!」は「賞味期限切れのチョコレートを回収し、溶かして再形成した上賞味期限を書き換えて再出荷していた」等と事実でないことまで捏造しました(後に不二家に謝罪)。バッシングに夢中になる暗い情熱が感じられます。

 抵抗の手段を持たない弱い立場の企業に対し、倒産せよと言わんばかりの激しいバッシングからはサディスティックなものを感じこそすれ、罪のない従業員やその家族、関連企業の苦境に対する配慮は感じられません。背景には企業という組織を1人の人格、1人の悪人としてとらえる単純思考があります。子供や「考えない人」によく見られる現象です。

 これら一連の事件、それに対するメディアの激しいバッシングがあったためでしょうか、以後、嘘に対して厳しい目が注がれるようになったように感じます。世間が厳しくなれば、嘘に対するメディアの関心はさらに強くなります。嘘のニュース価値が上がり、バッシング効果も高まるからです。そして過激なメディア報道がまた厳しさを加速させる、という循環が起きるのかもしれません。

 ところが一昨年、朝日新聞の、慰安婦に関する虚偽報道と事故直後の福島第一発電所で「所長命令に違反、原発撤退」「福島第一所員の9割」とした虚偽報道が明らかになりました。朝日は嘘を認めて謝罪しましたが、上記の企業のように経営危機にはなりませんでした。

 嘘つきの情報産業は極めて深刻な問題です。三菱自動車の場合は性能表示に5~15%の誤差があったわけですが、乗用車を注文してトラックが納車されたわけではありません。商品の機能説明の一部に嘘があったわけです。しかしメディアの場合、情報が商品ですから、意図的だと考えられる虚偽報道は商品そのものが意図的な偽物であるわけです。乗用車を注文したらトラックが届いたようなものです。しかも国益を大きく棄損した重大な誤報であるにもかかわらず、経営危機もありません。長期的な販売数の低落傾向に多少の弾みをつけた程度でしょう。

 製造業などの場合、嘘つきは会社の存続を許されないほど過酷な制裁を受けます。警察や行政の処分もあるものの、実質的な制裁を行うのはマスメディアです。朝日の場合、新聞を読めば食中毒を起こすなどの直接的な被害がないこともありますが、他メディアによるバッシングが他の嘘つき企業の場合に比べで、弱かったと感じます。逆の立場になった場合の反撃を恐れているのでしょうか。

 朝日の虚偽報道問題は一種の確信犯的なものが根っこにあるだけに、今後も社会に深刻な影響を与える重大な問題です。とりわけNHKは検証番組を作るべき立場であると思うのですが、現在まで素知らぬ顔です。暗黙の互助協定があるのでしょうか。
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自分を偉大と勘違い?…瀬戸内寂聴氏の場合

2016-05-09 09:06:18 | マスメディア
 ある分野で成功すると、一部の人は全能感を持つと聞いたことがあります。全能感とは「自分は何でもできる、誰よりも偉い」と錯覚することを言い、子供によく見られるそうです。しかし大人、とりわけ賢い人や謙虚な人にはまず見られないものでしょう。

 4月27日、朝日新聞は近影のカラー写真付きで瀬戸内寂聴氏の記事を載せています。題して『93歳「自由奪うものと戦わなきゃ」』。記者による聞き取りで、ごちゃごちゃと書いていますが、中心は安保法制反対論です。

 『安全保障法制が3月に施行された。首相の阿部さんは本当に困った人ね。戦争を経験したことがないから、戦争をしたらどうなるか、わからない。子供や孫が招集されていく、その想像ができない。
 学生や母親が立ち上がった。若い人にも戦争が近づいているという危機感が強まっていると思う。(略)このままだと、若い人たち、あなたたちが戦争にかりたてられ、殺されますよ』

 まあこんな調子ですが、ここには攻撃されて戦争になる可能性が完全に欠けています。飛躍した論理と根拠のない断定、子供向けの話のように聞こえます。朝日新聞の読者はその程度だとお考えなのでしょうか。それは朝日の編集者も同じで、読者をバカにする行為です。また、阿部首相をも子ども扱いですが、歳をとるとそれほど偉くなるのでしょうか。

 当初はポルノ小説家、子宮作家の異名をとりながらも、作家として成功された瀬戸内氏ですが、安保法制に意見を述べるだけの根拠、見識をお持ちなのでしょうか。失礼ながら国際関係や歴史に深い知識をお持ちのようには見えません。安保法制は単純な問題でなく、こんな子供向けの説明で済ませられるものではありません。

 また国論を二分するような重要な問題について、判断にあたって十分な見識のないまま意見を公表されたならば、それは極めて無責任な行為です。瀬戸内氏が有名人であり、影響力があるだけに慎重であるべきです。防備を怠って、外国からの攻撃を招いたらどう責任を取られるのでしょうか。ご自分の意見に絶対の自信をお持ちのようですが(神のように全能なら別ですが)、不確定な未来に対して確実に正しい政策などまずありません。困ったことですが、どれほどの見識を持つかでなく、どれほど有名かで、その人の意見の価値を判断する人が少なくありません。

 今朝、頼みもしないのに郵便受けに「赤旗」2016年4.5月号外が入っていました。A3程度の一枚ものですが、上部に瀬戸内氏の文が載っています。
「(前略)野党が団結したことは歴史的意味がある。日本の未来に悲観的になっていた93歳の私も、希望がもてるようになってきました」

 共産党への提灯記事ですが、結局、朝日と赤旗の宣伝者、広告塔になっているわけです。赤旗は仕方ないとしても、朝日ならば、紙面に載せる以上、こんな子供向けの説明ではなく、根拠あるものにすべきでしょう。

 理を尽くすのではなく「あなたたちが戦争にかりたてられ、殺されますよ」といった感情に訴える文言は扇動には有効ですが、まともな新聞が載せるものではありません。ポピュリズムを利用しようとするもので、衆愚政治を招きます。朝日は戦争法案という呼称を使っていましたが、こんな感情に訴える扇動をやっていては民主政治は堕落するでしょう。メディアが政治を堕落させるというわけです。朝日は知っていてやっているのでしょう。数こそ力ですから。

 また瀬戸内氏の記事の下には天声人語からの抜粋文が載っています。共産党主導の野党共闘が話題になっていますが、新聞でも朝日と赤旗は共闘しようというのでしょうか。
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「家族という病」…自分は偉大だと勘違いをされているのでは?

2016-05-02 08:51:35 | マスメディア
 家族に不向きな、あるいは家族に失敗した人物による家族否定の本であります。多くの人にとって、家族とは幸せをもたらすものという認識が普通ですが、本書はその常識を打ち破る試みです。家族のもつ負の面が次々と取り上げられます。

 すでに家族の価値を知っている者が読めば、家族にもそういう面があるな、くらいで済まされるでしょうが、経験の少ない者が読めば誤解を招き有害となる恐れがあります。本書を読んだために、家族の価値を知る前に家族を否定してしまうという人が出ないよう願うばかりです。

 著者の下重暁子氏は1936年生まれなので近く80歳になられます。本書はまあ高齢者の愚痴と自慢話のようなもので、とても出版されるレベルに達しているとは思えません。ベストセラーと言ってもアマゾンのレビューは厳しく、301のレビュー総数のうち過半の167が最低ランクで、その多くは酷評です。アマゾンの読者レベルは高いですね。

 しかしベストセラーとなり、幻冬舎と著者は第2弾まで出しました。幻冬舎は本を売るのが上手です。上手というのは本の内容以上に売るということです。アマゾンのレビューのなかに「ぼったくりバーの客引き看板に引っかかったようなもので、時間と金を浪費させられた」という記述がありますが、納得できる表現です。幻冬舎の商売は優秀なのでしょうけど、その分、時間と金を失う人たちが多数出るというわけです。

 全体に見られる傾向として、家族内で起きた事件など少数の事例を取り上げて安易に一般化するという論理の稚拙さが目立ちます。著者は育った家庭に深刻な問題があったようですが、それを一般化し、家族の問題点をこれでもかとばかり列挙し、否定しています。しかしなぜかご自分は結婚されて家族をお持ちのようです。

 家族の話はしょせん自慢と愚痴であるとし「自分の家族や家柄しか話題にしない鼻持ちならない奴がいる」と著者は言います。しかし、この本には著者の家族、エリート軍人の家系であった父、地主階級出身の母だけでなく、なんとか大学の名誉教授であった叔父、医者であるもう一人の叔父と教授であったその妻、などなど、話の筋にはあまり関係のない「立派な人物」の紹介がてんこ盛りです。著者は親切にも鼻持ちならない「実例」を示されたのでしょうか。

 「お互いを理解し助け合って生きている。そんな家族がいたらいっそ気持ち悪い」と書かれています。ここには背筋が寒くなるような著者の心象風景を感じます。。著者は家族に対して強い恨み持っているようですが、それはご自分の特殊な家族だけにしていただきたいものです。決して一般化すべきものではありません。

 また路上生活者を家族から逃れて自由な生活を楽しんでいる人として礼賛しています。自説を主張するためには特殊な例外まで一般化するという姿勢は論理が壊れています。それに路上生活者の多くは好きでやっているわけではないでしょう。

 全体を通じて気になるのは、教訓を垂れるような著者の姿勢です。ご自分は偉大な人間だと勘違いされているのでしょうか。ただこんな本でもアマゾンのレビューのうち10%強は最高評価をつけています。いろいろな読者がいるようですが、世の中には簡単に詐欺にかかる人が少なくないわけですから、この本の価値を示すことにはならないでしょう。

 戦後の一時期、戦前からの反動もあって、家や共同体というものを否定して個人を大切にしようとする個人主義の風潮がありました。著者はそれを極端な形で受け入れたように感じます。著者の性格にもよく適合したのでしょう。ただ、こんな考えに同調する人が多くなれば少子化はさらに進み、将来、社会は存続の危機を迎える可能性が高くなります。それでも家族を否定し、個人を大切にすべきでしょうか。高齢の著者は逃げ切れるでしょうが、後の世代は影響を受けることでしょう。お粗末で、かつ有害な本でありました。
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