噛みつき評論 ブログ版

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野党に思考実験を

2019-10-27 21:51:24 | マスメディア
 山口県岩国市立の小学校と中学校の331人を対象に「トロッコ問題」を資料にした授業があり、児童の保護者から、数人の小学生が不安を感じているとの指摘を受け、両校の校長が児童・生徒の保護者に謝罪したという。数人というからには割合にして1%~2%に過ぎない。そのために謝罪するというのは保護者のパワーの凄さを感じる。

 トロッコ問題とは、トロッコが進む線路の先が左右に分岐し、一方の線路には5人、もう一方には1人が作業をしている。このまま進めば5人が死に、あなたがレバーを引けば1人が死ぬ。そのままにして5人を死なせるか、レバーを引いて1人を死なせるか、の選択を問う問題である。詰まるところ、命は量で計ってもよいものか、という問いであろう。

 これが絶対に正しいという答えが出る問題ではないが、世の中にはそういった問題が少なくない。子供にそのような問題の存在を教えることは間違っていない。ただ何人が死ぬという設定は刺激が強すぎるので、その点の配慮は必要だろう。

 思考実験というなら、こんなものはどうだろう。将来、どこかの国が日本に攻め込んできた場合を想定してみる。昔の戦争と異なり、ミサイルによる攻撃が中心になるかもしれない。現在の憲法解釈からすれば、敵基地攻撃はできないことになっているから、落ちてくるミサイルを打ち落とすことしかできない。恐らく全部を落とすことはできないから、日本にとっては非常に不利な戦いになる。逆に敵国は自国に被害の及ばない「安全な戦争」ができる。彼らは「安心」して戦争が仕掛けられるのである。

 この場合、憲法を無視してでも敵基地を攻撃(可能だとして)して勝利を得ようとするか、それとも憲法を死守して敗北に甘んじるのか、という選択を迫られる。法の無視は、かつて赤軍派による人質事件では超法規的措置と称して政府が自ら法を破ったことがあったので、例がないわけではない。また法には緊急避難という考え方があり、この場合は違法行為が許される場合がある。

 この思考実験を是非とも野党の方々にやってもらいたい。憲法を崇める人たちはかなり存在するが、彼らは敗北してでも憲法を守ることを選択するかもしれない。しかし日本が敗北し、属国となっては支配国による憲法改正を止められない。結局、負ければ憲法を守ることもできない。

 一方ほとんどの国では非常事態に備えて、緊急事態条項なるものがあり、非常時には政府が強い権限を持てるようになっているそうである。侵略を受けた時は国の総力を挙げて対応しなければならないから、これは当然の対策である。しかし日本はこれを持たない。侵略されたとき、慌てて国会を召集して法案を通していたのでは間に合わない。憲法改正にこの緊急事態条項を加える案があるが、左翼の反対があってなかなか進まない。そこで日本はもし緊急事態になったら平和憲法など完全に無視して、好き放題やると宣言するとよい。これだけで「安心」して戦争を仕掛ける国に対する抑止力になる。

嫉妬、この厄介なもの

2019-10-20 22:33:03 | マスメディア
 ヴェネツィアの指揮官、オセロは尊敬を集める立派な人物である。ところがイアーゴの奸計に陥り、新妻デズデモーナの貞節を疑い、嫉妬に狂って妻を絞め殺す。やがてイアーゴの企みが明らかになり、オセロは自決する。直前まで幸せの頂点にあった二人は悲しくも死んでしまう。嫉妬という怪物のために。

 これはシェイクスピアの悲劇「オセロ」の簡単なあらすじである。オセロの嫉妬心がイアーゴの策略によってどんどん膨らんでいく様は見事で、たいていの男はこの罠にかかるだろうと思う。この悲劇の主要テーマはオセロの嫉妬であるが、さらにイアーゴのオセロに対する嫉妬も含まれる。イアーゴがオセロに嫉妬を、そして憎しみを抱いたのはオセロが有能であり、地位を、そして美しい妻を手に入れたからであろう。この劇は嫉妬を軸に破滅へと向かう。シェイクスピアは嫉妬を緑色の目をした怪物で、人の心を餌食にし、もてあそぶもの、と表現する。

 コラムニストの山本夏彦に、「ひそかに愉しむ友の不運」という言葉がある。一見、仲のよさそうな友にあっても嫉妬心がしばしば入り込んでいることを指しているわけで、「ひそかに」はこの感情は決して外に出してはいけないもの、恥ずべきものであることを表している。とても短い言葉であるが、中身は濃い。

 オセロの嫉妬は最愛の妻とその愛人による裏切りに対する怒り、そして妻を失うかもしれない恐怖に由来する。このような嫉妬は強烈だが数は少ない。一方、イアーゴの嫉妬や「ひそかに愉しむ友の不運」における嫉妬は強烈ではないが数は多い。両者とも嫉妬と呼んでいるが、少し違うように思う。取り上げたいのは後者の方である。

 イアーゴの嫉妬がなぜ恥ずべきものであるか、外に出したくないものか。それは恐らく、ある人物に嫉妬を感じることはその人物の優越を認める、つまり自分の劣等をみとめることになるからであろう。また了見の狭さを知られてしまうからでもあろう。平たく言えばとても格好悪いのである。従って誰もが嫉妬をひた隠しにする。したがって嫉妬は見かけ以上に大きな影響を与えている。人の行動の隠れた動機として大きな影響があると考えられる。

 隠れた嫉妬であってもその人間の行動には影響を与える。その場合、嫉妬される側が相手の嫉妬に気づかなければ、その行動は不可解に見えるだろう。嫉妬が小さいうちは表面化させずに済むことができるが、大きくなると憎しみも大きくなり、友好的な態度を維持することが難しくなる。そして、不可解な嫌がらせなどが起きたりする。その場合でも嫉妬を表面に出すことは少ないので、不可解な行為と映る。

 イアーゴはオセロに嫉妬し、奸計を企むのだが、オセロはイアーゴの嫉妬に気づかない。一般に嫉妬される方、優越する方はそのことに気づきにくい。嫉妬は人と人の間にだけ生じるものではない。国と国の間で生じることもある。様々な点で優越する国が近くにあれば嫉妬が起きても不思議でない。国民に嫉妬心が潜在すれば僅かな刺激で強い反日感情が生まれる。嫉妬を受ける側は気づきにくいが、その心情を理解することも必要だろう。

 ついでながら、ヴェルディのオペラ「オテロ」はこのオセロを原作として、ほぼ忠実に作られている。現在、このオペラはユーチューブで観ることができる。やや古い動画しかないが、タダだから仕方がない。

遅すぎる特別警報、その存在の意味?

2019-10-13 21:34:54 | マスメディア
 気象警報は数時間~数十時間先の状況を予測し、それに基づいて発表される。警報を事前に知ることによって被害を避ける、あるいは軽減することができる。災害が発生してからの警報ではあまり意味がない。

 台風19号による関東地方の雨は台風が上陸する半日以上前から激しくなり多大の降雨量があった上、台風の接近・通過時には一層の降雨量があることは容易に予想された。多くの自治体は12日の早くから避難勧告、避難指示を出したが、気象庁が1都6県に特別警報を発表したのは午後3時半であった。日没まで約2時間しかなく、これからの避難を呼びかけるには遅すぎるタイミングである。

 NHKでは「特別警報を待たずに非難をしてください」と呼びかけていた。また気象庁は「特別警報を発表する可能性があります」と述べていた。このような経過の後、ようやく午後3時半に「待ちに待った」特別警報が発表されたが、すでに災害が発生している時点であり、気象庁の発表にも「重大な災害が発生している可能性が極めて高い」という文言があった(これはその後の他の地域に対する特別警報の発表にも付け加えられた)。

 2018年の西日本豪雨の際には7月6日の午前10時半に大雨特別警報をこれから発表する可能性があると予告したが、実際に発表されたのはそれから約9時間後の午後7時40分で、すでに住宅に土砂が流れ込むなど被害が続出していた。しかも避難しようにも暗闇であり、危険が大きい。気象庁にはできるだけ早く警報を知らせて被害を軽減しようとする意識が感じられない。失敗して責任を問われることばかり気にしているのではないか。

 気象庁のウェブページには詳しい解説がある。特別警報の対象については

「雨を要因とする特別警報は、避難勧告や避難指示(緊急)に相当する気象状況の次元をはるかに超えるような現象をターゲットに発表します。発表時には何らかの災害がすでに発生している可能性が極めて高い状況です」としている。
一方、
「雨を要因とする大雨の特別警報は、台風や集中豪雨により数十年に一度の降雨量となる大雨が予想される場合に発表します。具体的には、
(1)48時間降水量及び土壌雨量指数において、50年に一度の値以上となった5km格子が、共に50格子以上まとまって出現
(2)3時間降水量及び土壌雨量指数において、50年に一度の値以上となった5km格子が、共に10格子以上まとまって出現
のいずれかを満たすと予想され、更に雨が降り続くと予想されることを発表指標としています」

 特別警報の発表基準は大変厳しいもので、これを満たすのは簡単ではない、と思われるのだが、よく読むと、この基準は発表時に満たしていなければならない基準ではなく、やがてそうなるかもしれないという「予想」基準である。つまりいくら厳しい基準を設けても発表の判断は、予想である以上、かなり自由にできると考えられる。また、予想である以上、確実ではないから、「5km格子が、共に50格子以上」といった細かい条件をつけることは理解に苦しむ。

 とにかく「災害がすでに発生している可能性が極めて高い状況です」という時点まで待たなくてもよいのではないか。失敗を恐れるあまり、発表が遅すぎては警報の意味が失われる。重大な災害が差し迫っているとき、我々としては避難が間に合う時期に、その重大性を知らせてくれることに尽きる。細かい基準のことなど知ったことではないのである。

 このウェブページには細かな解説が豊富にあるが理解するのに一苦労である。一般の人々が要点だけでも理解しているとはとても思えない。繰り返すが一般の理解では、警報は将来の予想を示すもので、人はそれを事前に知ってこそ適切な対応ができる。「既に災害が発生している可能性が極めて高い」と断って発表する警報ではあまり意味がない。

 ついでに、気象庁の考え方に関して疑問がある。「…いずれかを満たすと予想され、更に雨が降り続くと予想されることを発表指標」としているが、これは50年に一度の降水量、土壌雨量指数だけでは不足で、さらに雨が降り続くことが必要と理解できる。50年に一度の降水量及び土壌雨量指数だけでは特別警報に値しないのか。この考え方は理解できない。実は気象庁は過去にも理解できないことをやっている。当初、特別警報発令の単位を府県単位とした。この第一号は京都府に出されたが、日本海側の大雨であった。100km以上離れた京都市も特別警報下に入り避難指示の対象地域となり、無用の混乱を招いた。逆に2013年10月の伊豆大島の豪雨災害では死者・行方不明者が39名を出したが、この時、特別警報が発令されなかった。理由は大島の面積が小さ過ぎたからだそうだ。面積が基準に達しなかったというわけだ。これらは改善されたが、ずいぶんお粗末である。気象庁は本当に災害被害の減少を考えているのか、と疑問に思う。さらに特別警報を考えた人たちは果たしてそれにふさわしい能力をお持ちなのか、とも疑いたくなる。

(参考)気象庁 特別警報について

関電はそれほど悪者か

2019-10-06 21:45:03 | マスメディア
 500万円をもらい、これは受け取れないといって返却する。これを20回繰り返すと1億円もらったこととする。実際は500万円が往復20回行ったり来たりしただけである。これほど極端ではないが、金品を最も多く受け取った鈴木聡常務の場合の実際は以下のようであったようです。
「鈴木聡常務の場合、おととし1年間に合わせて27件に及んでいて、例えば1月の場合、10日に現金500万円を受領し、その日のうちに返していましたが、7日後の17日には再び200万円と金貨5枚を受け取り、当日返却していました。
 27件の金品のうち16件は当日か数日後に返却されていて、受領と返却を繰り返した結果、総額が膨らんでいった状況がうかがえます」 (10月5日 5時02分 NHKニュースより)

 ニュースでは1億2000万円も受け取ったと不届き者のように報道されている。実際とは大違いである。それどころか鈴木聡常務はかなり真面目な人物に見える。メディアはとても許せない、唖然とした、といった最高レベルの非難を浴びせ、街の声も強い非難のものばかり取り上げている。鈴木聡常務らを非難しているメディアの人々は「私なら絶対に受け取らない」と自信あふれる人たちかもしれない。大変ご立派だと尊敬するが、私なら全く自信がない。バレる気づかいがなかったらご厚意をありがたく受け取ったと思う。

 この、多くがすぐに返却されていたという事実がいままで報道されてなかったはなぜだろう。関電側としては是非とも伝えたいことであろうから、隠す理由がない。可能性として考えられるのは、メディアが3億2000万円もの巨額を受け取ったというインパクトを弱めたくないので、故意に消極的な報道にしたということだろうか。よく使う手だけに可能性はあると思う。多分このニュースを後追いするメディアは多くないと思う。だとすると不誠実なことである。

 一方、返されても返されても27回も金品を送り続ける森山栄治元助役はかなり特殊な人物と思われる。通常の付き合いができる人物ではないようだ。ことの発端は元助役が金品の送り先を詳細に記した書類を残し、それが税務調査で明るみに出たことにあるのだと思われる。ずいぶん不注意なことである。関電にとってはまさに青天の霹靂であろう。

 少し気になるのは、資金の流れが逆になっていることである。地元対策で有力者などに電力会社から金品が渡されるのならわかるが、逆の流れは理解できない。なにか裏の事情があるのかもしれない。

 鈴木聡常務以外の方々についてはわからないが、税務調査の前にかなりの部分が返却されていたそうであり、総じて真面目な人たちだという印象である。20人の中にはたったの2万円という方もあり、気の毒な気がする。わたしならそれほど怪しからん人たちだとは思わないが、メディアの方のように、叩いても埃ひとつでない潔白な人にとっては許せないのかもしれない。

 また10月4日、「関電、国税調査後1.6億円返還 問題指摘恐れ、高浜町元助役へ」
という見出しが各メディアに載った。これは共同通信が配信したもので多くのメディアはそのまま載せている。税務調査を受けてすぐ1.6億円を元助役に返還したということであり、バレそうになったので慌てて返したという意味にとれる。ところが税務調査前にも1.2億円が返却されているのにその事実を黙殺している。税務調査前の返還は自主的なものと考えられ、関電関係者にとって悪意を否定する重要な事実である。これを黙殺することは関電は悪者というイメージをつくるためではないか、と疑いたくなる。税務調査前の返還を報じたのは意外にも朝日新聞である。この客観性は評価されていい。

 さらにあきれるのは野党がこの問題を国会に持ち込もうとしていることである。野党は調査能力がないので、週刊誌ネタとワイドショーネタばかり取り上げると言われるが、今回も「前例踏襲」である。それもメディアが小さい問題を大きく報道したことに乗せられたに過ぎない。モリカケ問題同様、国会の貴重な時間を浪費して、憲法や外交、財政、安全保障などの重要問題が議論されなくなるかもしれない。野党はどう見ても益より害の多い存在ではないか。こんな野党はいない方がマシである。