噛みつき評論 ブログ版

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対立と不信を煽る戦略

2014-08-25 08:58:15 | マスメディア
 また朝日モノかと思われるかもしれません。偽善の仮面を引っ剥がす面白さはもちろんですが、朝日の実体はこんなものですよ、と示すことが多少なりとも意味があると思うからです。

 慰安婦問題の特集を掲載した1週間後の8月12日、朝日新聞は「虐殺の記憶 和解へ共有」「独仏大統領、廃墟の村に同行」と題した記事を一面トップに掲載しました(大阪版)。70年前、ナチス親衛隊による虐殺があったフランスの小村、オラドゥールを独仏大統領が連れだって訪れたと書かれています。しかしよく読むとその日付は昨年の9月4日。ニュースではなく、いつもの政治的プロパガンダです。

 「(独仏は)かつての敵対関係を超えて、戦争の記憶の共有が進む。歴史観をめぐって対立が深まる一方の東アジアとどこが違うのか」と述べています。どこが違うのかと問われれば、独仏には朝日のように対立を煽るメディアがなかったからだと答えたくなります。またこの日の社説は「異常な外交に終止符を」と日韓や日中の正常化を訴えています。自分で関係をぶち壊しておきながら、それはないでしょう。

 日韓関係悪化の原因となった虚偽報道が明確となった1週間後にこんな独仏の記事を載せる神経が理解できません。自分達の報道が日韓関係悪化の原因となったことを反省している様子が全く見られません。このような思考回路は常人の理解を超えているだけでなく、不気味です。

 国際間の対立を煽った朝日ですが、国内の対立の煽った点でも朝日は他の追随を許しません。

 北欧モデルとしてよく紹介されるスウェーデンは高福祉・高負担の国で、1人当たりのGDPもトップクラスです。税などの国民負担が多くなると経済成長が妨げられるとまことしやかに言われていますが、この国では国民負担率は約60%もあるのに先進国中では高い経済成長率を維持しています。また再分配後の所得格差は最も低いグループに属します。

 税などで所得の半分以上を取られるのは誰だって嫌ですが、この高い国民負担率を伴う経済政策が成功したもっとも大きい理由は国民が政府を信頼したことであると言われています。逆に言うと政府に対する信頼がなければ大きい政策転換は困難だということです。なぜ国民は政府を信頼したかと言えば、スウェーデンには朝日新聞が存在しなかったからでしょう。

 最初の消費税導入のとき、朝日などは大反対キャンペーンを展開しました。日本では消費税を上げると、その内閣は潰れると言われてきたように、政府に対する国民の信頼はお世辞にも高いとは言えません。これは政府自身の問題でもありますが、メディアの報道も不信の大きい理由になっていると思います。

 日本の野党は何でも反対、反対のための反対で有名ですが、朝日・毎日などもほぼ彼らに沿った姿勢をとり続け、不毛な対立や不信を煽る役割を果たしてきました。社民党の非武装中立、朝日の防衛費削減などの主張が現実性に乏しいように、有効な対案とは言えないものが圧倒的多数です。本当の目的は国内の対立を深めることかと思えるほどです。

 国と国、政府と国民、いずれも信頼がある場合と不信しかない場合では大きな違いが生じます。対立は相互不信を生み、不信は双方に大きな不利益をもたらします。対立があると新聞が売れるのかもしれませんが、朝日が煽った対立、それゆえの不信がもたらした国家的損失は計り知れません。因果関係が見えにくいため、あまり意識されませんが、罪の大きさは廃刊に十分値するものだと思われます。

騒がないマスコミ

2014-08-18 09:10:02 | マスメディア
 号泣議員やSTAP細胞疑惑、企業不祥事などに対しては過剰報道を常とするマスコミですが、慰安婦に関する朝日新聞虚偽報道事件に対しては読売と産経以外、なぜか驚くほど静かです。虚偽報道が重大な悪影響を与えたことや、日本を代表する新聞が故意にウソを流し続けていた疑いが極めて強いことを考えると、ニュースバリューは絶大で、もっと大きく報道されるのが当然であると思います。騒がなくてもいいときに大騒ぎし、騒ぐべきときには沈黙する、まことに困った人たちであります。

 かつて問題を起こした企業は、雪印食品や不二家、吉兆、最近ではベネッセなどがありますが、洪水のような報道がなされました。幹部らは記者連中の意地悪い質問を浴び、幹部の退陣、さらには破綻にまで追い込まれる例もありました。それらに比べ、この朝日虚偽事件(仮称)についての上品な報道ぶりは腑に落ちません。

 虚偽情報を何十年間も継続して報道することはメディアにとって致命的なことです。しかも朝日の場合は意図的なものと考えられるにもかかわらず、謝罪は一切なく、幹部の会見もなし、他紙の質問にも答えようとしません。驚くほどの頑(かたく)なな、非友好的態度です。いまどきこんな頑なな態度をとるのは中国か韓国くらいでしょう。朝日の頑なな態度が朝日の親しい国に似ていることは興味深いことです。

 会見や対話を拒否する姿勢はこちら側に大きな非があり、相手を納得させる材料を持たない場合によく使われます。都合の悪いことが多すぎて黙秘せざるを得ないということでしょうか。朝日のお好きな「説明責任」はどうなったのでしょう。

 謝罪や会見を拒否するという朝日の傲慢さはその立場の強さから生まれているのだと思います。報道の自由の名のもとに、歪曲した報道を何十年も続け、批判を浴びても路線を変えずに存続できたという自信があるのでしょう。

 虚偽情報を何十年間も継続して報道することはメディアにとって致命的なことです。しかも朝日の場合は意図的なものと考えられるにもかかわらず、謝罪は一切なく、幹部の会見もなし、他紙の質問にも答えようとしません。驚くほどの頑(かたく)なな、非友好的態度です。いまどき対話をも拒否するような頑なな態度をとるのは中国か韓国くらいでしょう。朝日の頑なな態度が朝日の親しい国に似ていることは興味深いことです。

 朝日は慰安婦問題の特集記事を8月5日発表していますが、それは週刊文春と週刊新潮の発売日である8月6日を意識したものでしょう。批判記事は間に合わず、しかも8月6日発売は2週間分の合併号であるため批判記事を載せるには2週間先となります。なかなか用意周到です。

 及び腰の毎日、日経、NHKの報道を見ていると、同業者に対する批判は控えるという不文律でもあるのかと疑います。事業会社にいくら攻撃しても反撃される心配はありませんが、同業者からは反撃される可能性があるためかもしれません。しかし黙っていれば業界としての自浄能力がないことを示し、不適格なメディアの存続を許すことになります。鍵を握るのはNHKでしょう。

 これは社会が大手報道機関をチェックする有効な機能をもっていないことを意味します。国会での検証は報道の自由を危うくするという議論があります。その危険がないとは言えませんが、これほどの被害を与えたのなら野放しというわけにはいかないでしょう。朝日が報道の自由を危険に晒したと言うべきです。

朝日新聞、墓穴を掘る?

2014-08-11 09:01:27 | マスメディア
 食品の産地偽装、消費期限の不適切な扱い、個人情報漏洩など、様々な企業が不始末を起こしてきました。それらは大きく報道され、破綻にまで追い込まれた企業もありました。しかしそれらは今回の朝日の慰安婦問題の虚偽報道に比べれば実にかわいいものです。有害性において、次元が違うといえるでしょう。

 朝日新聞は5日と6日の朝刊で、慰安婦問題に関する同社の報道についての特集を掲載し、女性を強制連行したとする従来の主張の最大の根拠となった吉田清治氏の証言を虚偽であったと認めました。

 初めて吉田証言を取り上げてから既に32年も経過してからの記事取消しであり、まさに覆水盆に返らずです。日本の国際的な評価の低下など、その間の悪影響は計り知れず、6日の読売・産経は多くのページを割いて朝日に関連した記事を載せたのは当然のことと思います。

 これに対し毎日は、6日の一面で石破茂幹事長が「「社会の木鐸、公器たる新聞が十分な裏づけも取れないままこういうことをやったのかについて、疑問が氷解したわけではない」として、国会による報道の検証の必要性を示唆したことについて、報道の自由が脅かされるとの懸念を示しました。

 朝日を擁護しつつ、業界の保身を優先したというわけです。同じ左派の新聞だからと今回の朝日の大失態を看過する見識は理解できません。真偽や正邪よりも政治的立場を優先するのは朝日と同じで、さすが朝日の亜流という名にふさわしい新聞です。いくら報道の自由といっても人を騙してよいわけはありません。人を騙すことが認められているのは宗教だけです。騙すことなしに宗教は成り立ちませんから。

 記事取消しまでの年数や経過をみると、慰安婦に関する朝日の誤報は単なる過誤とはとても思えず、意図的なものである疑いが極めて濃厚です。自らの政治姿勢に役立つものはウソでもいいから使おう、という報道機関として致命的な不誠実さが認められます。全体の利益を図るためのウソならまだしも、国の名誉を傷つけ不信と対立を招くためのウソとなればもう救いようがありません。

 しかし今回の特集では、吉田証言の虚偽は認めたものの「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質なのです」「私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます」と述べ、慰安婦問題の根幹部分が虚偽であっても影響はないと言わんばかりです。虚偽報道対する謝罪はどこにもありません。今に至っても不誠実さは健在というわけであります。

 朝日がこの特集を組んだのは、「慰安婦問題は朝日の捏造だ」という批判に対し、読者から「本当か」「なぜ反論しない」という問合せが寄せられるようになったからだ、と説明されています。やむを得ずやったことでしょうけど、自分の正当性を主張するばかりで、虚偽の報道が重大な結果をもたらしたことに対する責任は感じられません。かつての戦争に協力した責任を取らなかったと指摘されましたが、朝日はよほど責任をとるのがお嫌いのようです。ともかく32年間もウソをつきとおした嘘つき新聞であったことがバレたわけで、信頼度の大幅な低下は免れず、朝日は自ら墓穴を掘ることになるかもしれません。

 慰安婦の強制連行については他紙や雑誌から様々な疑問が示されてきました。しかし朝日は数十年間、それを無視してきました。今回、計らずも朝日が自らの誤りを認めましたが、もし認めてなかったらこの問題はいつまでも決着がつかなかったことでしょう。つまり朝日のような大手新聞がウソをつき続ければ、それを外部から崩すのは困難だということです。外部からのコントロールが効かない状態であることを意味します。大手メディアの情報支配力は大きく、それだけに厳しい倫理が必要となります。意図的にウソをつくような報道機関は論外です。

 大きく国益を害し、日韓関係を壊した原因を作った私企業が何の制裁も受けないのでは他の不祥事を起こした企業との釣り合いが取れないだけでなく、再発を防げません。珊瑚礁事件はカメラマンの暴走によるものでしたが、社長は引責辞任に追い込まれました。今回は組織としての長年にわたる行為であり、結果の重大さも珊瑚礁事件の比ではありません。

 不思議に思うのは朝日は何故このような日本を貶める行為を執拗に続けるのかということです。その動機とはいったい何でしょうか。個人なら頭がおかしいということで片付けられますが、集団となればある程度説得力のある理念や思想が必要です。国益よりも優先しなければならないほどのものとはいったい何でしょうか。国会でもどこでもいいですが、是非とも解明していただきたいものです。

[参考資料]
朝日新聞特集 慰安婦問題の本質 直視を
朝日新聞特集 慰安婦問題を考える

(同記事に対する批判として)
読売テレビ 「ウェークアップ!ぷらす」 (26分過ぎた頃から)
フジテレビ  「新報道2001」 (議論白熱・・・おもしろい)

赦すという価値の喪失

2014-08-04 09:00:28 | マスメディア
 野々村竜太郎元兵庫県会議員の前代未聞の号泣記者会見は世界に知れ渡りました。たしかに号泣場面は面白いのですが、これほどまで繰り返されるとちょっと気の毒に思います。さらに野々村氏が議員を辞め、公の場に姿を見せなくなってからも、彼のマンションの廊下にはマスコミの連中が鈴なりになって待ち構えていました。恐らく100人は下らないと思います。まことに下らないことですが。

 これは精神的な拷問です。気の弱い人なら自殺の強い誘因となるでしょう。野々村氏は議員を辞め、1800万円ほどの返済も済ませています。職も名誉も失った失意の人間に対し、大集団でしつこく攻撃するのは見苦しい光景です。政務活動費のごまかしは名目で、号泣するキャラクターの面白さが報道の主な動機なのでしょう。

 野々村氏にはさらに追い討ちがかかりました。県議会も既に、虚偽公文書作成などの疑いで告発していますが、兵庫県内の三つの市民団体が詐欺などの疑いで刑事告発したそうです。こちらも集団による追い討ちです。わざわざ警察に「いいつけ」たわけです。大悪人並みの扱いです。失礼ながらそれほどの大物にはとても見えません。

 野々村氏の不祥事のレベルと報道のレベルが釣り合いません。マスコミによるバッシングがあまりに過大なのです。報道の苛烈さ、大きさが野々村氏の罪を実際以上に大きく見せた可能性があります。市民団体による告発は恐らく過剰な報道の影響を受けたものと思われます。

 それにしてもこの市民団体の苛酷さ、容赦ない行為には驚きます。個人の行為なら、奇人・変人がしたことだからと気にとめることはないですが、これは大勢が十分議論した結果の行為です。職も名誉も失った人間に対し、集団としてここまで無慈悲になれることに戦慄を覚えます。政治生命も断たれたし、もうこれくらいでいいではないか、と誰も言わなかったのでしょうか。

 聖書の有名な一節に「右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出しなさい」というのがあります。いろんな解釈があるようですが、多分、赦すことの大切さを教えたものだと思います。赦すことは社会の安定を維持する上で大事な要素ですが、当時はそれが不足していたという認識があったからこそ、この言葉が述べたられのだと、その背景を推定することができます。また赦すことは本能などによって自然に生まれものでは足りず、教える必要があるものだということも推測できます。

 しかし最近の日本は逆に動いているようです。刑事事件では厳罰化が進み、不祥事を起こした人間に対するマスコミのバッシングも激しさを増しているように感じます。ニュースを娯楽のネタにするワイドショーでは罪の重さや報復感情ばかり強調され「赦す」という面に関心が向けられることはまずありません。赦すことの価値・大切さはすっかり忘れ去られた観があります。

 犯罪が増加しているのならともかく、凶悪犯罪も含め犯罪件数が減少傾向にある中での厳罰傾向は奇妙な現象です。その原因はマスコミの報道姿勢以外にちょっと考えられません。マスコミの繁栄や視聴者の退屈しのぎと引き換えに、我々は徐々に寛容さを失っていくのではないでしょうか。