噛みつき評論 ブログ版

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「しゃーないなぁー」

2014-04-28 09:31:06 | マスメディア
 本来あるべき解決法が難しいとき、関西では「しゃーないなぁー」と言って、筋は通らなくても実現可能な方法を選びます。例えば他人の借金の尻拭いなどです。「しょうがないなあ」と同様の意味ですが、筋を通す行為ばかりでは社会は円滑に動きません。

 7年前、愛知県内で認知症の91歳の男性が電車にはねられて死亡した事故を巡り、JR東海側が損害が発生したとして遺族に賠償を求めた裁判で、2審の名古屋高等裁判所は1審で認定された男性の長男の責任は認めなかったものの、男性の妻に対しては「夫を監督する義務があるのに十分ではなかった」と判断し、およそ360万円の支払いを命じました。・・・(4/24NHKニュースより)

 賠償を命じられた男性の妻は当時85歳なので現在は92歳程度と思われます。一方、賠償を請求したJR東海は巨大企業です。JR東海にとっては360万円は微々たる金額ですが、自分のところで起きた事故で夫を失った92歳の女性から無理やりカネを取り上げようというお話です。

 JR東海は法人ですが、巨大な資産をもつ個人だと考えれば、これは極めて非情、かつドケチな行為、恥ずかしい行為と見られるでしょう。法人といっても個人に準じたものであり、それを動かしているのは個人の集りなので、この仮定はまったくの的外れとは思えません。

 JR東海は法的権利を主張し、筋を通したわけですが、どう見ても紳士的な行為とは言えません。しかしJR東海の行為を倫理的に批判する論調は見られません。そのような倫理観は過去のものになったようです。

 JR東海の行為は法的には正当なものです。また被害の原因者を徹底的に追及するというマスコミの好む風潮とも合致します。しかしこのJR東海の行動と高裁の判決は認知症患者を介護する人に重い負担を要求します。24時間の監視義務を負わせることになるからです。認知症患者の自由を奪うだけでなく、その社会的コストは膨大なものとなるでしょう。

 NHKの調査によると、認知症の人が徘徊などして起きた鉄道事故はこの8年余の間に少なくとも76件、このうち64人が死亡していたとされています。年間にすれば10件足らずであり、鉄道会社1社あたりの平均では年間1件以下と思われます。このように損害額が小さく、かつ低い確率の事故に対しては「しゃーないなぁー」という解決方法があってよいと思います。

 鉄道各社がこの僅かな金額を負担すれば上記のような悪影響は避けられ、また社会全体としての介護コストは低く済むと思われます。鉄道会社が負担するからといって線路への徘徊が増えるとも思えません。

 漱石は「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される」と「草枕」に書きましたが、世の中は「角が立つ」方向、不寛容な方向にばかり動いているように感じます。

 部分的な合理性が全体の不合理を招くことは少なくありません。JR東海や高裁の判決が示す方向には、不合理で、不寛容な社会があるように思われます。もし「JR東海よ、恥を知れ」なんて判決を下す裁判官がいたら文句なしに尊敬するのですが。

朝日新聞の凋落

2014-04-21 09:23:10 | マスメディア
『東大生から見放された朝日新聞 今春「入社ゼロ」に幹部ら衝撃』
 これはJ-CASTニュース(4/18)に載った見出しです。

『朝日新聞の編集部門には、「20、30年前は、多いと配属された記者の3分の1が東大生だったこともある」と元幹部は明かす』
『昨年の採用試験が進んでいる頃、朝日新聞の幹部は、面接に東大生が一人もいないことがわかり、愕然としたそうだ。人気の凋落ぶりに、「ここまで…」と唇を噛んだとか』とも書かれています。

 J-CASTニュースは朝日新聞出身者によって設立されたもので、このような内輪の情報を入手しやすいのでしょう。それはともかく、トップレベルの学生が朝日を見限った事実は大きな潮流の変化を感じさせます。兆候は数年前にありました。

 報道機関にとって信頼度は最も重要なものですが、2007年の調査で朝日の読者信頼度は日経と読売に負け、3位となりました。信頼度が低下したのは恐らく、異常に強い政治的志向によって報道が歪められてきたことが、ネットの普及につれ徐々に知られてきたことが理由のひとつだと思われます。この調査では高齢者層の信頼度だけが1位となっていますが、高齢者層は保守的でネットの利用が少ないためだと考えれば辻褄が合います。

 メディアが特定の政治思想を持つのはある程度仕方がないと思いますが、朝日は報道を大きく歪めるなど限度を超えているように思います。その背景には朝日なりの「正義」があるのでしょうけど、必ずしも適切なものとは言えません。

 たとえば、動機は「正義」かもしれませんが、従軍慰安婦問題などを掘り起こす朝日の報道は結果的に日中・日韓の関係を悪化させる一因となりました。両国に潜在的にあった反日感情に火をつけたため、反日感情は大きく燃え上がり、皮肉にも中韓との関係は平和とは逆の方向に向かいました。わざわざ紛争の種をばら撒いているようなもので、実に困った「正義」なのです。子供の正義と呼んでもいいでしょう。

 政治的であれ、商業的であれ、恣意的な報道、つまり下心のある報道が多いほど中立性が損なわれ、メディアとしての信頼度は低下します。信頼度が低ければ一流のメディアとは言えません。政治的な下心の多い朝日は二流のメディアという認識が生まれ、その結果、機敏な東大生は見放すことになったのでしょう。まあ信用できないメディアが衰退するのは喜ばしいことですが。

健康基準値のいい加減さ

2014-04-14 09:22:55 | マスメディア
 日本人間ドック学会と健康保険組合連合会は従来より大幅に緩和した健康の基準値を発表しました。
収縮期血圧 129→147 拡張期血圧84→94
中性脂肪  (男)149→178 (女)149→152~185
総コレステロール (男)199→254 (女)199→238~280
  (数値が範囲で表されているのは年齢による差を設けているため)
他に肥満度BMIや肝機能のALT、空腹時血糖値なども緩和されています。気になる人にとっては朗報と言えるでしょう、しかし・・・。

 発表の根拠について、朝日新聞は次のように説明しています。
『学会は2011年に人間ドックを受けた約150万人のうち、たばこを吸わずに持病がないなどの条件を満たす約34万人を『健康な人』とした。そこから5万人を抽出して27の検査項目の値をみた。その結果、従来は129以下を『異常なし』としていた収縮期血庄は、147でも健康だった。84以下が『異常なし』だった拡張期血圧も94で健康だった。』

 これは『健康な人』の集団では収縮期血庄が147でも健康だったから、それを基準値にしたと理解できますが、疑問を感じる方は少なくないでしょう。血圧やコレステロールの値の異常は将来の健康を損ねるかも知れない要因であって、現在の健康状態を直接反映するものではないと思われるからです。従って単年度だけの調査から基準値を決めるのは無理であり、長期にわたる追跡調査が必要であると思われます。

 主要紙、NHKも同様な説明であり、疑問を拭うことはできません。この記事を書いた記者たちは何の疑問も持たなかったのでしょうか。これでは子供の使いです。左から右ではなく、読者・視聴者が納得できるような報道をするのがメディアの仕事だと思うのですが。

 日本人間ドック学会のサイトを見ると4月7日付で「4月4日報道機関へ公表した内容について」という記載があり、その中に以下のような記述があります。

「現在のデータは単年度の結果であり、今後数年間さらにデータ追跡調査をして結論を出していくことになります。従いまして今すぐ学会判定基準を変更するものでなく、厚生労働省には特定健診の保健指導基準が性別、年齢別によって数値が違うものがあるという事実を報告した段階であることをご理解いただきたいと考えております」

 4月4日発表の「新たな健診の基本検査の基準範囲」は中間報告であり、確定したものではないと3日後に発表しています。メディアの記事の誤りに気づいてすぐに出したのだと思われます。発表にも問題がありますが、ほとんどのメディアが正確に伝えなかったわけです。しかしその後の訂正は見あたりません。

 しかしこれで疑問は解けました。実は4月4日の「新たな健診の基本検査の基準範囲」にも「今回のいわゆる健康人のデータを5~10年間追跡調査を行い、基準範囲の妥当性を検討する必要がある」と書かれています。結果に期待したいですが。

 基準値を厳格化すれば「病人」が増加し、緩和すれば減少します。基準血圧を10mmHg下げると数百万人の「病人」新たに生まれるわけです。現在の基準では国民の3分の1、約4000万人が高血圧症だとされます。病人が増えて喜ぶのは医療業界と製薬業界、困るのは健康保険組合です。健康保険組合連合会は今回の基準値発表の片割れですから、病人を減らしたいという健保連の思惑が働いたと邪推したくなります。まあ業界の力関係で基準値が変わるというのも困りますが。

即時抗告は鬼畜の所業?・・・袴田事件

2014-04-07 10:14:43 | マスメディア
 袴田事件の再審が認められ、ようやく48年間の獄中生活から解放されましたが、本人は長い拘禁生活のために、釈放も十分に理解できないほどの精神状態であったそうです。冤罪の疑いが濃厚となった今、これ以上に悲惨なことがあるでしょうか。

 しかし検察はこれを不服として即時抗告しました。死刑の恐怖に脅える48年間では足りず、なんとしても袴田氏を殺したいということなのでしょうか。鬼畜の所業としか思えません。この48年間は死刑以上に残忍な刑だと思います。もし有罪であったとしても実質的には罪は償われたと考えて、即時抗告をしない選択もできた筈です。無罪の場合にはこれが唯一の罪滅ぼしとなります。検察も少しは人の心をもっていると評価されるでしょう。

 アイヒマンは600万人のユダヤ人虐殺に大きな役割を果たしました。その裁判を傍聴したハンナ・アーレントは次のように述べています。

 「アイヒマンはどこにでもいる普通の男だった。彼は家庭ではよき夫であり、よき父親でもあった。アイヒマンは極悪人ではなく、命令に忠実なただの凡人であった」(関連拙記事「真面目という悪徳」)

 今回の即時抗告も検察が鬼畜揃いであったからではなく、クソ真面目な人間が検察という組織に忠実な判断をしたら、即時抗告という選択になった、というだけのことでしょう。

 48年間、精神がおかしくなるまで拘禁した人間をさらに殺そうと考えるのは、検察が内部の狭い論理だけしか考えない人間の集団であることを示していると思います。小アイヒマンの集団です。

 ほとんどの商業メディアがこの事件への関心を失うなか、NHKは4月3日のクローズアップ現代で取り上げました。優れた着眼です。当時の検察に対する疑惑と共に、ここでは裁判にどんな証拠を出すかは検察の裁量に委ねられてきたことが問題とされました。被告に有利な証拠はずっと隠されてきたわけで、これでは検察側と弁護側は対等ではあり得ず、この現行制度を正当化するどんな理由があるのか、凡人には想像もつきません。

 検察が無罪を示す証拠があるのに出さない可能性が否定できない以上、著しく公正を欠きます。裁判員裁判では少し改められているそうですが、普通の裁判では依然として続けられているそうです。人を罪人にするのが検察の仕事です。人を殺傷する力を持つ警察などと同様、他人には危険な仕事であるだけに、厳しい公正さが必要です。

 国民の司法への参加という形式ばかりを重視した裁判員制度より、すべての証拠の開示という公正を担保する根幹部分の改革の方がずっと重要だと思います。しかし検察が真面目な小アイヒマンで満たされていたならば、内部からの改革は絶望的だと言えましょう。

 外部からの改革を期待したいところですが、このような重要な問題であっても、多くのメディアが取り上げなければ重要な課題として認識されず、改革の機運はなかなか起こりません。視聴率ばかり気にするような商業メディアでは無理かと思いますが。