噛みつき評論 ブログ版

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1面トップに大きく「米産牛肉に危険部位」、裏で「冷静に対応を」と朝日新聞

2008-04-27 23:32:01 | Weblog
 4月24日の朝日新聞朝刊は1面でBSE問題を大きく煽る一方、35面では食の安全への不安を訴える声やスーパーの販売中止などと共に、冷静な対応を求める識者の意見を小さく載せています。BSEの危険を大きく報じながら冷静を求めるのは矛盾しています。本音で冷静を求めるのなら大きく報道しなければよいのです。

 朝日、毎日、読売、日経の各社は一斉にこのBSE問題を社説で取り上げています。読売は比較的冷静で、朝日・毎日は検査体制への非難が目立ちますが、そろって社説に取り上げるのは各社ともBSEを危険で重大な問題と認識しているからでしょう。

 今回紛れ込んだ背骨付きの高級ステーキ用肉は米国では普通に売られているが、日本の基準は世界一厳しく、リスクをとことん減らそうという考えに立っているのだから、それは理由にならないというわけです(朝日)。

 その朝日には田辺功編集委員によるBSE問題についての優れた記事(2月4日)があります。以前にも紹介しましたが一部を要約します。

 『BSEのために日本人が変異型クロイツフェルトヤコブ病(vCJD)を発病する確率は無視できる程度(*1)であるにもかかわらず実施された世界に類のない全頭検査は「消費者の不安解消」を掲げる議員らの声に押されて始まった。
 国際獣疫事務局が定めるBSE対策の基準は危険部位の除去とピッシングの禁止などで、検査はふくんでいない。日米間の輸入再開議論がかみ合わなったのは日本が世界の標準とは異なる考え方をしていたからである。(ピッシングとは死ぬ時の痙攣を防ぐためロッドを頭から脊椎に通すこと。病原体が他の部位に拡散する危険性が指摘されている。日本ではまだ多く行われている)』

(*1 発病の確率については安井至氏のBSEを巡ってメディアとの対話も参考になります)

 つまりメディアによって作られた「消費者の不安」を解消するために、必要性の不明な全頭検査を多額の税金を使って実施していながら、必要性の高いピッシング禁止を放置しているというわけです。

 朝日新聞は、日本人がvCJDを発病する確率は無視できることを田辺編集委員の記事で知り得たはずですが、今回なぜか煽動的なトップ記事にしているのは理解に苦しむところです。

 合理性から離れ、完璧なほどの安全性を求める日本の消費者の特殊事情を、読売を除く3社は無批判に受入れ、当然の条件としていることが残念です。消費者が過度の不安をもつという特殊事情はメディアが作り上げたものにもかかわらずです。

 脊柱の入った問題の1箱は米ナショナルビーフ社加州工場が昨年8月に出荷し、日本国内の倉庫に保管されていた700箱の中から見つかりました。残りの699箱には問題はなかったが、廃棄処分となったそうです。同社の加州工場製の他の国内在庫はどうなるか、気になるところです。

 世界的に深刻な食糧不足の地域がある中で、不安解消という「気分」のための大量廃棄をやっていればそのうちにバチが当たるような気がします。

 新聞社様に消費者の不安を解消してやろうという親切心がおありなら、vCJD発病のリスクは無視できるレベルであるということを是非とも消費者にお伝えしていただきたいと思います。おっと、その前に、十分な見識を身につけていただく必要がありますけれど。

テレビ批判の朝日社説、ご立派な主張だが身内を他人事のように言うとは・・・

2008-04-24 09:15:44 | Weblog
 4月20日の朝日社説は「裁判番組―放送局は知識と冷静さを」と題する、大変まともな主張です。紹介したい意味もあるので、初めの部分を引用します。

 『法廷のイラストが映し出される。殺意を否認し、遺体をドラえもんが何とかしてくれると思った、などとする被告の元少年の主張が伝えられる。被害者の遺族が憤りを語る。そして、司会者らが「笑わせんじゃないよ」「世も末」と被告と弁護団を非難する。
 山口県光市で起きた母子殺害事件の裁判をこんな風に取り上げたテレビ番組を見た人は少なくあるまい。
 こうした番組作りは、公正性、正確性、公平性の原則からはずれ、視聴者の不利益になる。そう批判した意見書が、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会から出た。(中略)
 今回検証したのは、昨年5~9月に放送された情報番組などで、NHKと民放計8局の33本。一部のニュースを除くほぼすべてが「〈奇異な被告・弁護団〉対〈遺族〉という図式を作り、その映像を見たコメンテーターらが感情的な言葉を口にする」とされた』

 同社説は、このような報道は裁判員制度の裁判員に予断を与えかねないので、報道規制を招く恐れがあるとし、現在のテレビ番組のあり方に懸念を示しています。

 BPOの指摘はもっともなものであり、それを受けたこの社説は、このようなテレビの姿勢によってやがて報道の自由が制限されるかもしれないという危機感を訴えるものです。社説の主張は大変重要であり、かつ納得できるものであります。

 しかしながら不思議なことに、この社説はなぜか他人事のように書かれています。朝日新聞はテレビ朝日の株の3分の1以上を保有する筆頭株主であり支配権を持つ立場ですから、他人事で済ませるのは不可解です。テレビ朝日だけBPOの指摘を受けなかったなのなら別ですが、そうでなければこの社説は当事者の自覚が足りないと思わざるを得ません。

 傘下のテレビ局の作った番組の問題点が指摘されたのなら、それを認めてきた親会社としての意思表示があってもよいのではないでしょうか。

 一方、翌日(4月21日)の天声人語には次の言葉が載っています。

「前橋では今月上旬、目抜き通りのチューリップ約千本が切られた」「他人を信じにくい世の中になりつつあるのか」「かくて、おおらかさの灯(ひ)は一つ、二つと消え、人を見たら泥棒と思えとばかりに、世は息苦しさを増していく」「疑心暗鬼の影さす中に、皮肉な金言だけがてらてら光っている」

 これらの言葉のように「治安が悪い方向に向かっている」と考える人は増えているようです。事実、朝日新聞の殺人記事数は増加し、85年に比べ03年には5倍近くになっています。ところがこの間、実際の殺人事件数は増えるどころか、減少しています(参照)。

 朝日新聞をはじめとするメディアが殺人事件や凶悪事件を大きく、多く報道するという努力の結果、「他人を信じにくい」「疑心暗鬼」の世の中が出来上がり、天声人語でそれを嘆いているのです。かつてこういうやり方をマッチポンプと呼びました。もし意識的でなければ、これも自らが世相を作り上げたという当事者の自覚が足りないと思わざるを得ません。

毎日新聞の記者同士で論争・・・果たしてその見識レベルは?

2008-04-21 09:55:56 | Weblog
 毎日新聞に「記者の目」というコラムがあります。むろん納得のいくものも多いのですが、今回取り上げる記事は記者の見識を示すものとして興味深いので紹介します。食品の安全に関する中村記者のコラムに対して2名の記者が反論を書いています。3番目の行友弥記者の記事(2月18日)の初めの部分を引用します。

 『中国製冷凍ギョーザによる中毒事件など食の安全をめぐる問題について、本欄で中村秀明記者は「消費者の自覚を促すべきだ」(2月14日付)と主張し、井上英介記者は「消費者に『もっと学べ』は酷だ」(4月4日付)と反論した。「節操がない」と言われそうだが、いずれの主張にも一理あると思った。この問題は「白か黒か」の二者択一ではない。自分なりの視点を付け加えてみたい』

 と続くのですが、以下を簡単に要約します。中村記者は、消費者は王様とされて増長し、買うだけの無知な存在になったとし、消費者の自覚を求めました。それに対して井上記者は、夫婦共働き、片親の家庭、将来の保証もないワーキングプアを持ち出して冷凍食品の必要性を述べ、余裕のない彼らに「もっと学べ」と求めるのは無理であり、行政に安全性を求めるべきだとしました。

 行友弥記者は、「海外を含む長い生産・流通・加工過程のすべてを監視し、偽装表示や異物混入を防ぐことができるのか。完ぺきを求めれば膨大な費用がかかり・・・」として、消費者行政の限界を指摘します。彼はいずれの主張にも一理あると思ったといいながら中村記者に近い立場です(この後、行友記者は安全性への言及を止め、食糧に関する教育へと話を持っていくのですが、これは納得できます)。

 以上の議論は食品の安全性をめぐってのことですから、安全が重要な問題であれば十分意味を持ちます。偽装表示や中国製ギョーザ事件のために食品の安全性は大きな話題になりましたが、それは本当に重要なものでしょうか。次のデータをご覧下さい。

 2007年の食中毒による死者は、フグなどの動物性自然毒が2人、キノコなど植物性自然毒が3人の計5人であり、97年~06年の10年間で死者が10人を超えたのは02年の1回だけです。これがどれくらい危険なのか、他のリスクと比較します。

 06年の家庭内事故は転倒・転落死2260人、浴槽での溺死3316人、食物の誤えん死2492人、火災による死者1319人、など合計12152人となっています。また交通事故死は約6000人です。年間1万人を超す死者を出す家庭内事故をろくに報道せず、年間数人の死者の、それも自然毒によるものが多い食品の安全に大騒ぎする報道、おかしくないですか。

 食中毒死の大部分は自然毒によるもので、販売されている食品によるものは僅かですから、過大に考えるのは不合理です。人間の注意力は無限ではないので、どこかに注意を多く向ければ他に向ける注意は減ります。心配するならもっと高いリスクのものを心配するのが合理的です。

 食品によるリスクは全体から見てどの程度のものかきちんと認識した上で、報道の大きさを適切に決めることが、メディアと記者に求められる役割です。他のリスクの程度を知らず、つまり、木を見て森を見ず、では社会をミスリードしてしまいす。

 この3名の記者、とりわけ初めの2人の記者は食品の安全性問題をひどく過大評価しているのではないでしょうか。普通の人がどう考えようが勝手ですが、オピニオンリーダたる記者がそれでは困ります。記者の誤った見識はそのまま読者に伝わり、場合によってはパニックを起こすこともあります。また世論を煽り、それが政府を動かして、要らぬ規制を招いたりすることもあります。

 食品の安全を騒ぎ立てた他のメディアにも言えることですが、まともなリスク評価のできない記者が目立ちます。オピニオンリーダーの見識が低ければ、国民の見識はそれに引きずられ、政治もまた選挙を通じて影響を受けけます。言うなれば社会が被害を受けるわけで、どうにも始末の悪いことであります。(参考 これでも新聞記者? 記者の資質を疑う朝日記事)

聖火リレー、長野で騒がなければ日本は武力弾圧を黙認する国と見られてしまう

2008-04-17 10:44:44 | Weblog
 ロンドンやパリ、サンフランシスコで騒ぎになった聖火リレーはこの26日、長野の善光寺を起点とし、若里公園へ至る18.5キロのコースで行われます。

 日本でもチベット問題は報道されていますが、それを見る限りロンドンやパリの騒動の激しさにはちょっと不思議な感じがします。国内の報道が激しい抗議を引き起こす動機になり得るのか、に注目しています。日本のマスメディアは中国への配慮から、チベット問題の報道を控えめにしているという批判がありますが、欧米メディアと比較してどうなのでしょうか。

 ベトナム戦争からイラク戦争に至るまで、デモなどによって反対の立場を表明する市民運動の多くは反米、親中の色合いを帯び、朝日・毎日などのメディアもそれを支持する側に回りました。

 このような経緯から中国に対して手のひらを返すようなことはやりにくいのかもしれません。しかし運動を支えてきたものが外国に対する好悪の感情や特定の政党との関係でなく、人権保護や民主主義という立派な理念であればチベット弾圧に対してもっと大きい声が上がってもよいと思います。また、それは市民運動が特定の政治勢力と結びついたものではないことを世に示すよい機会でもあります。

 もし長野の聖火リレーが平穏のうちに終われば、それはめでたいことである一方、外国からは、日本と日本のメディアは隣国の武力弾圧、人権抑圧を黙認する非民主的な国との評価を受けるのではないでしょうか。ここはなにがなんでもひと騒ぎあることが望まれるところです。

(余談ですが、赤旗の電子版では4/9日から4/16日までチベット関連記事を2本掲載しています。ひとつは中国中央テレビの放送、もうひとつは中国外務省の姜瑜報道官の談話で、いずれも中国の声明をそのまま伝えるもので、武力弾圧に対する非難は見あたりませんでした。この徹底ぶりは見事ですね)

訴訟リスクという妖怪が忍び寄る・・・被害は医療崩壊だけではない

2008-04-14 11:31:31 | Weblog
 患者が医療機関や医師を訴えるケースが相次いだ結果、訴訟リスクが医療崩壊の原因のひとつになっていることはかなり知られてきました(参考)。しかし訴訟リスクは他の分野にも広く影響を及ぼしています。

 NHK大阪では4/11日「3人乗りはダメですか~交通教則改正の波紋~」を特集しました。3人乗りが安全にできる自転車の製作が可能ならOKという警察の方針を受けて、番組では自転車メーカーの取材に向かいます。ところがある大手メーカーの担当者は3人乗り自転車の開発に消極的で、その理由は事故の際の訴訟リスクであるということでした。

 現行の自転車でも事故はいっぱいありますが、それが自転車メーカーに対する訴訟に結びつきにくいのは長い歴史を持つ自転車が所与のもの(元からあるもの)と認識されているからでしょう。自転車とはこういうものだから、事故は運転や整備の問題だというコンセンサスがあるわけです。

 しかし新しい形態の自転車ではそうはいきません。僅かでも危険に結びつく要素があると訴訟の理由になるとみなされます。訴訟リスクに敏感な大手メーカーは新しい試みに慎重にならざるを得ないのが実情です。

 松下電器が22~16年前に製造した石油暖房機の事故は損害賠償だけでなく大報道による企業イメージの低下を引き起こしました。10年後20年後に100%の安全性を保てる燃焼機器を作ることは大変困難です。大手家電メーカーのほとんどは石油暖房機の生産を中止しました。事故のリスクをより深刻に考えるようになったのが理由のひとつと思われます。

 北海道苫小牧市では廃棄された石油ファンヒーターを拾ってきて使い、CO中毒による死亡事故がありましたが、遺族は「事故が起きたのは危険性の周知や製品の回収を怠ったメーカーの責任だ」として、製造者に8000万円の損害賠償を求める訴訟を起こしました。

 もし原告が勝てばメーカーは廃棄された回収対象品をすべて回収しなければならなくなり、それは大きな負担がかかることを意味します。注目すべきは従来の常識では損害賠償の対象と考えられなかった事件まで訴訟にする風潮、またそれを推進する弁護士が出現してきたことです。

 拾った製品の責任まで生産者に負わせるという発想の背景には使用者は自らの責任において安全に配慮する義務がないという認識があります。これは食品の消費期限虚偽表示問題で明確になりました。食品の安全を確保するものは味や匂いによる消費者の判断ではなく生産者の表示であるという認識が一般化しました。

 極論すれば生産者あるいは医療側は完全であたりまえ、したがって無限の責任を負うべきであるかのような風潮が出来上がりました。その背景にはマスメディアのポピュリズムに基づく誇大な報道があります。訴訟の広まりは、この風潮抜きに語れません。

 訴訟リスクのため、現に外科、産科を志望する医師は減少し、このままだと日本の医師は皮膚科と眼科だけになってしまうさえと言われています。僅かなミスが重大事故を招く可能性のある製造業なども志望者の減少要因になるかも知れず、原子力学科の学生がこの十数年で10分の1になったことも少しは関係があるかもしれません。

 どんな分野でもリスクをゼロにすることはできません。リスクを1桁下げるには莫大なコストを必要とします。リスクの許容度はコストとの比較で決められるのが合理的です。例えば現在交通事故による死亡者は年間6000人ほどですが、これを600人にするには道路、車両、救急体制に莫大な投資が必要です。さらに60人にするには国家予算全部を使っても無理でしょう。

 訴訟の増加は泣き寝入りという不合理を減らす意味がある反面、過剰になるとリスクを負担する者が減少し、管理コストだけが増加して、社会が沈滞するという結果を招く恐れがあります。現に医療分野ではサービスの低下が現実のものになりつつあります。

 一方で、訴訟が多くなることを肯定し、法曹人口を6倍にすることを企てている人々がいます。以下は法化社会を目指しておられる但木敬一検事総長の言葉です。

 「では法化社会とは何なのか。端的に言うと、究極的に紛争のすべてが裁判所に持ち出され、あるいは持ち出されることを前提に準備しなければならない社会である」

 紛争当事者の話し合いによる円満解決を否定するものとも理解できるこの発言の目指すものは何なのでしょうか。法曹がすべての裁定者として君臨する社会なのでしょうか。
 「"法曹"功なりて、万骨枯る」とならなければよろしいが。

デカ文字で情報量減少、新聞間の情報量格差も拡大・・・ネットに対する一覧性の優位消滅?

2008-04-10 11:27:00 | Weblog
 毎日新聞は昨年12月から、朝日・読売・産経はこの春から文字の拡大を実施しました。その結果、1ページに表示できる文字数は当然少なくなりました。朝日新聞はこの改定を「文字を大きく 情報たっぷり」と宣伝しました(参考)。

 広告を減らすのかと思ったところ、文字拡大後の朝日第1面の広告は約10平方センチ増えていました(3/30日と4/5日の比較)。他面はわかりませんが、1面に関しては「情報たっぷり」はやはり「偽装」の匂いがします。全国紙5紙の1ページの現在の情報量(最大文字数)を下に示します。情報の質は別ですが、情報の単価にはかなりの差があることがわかります。
                   
読売新聞   12字×12段×71行 10224字 (40.7ページ 3925円)  74.8%
毎日新聞   10字×15段×72行 10800字 (31.8ページ 3925円)  61.8%
朝日新聞   13字×12段×75行 11700字 (40.3ページ 3925円)  84.8%
産経新聞   12字×12段×77行 11088字
日本経済   11字×15段×75行 12375字 (44.9ページ 4383円)  100.0%
  ( )内は東京版朝刊の平均ページ数と月額購読料-週刊東洋経済4/12日号より
  右端の数値は日経を100%とした場合の1日分の情報量

 一方パソコンのモニターはWindows以前のMS-DOSの時代の標準解像度は640×480(VGA)であったものが現在17-19インチの1280×1024(SXGA)が中心になり、さらに24.1インチの1920×1200(WUXGA)に移行しつつあります。WUXGAの解像度はフルハイビジョンと同じであり、情報量はVGAの7.5倍になります。

 WUXGAで表示可能な情報量はというと新聞と同程度の文字ピッチ(5mm×3mm)とすると約11100字になります。新聞は1ページの情報量を数度にわたって低下させてきたのに対し、モニターの情報量は増え続けて、現在ほぼ同等になったわけです。スクロールを考えるとモニターが優位になるでしょう。24.1インチのモニターは4万円程度から販売されています。インターネットに対する新聞の優位性のひとつに新聞の一覧性がありましたが、これはほぼなくなりつつあるといってよいでしょう。

 新聞各社は読みやすさを理由に情報量を減らしていますが、これは情報単価の値上げに他なりません。また速報性はテレビやネットに譲っても、ニュースを深く掘り下げて読者にわかりやすく伝えるのが新聞の重要な役割とされてきました。それには十分な情報量が必要だと思うのですが、減らしてもいいのでしょうか。

 週刊東洋経済4/12日号に興味ある資料が載っています。新聞各社の発行部数の増減表ですが、5紙の08年2月朝刊のデータを引用します(ABC協会)。()内は05年下期比増減数
産経新聞    2,187,795 (+15,756)
日本経済    3,045,189 (+10,708)
読売新聞    10,015,054 (-18,161)
毎日新聞    3,879,114 (-66,532)
朝日新聞    8,016,119 (-130,011)

 情報量を減らして拡販に多大な力を注いでいる朝日・読売・毎日の部数が低下し、拡販にはあまり力を入れず情報量を維持している日経が伸びているのは皮肉な結果です。産経も増加していますが、これは値下げの影響が大きいとされています。これはABC協会によるデータですが、毎日・朝日・読売の押し紙(読者に届けられずに廃棄されるもの)は2~3割あると推測されていますので、上記のデータはあまり信頼できません。新聞の広告収入は減少していますが、この数値が下落すると広告料金をさらに下げざるを得ないので、押し紙を増やしてでも数値を維持しようという誘惑があるからです(押し紙)。

 昨年の調査で、朝日新聞の読者信頼度は日経に首位を明け渡し、3位に転落しましたが、これも部数の低下に関係ないとは言えないでしょう。(読者信頼度)。朝日新聞は「朝日スポーツ」と改名した方がよいと一部で揶揄されていますが、ポピュリズム路線はうまくいっているとは言えないようです。

 ニュースまで娯楽化するテレビに高い信頼度を望むのが難しい中で、新聞が高い信頼度を維持することは強く要請されることです。新聞がこの先どうなっていくか、わかりませんが、大変興味あるところです。

たった1人起立して君が代を歌う門真の中学校・・・産経以外は何故か沈黙?

2008-04-07 11:09:05 | Weblog
 大阪府門真市の市立第三中学校で今月13日に行われた卒業式で、約170人の卒業生のうち男子生徒1人を除く全員が、国歌斉唱時に起立せず、その多くが斉唱もしなかったことが26日、分かった。式に出席していた3年の担任、副担任計11人のうち9人も起立せずに斉唱もしなかったという。学校側は事前に教員が卒業生に不起立を促した可能性があるとみて担任らから事情を聴いており、事態を重くみた府教育委員会も調査に乗り出した(産経関西より)。

 Googleで「門真市」「国歌」「卒業式」などをキーワードにしてニュース検索をしましたが、産経以外の記事は見あたりません。それに対し、君が代不起立により20人を処分した東京都教委の件は朝日、毎日、赤旗、産経などが掲載しています。

 門真市の中学では「生徒に国歌の意義について説明し、『式で歌うかどうかは自分で判断しなさい』と指導した」と一部の教員は話しているそうです。それにしても170人のうち169人までが一致する徹底ぶりは北朝鮮のマスゲームを思い浮かべるほど見事な「指導」の成果であり、しかもそれが生徒の自主判断とは恐れ入ります。思想統一の結果であればなんとも不気味です。

 これは169人の生徒の大部分に対し、特定の教育によって自由な思考を奪った結果と理解されても仕方ありません。教員自身が起立や斉唱を拒否すること自体は大騒ぎするほどの問題ではないと思いますが、教育の「成果」として成功した今回の例は深刻な問題です。

 中学生という、まだ判断能力の備わっていない者を特定の歴史観や価値観で染めてしまった可能性があるからです。公教育の場を使って、幼少の者に特定の考えを刷り込むことは許されるべきでありません。左右にかかわらずイデオロギー色、宗教色はできるだけ排除すべきです。

 生徒や父兄の立場から言っても、学ぶ中学校によって異なる色に染められたのではたまりません。私立ならともかく(それでもよいとは思いませんが)、これは公立中学校で起こった問題なので余計深刻です。

 君が代を戦前の体制の象徴とみなし、軍国主義の再来を本気で心配するグループは今ではごく少数派となりました。その考え方を支える独特の認識も徐々に支持を失ってきました。例えば中国や北朝鮮の軍事力強化の事実を前にして、非武装中立が言いにくくなったように。

 しかしこの中学校では教員11人のうち9人が不起立であり、不起立教員の率の高さに驚かされます。このような現象が市立第三中学校特有のものなのか、あるいは程度の差があっても他の学校でも見られることなのか、とても気になります。この不起立教員の率を平均値と考えてはいけないと思いますが、教育界の特殊性を感じます。

 今回の事件は公教育での重要な問題の存在を示唆するものであり、公立中学でどんな教育が行われているかということに改めて注目するよい機会であるにもかかわらず、ほとんどのメディアが沈黙しました。東京都教委による処分は広く報道されたことを考えると、メディアの価値判断や見識に疑問を感じざるを得ません。

テレビが需要を開拓する、盗聴調査ビジネス

2008-04-03 10:44:59 | Weblog
 テレビ朝日4月1日のワイドスクランブルは盗聴器調査現場の模様を臨場感豊かに映しだしていました。調査スタッフはある家からの盗聴電波を察知し、その家の中年の男性と思われる人物の了解を得て、家の中の捜索を始めます。

 カメラは部屋の中を巡り、盗聴器はすぐに見つかりました。「警察に届けますか」というスタッフの薦めを男性は拒否し、自分が取り付けたことを認めます。男性には若い妻がおり、その監視のための盗聴器だったというストーリーが完結します(記憶によっていますので多少の不正確さはご容赦下さい)。

 ありそうなストーリーですが、自分で盗聴器取り付けたという後ろめたい行為を果たしてテレビに公開する人がいるでしょうか。また彼の若妻がテレビを見れば自分の部屋だと気づき、夫の行為がばれてしまいます。あまりに不自然なのでヤラセが強く疑われます。ヤラセにしても、安易に過ぎます。もう少しましなストーリーが作れないものでしょうかね。

 話を戻します。Googleで「盗聴器調査」を検索すると252000件、gooでは150000件がヒットし、上位200件をざっと見たところ、大半が盗聴器の調査業者の案内ページです。正確な数はわかりませんが、かなりの規模の産業となっていることが伺えます。

 盗聴器の実況調査はワイドショーでよく取り上げられるネタのようです。そのおかげで盗聴器が仕掛けられることはよくあること、という認識が広まり、盗聴器調査業、盗聴器発見器、盗聴防止機器などの産業が栄えるというわけです。

 テレビが面白おかしく不安をかきたて、業界が潤うという構図です。繰り返し放映されるのは盗聴器が見つかる場合だけです。視聴者に与える不安のレベルが実態に見合ったものであれば問題はないのですが、恐らく必要以上の不安を与えているのではないでしょうか。

 せめてテレビ局は同時に盗聴器の発見率(仕掛けられていた率・・・かなり低いものと思われます)を視聴者に提示して、余計な不安を与えないようにすべきでしょう。盗聴調査をネタにした詐欺の被害が広がらないためにも。

 ワイドショーが盗聴関連業界の振興に手を貸し、僅かでもGDPの増加に寄与したことは否定しませんが、このような"GDPの豊かさ"はあまり歓迎できません。