噛みつき評論 ブログ版

マスメディア批評を中心にしたページです。  姉妹ページ 『噛みつき評論』 もどうぞ(左下のBOOKMARKから)。

ヒューリスティックスとマスコミ報道

2009-03-30 09:29:37 | Weblog
 中国製冷凍ギョーザ中毒事件の集中報道は社会に大きい不安を与え、中国製食品の販売も大きく落ち込みました。しかしその反応の大きさは合理的な範囲を超えたものでした。中国製食品によって中毒が発生する確率は極めて低く、もっと確率の高い危険、例えば交通事故や火災などに対するよりも多くの注意を払うのは合理的ではありません。電磁波の危険に脅えるなども不合理な行動の例として挙げることができます。

 私達は常に様々な問題に対する判断を迫られますが、多くは簡略な方法で判断していると考えられています。上記の例のように事故の確率を計算することなく、報道による印象の強さなどから危険を判断したりします。問題に関する知識や経験を使って、素早く直感的に判断する方法は、ヒューリスティックスと呼ばれます。時間と労力をあまり使わないので、認知的節約になるわけです。

 これに対して、数学の問題を解くように、論理的な手順を踏んで解を求める方法はアルゴリズムと呼ばれますが、より正しい解が期待できる半面、アタマの負担が大きくなります。もっとも複雑な要因で構成される現実の問題には有効なアルゴリズムがあるとは限らず、有効性には限界があることも確かです。

 ヒューリスティックスには検索容易性に基づくもの、代表性に基づくものなどがあります。食品を選ぶときに、上記の中毒事件をすぐ頭に浮かべで判断するのは検索容易性に基づくものであり、薬物による中毒事件を食中毒事件の代表と思ってしまうのは代表性に基づくというわけです。過去の成功体験がしばしば判断を狂わせるのも、その鮮明な記憶が容易に呼び出されるために、前回との条件の違いを軽視させるためでしょう。

 これらの判断には一定の偏り(バイアス)を含むことが多く、上記の例では印象の強さから中国製食品の危険率を過大に評価してしまったり、食中毒事件の多くが農薬などの薬物だと誤解したりします。中国製食品による死亡事故は聞いたことがなく、食中毒による死亡事故は年間10人ほどありますが、そのほとんどはキノコやフグなどの自然毒によるものです。

 悲惨な事件は強く印象に残るため、起きる確率が実際以上に評価される傾向があることは以前から指摘されています。過大な報道もまた同様の傾向を強め、不合理な行動へと導きます。

 読者・視聴者は常に合理的な判断をするものではないという認識をマスコミに求めたいのですが、「そんなことはわかっている。報道の結果に関知しないだけだ」と言われるような気がします。

 もっとも困るのはマスコミ自身がアタマの負担を嫌って、ヒューリスティックスに基づく不適切な判断をすることです。それに誇張が加われば事態はさらに悪化すること必定です。
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「株屋は信用されていない」・・・証券会社性悪説

2009-03-26 14:03:18 | Weblog
「やっぱり株屋は信用されていない」「株をやっていると、地方だと何となく怪しいと(思われる)」・・・21日の麻生首相の発言です。有識者会合という場での発言としては問題なしとはいえませんが、本音と思しき発言の内容そのものはまったく妥当なものです。しかしながら、長い歴史のある一流企業が名を連ね、営業収益の総計が年間5兆円近くにもなる証券業界が「信用されていない」のはやはり奇異な現象です。

 伝統的に「信用されていない」理由は株式投資が賭博に近いことと、損をする人が大量に出続けることでしょう。証券会社は売買時の手数料収入が収益の大半を占めているため、客に頻繁な売買を勧めざるを得ない事情があり、そのため会社と投資家の利益が相反するところが多分にあります。

 つまり客が長期の投資をすれば会社の利益は落ち込むわけで、短期の投機的取引に客を誘う必要があるわけです。証券業界では「客を三人殺さなければ一人前ではない」などと言われてきましたが、これは利益が相反する事情を雄弁に物語っています。客の利益を大切にする人にとっては勤まりにくい業界だといえそうです。

 これに対して他の業界では消費者の利益になる商品やサービスを提供することが自らの利益につながるわけですから、両者の関係は双方の利益実現が主になります。ここでは利益の追求だけでなく、消費者のために役立つことができるという好ましい動機も存在することができます。

 米国ではリーマンなど、証券会社による詐欺まがいの商法に加え、常識を逸した高額報酬が問題になり、また、業種が若干異なるものの、政府の救済を受けたAIGの高額ボーナスが激しい批判を受けました。

 証券業界は自らの利益追求という動機が並外れて強い業界と見ることができるのではないでしょうか。内容には少し違いがありますが、日米ともこの業界は異質なものを持っているようです。
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教会の炊き出しに反対する住民さま

2009-03-23 09:54:38 | Weblog
 『浅草聖ヨハネ教会では10年ほど前から、職にあぶれ腹をすかせた人たちに炊き出しをしている。当初数十人だったが次第に人数が増え、最近は500人を下らない。日曜礼拝の参加者で炊き込みご飯を作り、配っている。だが最近になって、地域住民から炊き出しの中止を求められた。
 「近所に座られると困る」「ごみを落としていく」。苦情が寄せられるたびに、下条裕章牧師は集まる人にモラル徹底を呼びかけ、整列やごみ拾いのためボランティアを配置し、理解を求めてきた。
 炊き出しの現場を訪ねると、教会を取り巻くように工事用の囲いが置かれ、その内側に整列した人たちが順番にご飯の入ったパックを受け取り、静かに去る。
 地域と失業者とを分断するような囲いを見ながら、私はしばらく考えた。この囲いを生み出したものは、何なのかと』(3/18毎日新聞発信箱の内容を要約)

 囲いを生み出したものはこれだ、と単純に決めることはできませんが、関連を強く疑われるものは戦後教育とマスメディアです。逆にいうと、他に大きな影響力を持つものはちょっと見あたりません。

 近所の人にとって、それが迷惑なことであるのは私にもよくわかります。それは今も昔も多分変わらないでしょう。変わったのは「やめてくれ」と堂々と発言できるところです。

 炊き出しを求めて集まる人間は生存を脅かされている深刻な状況にあるのに対し、苦情を言う人間は街の美観が損なわれるというまったく深刻とは言えない状況にあります。「街が汚れるから飢えている人間に食べ物を与えるな」とは、たとえ思っていても、口に出せることではありませんでした。

 そんなことを口に出せば、深刻な飢えと美観を同列に置くという非常識な考え、あるいはひどい利己主義と受けとられて、恥ずかしい思いをするかもしれないという気持が、発言を抑制していました。また、誰かがしなくてはならない救援活動を教会が行っているとき、協力しない人が多少なりとも後ろめたさを感じていれば、口出しはいっそうためらわれるでしょう。しかしいまは自分の権利だけを堂々と主張することは恥かしいことではなくなってしまったようです。

 教会側が「飢えと美観、どちらが大切ですか」と住民に反論することができない社会を我々は作り上げてしまったようです。戦後教育とマスメディアは「権利」に重点を置きました。そしてメディアは「住民の権利」の擁護にとりわけ熱心であったと思います。その背景には読者に対する迎合姿勢があるのでしょう。

 この「発信箱」は重要な問題を提起した優れた記事だと思います。しかし「この囲いを生み出したものは、何なのかと」という表現には、原因は他の何かであり、自分達メディアには関係がないという認識が感じられます。この囲いを生み出したものは自分達メディアであることをまず理解する必要がありましょう。人心の変化に手を貸したということを。
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効果のないイカサマ商品と産地偽装、どちらが悪質?

2009-03-19 10:35:25 | Weblog
 携帯電話に装着すれば「電波の受信状態が良くなる」「電池が長持ちする」などとうたいながら、その効果を証明できなかったとして、公正取引委員会は9日、景品表示法違反(優良誤認)で、吉本興業の子会社「吉本倶楽部」(大阪市)など4社に対し、再発防止を求める排除命令を出した。(毎日新聞 09年3月9日)

 「睡眠時鼻につけるだけでいびきを軽減」などと表示した商品の効果について根拠を示さなかったなどとして、公正取引委員会は16日、ピップトウキョウ(東京都千代田区)、ピップフジモト(大阪市)、キートロン(千葉県市川市)に、景品表示法違反(優良誤認)で再発防止を求める排除命令を出した。(毎日新聞 09年3月16日)

 どちらの商品も効果の根拠を示せなかったということなので、初めから効果を確認せずに販売した疑いが濃厚です。とりわけ携帯電話に装着すれば受信状態がよくなるという「銅板」の効果の確認は簡単にできる筈です。携帯電話に装着する「銅板」は約45万個で9億円、いびきを軽減するクリップは3億8000万円の売上げがあったそうです。

 購入者は効果のないものを買わされたわけで、詐欺にあったも同然です。なのに再発防止を求める排除命令を受けただけでマスコミの報道もごく小さなものです。昨今の食品偽装事件の扱いに比べ、法的にも社会的にもずいぶん軽い制裁です。

 食品偽装や消費期限のごまかし事件では、連日一面トップを飾るほどの大量報道の結果、数社は息の根を止められました。マスメディアは問題企業を死に追いやると同時に大量の失業者を産み出す、強力な「ソフトパワー」であることが世に示されました(参考拙文:吉兆報道)。

 食品偽装や消費期限の問題では、消費者は知らずに満足して食べ、実害を受けたわけでないのに対し、上記の二つの商品は実害を伴うものです。商品の機能が全くなかったわけで、意図的・計画的なものと考えられ、かなり悪質です(ピップフジモトは自社のHPで「弊社は、その裏付けとなる合理的な根拠を示す資料を所持しておらず、資料を提出することができませんでした」と発表しています)。

 食品偽装事件とイカサマ商品事件に対する報道がなぜこれほど違うのか、理解できません。有名企業の不祥事という「餌」には飛びつく筈のメディアがなぜ冷静なのでしょうか。Wikipediaによるとピップフジモトは10本のテレビ番組を提供し、多額の広告費を払っている会社です。

 他にも様々なイカサマ商品があります。取り付けるだけで車の燃費が20%よくなる器具、燃料に混ぜると40%節約できる添加物など、怪しい商品が数多く存在します。そんなによいものなら車のメーカーや石油会社が採用しないわけがないと思いますが、昔からこの種の商品は売れ続けています。電磁波関連グッズなど、他の分野にも怪しい商品は山ほど売られています。

 このような商品が蔓延(はびこ)る理由のひとつはマスメディアの寛容さでしょう。マスメディアの判断基準は不可解ですが、せめて食品偽装並みに大袈裟に騒げば、事態はずいぶんよくなるでしょう。イカサマ商品に引っかからないよう注意を喚起することもマスメデァアに課せられた仕事だと思うのですが。
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経済学はイデオロギーか?

2009-03-17 09:10:48 | Weblog
 中谷巌氏の「転向」が話題になっています。新自由主義の主導者であった中谷氏は懺悔の書「資本主義はなぜ自壊したのか」を著し、グローバル資本主義、新自由主義政策は貧困や格差社会を生み社会の絆を破壊したとして、自説からの決別を表明しました。この懺悔書は13万部も売れたそうで、「転向」をも商機とされる才能はやはり尊敬に値します。

 「転向」に対しては非をみとめる正直さを評価した評価がある一方、「経済情勢が変わるくらいで立場を簡単に変えるべきではない」「彼らの政策で首をつった人もいるかもしれない。倫理的・道義的責任を自覚しているのか」(松原隆一郎東大教授)という批判があります。(03/14朝日新聞)

 また、経済学者の佐和隆光氏は次のように述べています。

「米国の経済学者は、自由で競争的な市場を万能視する新古典派か、市場の不完全性を前提とするケインズ派、そのいずれかに与(くみ)するのかを、思想構造も含めて選択している。ところが、日本の経済学者の多くは、理論を支える思想構造には全く無頓着である。
 それにしても不思議なのは次の点だ。つい数ヶ月前までフリードマンを奉っていた日本の経済学者、経営者、政治家の多くが、世界同時不況のの襲来後、今度はケインズの前にひれ伏すようになった。他方、昨年9月に金融安定化法案を否決、12月に自動車産業救済法案を廃案に追い込んだ米上下院議員の多くは、自由で競争的な市場の敗者を国が救済することを『否』とするフリードマンを奉り続ける。その首尾一貫性に対し、私は心よりの敬意を表したい」(03/11日経新聞)

 経済学はどうやら宗旨変えが許されない世界で、一旦なんとか派に属したならそれを守り抜くのが美徳とされるようです。主君や神に対する忠誠を一生涯貫くのが賞賛されるのと同じです。しかしこれはまったくおかしな話で、本来、経済学は思想でも宗教でもなく、社会科学なのです。誤りに気づいて、正しいと思う方へと修正することに何の遠慮がいるでしょう。

 しかし倫理的・道義的責任は別の問題であります。新自由主義に基づく規制緩和が主な原因となった金融危機は、世界に大きな混乱をもたらしました。これには中谷氏だけでなく、同類の学者や流れに乗ったマスコミも責任を免れることはできません。

 ケインズは政府の役割を重視し、フリードマンは市場重視で、対称的な立場をとりますが、現実的に妥当な解はどちらかではなく、恐らく両者の主張の間にあると思います。宗教のように○○派を問題にするのは現在の経済学が科学というより、イデオロギーの側面を強く持っているためでしょう。佐和氏の発言のとおりなら、「志操堅固」な米国の頑固学者も困りますが、一斉に同じ流れに乗って政策に影響を及ぼす「軽躁」な日本の付和雷同学者・マスコミらも困ったものです。

 近年、わが国の経済学者の多くは新自由主義を支持し、国の政策に影響を与えました。それは経済成長に寄与した反面、所得格差の増大をもたらしたとされています。そして同時に所得税の累進税率を緩和させ、さらに格差を拡大させました。背景には格差の増加を是認する考えがあったと思われます(逆にもしそれが予想外のものなら、初歩的な見通しを大きく誤ったということになります)。格差という社会の基本的な問題に経済学が関与した例と理解してよいでしょう。

 経済学が社会の経済現象を解明する道具としての役割を超え、イデオロギーとして社会政策や価値観にまで影響を及ぼすことには違和感を抱きます。経済学に社会思想まで期待すべきなのでしょうか。経済学がイデオロギーという側面を強く持てば、その影響は合理的な範囲を超える危険があります。社会の体制まで変えようとするのはマルクス経済学だけでたくさんです。
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政治の貧困とマスコミの関係

2009-03-13 09:39:39 | Weblog
政治の貧困とマスコミの関係

 「日本の政治をみすぼらしくしている責任の一端は私たちの政治報道にもあるのではないか。かねてそう自問している」

 これは毎日新聞09年2月5日の「発信箱」に載った与良正男編集委員の一文です。全く同感であり、マスコミの中からこのような意見が出てくることは喜ばしいことです。

 このところの政治報道は西松建設による献金事件一色の感があります。マスコミは伝統的にスキャンダルを好みますが、度が過ぎるとスキャンダル過多の報道となり、政治の理念や政策への関心が薄れるようです。

 現在の政党支持率の変化を見ていると、政策の如何ではなく、失点の少ない方の政党が支持される、という異常な有様です。政党は政策で選ばれるのが本来の姿であり、良い政策を実行する政党であれば、幹部の一人や二人が多少「ダーティ」であってもたいした問題ではありません。逆に、清潔ぞろいの政党であっても、政策が貧困であれば国民は不幸になります。「汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす」・・・山本夏彦の言葉です。

 政治に関する多くの情報が報道されますが、例えば、各党が如何なる政策を掲げ、如何なる社会を目指しているのかというような基礎的な情報は多くありません。報道が政策を重要視しなければ、政党もマニュフェストにはあまり力を入れません。

 昨年の民主党のマニュフェストには魅力的な項目が並んでいました。しかしそれを実行するための財源が怪しいという指摘があったのに、マスコミは深く追及せず、民主党は詳細を示さないまま、うやむやになりました。

 背景には、政策はマスコミの主要な関心事ではなく、そのために政策論争は政治の場のメインテーマになりにくい、という現状があるのではないでしょうか。スキャンダル好きのマスコミが、政策論争を軽視する状況を作り上げたというわけです。

 マスコミが政治に対してまともな批判能力をもち、重要度に応じた報道をすれば、政治はよい影響を受けるでしょう。そのためにはマスコミ自身が政策や法案を分析・理解し、評価する能力をもつ必要があります。・・・ちょっと難しいことですが。

 裁判員制度は国民の過半が反対していますが、ほとんどの国民が知らないままに決まりました。報道されなかったからです。マスコミも、また野党も裁判員制度を理解する能力を持たなかったために、あるいは怠慢のために、国民の意に反した政策が全党一致で可決され実施されることになりました。裁判員制度は、マスコミが必要なことを伝えなかったために、民主制が機能しなかった例だと言えるでしょう。
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電磁波恐怖症の広がりは深刻

2009-03-09 09:58:07 | Weblog
 数学者の森毅さんが自宅で料理中、コンロの火が衣服に燃え移り重度の火傷を負った、という事故がありました。この種の事故はたまにあることなので、私は機会があれば、高齢の方には安全性の高いIHクッキングヒーターを薦めています。あまり高齢になると切り替え後の習熟が難しくなるので早めがよいと思います。

 ところが最近、IHを薦めた3人から電磁波が怖いからと否定されました。うち1人は一旦IHに替えながら、電磁波を心配してガスに戻していました。ここまで「電磁波の恐怖」に広く汚染されているとは、と改めて驚いた次第です。

 電磁波は危険だとする本が多数刊行されています。タイトルに「電磁波」を含む和書をアマゾンで検索すると187点が表示されます。4年前には86点で、そのうち電磁波の危険を解説した一般書は約半数の44点ありました。危険を煽る本も4年間でほぼ倍増したと考えられます。数冊の本を読みましたが、どれも恐怖を売り物にしたもので、高い危険性を示す信頼性不明の研究発表を寄せ集める点が共通しています。

 現在、電磁波の影響を調べた研究のなかで信頼性が認められているのは、高圧送電線の周囲における疫学調査で、4mG(ミリガウス・長期暴露)を越す地域では小児白血病が2倍程度に増加(*1)する影響が見られるということくらいだと思われます。

 10万人あたり年間4人の発症率が倍の8人になるということは、10万人あたり年間4人増加するわけですが、これは他の危険要因に比べてどの程度の大きさのものかを認識する必要があります。例えば2005年のガンによる死亡は10万人あたり年間255.1人(発症はこれよりずっと多い)、同様に心疾患死135.4人、肺ガン死(2004)46.9人、不慮の事故死31.1人となっています(リスクと生活より)

 IHへの切替をためらう人には、電磁波の影響の前にきっと他の原因で死ぬよ、と説明するのですが、電磁波の危険を信じてしまった人は簡単には納得しないことが多く、困ったものです。電磁波恐怖本は擬似科学的に書かれているので、すっかり騙されてしまうようです。

 電磁波の危険を煽る本が多数出版されて、多くの人がその影響を受け、一部の人は電磁波を防止する高価な器具を購入します。本の著者、出版社、器具の販売者らは恐怖を食いものにしているわけです(詳細は拙文 電磁波恐怖商法をご覧下さい)。このような馬鹿げた状況を改善できるのはマスメディアしかありません。

 マスメディアは電磁波が健康に悪影響を与えるという研究を信頼性の裏づけもなく、断片的に報道してきました。そのことが電磁波の恐怖を商売にする連中に格好の土壌を提供することになりました。この「負の産業」の繁栄に、メディアは重大な責任があります。このような状況は文明国として恥ずかしいことです。

 電磁波についての正しい知識、リスクの程度を繰り返し説明し、周知させる責任があります。世界保健機関(WHO)や国際非電離放射線防護委員会(ICNIRP)などの認識をわかりやすく伝える、あるいはまともな科学者の解説を伝えるだけでよいのです。殺人事件報道のごく一部でもそれに使ってもらえれば状況は好転すると思います。


(*1)WHOのファクトシート N°322によれば磁気暴露のために小児白血病が発症するのは発症全体の0.2~4.95%に相当するとし、磁気によるリスクをさらに低く見積もっています。また、超低周波磁界の長期的影響に関しては、ELF 磁界への曝露と小児白血病との関連についての証拠が弱いことから、曝露低減によって健康上の便益があるかどうか不明としています。
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スクールカースト・・・平等教育に生まれたもの

2009-03-06 11:06:11 | Weblog
 スクールカーストとは中学校、高校で見られる、生徒達の階級制度のことです。学級の中に自然発生的に生まれる各階級は「イケメン・フツメン・キモメン」、「A・B・C(ランク)」などと呼ばれます。階級は固定的で、階級間の移動・交流も少なく、カースト制になぞらえてその名がついたそうです。

 一方、教育の場では平等主義が大きい影響力を持ってきました。運動会ではゴール直前でみんなで手をつないで同時にゴールインする、あるいは遅い生徒には近道コースを走らせるということが行われてきたそうです。先日、鳥取県で20年ぶりに学級委員長が復活というニュースがありました。平等主義の立場からは委員長の存在を認められなかったのでしょう。

 平等を重要な理念とする教育が行われてきた学校の場で自然発生的な「階級制度」が広がっているのはなんとも皮肉なことです。むろん昔から階層のようなものはあったでしょうが、スクールカーストのように名前を持った明瞭な形のものではなかったと思います。

 平等というのはひとつの理想であると思います。しかしある分野で平等が実現すると別の分野で平等を否定しようとする動機が生まれるのもまた事実であろうと思います。フロイトの弟子、アドラーは他人より優越(差異化)しようとする欲求を人を行動に駆り立てる基本的な動機とみなしました。

 話が逸れますが、フロイトが基本的な動機を性欲に求めたのはよく知られています。当時の動機の研究では、自分自身の精神状態を観察(内観)することが大きい意味を持ったようですから、彼らの結論は自分自身の精神の反映と考えてもよいと思います。フロイトは性欲過多の好色男、アドラーは見栄っ張り、とするのは少々乱暴ですけれど。

 基本的な動機を単一のものに求めるのは正しくないと思いますが、他に優越(差異化)しようとする欲求が強いものであることは、古今東西、階級や格差のない社会があまり存在しないことを見ても明らかだと思います。階級生成は我々の性格に由来するものと言えるでしょう。

 学校という閉鎖的な社会では逃げ場が少なく、下位のカーストに分類されたは者は大きい影響を受けます。階級の呼び名も初めは冗談半分であったでしょうが、名前を持つことで社会構造として定着したとも考えられます。

 平等主義に基づく教育は運動会などで形式的には実現しましたが、スクールカースト現象を見る限り、平等という理想を根づかせることには成功したとは言えないようです。
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フル電動自転車、摘発へ・・・法を実情に合わすのが先

2009-03-02 09:31:45 | Weblog
『「フル電動自転車」について、大阪府警交通指導課と南署は、3月中旬にも本格的な違反取り締まりに乗り出す。
 警察庁は17年、電動アシスト自転車とは異なるフル電動自転車を「ペダル付き原動機付自転車」に分類し、公道走行にはナンバーの登録や免許証の所持、ヘルメットの着用、方向指示器や速度計などの整備が必要、とした。
 しかし、大半が中国製だったことから、動力の大きさが分からず、道路運送車両法で定められた種別を特定できなかった。このため、違反しても反則切符に種別を書き込むことができず、摘発が困難だった。
 南署はフル電動自転車約40種のうち流通台数の多い数種について、動力の大きさを独自に分析したところ、いずれも規定の「0.6キロワット以下」と見積もられ、道路運送車両法上ミニバイクと同じ「第一種」と区分されることが判明。道交法違反での摘発が可能になったという。』(2009.2.28 MSN産経記事の要旨)

 フル電動自転車は第一種原付とみなされ、公道使用は警告だけで済まなくなるという話ですが、警察の説明には不可解な点があります。第一種原付(2輪)の定義は「総排気量については50cc以下、定格出力については0.6kw以下」であり、これを超えると原付第二種となります。0.6kw以下と判明したので第一種と区分したということですが、それだけのことになぜ4年間も要したのでしょうか。また分析した数種以外の電動自転車は推定だけで「第一種」と判断するのでしょうか。

 中国製だから動力の大きさがわからないと書かれていますが、中国に対して大変失礼な話であり、警察の見識が疑われます。中国製でも仕様は発表されており、その多くは電動機出力が0.2~0.5kwとなっています。仮に発表された仕様が信用できなくても電動機出力が0.6kw以下であることを調べるのは簡単です。少なくとも4年間もかかる代物ではありません。

 これは4年間放置した理由としてはお粗末であり、他に理由があるのではないかと疑われます(例えば怠慢とか)。取材した記者は疑問に思わなかったのでしょうか。放置された4年間にフル電動自転車を購入した人は少なくないわけで、もっと早く結論を出すべきでしょう。

 一方、エンジンでは50cc以下、定格出力については0.6kw以下という、第一種原付(2輪)の定義は大昔に決められたもので、現在では不合理なものになっています。恐らく制定された当時は50ccのエンジンは出力が低く、電動機の0.6kwに相当していたのだと思われます。しかし現在の50ccエンジンは3kw(4馬力)程度が普通で、高出力エンジンでは7.5kw(10馬力)を超すものまでありますが、電動機は出力表示なので0.6kwはそのままです。つまり一種原付といってもエンジンと電動機では動力の許容限度に、数十年も前から6~12倍もの差がついたまま放置されています。

 搭載する原動機の種類によってこんな大きな差があるのは全く不合理であり、電動機搭載型には不利に働きます。環境負荷が小さく、本格的な普及が期待される電動バイクの足枷(あしかせ)になりかねません。今後は排気量ではなく出力表示に統一し、現状に合わせて改正すべきでしょう。

 フル電動自転車も最高速度を20km/hr程度に制限することを条件に自転車扱いにすれば、安全で便利な乗り物になる筈です(参考拙文)。自転車として扱われる電動アシスト自転車と区別する合理的な理由を見出すのは困難です。第一種原付として扱い、事実上禁止する方法が良いとは思えません。

 安全で便利な社会のために、取り締まりの前に、法そのものの社会に対する適合性を検討するのも警察の仕事です。また問題を理解せず、発表を右から左へと伝えるだけではメディアも役割を果たしているとは言えないでしょう。
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