噛みつき評論 ブログ版

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平和論が平和を脅かす

2012-07-30 09:51:26 | マスメディア
 平和を希求するなら、軍事的な抑止力は欠かせない。これは現在の常識でしょう。残念なことですが、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」は空虚な理想に過ぎません。一部の夢想家・空想家はともかく、"あの"鳩山元首相でさえ「学べば学ぶにつけて海兵隊の抑止力の大切さが分かった」と述べたほどであります(後にあれは方便であったと発言。これはどちらかが嘘ということであり、彼は嘘つきであることが判明しました)。

 オスプレイの国内配備に関しては事故の心配ばかりが報道され、抑止力の強化、つまり平和への貢献についてはほとんど問題にされていません。たいていの物事は2面性があり、良いことばかりや悪いことばかりというのは滅多にありません。しかし報道を見る限りオスプレイ配備は悪いことばかりという印象です。むろん事故の危険にも注意を払うべきですが、今の報道はあまりにもバランスを欠いています。

 オスプレイは現行のヘリに比べ最大速度が約2倍、行動半径約4.2倍、積載能力約4倍であり、海兵隊の作戦能力は大きく向上するとされます。当然、日本に武力行使をしようとする国に対して強い牽制となり、軍事力行使が抑制されるので、「平和を愛する国民」にとってはうれしい話です。

 また問題の事故ですが、10万時間あたりの重大事故件数は1.93と現行へりの1.14より高いものの、海兵隊全体の2.45より低いとされています。非常に危険な飛行機という印象は事実と異なり、報道によって作られたものと思われます。

 一方、海兵隊の一部グアム移転が決まりました。このために日本の軍事的抑止力も低下する可能性があると考えられるのですが、議論さえなかったように思います。抑止力などどうでもよい、といった考え方に我々は昔から慣らされてしまっているようです。見事な鈍感さです。

 東日本大震災は数百年に一度のわりで起きるということがわかり、次の襲来に備えての準備が始まりました。数百年の時間スケールで考えるならば、軍事衝突が起きる可能性は大震災より低いとは決して言えません。また紛争までいかなくても、軍事的な脅しに屈せざるを得ないという事態も起こり得ます。10年先、あるいは20年先に隣国がどのような国になるかは予測できません。

 経験した地震や津波には備えを怠らないが、いまだ経験しない軍事侵略への備えは軽視する。これはまさに「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ(*1)」の模範例と言えるでしょう。

 歴史に学ばない愚かさもありますが、この抑止力を軽視する考えは戦後の長い間、大きい影響力をもってきた左翼勢力の残滓(ざんし)ともいうべきものです。洗っても洗っても落ちないしつこい残滓であります。

 自民党の石波氏や民主党の玄葉外相、森本防衛相らは抑止力の重要性を述べていますが、ごく小さな報道しかなされません。抑止力を軽視する考え方は多くのメディアに染み付いているようです(産経はやや特殊な位置にあるメディアですが、この問題に関してはバランスのとれた報道をしているように感じます)。

 もしも将来、日本が他国による侵略を受けたされたとしたら、後世の歴史家はその主な理由を「9条の会」に代表されるような夢想的平和論がメディアに影響を与え、抑止力が軽視されたことに求めるでしょう。平和論が平和を脅かす、なんとも皮肉な話であります。


(*1)これはドイツの鉄血宰相ビスマルクの言葉といわれていますが、ビスマルクは政治家の仕事は「歴史から学び、それを今の政治に生かすことだ」といっただけで「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」は改造されたものという説もあります。でもこちらの方が面白いですね。

「見て見ぬふり」という処世術

2012-07-23 10:20:25 | マスメディア
 大津市の中学生の自殺事件は学校内でのいじめの存在が浮上し、9ヵ月も経ってから急に大きく報道されるようになりました。メディアの関心はまるで申し合わせたように、学校と教育委員会の対応ぶりに集中した観があります。悲劇の背景には彼らの見て見ぬふり、つまり彼らの事なかれ主義があったのではないかと。それにしても相変わらず横並びがお好きなようです。

 これらの報道を見ていると、メディアによる批判は学校と教育委員会に集中し、いじめは所与の問題とされているように見えます。叩きやすい相手なのでしょうけれど、対象を絞った集中批判はわかりやすい反面、問題を単純化して認識を誤らせることにつながります。

 自殺の主な原因がいじめであったとすると、いじめそのものに対してもっと関心が向けられてもよいと思います。学校などの管理によって悲劇を防ごうとする試みも大切ですが、第一原因であるいじめそのものを減らすことが必要と思われるからです。管理による方法は、病気に対して対症療法のみで対処し、原因療法を軽視するようなものです。

 多人数でひとりを攻撃するという姿はまことに見苦しいものです。多数側の者は皆で共同していじめているのだという気持ちが働き、罪が分散されて軽くなるように感じます。責任の分担というわけです。しかしいじめられる者にとっては、軽い気持ちでやられてはいっそうたまりません。

 「弱きを助け、強きをくじく」という言葉がありますが、決して簡単なことではありません。特別な能力を備えた人ならともかく、一般には、格好悪くても逆の「強きを助け、弱きをくじく」の方が処世術として有効です。「長いものには巻かれろ」はこちらの教えです。いじめられている弱い者を助けようとすれば、強い連中を敵にまわすことを覚悟しなくてはなりません。

 戦前の新聞業界、信濃毎日と福岡日日は強い陸軍に抵抗しましたが、これは例外的であり、大手紙はすべて軍による経済的な締付け等に負けて陸軍の味方となりました。いつも正義や理想を語っていた大新聞ですらこの始末であったわけです。結局、大手紙は「経済合理性」を優先したわけで、いま思えば時代を先取りしていた観があります。

 良心の呵責をあまり感じずに済ませるもっとも一般的な方法は「見て見ぬふり」をすることです。大津市の中学校や教育委員会は「見て見ぬふり」の模範を示したのかもしれませんが、後でバレたときはより大きな災難が降りかかるということをも示した形になりました(彼らの場合は職務の問題も大きい)。これはぜひ生徒達にぜひ学んでもらいたい教訓です。

 多数によるいじめは罪の意識が低い上、優勢ないじめる側が主導権をもつので、一旦始まると簡単には解消しない、安定した構造をもっていると考えられます。そしてこれには個人差が大きいのですが、いじめることに快感を覚えるような心理的特性も関わっているものと思われます。したがって、いじめられる側の捨身の反撃か、第三者の介入がなければ解消は困難です。

 昔はいじめがなかったとは思いませんが、卑怯という概念が広く浸透していて、それがいじめを阻止するのに一定の効果があったものと思われます。卑怯者の烙印をおされることはひどい侮辱であり、そのような行為を抑制する効果がありました。今は卑怯という言葉を聞くことすら珍しくなり、この概念の衰退がいじめを促しているように思います。

 これは戦後教育の成果のひとつでもあり、またモラルが経済合理性に置き換えられてきたことのひとつの現れとみることができます。卑怯などというと古臭く感じる方もおられかも知れませんが、古今東西に見られるもので、共同体の秩序を維持する上で重要な概念であると思われます。

 教育となると時間がかかります。そこでこんな手は使えないものでしょうか。多人数でひとりを暴行するような卑怯な行為は単独での行為よりも重い刑を科すのです。多人数による罪の意識の減少を刑の増加で補ってあげるわけです。暴行などをするとき、仲間を誘えば刑が重くなるとなれば、誘う方、誘われる方、共に抑制効果が期待できます。そしてこれを明確にすれば卑怯という概念の浸透が望めるのではないでしょうか。まあ、頭の固い「法曹業界」がまともに検討することとは思えませんが。

証券会社はシャイロックの末裔?

2012-07-16 10:14:34 | マスメディア
 シェイクスピアの劇「ヴェニスの商人」にはシャイロックというユダヤ人の金貸し、つまり今で言う金融業者が登場します。彼は嫌われ者の代表として有名で、血も涙もない冷酷かつ強欲な人物として描かれます。そして駆け落ちしたひとり娘の行方より娘が持ち逃げした宝石の方が気になるという「わたしの金が第一」という考えの持ち主です。シェイクスピアが生きた400年ほど前の英国でも、金貸しはこのような性格の人物として扱われていたのでしょう。

 それはさて措き、野村、大和、SMBC日興の3大証券すべてがインサイダー取引に手を染めていたという記事が6月30日の朝日新聞の一面トップを飾りました。驚くなかれとばかり、仰々しく書かれていますが、驚くのは証券業界にあまり詳しくない方で、詳しい方ならこの程度のことは日常茶飯事で、間抜けな奴がボロを出しただけだと考えるでしょう。

 しかし7月6日の日経の記事には少し驚かれるかもしれません。米系ヘッジファンドのジャパン・アドバイザーが国内の主要な証券会社12社から多額の手数料と引換えに増資情報を得てインサイダー取引をやっていた疑いをもたれ、金融庁が調査を始めたという記事です。

 こちらはより重大な意味を持ちます。なぜなら2009年以降の日本の公募増資の引受額9割を占める大手12社がそろってヘッジファンドの違法な要求に応じていたと疑われているからです。朝日の記事の場合は担当者が勝手にやってしまったという弁解も可能ですが、大手12社がそろって情報を売っていたとなっては、もはやそのような弁解は成り立ちません。それがわが証券業界の「標準」であるということを明確に示したことになります。

 なぜこれがバレたかというと、増資などの発表直前にその銘柄の売買高が急増しているからだそうです。その増加率の上位20社の表が載っています。最高は全日空の966.5%、最低でも三井住友の135.2%とかなり高い値であり、不自然さは明らかです。ここまで大量に売れば株価も影響を受けるでしょうし、目立ちます。大胆な手口であり、規制当局はずいぶん甘く見られていたものだと思います。

 企業が公募増資すると株の価値が希薄化するためたいてい株価は下がります。発表前にその情報を知ることができればカラ売りして儲けることができます。違法のリスクまで冒してインサイダー取引に努力をするのはそれがほぼ確実に儲かるからです。

 他にも証券業・金融業の体質を表す事例にはこと欠きません。オリンパスの損失隠しは野村証券OBらの大活躍なくしては実現できなかったでしょう。AIJ投資顧問は年金基金を食いものにしました。また最近は主要行によるロンドンの銀行間取引金利の不正操作も発覚しました。

 レストランチェーンのサイゼリアが為替デリバティブ取引で損失を出し、販売した証券会社を相手取り、計168億円の損害賠償請求訴訟を起こしたと報じられました。この為替デリバティブでは多くの地方自治体が数十億円の損失を出していることが既に明らかになっています。

 7月7日の朝日の「私の視点」には銀行の勧める為替デリバティブで多額の損失を出した中小企業の話が載っています。弁護士である筆者はこの問題で100社近くの中小企業の相談にのった人物で、「デリバティブ取引の経験がない会社ばかりだった」「銀行は明らかに説明責任を果たしていない」「ひとつの為替デリバティブ契約で銀行に入る手数料は3千万~5千万にのぼるという」と述べています。

 この場合の為替デリバティブとはおそらくプットオプションの売りを利用したもので(複雑なので説明は省略)、5年ないし10年の契約期間中の販売側のリスクは一切なく、確実で高額な手数料が見込めるものと思われます。私が知っている例では、円安の場合は利益が出るのですが、円高になると3倍の損失が出るように仕組まれていました。

 商品をいかに有利なものであると客に思わせるか、いかにリスクを小さく見せるか、が証券会社の腕の見せ所です。複雑な仕組みをとっているので客に形ばかりの説明をしてもまず見破られません。だからノーリスクで高額の手数料を得ることができるというわけです。簡単に理解できない複雑さによって客は判断力を奪われているわけで、極めて詐欺に近い商法であると思われます。実に巧妙な手ですが、こんなことを考える暇があったら、もう少し世の中に役立つことを考えていただきたいものですね。

 多くの被害が生じたもうひとつの理由は銀行や証券会社などの金融業者が実態以上に信用されていたことがあると思われます。例が悪いのですが、もしオレオレ詐欺のように警戒すべき情報が行きわたっていれば被害のほとんどは防げていたことでしょう。

 今は立派なビルに入って一流の顔をしている金融業者ですが、シェイクスピア時代の伝統「わたしの金が第一」は今も生き続けているのでしょうか。まあどの世界でも表の顔と裏の顔があるのですが、金融業者の場合、その乖離の大きさは別格のようであります。

朝日の体質を示す煽動記事

2012-07-09 00:22:01 | マスメディア
「安全保障に関しては素人だが、これが本当のシビリアンコントロールだ」と発言して首が飛んだ一川保夫元防衛相、「放射能つけちゃうぞ」と言って同じ結果を招いた鉢呂吉雄元経済産業大臣。どちらも冗談半分の発言によって大臣としての資質を疑われ、職を追われました。たった一言で資質や人格を判断されたわけです(鉢呂氏の場合は虚報説あり)。

 それが即興や冗談ではなく、十分に吟味された発言ならば、その人物の資質や人格を判断するいっそう重要な材料になります。これは人間だけでなく報道機関についても同様で、むしろよってたかって十分検討されたものだけに、より重要な判断材料です。

 7月8日の朝日新聞の一面に載った記事は貴重な判断材料を提供するものです。記事そのものの価値は十分に低いのですが、朝日新聞という報道機関の資質を理解するのには十分な価値があると考えられます。

 それは「東電値上げ幅2%膨張」というタイトルの記事です。簡単に言うと、電気料金には事業報酬が含まれる。東電は経産省令に従って自己資本を2兆8000億円としてこれから事業報酬を2800億円と見積もったが、東電の自己資本は事故対応や燃料費の増加で5300億円しかなく、これを元に計算すると1800億円になる。1000億円減ることになり、この差は値上げ幅の2%分ほどになる。ということだそうです。

 要するに事故で自己資本が大きく減ったのだから自己資本に見合う事業報酬を減らして電気料金の値上げを抑えろということです。しかし、この理屈でいくと赤字がさらに膨らんで東電が債務超過にでもなれば、もっと電気料金を下げろということになります。逆に事故補償を削ったり原発を再稼動して赤字が少なくなれば、電気料金はもっと上げてもよいという実に奇妙なことになります。

 これは内閣府の消費者委員会の作業チームの水上弁護士が調べたもので、枝野経産相に提言する予定とされていますが、とてもまともに扱うに値しない議論に見えます。朝日新聞はずいぶんお気に入りのようですが、これを取り上げたメディアは他に見あたりませんでした。賢明なことに。

 それどころか東京新聞など複数のメディアによると、事業報酬は送電線や発電所などの資産の総額に、一定の事業報酬率をかけて算出され、東電は、値上げ申請で報酬率を3%として、資産約9兆3千億円の3%、2850億円を料金値上げの原価に計上したとあり、自己資本から算出するという朝日の説明と明らかに矛盾します。自己資本を基準にするという朝日の説明は合理的とは思えず、いささか怪しく思います。

 この記事を深く注意をせずに読めば、副題の「積算基準 自己資本、実際の5倍」とあるように、東電は自己資本を5倍と誤魔化して値上げ幅を2%膨張させている、というように受けとるでしょう。東電に対する反感を煽るのには確かに有効です。過剰なもうけまで消費者に負担させる悪質な会社というイメージが広がることでしょう。

 事業報酬を「東電のもうけ」とわざわざ朝日は説明しています。事業報酬には配当として外部に出て行くものもありますが、今の東電にはとても無理で、事業報酬は自己資本の積み増しや新たな投資の原資となるもので必要なものです。「東電のもうけ」という説明には不必要なものというニュアンスがあります。水上弁護士らの「消費者が過剰なもうけまで負担するのはおかしい」という言葉に呼応したもので、感情に訴える姿勢が鮮明です。

 たしかに世論を動かすには理に訴えるより情に訴える方が効果的でしょう。しかしまともな報道機関がすることではありません。いくら東電を叩き、電気料金値上げに抵抗して読者に迎合したいという事情があるにせよ、この記事は報道機関としての資質を疑わせるに十分な内容を備えています。入手した情報を分析・判断する能力、読者に誤解を与えず正確に伝えようとする誠実さなど、報道機関としての資質を推し測る格好の材料となるからです。

 しかし、それがいかに「不適切な記事」であっても上記の大臣達のように大騒ぎになってクビが飛ぶことはありません。大騒ぎはメディアだけの特権であり、また他のメディアは反撃能力があるため批判を躊躇するためでしょう。過去、メディアによるバッシングは反撃能力のない者、つまり「弱い者」に限られているようです。「強きを助け、弱きをくじく」、なかなかご立派な処世術であります。

祝!民主党支持率8%

2012-07-02 10:26:19 | マスメディア
 6月の時事通信の世論調査によると民主党支持率は8.1%となったそうです。調査により多少の差はあるものの、ざっと10人に9人は民主党の正体に気づいたというわけです。「政権交代」という3年前の熱狂は見る影もなくなりました。3年もかかりましたがようやく本当のことがわかり、これはまことにめでたい事と言わねばなりません。

 一流の人間が2年や3年で三流の人間に変化することはまずありません。いま三流なら3年前も三流の筈です。人間の集団である政党も同じです。とすれば3年前、多くの有権者は三流を一流だと見誤ったことになります。

 むろん見誤らせたのはマスコミです。故意に国民を騙したとは思いません。彼らの目が単に節穴であったというだけのことです。彼らが勝手に見損い、勝手に民主党の宣伝機関となって虚像を国中にばら撒きました。多くの人が民主党の甘言にたぶらかされて投票したことを後悔していらっしゃると思いますが、その必要はありません。その時点で得られた情報をもとに妥当な判断をした結果に過ぎないのですから。

 人を騙してやろうという目的でつく嘘は見破られやすいですが、嘘とは知らず自分が信じ込んだものを伝えるという嘘には説得力があります。それは宗教の布教に似ています。ましてそれがマスコミという第三者によるものであれば見破るのはいっそう困難です。かなりの見識を持ちながらも民主党に投票した方も少なくありません。

 人はそれぞれが個別の主体であり、考え方や判断のしかたも様々です。しかし有権者を集合(マス)としてみれば、安定した特性を持つひとつの集団として扱うことができます。特性とは国民性や歴史・文化などによって規定されたものです。

 すると有権者の集団はひとつの入出力装置と見ることができます。入力の大部分はマスコミ情報であり、出力は投票行動です。選挙結果は事実上マスコミが支配していると言っても過言ではないでしょう。まあこんな回りくどい言い方をしなくても3年前の選挙結果にマスコミが大きく関与したのは間違いないでしょう。

 借金が膨れ上がるなど、3年間の民主党による政治によって国益が大きく損なわれたとされますが、その責任の多くは民主党政権の誕生に手を貸したマスコミにあります。しかし私の知る限り、毎日新聞の与良氏などごく一部を除いて、その責任を認める報道はなく、我々がこの三流政権を生み出したのだ、という自覚や反省が全く見られません。

 それはマスコミ各社の首脳が首を揃えて国民に謝罪してもまだ足りないくらいのことだと思います。そしてこのまま「知らん顔」が通れば「有罪」の自覚が生まれず、また同じことを繰り返すことになるでしょう。無自覚、無反省、無責任の三無主義ですね。

 新聞やテレビは数多くの記者を抱え、一部の政治記者は有力な政治家に張り付いていると聞きます。マスコミは民主党の主要な政治家の能力を把握できた立場にあり、それを伝えるのも仕事です。例えば3年前、民主党の代表は鳩山氏でしたが、後に何度も馬脚を露わすことになったこの特異な人物の実像をどれだけ正確に伝えたでしょうか。代表者の人物像がわかればその人物を頂点に選んだ組織の「品質レベル」もおおよその見当がつきます。有権者は実像を知らされずに投票したわけで、その結果がこの始末だというわけです。

 民主主義がまともに機能するためには報道の自由が必要であるといわれます。その通りですが、それだけでは十分ではありません。判断を誤らない、賢い報道機関が多数存在することが必要であります。重要な判断を誤るような、バカなマスコミは有害であり、民主主義の足を引っ張るだけの存在です。

 政治の劣化が叫ばれて久しいですが、それはマスコミの劣化が先行した結果でもあると私は思っています。