噛みつき評論 ブログ版

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ナチスドイツ、ソ連、中国、独裁国の危険

2020-10-25 21:50:12 | マスメディア
 神奈川県座間市のアパートで、金銭・性的暴行目的のために男女9人を殺害した事件は人間の精神の規格、あるいは範囲というものを考えさせられた。恐らく刑法が想定した犯罪の範囲を超えているであろうと思う。もし悪魔の世界があればこの容疑者はノーベル賞級であろう。

 これは個人レベルの犯罪であるが、国家レベルの大犯罪、戦争も少なくない。それは犠牲者数の桁が違う。第一次世界大戦での死者数は3700万人、さらに第二次世界大戦での死者数は全体で5千万〜8千万人、ドイツは7-900万人、ソ連2千600万人、ユダヤ人はホロコーストによって約570万人が犠牲になったとされる。これは当時の人口の78%にあたるという。凄まじい惨劇である。中でも独ソ戦は激烈で双方で3000万人以上の死者を出したという。日本の死者数の約10倍である。捕虜の扱いもひどく、570万人のソ連軍捕虜のうち、300万人が死亡したと言われている(死亡率は53%)。一方、ソ連の捕虜収容所で生き残ったドイツ兵士は5%であったという。まてドイツはウクライナやベラルーシ、フランスで次々と村ごと大量虐殺を行うなど、常軌を逸した凄惨な戦争であった。

 興味深いことは両国が共にヒットラー、スターリンという独裁者の統治する国家であったことである。どちらかがまともな国ならここまでの地獄をみることはなかったであろう。さらにドイツは2度も大戦の主原因国になっている。またソ連は1945年8月9日、原爆を落とされ降伏直前の弱体化した日本を突如攻撃し、降伏後も戦闘を続け、アメリカ政府からの抗議を受けながらも降伏文書調印後の9月4日まで 侵攻を止めなかった。樺太、千島を占領したが北海道は奪い損ねた。しかし満州国や南樺太から民間人を含め65万人がシベリアに抑留され、6万人以上が犠牲になった。ドイツもソ連も人間で言えば最高の極悪人である。

 世の中に善人もいれば悪人もいるように、善い国や悪い国があると考えてもよいだろう。むろん相対的な意味であるが。民主主義国であれば国民の意向がある程度は政治に反映されるからいくら国益のためといってもあまりに無茶なこと、人道やモラルに反することは制約を受ける。ベトナム戦争における米国が好例である。しかし強権的な独裁国家ではそのような制約がない。独裁者は犯罪的な行為も可能なのである。

 このような惨禍は二度と見たくないが、残念ながら独裁国家は近くに存在する。終身の独裁者が強大な権力を握り、国民を監視する情報システムを備え、さらにウィグルやチベット、モンゴルで民族の抹殺を企図し、南シナ海や東シナ海では領土の拡張を画策している国である。急激に増強する軍事力、周辺民族に対する政策に見られる残虐性、約束を破って南沙諸島を軍事基地化するという信用性の低さ、フィリピンと争っていた南シナ海の九段線の海域に対する国際司法の判決を「紙屑」だとする無法ぶり、これらを考えるとナチスドイツやスターリンのソ連と共通する部分が多くあることに気づく。

 なぜこんなことを書いたかというと戦後、ソ連のやった占領や抑留などの不法行為の数々にもかかわらずソ連を賛美する学者・文化人、マスコミが多かったためである。それは共産党への賛美の故であり、それは中国に対しても影響を及ぼしていると思うからである。左派のメディアは中国の軍事的脅威に寛大である反面、日本の軍事力増強には反対している。日本学術会議が軍事目的の研究を禁止しているのはその背景があるからであろう。中国が軍事力を行使したり、軍事的脅迫を決してしないという前提がなければ成立しない議論である。突然ポーランドに侵攻するまではヒトラーもさほど警戒されていなかったそうである。独ソ間の密約によって、ほぼ同時にソ連はポーランドの東半分を占領し、ドイツと分け合った。独ソは強盗の仲間であった。しばらくしてその独ソが仲間割れをして凄惨な独ソ戦をすることになる。本当に見苦しい話である。世界史を動かした独裁国家の歴史を振り返ってみるのも悪くないと思う。

日本学術会議の実体 次々と明るみに

2020-10-18 21:08:08 | マスメディア
 日本学術会議から噴き出した騒ぎが止まらない。6名の任官拒否を問題視した野党や左派の騒ぎは学術会議の実体を世に知らせる役割を果たし、話は学術会議の存在理由にまで及び、廃止論も出始めた。まさに藪蛇である。また任命拒否は違法だとか、学問の自由を奪うとか、軍事と民生の区別が困難、など様々な議論があるが、これらは枝葉末節の問題である。

 問題の本質は、日本学術会議の最大の目的である軍事目的の研究を禁止して日本の防衛力を低下させてもよいのか、ということにある。さらに日本学術会議は軍事目的が疑われる研究に圧力をかけて実際に学問の自由を妨げている。防衛力は敵の侵略・攻撃を防ぐ、あるいは抑止するためにあるわけで、それが弱くなれば平和が脅かされるのは自明である。将来、戦争になったとき、中国のミサイルはよく命中するが日本のミサイルは当たらない、ということもあり得るのである。防衛力が弱くなってもいいと主張するなら、他国による侵略・攻撃が絶対にないという条件が必要である。

 こんなわかりきったことをなぜ学術会議の連中は理解できないのだろうか、というのが多くの方の疑問であろう。学術会議は学者の集まりなのだからバカばかりとは思えない。ならば外国の影響を受けているのか。これは否定できないが、影響は限定的だろう。とすると…。

 日本学術会議についていろいろな発言が出ている。

 任命拒否された6名はいずれも「安全保障関連法に反対する学者の会」の賛同者である。また日本学術会議元会長広渡清吾氏はその会の発起人である(10/17産経)。

「共産党の宮本たけし氏の応援演説で『安倍政権を倒す!一緒に戦ってくれたのが共産党!』と、広渡清吾氏(学術会議の元会長)」

「防衛大学の卒業生が大学院に行きたくとも、東大を始め各大学は『”防衛省の人間”など入れない』と断る。一方”人民解放軍の軍歴のある人間”は入れて国立では国費で教え、最先端の技術や知識を持たせ中国へ帰している」

 下の二つは櫻井よしこ氏の言葉である。一つ目は共産党と日本学術会議の深い関係を示唆するものである。学術会議の会長が「安倍政権を倒す!」と叫ぶのだから凄い。二つ目は中国の利益に貢献している事実を示すものである。現実に国の利益に反した行動であり、国賊という名を差し上げたい。

 また須田慎一郎氏によると、新型コロナのワクチン研究において、日本はかなり遅れているという印象があるが、それはウイルス研究は生物兵器につながるという理由で否定されているためであるらしい。国立大学協会会長は『ウイルス研究も否定はおかしい』と批判してるそうだ。北海道大学での船の航行抵抗低減に関する研究は学術会議の圧力で中止になったそうだが、これは民生用にも大きな意味を持つ。諮問・提言の機関である日本学術会議が実質的に科学研究に干渉しているわけで、これは政治の領域に手を入れているのである。国民の意志を反映する仕組みを持たない学術会議が勝手にこんなことをしてよいのか。

 旧ソ連が戦前、暴力革命を通じて世界中を共産主義の国にしようたくらみ、世界各国に作った組織がコミンテルンである。旧ソ連はとっくの昔に滅んだが、その影響は現在にまで及んでいるようである。「他国を侵略するのは帝国主義であり、共産主義は決してそんなことをしない」。これはよくつかわれたプロパガンダであるが、日本学術会議の中心メンバーはまだ信じているとしか考えられない。幼稚で頑固、世間知らずの学者様達が多いことである。

 共産主義国が生まれてから約100年、多くの共産主義国は滅びたが、思想だけは実にしつこく生きている。まあ釈迦やキリストが2千年後も影響を及ぼしているのに比べると短いが、共産主義は政治的分断を伴い、平和への脅威となるだけに始末が悪い。

曲学阿世の徒はまだ生きている

2020-10-11 21:26:03 | マスメディア
 曲学阿世とは、学を曲げ世におもねる意味というである。この言葉が有名になったのは1951年、当時の吉田茂首相が南原繁東大総長に対し「曲学阿世の徒」と非難したことによる。南原は学者・文化人らによる全面講和論の象徴的人物とされ、共産党と社会党が全面講和を支持した。全面講和とはソ連など共産国を含むすべての関係諸国との講和であるが、米ソの対立のためもあってその実現は困難であった。それは講和の実現を阻み、日本の独立を阻止するのと同様の意味を持った。しかし日本は単独講和、この言葉はおかしいが、西欧諸国など48か国と講和を結びことになり、現在に至る。

 当時の学者・文化人の多くが共産主義に親近感をもち、その活動がソ連の利益になるものであったことは日本共産党がコミンテルンの日本支部であったことと、その工作の成功を意味するのだろう。ソ連がコミンテルンを通じてしようとしていたことは全世界の共産主義化であったとされている。イスラム教が聖戦を通じて全世界のイスラム化を目的にしているのと似ている。共産主義と宗教との類似性がいわれるが、世界征服の点でも同じ似ている。また、スペインも大航海時代、宣教師を世界各国に派遣して世界のキリスト教化を考えていたという。せっかくだがどれも迷惑なお節介である。

 さて日本学術会議であるが、政府に会員の任命権があるか、ないかなどの細かい形式な論争になっている。残念なことは日本学術会議の問題の本質に対する言及があまりないことである。学者の世界では依然として左派が力を持っているようで、学者の組織である日本学術会議では活動的な左派勢力が影響力を持ち、日本学術会議の方向性を支配しているのではないかと疑われる。軍事目的の研究を禁止する一方で、中国に学術的な協力を惜しまないという姿勢は協力対象国が70年前のソ連が中国に代わっただけのことである。つまり巧妙に乗せられているのである。

 多くの学者・文化人は70年前も現在も、正義や良心に基づいてのことだろうと思う。ただその正義や良心が問題なのである。なぜかその正義や良心はかつてはソ連、今は中国の利益のためにあるようである。日本の軍事力強化に協力せず、中国の軍事力の強化に協力する姿勢は国の安全に反する。ついでながら死刑制度の存続には国民の8割が支持しているが、日弁連は反対している。日弁連全体として反対しているように理解されがちだが、そうではなく少数の活動的左派が反対運動をしていると言われている。多くの弁護士はそんなことより稼ぐことに関心がある。活動的な少数による支配という日本学術会議と共通の構造がみられる。

 共産主義はロシアで革命を起こし、その後、全世界に広がっていった。膨張性・拡張性はその属性だと考えてよい。東アジアでは北朝鮮、中国、ベトナムに至ってようやく止まった。これだけの広がりを見せたのには、共産主義がもつ強い魅力があるからだろう。学生などの若者はこの魅力に惹きつけられてしまう。私は共産主義をよく知らないので偉そうなことは言えないが、この魅力は労働者、資本家、生産手段、私有、など複雑な概念を単純化し、それを簡単な論理で説明したわかりやすさと、革命によって平等や自由などの理想を実現できると信じさせたことにあるのだと思う。若者や学者、つまり社会の現実を知らない人間に大受けしたのである。

 しかしよくわからないのは70年前ならともかく、親玉のソ連が崩壊し、他の共産国も次々と消滅した現代において、なぜ現実を正しく認識できないのか、なぜ軍事目的の研究をやめろなどと叫び夢を見続けるのか、である。若い日に受けた教育が長く影響を与えるのはわかるが、それにしても国際環境が激変しているのに理解せず、依然として頑固一徹なのは理解できない。学者なんだから多少の理解能力はあると思うが、やはり歳には勝てないということか。

 言論の自由、学問の自由、信教の自由、どれも民主主義を支える基本である。しかし同時にそれは共産主義やイスラム原理主義が他国を侵略しようとする場合の土壌となる。オウム真理教は信教の自由のおかげで発展し、大被害をもたらした。もしイスラム過激派が日本に浸透して、過激な信者を増やしても、行動を起こさない限り、何もできない。それが信教の自由なのである。オーストラリアでは中国による浸透工作が明るみに出て、国同士の対立に至った。先進国の自由権は諸刃の剣なのである。自由が制限されている中国などではその心配はない。非対称の争いであり、自由主義諸国は不利な立場なのである。

日本学術会議が学問の自由を侵害

2020-10-04 22:10:38 | マスメディア
 日本学術会議が推薦した新会員候補の一部を菅政権が任命しなかったことで大騒ぎが起きている。任命拒否は今回が初めてのように報道されているが、4年前にもあったそうである。まあ、この種の問題は左翼が騒ぐであろうことは容易に予想できるから、菅政権の意欲が見えるようだ。

 反対側の主な論理は独立した機関である日本学術会議の人事に政府が手を突っ込めばその独立性を脅かすことになり、科学研究の自由をも奪うことになる、というものだ。政府の人事介入と科学研究の自由とは関係がないとは言えないが、その関係性は「風が吹けば桶屋が儲かる」程度だろう。

 しかし、左翼の集まりと言われる日本学術会議の主要な活動には、軍事目的のための科学研究は行わないという方針がある。1950年、1967年に続いて、2017年にもその継承を定めている。いろんな考えがあってよいと思うが、軍事目的の研究を禁止することによって日本の防衛力が低下する可能性が高い。戦争リスクの増加である。国際環境の変化によって安全保障の必要性が増している現在、日本学術会議のやっていることは日本の安全を損なう方向である。他国は熱心に軍事研究をやっているのだから彼我の格差が拡大するのは当然である。9条があれば平和が維持できるという考えと同じく、それは現実には平和に対する脅威である。歴史上、軍事的空白域が戦争を招いた例はいくらでもある。

 日本学術会議の設立は1949年である。これは米国の占領下であり、敗戦直後であり、戦争には懲り懲りという気分が充満していた時期である。平和憲法が作られた時期とも近い。日本が再び戦争を起こす危険が懸念された時期であり、双方ともその芽を摘むのが目的であったろう。当時の判断としては正しいと言える。

 科学者が集まって政府に政策提言をするというが、そもそも科学者がそんなに判断力があるのか。生命科学者が生命科学の未来を予測し、それに沿った政策を提言するのはいい。しかし生命科学者が安全保障や国際情勢について正確な認識ができるだろうか。日本学術会議が設立された時代、鉄腕アトムの時代は科学に期待が集まり、科学者がエリートとして過大に評価されたのだろう。今でもそういう自負があるのかもしれないが科学者の集団が適切な政治的提言をできるとは思えない。日本学術会議の軍事目的の禁止という姿勢こそ国際情勢に対する無知を証明している。

 日本学術会議は研究を軍事的か非軍事的かに見分けるのが困難だとして2017年3月24日に声明を出している。「軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究について、その適切性を目的、方法、応用の妥当性の観点から技術的・倫理的に審査する制度を設けるべきである」と。つまり審査機関を作って研究を規制しようというのである。恐らく審査機関は自分たちの息のかかった連中で構成されることだろう。これこそ憲法23条の学問の自由を脅かす違憲の行為である。政策提言ではなく、直接支配を目指しているようだ。「長老支配の苔むした組織」「税金の無駄遣い」として、舛添要一氏が日本学術会議の廃止を主張することも納得できる。

 特定の思想を持った者たちが組織に浸透し、やがて組織の方向性を変える。コミンテルン(日本共産党はコミンテルンの支部として発足)が得意とした手らしいが、巧妙な方法である。防ぐのは難しい。マスコミでは朝日新聞が代表例だろう。安保法制や特定秘密保護法などに猛反対する姿勢は中国に侵略に協力しているように見える。まるで中国の代弁者のようである。中国や韓国までが軍事力を急激に増やしているが、両国を非難するのを聞いたことがない。

 先ほど、日本学術会議は中国の軍事研究「千人計画」に積極的に協力してたことが明らかになったそうである。いよいよ日本学術会議の仮面が剥がされるのか、まことに興味深い。