噛みつき評論 ブログ版

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有害メディアと有害野党

2018-03-25 22:05:31 | マスメディア
 いじめなどによる中学生の自殺が報じられるたびに、なぜ学校以外の世界があることに気づかなかったのだろう、と残念に思う。だが本人にとって、それは難しいことなのだ。学校でも会社でも、その小さな領域が社会だと思ってしまう傾向がある。たとえ辛くても、逃げ出すのは簡単ではない。彼の頭の中に作られた社会のすべてがその小さな領域だからである。

 政治の領域に関しては、多くの人はテレビや新聞から情報を仕入れる。とくに顔なじみのキャスターやコメンテーターが出演する報道番組を毎日見ていると、彼にとってはそこが社会と感じられる。多くの国民の政治空間はテレビの中にあると言ってよい。もっとも彼は聞くだけでの立場であるが、その場にいる参加者のように錯覚するのかもしれない。しかし別の俯瞰的、長期的な視点に触れることはほとんどない。たいていのメディアは近視眼が特徴である。

 そこでは、森友文書が書き得られた、では誰が指示したのか、何のために、麻生財務相や安倍内閣に責任がある、などが連日延々と繰り返される。見物人はよほど重大な問題に違いないと思ってしまう。その結果内閣支持率は落ち込む。そして左派メディアはこんなに支持されていない内閣は辞めるべきだ、騒ぐ。

 例えば1月の失業率は2.4%、24年9カ月ぶりの低い水準となったが、10%前後が普通の欧州と比べると際立つ結果である。失業者は収入の道を閉ざされるだけでなく、社会における存在理由を失うのである。メディアで高級を食んでいる連中には失業の恐ろしさはわからないだろうが、現内閣の大きな功績のひとつであろう。そのような功績は大きく報道されることはなく、多くの人は知らず、失点ばかりで評価することになる。

 メディアが内閣の退陣を求めるのなら失点ばかり取り上げるのでなく、在任期間における功罪を等しく取り上げて、評価しないとフェアとは言えない。一部の官僚組織の不手際が内閣の致命傷になるのは筋が通らない。メディアやそれに乗せられる国民には功績を評価しようという気持ち、感謝する気持ちがないのではないのだろうか。或いは、保守政治家=性悪と考えているのだろうか。

 韓国は不思議な国で、大統領は辞めてから逮捕されるのが伝統になっているようだ。政治家には失敗もあるだろうが功績もあるのが普通である。逮捕があたりまえになっているのはちょっと理解しがたい。どの大統領も性悪な存在とみなされるのか、それとも功績に感謝するという気持ちが極めて薄いのだろうか。逆に恨みは千年も忘れないと朴前大統領が公言する国である。感謝の心が薄いという点で、日本の左派メディアと通じるところがある。

 現在、日本の安全保障が大きなテーマになっている。というかテーマにするべき状況である。そんなときに国会でこのような卑小な問題を長期間やっていていいのだろうか。周囲からバカにされても仕方がない。米国と北朝鮮の間で、北朝鮮が米国へ届くICBMだけを廃棄するという妥協ができた場合、日本は大変不利な立場におかれるとされる。

 例えばの話であるが、もし賢明な野党があって、日本は核武装すべきだとの議論を国会ですれば、それは外交の力になり得る。日本の立場を無視した解決は日本の核武装を招くという懸念を持たせることができるからである。議論だけの、極めて低コストの防衛・安全保障策である。

 今の野党のような議論を続けていると、日本政府は変化する状況に対して的確に対応できるのかと、国としての信頼に疑問を持たれるだけでなく、外交力をも失われる。視聴率のためかもしれないが、書き換え問題で同じように騒いでいる非左翼メディアにも、それがどれほど国益を害しているか、自覚してもらいたいものである。左派メディアや野党と共に国会という最重要機関の機能を台無しにしているわけである。

森友問題はそんなに重要か

2018-03-18 22:19:44 | マスメディア
「文書改ざん 歴史ねじ曲げた」
「森友文書 民主主義の岐路だ」
「安倍さん 潔く身を引いては」

 ずいぶん大袈裟な文言だが、これはこの数日に掲載された朝日の「声」欄トップの見出しである。見出しは朝日の担当者が作ったものである可能性が高いし、内容も担当者の手が入っているのが普通だ。これらを「声」欄のトップに据えたのは朝日の主張を代弁しているからであろう。いつもの手口である。財務省が書き換えを認めた翌日の朝刊ではこの問題を一面だけでなく7ページを使って糾弾している。まるで鬼の首を取ったかのようである。

 森友文書の書き換えは財務省の失態も含め、小さな問題ではないが、この朝日などのメディア、野党の1年を超える反応は大きすぎではないか。内閣が揺らぐほどの問題なのだろうか。書き換え前の文書に贈収賄などの違法行為の明確な記述でもあれば別だが、官僚による忖度の疑いがあるという程度に過ぎない。そしための国会の長期にわたる空転は国家的な損失である。

 背景にあるのは左派メディアと野党の反安倍体質であろう。僅かなことでも政局に利用しようとする強い意思が見える。安倍内閣は100点ではないにしろ、過去の内閣に比べ成功した政権だと思うが、この程度の問題で倒されたのでは内閣がいくつあっても足りない。この問題の重要さと内閣を倒すということとは全く釣り合いが取れない。過去の事務所経費の問題などで内閣が倒れた例がいくつもあるためか、多くの人は成り行きによっては安倍内閣が危ないと思っているかもしれないが、これはやはりおかしい。繰り返される事態によって非常識を常識と思わされているだけである。

 左派メディアが安倍内閣を倒そうとする姿勢は明らかだが、ではその後、どの政党に託すのか、誰を首相にしたいのかということは全くわからない。「安倍、やめろ」と叫んでいるデモの参加者にマイクを向けて「では誰がふさわしいのですか」と是非とも尋ねてもらいたいものである。大塚首相、志位首相、玉木首相、又市首相など想像したくもない。

 ともあれこのような問題が起きるたびに左派メディアが大袈裟に報じ、政権支持率を下げる効果を生んできたのも事実である。この書き換え問題のためか、最近の安倍内閣の支持率は9.4%急落した(最近の時事通信調査)。

 メディアが政策論争より政権の足を引っ張ることに熱心なのは何故だろうか。恐らく左派メディアの党派色が非常に強いことが理由の一つであろう。朝日や毎日の紙面はまるで野党の機関紙のようである。さらに政権を嫌悪する感情があるようさえに感じる。この気持ちが反日的な報道の理由でもあるのだろう。この感情が影響力をもつと理性的な判断は後退する。

 大新聞が強い党派性を持ち、政権の僅かな失敗に対し、過大な批判攻撃をすると、多くの有権者は大変なことだと思い込む。それで政権が危機に追い込まれれば、国会の機能を妨げられたり、さらには政権が倒されて無能な政権を誕生させるという危険がある(民主党政権で実証済み)。新聞が中立を大きく逸脱するのは大きな危険を伴う。大手報道機関の偏向こそ民主主義の危機だと言ってよい。森友文書書き換えの比ではない。

砲艦外交は健在なり

2018-03-11 23:32:01 | マスメディア
 1853年-54年にかけて、米国のペリー提督は軍艦を率いて来日、艦隊を江戸湾に進入させ日本に開国を認めさせた。これは軍事的圧力を使って交渉を行う「砲艦外交」の有名な一例だが、砲艦外交は現在の世界でも重要な外交の要素である。しかし、この言葉はなぜか広辞苑(第6版)には載っていない。左派の岩波書店としてはこんな言葉や言葉が示す現実を消してしまいたいのではないかと勘繰りたくなる(大辞林には載っていた)。(*1)

 米朝の首脳会談が実施されることになったが、その背景には経済制裁とともに砲艦外交が大きな力になったと思われる。外交の要諦を表す漫画に、にこやかな顔の紳士が握手の右手を差し出しながら、左手には棍棒を持っている絵が使われることがある。砲艦外交を視覚的に表せばこうなるわけである。ただ現代では砲艦より空母がふさわしい。他国に圧力をかけるのに最も適した攻撃的戦力だからである。中国が高価な空母を作ろうとしているのはこんな意味もあるからだろう。

 逆にいうと、もし米の軍事的圧力がなければ北朝鮮は意志を変えず、首脳会談への可能性はなかっただろう。砲艦外交が功を奏し、平和的な解決に役立つことになるかもしれない(騙すのが得意技の国だけにどうなるかわからないが)。弱い軍事力しかもたない日本が同じことをやっても北朝鮮から嗤われるだけだろう。砲艦外交はけっして褒められたものではないが、現実には有効な手段として使われる以上、これから目をそらすことは誤った認識を招く恐れがある。高邁な理想や人権・人道などを何回言っても全く効果のない国もある。効くのは物理的な力だけである。

 むろん北朝鮮が砲艦外交をやるような可能性もあるし、そうなっては困る。今回は米国の圧倒的な軍事力がそれを防ぐことになりそうというわけである。ナチスドイツのように秩序の破壊者になりそうな国が強大な軍事力を持つことがもっとも恐ろしい。膨張政策を続ける中国は将来どうなるかわからないが、危険な国になる可能性を排除できない。

 強い軍事力の保持は侵略を抑止する効果だけでなく、強い外交力にもなる。あたりまえのことだが、今回の米朝の関係から得られる教訓である。長く平和を享受したいなら強力な軍事力をもつことが必要という考えが成り立つ。逆に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」、防衛を疎かにすれば、戦乱や侵略の憂き目に遭うこともある。

(*1)読者の方からご指摘をいただきました。今年発売の広辞苑第7版には載っていたそうです。私が調べたのは第6版でした。訂正いたします。

右翼というレッテル

2018-03-04 22:18:29 | マスメディア
 リンゴやバナナ、机や椅子などの名前にはその定義に争いがほとんどない。対象物が明確だからである。しかし右翼や左翼などの名前はそう簡単ではない。対象となるものは複雑、多面的だからである。一方、正確ではなくとも、その言葉の持つ一般的なイメージというものもある。だからある人々、あるいは団体に右翼とか左翼とかと呼ぶことには慎重さが要求される。一旦レッテルが貼られると、そのレッテルが持つ固有のイメージが定着し、実際との乖離が起きることは珍しくない。大事なことは正確な理解や評価が損なわれることである。たかが名前ではないのである。

 百田直樹氏、櫻井よしこ氏、青山繁晴氏らはしばしば右翼と呼ばれる。彼らに限らず左翼に反対するだけの人も右翼と呼ばれることがある。元来、右翼とは議会で議長席から右方を占めた保守派を指すそうである。しかし右翼と言えば日の丸を掲げ、軍歌などを大音量で流しながら街宣車を走らせる光景を思い浮かべる方が多いと思う。また戦争好き、国粋主義、ファシズムを想起する方もおられるだろう。どちらにしてもあまりいいイメージではない。

 しかし百田氏らは明らかにそれらとは違う。ネトウヨ(語感がよくないですね)と呼ばれるネット上で騒ぐ連中も上記の右翼とは違う。ドイツやフランスでは移民受け入れの拒否、ないし制限を掲げる政党が進出しているが、メディアはこれらを極右政党と呼ぶ。これもファシズムを思い出させる言葉であり、適切な言葉とは思えない。

 戦後の長い間、左翼は知識層が中心で右翼はアホが多いと一般に信じられてきた。そのイメージはかなりはっきりしたもので、今も中高年層には強く残っていると思う。学者・文化人などが共産主義を信奉したのが一因であろうが、その共産主義の信頼が失われた現在、騙されていたのは学者・文化人の方であることが明らかになっている。

 というわけで現在、国粋主義者やファシストでもないのに右翼呼ばわりすることは不正確であるばかりか、蔑(さげす)みの意味を持たせることになる。ひどい蔑称であるが、これは恐らく意図的なものだろう。しかし左翼批判しただけで右翼呼ばわりするのは悪質なレッテル貼りであろう。こんなレッテルを貼られた者の言葉に耳を傾けようとする人はいなくなるだろう。

 9条があれば平和が保たれるという妄想をしつこく信じているのは老文化人を主とする左翼だが、彼らは批判されて当然であると思う。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」は目指すべき理想としてはよいが、それを現実と捉えれば妄想となる。実現したいのなら日本政府ではなく、軍備を増強している中国や北朝鮮に対して軍備を止めるよう呼びかけるのが筋である。

 宗教的信念や特定の思想信条に影響された認識は客観性を欠くのが常である。百田氏や櫻井氏らの主張の方がより客観性があり現実的だと思う。左翼はインテリ、右翼はアホという古い分類はもう逆転していると言ってよい。