噛みつき評論 ブログ版

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骨のない、クラゲ首相

2011-10-31 10:22:23 | マスメディア
 普天間の移設先を「最低でも県外」と高らかに宣言された鳩山元首相はそのために日米関係を大きく損ね、自らも墓穴を掘る結果となりました。玄葉外相は26日の衆院外務委員会で「最低でも県外という発言は誤りだった」と答弁したことは当然のことで、正しいと思っている人などどこにもいないでしょう。

 ところが、野田首相は玄葉氏の発言について「間違っていた。申し訳ない」と鳩山氏に謝罪したそうであります。野田氏首相が玄葉氏の発言を「間違っていた」と否定したわけですから、野田氏は「最低でも県外」発言を肯定していることになります。

 野田氏が「最低でも県外」は正しいと本心から思っておられるとは考えられません。もしそうなら「県内移設」を進めていることと矛盾します。したがって野田氏の鳩山氏に対する謝罪は「筋」を曲げてまでの「お追従」、つまり見え透いたゴマすりと映ります。

 「最低でも黙っているべき」ことを、首相はわざわざ取り上げて謝罪しました。一議員に対する卑屈ともいえる態度を見ると、野田首相は道理や理念よりも目先の融和や迎合を優先する考えの持ち主であることが推定できます。政治家としての理念や具体的な方向性が見えにくいのはもともと理念がないためではないかと思われます。

 具体的に言うと、どの流れがもっとも強いかを見て、強い方に従うという行動様式です。ドジョウより、骨がなく波間に漂うクラゲがふさわしいと思います。自ら決めた公務員宿舎の建設を流れによって中止した例はその現れでしょう。TPPの場合も参加を実質的に決めるのは野田首相の決断ではなく、流れの強さ(声の大きさ)だと思われます。

 本題から外れますが、ご参考までにその流れを知る上で役立ちそうな毎日新聞のスクープ記事(10/28)を引用しておきます。政府の手の内がわかる、たいへん興味深いものです。

 毎日の記事は政府の内部文書が漏れたとされるもので、野田政権がTPP参加を急ぐ事情がわかります。TPP参加の主な理由として米政府へ迎合、野田政権の人気に対する影響、来るべき選挙へ配慮などが挙げられています。また日本国益よりも党益と米国の利益に配慮しているという印象を受けます。(青字は引用部)

◇政府のTPPに関する内部文書(要旨)

 ▽11月のAPEC(アジア太平洋経済協力会議)で交渉参加表明すべき理由

・米国がAPECで政権浮揚につながる大きな成果を表明するのは難しい。日本が参加表明できれば、米国が最も評価するタイミング。これを逃すと米国が歓迎するタイミングがなくなる

・交渉参加時期を延ばせば、日本は原加盟国になれず、ルールづくりに参加できない。出来上がった協定に参加すると、原加盟国から徹底的な市場開放を要求される

・11月までに交渉参加を表明できなければ、交渉参加に関心なしとみなされ、重要情報の入手が困難になる

・韓国が近々TPP交渉に参加する可能性。先に交渉メンバーとなった韓国は日本の参加を認めない可能性すらある

 ▽11月に交渉参加を決断できない場合

・マスメディア、経済界はTPP交渉参加を提案。実現できなければ新聞の見出しは「新政権、やはり何も決断できず」という言葉が躍る可能性が極めて大きい。経済界の政権への失望感が高くなる

・政府の「食と農林漁業の再生実現会議」は事実上、TPP交渉参加を前提としている。見送れば外務、経済産業両省は農業再生に非協力になる

・EU(欧州連合)から足元を見られ、注文ばかり付けられる。中国にも高いレベルの自由化を要求できず、中韓FTA(自由貿易協定)だけ進む可能性もある

 ▽選挙との関係

・衆院解散がなければ13年夏まで国政選挙はない。大きな選挙がないタイミングで参加を表明できれば、交渉に参加しても劇的な影響は発生しない。交渉参加を延期すればするほど選挙が近づき、決断は下しにくくなる

 ▽落としどころ

・実際の交渉参加は12年3月以降。「交渉参加すべきでない」との結論に至れば、参加を取り消せば良い。(取り消しは民主)党が提言し、政府は「重く受け止める」とすべきだ

・参加表明の際には「TPP交渉の最大の受益者は農業」としっかり言うべきだ。交渉参加は農業強化策に政府が明確にコミットすることの表明。予算も付けていくことになる

 あとで参加を取り消すという落としどころまで書いているのが面白いのですが、そんな米国への裏切りが可能なのでしょうか。米政府にもきっと漏れているでしょう。情報管理のお粗末さも一流です。

 この政府の手の内を示した内部文書はスキャンダラスなもので、メディアが飛びついて騒いでもよさそうなものであるにもかかわらず、そんな気配はありません。それは内部文書に書かれている通り、主要メディアがTPPに賛成していることを示すものでしょう。メディアが複雑なTPPをよく理解した上で賛成しているのならよいのですが。

TPP論議のいい加減さ

2011-10-27 08:05:55 | マスメディア
 1960年と70年、安保条約をめぐって反対の嵐が吹き荒れ、多くのメディアもこれに加担しました。ところが反対運動に加わった人のほとんどがその条約を読んでもいなかったことが、後の調査でわかったそうです。大部分の人間は先導者(またの名は扇動者)の主張を確かめもせず、ただ盲従しただけというわけです。大規模な反対運動でしたが、その根幹はかなりいい加減であったというわけです(反対運動は安保阻止に至らず、安保条約は後に評価されることになりました)。

 今、TPPに関する議論が盛んです。TPPによって損失を受ける農業分野からの反対論、あるいは利益を受ける輸出業界の賛成論はそれぞれの立場から出るのは当然のことと思います。しかし学者や評論家、メディアによる第三者のふりをした議論は十分な理解の上になされたものでしょうか。

 TPPは関税だけでなく、24の部会があるように多岐にわたる問題ですが、現在メディアで報道されているものはその断片情報であり、とても全体を理解できるレベルではないと感じます。センセイ方は何らかの方法で十分な情報を得ているのでしょうか。

 多くの学者、評論家、メディアがそれぞれもっともらしい主張をされていますが、このような複雑な問題に明確な解があるとは思えません。まして情報の少ない状況で自信たっぷりの言説は怪しく感じます。またごく一部を除けば、断定的・情緒的な議論が多いように思います。

 もともと自由化が大好きな自由主義者が、賛成の理由を後付けするようなことでは困るわけで(自由化に批判的な人の場合は反対の理由を後付け)、白紙の頭で得失を判断してから賛否を決めるのが本来の順序です。しかしTPPへの賛否はその論者のそれまでの立場とほぼ一致しているようです。初めから賛否を決めているようでは自説に都合のよいことばかり探すことに努力が向けられるでしょう。

 多くのことには両面があるように、自由化にもよい面と悪い面があります。主義や思想で一律に決めるのではなく、一つひとつの問題を吟味し、総合して最終的な判断をするのがまともなやり方です。主義や思想にとらわれて判断するのはいささか大人げないといえるでしょう。

 一方、国も分裂状態です。内閣府はTPPに参加するGDPが2.4~3.2兆円増えるとするのに対し、農水省は農業関連のGDPが4.1兆円減少、合計のGDPは7.9兆円の損失、環境面でも3.7兆円の損失と合計で損失は11.6兆円としています。逆に経産省は、TPPに参加しなければGDPは2020年までに10.5兆円も減少すると予想しています。先ず、三者で計算の根拠を突き合わせて統一見解を出してから議論を促すのが筋であります。そして25日、内閣府はTPPに参加した場合、GDPを10年間で2.7兆円押し上げると発表しました。1年ではたったの2700億円。実にいい加減です。

 鳩山政権は普天間問題で米国との約束を反故にしました。その負い目のために野田政権は米国のTPP勧誘を拒否できないという見方がありますが、そうだとすると議論の意味もありません。鳩山政権の軽率な失敗が日本の手足を縛ることになったというわけです。

 またTPP交渉に参加すれば、したたかな連中を相手にしなければなりません。交渉能力も判断する要素のひとつです。民主党の甘い顔の面々を見ると心配です。民主党のトップエリート、菅元首相が胡錦涛主席との会談で、下を向いてメモを読んでいた情景が思い出されます。

 メディアは国民にTPPの賛否を問うてその結果を発表していますが、十分な判断材料も提供せず賛否の結果を問うのは愚かなことです。そしてその無意味な結果が、民意だとして利用されれば、議論をさらに歪めることになります。メディアがすべきことはTPPの全容をできる限り国民に伝えることでしょう。

 何が言いたいかというと、大事なこともしばしばいい加減に決まる、ということであります。

震災で見えたマスコミの職務放棄

2011-10-24 10:13:05 | マスメディア
 「フクシマの英雄」とされた自衛隊、警察、消防を代表する5人がスペインの「アストゥリアス皇太子賞」を受賞したと報じられました。大変ありがたいことと思いますが、受賞対象になった方々以外にも「英雄」と呼ぶにふさわしい方々がおられます。

 「フクシマ50」と呼ばれ、原発の施設内で事故後の処理にあたった作業員はさらに危険な仕事に従事しました。実際、彼らが受けた被爆線量のレベルは自衛隊や警察などの比ではありません。東電や原子炉メーカー、その関連会社の従業員は加害者側という責任感も手伝って厳しい作業にあたったものと思われます。

 また震災では拡声器で住民に避難を呼びかけ続け、津波で命を失った役場の女性職員、水門を閉めようとして亡くなった多くの消防団員、高齢者などを非難させようとして犠牲となった消防団員。多くの方々が命の危険を冒し、職務を果たそうとしました。彼らこそ受賞にふさわしい方々でしょう。

 一方、彼らとはずいぶん異なる考えを持つ人々もいたようです。上杉隆氏は次のように述べています(週刊文春2011年5月5日12日GW特大号)。

 『その後、変更がなされた可能性があるが、私が把握した時点では、NHKが40キロ、朝日新聞が50キロ、時事通信が60キロ、民放各局が50キロ圏外に社員は退避、と定めていたのだ。なんという欺瞞であろう。(中略) 遠く離れた‘安全圏内’に身を置く記者たちが、放射線汚染の不安に直面する被災地の人々の安全を云々しているのだ』。

 またTBSテレビ執行役員の金平茂紀氏は以下のように述べています

『僕の知る限り、在京、および福島県内の主要メディアは原発から20キロ圏内、30キロ圏内、あるいは40キロ圏内の立ち入り、取材を制限、自主規制するという内規を決めた。僕の手元にはいくつかの在京民放の原発取材マニュアルや、新聞、通信社の同様のマニュアルがある。さらにはNHKの内部文書もあるが、民放各社は概ね、原発から30~40キロ圏内での取材を自主規制の範囲としていた。もちろん局によって運用に濃淡があった。また東北地方の民放各社は概ね東京のキー局の作成した内規、マニュアルに従った行動をとっていた。(中略) さらに別のキー局では、取材者に対しては「さらに慎重を期して」地域内住民の避難指示の2倍の同心円内での取材制限区域を設ける、とある』

『住民に対しては国が、20キロ圏内に避難指示、30キロ圏内に屋内退避または自主避難という基準を設けていたが、なぜメディアはそれよりも広めの基準を課したのか。ここが最も考究されなければならない点だろう』

 30キロ圏内に多くの住民が長時間留まっている状況の下で、メディアはその外側に短時間入ることも拒否したわけです。役場の職員や警察、救援の民間人など、職務のために30キロ圏内に入っているにもかかわらず。

 イラク戦争の開戦直前、日本の大手メディアは、居残って取材を続ける各国の記者を尻目に「記者の生命の安全を守る」という理由でバクダッドから一斉に逃亡しました。最重要な取材現場から一斉に集団逃亡したのは日本だけであったそうです(こういう事実はまず報道されません。やはり「腰抜け」だと思われたくないのでしょう)。

 「フクシマ50」と呼ばれた人たち、職務のために命を落とした職員や消防団の方々と同じ国の人間とは思えません。命を危険に晒しても職務を果たそうとする人々がいる一方で、職務を犠牲にしてでも健康被害の僅かな可能性をなんとか避けようとする人々、まことに好対照です。

 メディアは命を落とした消防団員らを賞賛していますが、それに引き換え、安全な場所でしか仕事をしない我が身を恥じる気持ちがないのでしょうか。

 職務より安全や健康を優先する日本のメディアは世界の中でも異色のようです。満州の関東軍はソ連が参戦するとほとんど戦わず、入植者を見捨てて、真っ先に逃げ帰りました。大変ひどい話ですが、職務より自分たちの安全を組織的に優先したという意味で、現代のメディアに通じます。関東軍はまさに「模範」でありました。

 「命は地球より重い」を誠実に実践されたことはまことに結構なことです。ただし、その命は自分たちの仲間だけに限られているようです。メディアはオピニオンリーダーです。このようなメディアがリードすると、どんな社会になるのでしょうか。

報道の副作用・・・中国の女児ひき逃げ事件

2011-10-20 18:10:52 | マスメディア
 広く報道されているのでご存知のことと思いますが、毎日JPから一部を引用します。

『中国広東省仏山市の路上で今月13日、2歳の女児が車にひき逃げされたのに、通りかかった18人が助けようとせず、女児は別の車にひかれてしまった。女児はその後、病院に運ばれたが、意識不明の状態。地元テレビ局が放送した現場の防犯ビデオの映像には、路上に倒れて苦しむ女児をよけたり、バイクを止めてのぞき込んだ後に通り過ぎたりする人々の姿があり、「物質的に豊かになった半面で人心が失われた」「社会の道徳心は地に落ちた」との嘆きが中国全土に広がっている』

『一方、18人が通りすぎた背景として、06年に江蘇省南京で起きた“事件”を指摘する声もある。
 中国メディアなどによると、バス停で転倒してけがをした高齢の女性を、若い男性が善意で病院に搬送。ところが、逆に女性から「この男に突き落とされて骨折した」と主張され、損害賠償金を払わされる羽目になったという。
 微博(中国版ツイッター)上には、「善意を逆手にとられてしまうような社会では、関わらない方がましだ」と18人を擁護する意見も掲載されている』

 なんとも痛ましく後味の悪い事件ですが、この背景には06年に起きた高齢の女性を助けた若い男性が損害賠償金を支払わされた事件があるという指摘が気になりました。面倒に関わることを避けるための口実に使われることもある思いますが、この事件が何らかの影響を与えた可能性も否定できません。

 善意で助けた男性が逆に損害賠償を求めらるという事件は人々をあっと驚かすほどの大きいニュースバリューがあり、多分大きく報道されたのだと思われます。ツイッターの指摘は大きく報道された事実を前提にしていると考えられるからです。

 「恩を仇で返す」見本のような事件ですが、こんなものは極めて稀なケースです。しかし大きく報道されると人々の頭に残ります。そして路上で助けを求める人に出会ったとき、それがフラッシュバックのように思い出されることはあり得ることと思います。

 たった1人の高齢女性の心ない行為が人々の気持ちや社会のあり方を変えることもあるというわけです。むろんもう1人の主役はこれを社会全体に拡大したマスコミです。

 人口が多ければ、とんでもない行為をする人間が1人や2人出てくるのは仕方がありません。しかし、報道を適切なものにすることはできます。稀な事件は大きく報道されることによって、よく起こり得る事件と見なされ、社会に過剰な反作用をもたらします。

 報道の必要性に見合わないほどの過大な報道は副作用の方が問題になる、というのがこの事件の教訓であると言えるでしょう。

NHKの誇大報道・・・世田谷の放射線騒ぎ

2011-10-17 10:09:42 | マスメディア
 世田谷区の歩道で最大2.7マイクロシーベルト/時の放射線が検出されたことを、NHKは12日夜7時のトップニュースで多くの時間を割いて放送しました。そして翌日の各テレビ局のワイドショーもそろって飛びつき、盛大な世田谷祭りと相成りました。

 これと対照的に朝日、読売、日経などは翌日の朝刊でこのニュースを社会面などで小さく報道しただけで、NHKや民放との報道姿勢の違いが明確に示されました。ある事件をどれほどの大きさで報道するかを見れば、そのメディアの姿勢や見識レベルが推定できます。新聞にはまともな見識と品位がまだ残っているようです。むろんテレビと比べて、という意味ですが。

 原発事故の放射能汚染が心配されているとき、都内に高線量の場所が発見されたと大きく報道されれば、他にも発見されてないだけで危険な地域があるのではないか、という不安が拡大するのは確実です。大きな報道の裏側には汚染が東京にも広がるというNHKの「期待」が感じられ、それは憶測に基づく報道と言えるでしょう。

 新聞各社の目立たない報道は妥当であり、NHKや民放はセンセーショナリズムに染まっていることがわかります。民放は常にセンセーショルな報道をして、信用度が低いことは広く知られるところであり、視聴者は話半分などと割引して理解するので、影響は減殺されます(週刊誌だと8割引とか)。しかしNHKの信用度はまだマシだと思われているので、影響はより深刻です。

 このNHKの報道は公共報道機関としての見識、いや資質に疑問を抱かせるものです。民放がセンセーショナルな報道をするのは視聴率のためであり、ある程度は仕方ありません。しかしNHKが同じレベルで張り合っていては公共放送の存在理由がなくなります。冷静・中立の報道を期待するために我々は視聴料を払っているわけですから。

 あるいは、自衛隊機の燃料タンク落下事故報道も大きすぎるように感じましたが、自衛隊や原発はもともとNHKのお気に召さないのかもしれません。けれど嫌いなものの失態をことさら大きく報道することは公正とは言えません。

 また、「2.7マイクロシーベルトという放射線量は、1日のうち、屋外で8時間、屋内で16時間過ごすという条件で計算すると、1日の被ばく量が38.88マイクロシーベルト、1年間にすると14.2ミリシーベルトになる」という同一の説明をNHKと朝日新聞がしています。1m×10mという狭い場所で生活する人がいるわけがなく、線量の説明としてはずいぶん不自然です。これは都内にこのレベルの汚染が広がっていることを前提にしているように感じます。

 どこかの不適切な発表を丸写しにしたのだと思いますが、記者は意味を理解しているのでしょうか。10mを通過する時間は10秒程度ですから被爆量は微少であり、そのことを書くべきでしょう。1日に10回通れば1年間の被爆は27マイクロシーベルトとなり、上記の例の約500分の1に過ぎません。

 そして翌日、放射線源は夜光塗料用のラジウムだとわかり、その上の何年もの間、寝起きして年間30ミリシーベルトを浴びていた高齢の女性が放射線による障害を受けていなかったというオチがつきました。

 余談になりますがこの事件について、今を時めく中部大学の武田邦彦教授がブログで「今までなさそうなところを測っていた」と行政の対応を批判したそうです。このセンセイは今までの測り方が誤っていただけで、正しく測ればもっと多くの場所で高い放射線が検出される筈だと主張なさっているわけです。今回の結末にはさぞ落胆されていることと思います。

 武田氏は「原発事故 残留汚染の危険性」(2011/4/20)から「2015年放射能クライシス」 (2011/9/29)まで、原発事故後の半年間だけでなんと10点もの原発本を出しておられる大変な努力家であります。放射線による不安が高まるほど彼の本は売れるわけです。「今までなさそうなところを測っていた」という解釈は武田氏のご期待を表すものですが、彼の恣意性や判断の軽さを思わせる根拠ともなったというわけであります。

アメリカのデモ騒動の行方

2011-10-10 10:39:35 | マスメディア
 「欧米で若年層の失業と所得格差の拡大が社会を揺さぶる問題として急浮上してきた。欧州では緊縮財政への反対デモが激化、米国でも格差是正を訴える若者らの運動が始まり混乱が広がっている」

 これは10月6日の日経に載った記事の書き出しです。7面のトップでかなりのスペースを割き、社会を揺さぶる問題として重大視していることが読み取れます。その要点は以下の通りです。

 2011年8月における25歳未満の若年失業率はスペイン46.2%、ギリシャ42.9%、イタリア27.6%、フランス23.5%、英国20.9%、米国17.7%、ドイツ8.9%と高い数値が示されます(日本は2010年で9.4%とまだマシです)。

「米国では上位1%の所得が全体の20%を超え、過去90年で最高となる一方、貧困層の人口は過去52年で最多となった」

「英国では上位10%と下位10%の資産格差が100倍超に広がったという。OECDの調べではジニ係数が多くの国で悪化傾向にある」

「ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのカセリ教授は『冷戦後、自由主義思想が格差を許容するような面もあったが、今、巻き返しが始まっている』と指摘する」

「欧州では不満の矛先を移民に向け『職を奪われた』などと移民排斥を訴える極右勢力の台頭も目立ってきた」

「雇用問題に有効な手立てが見当たらぬなかで、『先進国が直面しているのは民主主義の危機』(仏の人口学者エマニュエル・トッド氏)との声も出ている」

 現在先進国で起きている騒動の根深さ、深刻さを示す材料が集められている観がありますが、この署名記事を書いた記者の危機意識の表れなのでしょう。新自由主義を推進する立場をとってきた日経にしてはまことに異色の記事であります。

 これに対し、他の主要紙はこれらのデモ騒動を小さく報道するだけで、さほど重要視している様子はありません。エジプトやリビアなどの騒乱を大きく報道したのに比べるといささか不可解です。この鈍感さは何なのでしょうか。死者の数でニュース価値を決めるという方針でもあるのでしょうか。

 中東の騒動はまあ対岸の火事ですが、欧米で起きている問題は日本にとってもより切実な問題となる可能性があります。アメリカのデモが今後さらに広がって、日経の記事が危惧するように、社会を揺さぶることになるかもしれません。

 中谷巌 著「資本主義はなぜ自壊したのか」によると、アメリカでは1927年頃、上位1%の所得が全体の20%を超えていました。それは1940年頃から急速に低下し、レーガン登場以前では8%となりました。1950年代末には所得税の最高税率は91%に達し、格差縮小が進みました。ところがレーガン以降は格差を容認する風潮によって最高税率は35%まで下がり、現在の格差社会の実現を見たというわけです。

 著名な投資家で富豪のウォーレン・バフェット氏は優遇されている配当などが多いため所得税を17.4%しか払っていないことを示し、富裕層への増税を提唱した話は大きな反響を呼びました。現体制の受益者がその体制を批判したわけです。

 資本主義というものは放っておけば必然的に格差が拡大するもののようです。アメリカのデモの広がりはアメリカ社会のあり方に対する不満の鬱積が高いレベルに達していることを示しています。ノーベル経済学賞を受けたスティグリッツ教授が参加するなど広い層からの支持を得ており、もしかするとレーガン以降の新自由主義の流れが逆転する端緒となる可能性があります。

 米国では上位1%の所得が全体の20%を超えていると書きましたが、上位0.1%の超富裕層の所得は7%に達すると言われています。資産の格差はさらに大きく、階級社会と呼んでもいいくらいです。米国が激しい格差社会にも拘わらず、比較的安定していることに私は疑問を感じてきました。格差と社会の安定性、日本への影響など、とても興味ある問題です。

 民主主義体制ではこうした社会の変革は選挙の投票によって実現できる筈なのですが、デモでないと実現できないとすればいささか皮肉なことです。デモクラシーよりデモンストレーションということになりますか。

日本エネルギー経済研究所の奇怪な提言

2011-10-03 10:18:54 | マスメディア
 経済産業省所管のシンクタンク、日本エネルギー経済研究所はこの5月「LED照明の省電力ポテンシャル」と題する提言を発表しました。日本の照明をすべてLEDに置き換えると電力消費量の9%を削減することができ、しかもその15兆7千億円の初期費用は10年程度で回収できるという内容です。15兆7千億円の投資が経済に与える好影響も考えられるわけで、素晴らしいことです・・・本当ならば!

 この主張の大前提として、LEDが他の光源よりどのくらい発光効率が優れているかを示す必要がありますが、この提言で示されているのLEDの効率が白熱灯の8倍というだけです。8倍という値は過大であり、通常は5~6倍程度です。他の光源、蛍光灯やHID(高輝度放電灯)との比較は一切ありません。・・・ここが怪しいところで、LEDへ誘導しようという臭いを感じます。

 実はLEDの発光効率は騒がれるほど高いものではないということは前にも述べましたが、LEDの効率は最近の蛍光灯やHIDに及ばず、また一般的に演色性も劣ります。照明大手のパナソニックの資料「各種光源の特性一覧」にはわかりやすい比較表があります(目次から各種光源の特性一覧を選択し、右の「次へ」をクリックして下さい)。民間会社の資料ですが、失礼ながら日本エネルギー経済研究所よりも信用できると思います。

 提言では直管型蛍光灯をLED化する費用が9兆6千億円であるとし、大部分を占めることになりますが、既に主流になりつつあるHf蛍光灯の発光効率は最大110 lm/W(1Wあたりの全光束:単位ルーメン)とLEDの最大89 lm/Wを超え、しかも格段に低価格です。寿命も最大2万時間程度とLEDの半分に達します。したがって一般的には旧式の蛍光灯はHf蛍光灯など高効率のものに替えるのが最適の選択でしょう。

 電球をLED化すれば電力の削減になるのは提言どおりですが、電球色では電球型蛍光灯がLEDより優れていることは前に述べました。街路灯や体育館などで使われるHIDでは既にメタルハライドランプが最大113 lm/WとLEDより優れているので、置き換える意味は交換の手数が減る以外に見当たりません。

 日本エネルギー経済研究所の提言はLEDに置き換えた場合のコストや電力の節減などを図表やグラフを使って詳しく説明し、「説得力」あるかのように見えます。結構な手数をかけているようです。

 しかし電球を除くと、他の光源とLEDの発光効率の比較が無視されていています。それはこの議論の大前提であり、上に述べたように電球を昼白色のLEDに替える場合(色が変わるのであまり多くないケース)を除くと、高価なLEDは最適の選択ではないということができます。

 有名なシンクタンクである日本エネルギー経済研究所がなぜこのような不可解な提言を行ったのでしょうか。かつて道路公団が道路建設や橋の建設を計画する際、交通量の将来予測を過大に見積もって、建設を正当化することが行われていましたが、それと同様の意味があるのでしょうか。・・・いささか陰謀論めいて、私の好みではありませんが。

 あるいは、発光効率を理解できない人たちによる、まったく無意味な提言なのでしょうか(電力の削減量はどうして計算したのか疑問ですが)。そうならばシンクタンクとしての無能さを証明するものです。

 日本エネルギー経済研究所の幹部は経済産業省出身者で占められていることから、高級官僚の再雇用先、つまり天下りのための団体という批判がありますが、確かなことはわかりません。ただ誤解を広めるような怪しい提言をするくらいなら、何も仕事をしない方がマシだということは確かです。

 この提言に対する疑問や反論がメディアに載らないのは、メディア自身がLEDをもっとも優れた光源と単純に信じて疑わないからだと思われます。メディアが科学リテラシーの低さゆえに批判能力を持たないなら、社会が間違った方向に進むことを止められません。