噛みつき評論 ブログ版

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罪なき者、オリンパスに石を投げよ

2011-11-28 10:04:26 | マスメディア
 柄にもないと言われそうですが、聖書には「罪なき者、まずこの女に石を投げよ」という言葉があります。姦淫の罪を犯した女に対し、死ぬまで群集が石を投げ続けるという残酷な石打刑を目前にして、このイエスの言葉を聞いた群集は次々と去り、女は刑を免れたという有名なお話です。

 石打刑はイランなどに現存していて、その残虐性が国際的な非難を浴びています。姦淫に対する刑罰の重さはわれわれの想像を超えるものがあります。姦淫を愛好する方々はイランに生まれなかった幸運に感謝することでしょう。余計なことでした。次から本題に入ります。

 この聖書のエピソードからは石を投げたり、罪人が殺されるのを娯楽とする群衆の心理をも読み取ることができます。群集は、愚かにも自分たちは罪を犯していない、犯さないと考えていた連中です。

 オリンパス事件は一流企業が起こした不祥事であるだけに世の耳目を集め、企業統治の問題、幹部のモラルの問題など「罪なき」立場のマスコミや評論家の激しい指弾を受けました。ほぼ同工異曲の批判が多くの人によって執拗に繰り返されました。私はこれをすべて否定するつもりはありませんが、もう少し別の見方があってもよいと思っています。

 オリンパスは初めに財テクで失敗したとされています。投資や投機を強く勧誘したのは恐らく証券会社であったでしょう。薦めた投資が失敗したことで証券会社には負い目が生じ、損失の簿外への移し替えに彼らが積極的に協力したことは十分考えられます。しかし、それはオリンパスにとっては外部に知られたくない行為となり、逆に弱みを握られたことになります。

 当初の損失が後に巨額に膨れ上がったことは、オリンパスが弱みにつけこまれ、証券ブローカーや証券会社に食いものにされた可能性を示しているように思います。むろん推測の域を出ませんが、ありそうなことです。このように考えるとオリンパスの被害者としての側面が見えてきます。財テクが流行した当時の風潮、証券会社の手口の巧妙さを知る人はオリンパスに同情すべき部分があることに気づく筈です。オリンパスの罪人は一般人からかけ離れた存在とは思えません。

 大王製紙の元会長が関連会社から金を借りカジノにつぎ込んだ事件も、金額が大きいとはいえ、事件の性格から見て、報道がいかにも大きすぎると思われます。博打による破綻は珍しいことではありません。この場合は恵まれた立場への羨望がさらにバッシングを加速したのでしょう。

 罪人を責めることを娯楽にするという構図は2千年前と変わりません。変わったのは石が言葉による指弾になったこと、断罪を律法学者に代わってマスコミが行うようになったことです。またマスコミのおかげで娯楽を享受する人が数千万人の規模になりました。いまや国民的娯楽と言えましょう。

 自分は「罪なき人」だと思い、事件を楽しむことは、あまり趣味のよいこととはいえません。中でもオピニオンリーダーを自負し、少しはマシな見識を備えている筈のマスコミがそれに迎合し、主導する姿は見苦しく、その品格には少なからぬ疑問を感じます。

高利を追って天罰下る

2011-11-24 10:59:27 | マスメディア
 このところ、金融経済のニュースに世の中が振り回されている観があります。対岸の火事とばかり見物を楽しんでいる人は別ですが、大多数はもううんざりというところでしょう。

 わが国のバブル崩壊やリーマン破綻、そして今の南欧諸国の信用不安、どれも金融機関が高利を求めて貸し込み過ぎたのが一因です。直接的にはリスクの査定が甘かったなどの理由があるのでしょうが、その背景には高利を追うのはあたりまえという風潮があったと思われます。まさに「強欲は善」(1987年の映画「ウォール街」の中の有名な言葉)の時代なのです。

 高利追求の代表のように言われるヘッジファンドですが、その資金運用の委託者は年金組合などの公的な性格を持つ団体が多くを占めているとされています。日本でもいくつかの自治体が株屋の甘言に乗って危険な仕組み債を購入して巨額の含み損を出したことがありました。本来、堅実な運用を求められる資金まで高利を追うことになったのはこの風潮によるものでしょう。

 かつてキリスト教では他人に金を貸して利息を取ることは罪悪でありました(そこで金貸しはユダヤ人が多くなったとされています)。しかし今米国では全産業の利益の4割を金融業が稼ぐという異常な状況になっているそうで、まさに天地がひっくり返ったような変化です。

 高収入が見込める金融業界には有能な人間が吸い寄せられ、多数の人間が相場に向かって日夜仕事に励んでいます。昨日は勤労感謝の日でしたが、彼らの「勤労」にも感謝する必要があるでしょうか。

 金融の混乱は実体経済にも大きい影響を与え、失業の増加などを招いています。飽くなき高利の追求がもたらした天罰といってもいいでしょう。ただ罪を犯した人々と罰を受ける人々が必ずしも一致しないが腑に落ちません。震災では子供の命まで奪われたように、差別しないのが神なのでしょう。

駐車違反取締の不公平

2011-11-21 10:02:46 | マスメディア
 先日、私は車のフロントガラスに「放置車両確認標章」という黄色いステッカーを貼られました。久しぶりの駐車違反(正しくは放置駐車違反)であり、改めてその告知文を読んだところ、二つの不審な点が見つかりました。日本語の文章の問題と罰則の不公平の問題です。告知文の冒頭は以下のような記述です。

 『この車は、"放置車両"であることを確認しました。この車の使用者は、○○公安委員会から放置違反金の納付を命ぜられることがあります。なお、この標章が取り付けられた日の翌日から起算して30日以内に、この車を運転し駐車した者がこの違反について反則金の納付をした場合又は公訴を提起され、若しくは家庭裁判所の審判に付された場合は、この限りではありません。』

 第1文では「放置違反金の納付を命ぜられることがあります」とし、第2文では第1文が適用されない条件を述べています。第1文の「ことがあります」は可能性の表現であり断定ではありません。したがって第2文にある適用されない条件以外にも適用されない場合があると解釈できます(通常、第2文で条件を付けるとき、第1文にこんな曖昧な表現は使いませんけどね)。

 まあ、まともな所でこのような文章は見たことがありません。仮にも、毎年200万人もの人間に渡される公文書ですから、こんないい加減な文章は困ります。第2文の条件以外で適用されない場合があるのなら、はっきり明示すべきです。そうではなく文章表現の拙劣さだとすると、それは国語能力の低さを示すもので、さらに深刻な問題です。

 次は2006年の改正によるものであり、放置駐車違反を経験しておられる方にとってはたぶん目新しい話ではありませんが、このような告知を受けたあと、二通りの対処の仕方があり、一方は免許点数が2-3点加算され、他方は点数の加算なしという不公平が生じる話です。

 つまり放置車両確認標章を貼られた後、正直に出頭すれば反則金を取られた上に点数が加算されるのに対し、そのまま放っておいて後日、車の使用者宛てに送られてくる納付命令に従って放置違反金を払えば、それでおしまいとなるわけです(反則金と放置違反金は同額)。

 実際に出頭する人は2割程度で、残りの大多数が点数なしの放置違反金を選ぶと言われるように「放置違反金方式」の人気が上がっていますが、事情を知らない、あるいは正直な2割がバカを見るという事実を放置している姿勢には疑問を感じます。同じ金額を払った上に点数を欲しがる人はまずいないと思われるからです。

 「放置車両確認標章」に書かれていることは確かに放置違反金が主になっていますが、文章がわかりにくく曖昧で、これを一読するだけではよくわかりません。「出頭して反則金・点数加算の方法と、そのまま帰って放置違反金だけで結末をつける方法とがありますよ」と誰にも分かる文章で示すことが必要でしょう。その場合は、ぜひとも高校程度の日本語リテラシーのある方に書いていただきたいものです。

 まあ駐車違反に関しては、金さえ払ってくれればいいのだ、というのが警察の本音のようです。それなら不公平な点数加算などやめたらいいと思います。こんな問題はメディアが騒げばすぐに動くでしょうが、殺人事件などに忙しくてあまり関心がないようです。

泥縄式ストレステスト

2011-11-17 10:10:34 | マスメディア
 定期検査で停止中の原発再稼働の条件となるストレステストの結果が関西電力と四国電力から提出されたことを受け、原子力安全・保安院は14日、審査の方針などを検討する専門家会議を初めて開いたそうです。

 政府がストレステストを再稼動の条件にすると決めたのは7月初めでした。それから4ヵ月半も経ってからようやく審査の方針(審査ではなく)を話し合うとは実にのんびりしたものです。泥棒を捕らえてから縄をなうという、まさに泥縄式の模範例で、教科書に載せたいほどです。反面、電力会社はその作成に最大限の努力をしたことでしょう。

 しかも出席した専門家からはテストに対する批判的な意見が相次ぎ、委員の井野博満東大名誉教授は、原発に批判的な市民や住民も聴取会に加わってもらうよう要望したそうです。そのため、審査は次回に先延ばしされることになりました。

 ストレステストの結果を審査する会議は安全性を技術的な観点から審査するもので、そこに批判的な市民や住民を参加させるとは、何を考えているのか理解できません。素人にテスト結果を評価させてどんな意味があるのでしょうか。審査会議をイデオロギー論争や政治論争の場と心得ているとしか考えられません。

 そもそもこんな筋違いの発言をするような人物を参加させたことが不可解です。4ヶ月以上も作業を進めてこなかったこともあり、初めからやる気がないのではないのかと勘ぐりたくなります。もしそうでなければ余程の無能者の集まりということになりましょう。

 ストレステスト結果を審査して速やかに可否を決め、その後に自治体や地元の了解などの政治判断に委ねることになるわけで、審査の段階でもたついていては先に進みません。運転再開が不可となればLNG発電導入などの対策を急ぐ必要があり、どちらにしても早く結論を出すことが重要です。今冬以後の電力事情は切迫が予想され、のんびりやっている余裕はないと思うのですが。

 ストレステストをパスさせて原発再開に踏み切れば、反対勢力の強い反発が予想され、再開の決断は政治的リスクを伴います。それよりもずるずると引き延ばし、大停電などの深刻な事態が到来するのを待ち、このままでは国民の生活が脅かされるとしてやむを得ない形で再開を決断する方が短期的な政治的リスクは少なくなります。

 できる限り決断を避けて、減点を最小限に留めようとする野田政権らしいやり方とも思えますが、それは国益よりも政権を優先する立場と受け取れます。それを黙って見過ごすメディアの寛容さ、いや鈍感さ、愚かさが彼らを助けていると言ってよいでしょう。

バブルに於けるメディアの役割

2011-11-14 10:42:34 | マスメディア
 オリンパスの事件の発端は20年以上前のバブル時代の投資の失敗にあるようです。バブルの時代、土地や株、絵画までもが値上がりを続け、一時は日本の土地の総額は広大なアメリカの4倍になったと言われるほど狂気じみたものになりました。そして財テクをしないものは「無能」呼ばわりされました。

 東レなど一部には賢明な例外がありましたが、多くの事業会社や資産家は銀行や証券会社の甘言に惑わされ、禁断の実を食べてしまいました。経済原則からは説明のできない土地や株の異常な高値に疑問をもつ声は大きく伝えられることはなく、多くの人が無限に上がっていくと信じたようです。

 冷静に考えると、価値を生むない財テクによって多数が儲かることなんてあり得ないことですが、それが目立つ形で指摘されることはなかったように思います。数多(あまた)の経済学者たちは何をしていたのでしょうね。

 バブルとは本来そのようなもので、合理的な思考が不合理な風潮に飲み込まれる現象だと言えるでしょう。しかし日本のバブルはかつてなかったほどの規模になりました。当時は日本全体の頭がおかしくなった観があります。それにはマスメディアの大いなる貢献がありました。多くの人が銀行や証券会社の甘言に乗せられた背景にはメディアの積極的な支持の姿勢がありました。

 社会がこのような不合理な方向に向かうとき、それを是正する役割を担うのが多数の優秀なインテリを抱え、社会の木鐸を自認するマスメディアの筈です。ところが燃え上がるバブルの炎に対し、彼らは水の代わりにあろうことかガソリンを注ぎました。主要紙は株などの値上がりを面白おかしく報じるだけでなく、毎週、財テク特集を組み、仮想の株式売買ゲームを毎週掲載して、バブルを煽りました。皆で博打をやって豊かになろう、と言ったも同然です。

 つまりブレーキ役がアクセルを踏んでしまったわけです。因みに木鐸とは世人を覚醒させ、教え導く人と辞書にあります。ご親切にも世人を財テクに覚醒させたということでしょうか。

 バブル後の巨大な損失は罪なき納税者の負担によって埋められましたが、バブルの準主役であるメディアが反省するのを聞いたことがありません。社会の木鐸という看板は偽りだったわけです。

 ブレーキ役がアクセル役に早変わりしたのは、満州事変以後、新聞が戦争へ向けて国民を鼓舞したときと同じです。その後は戦争には懲りたものの、冷静な判断力を欠き、軽薄に流れに乗るというメディアの性格はどうやら不変のようです。

 ついでながら、興味深いことは主要紙が流れに便乗したのに対し、福岡日日新聞や信濃毎日新聞といった地方紙が報道人の気概を見せて、軍部に抵抗を示したことです。しかし日本は不幸にも「民主主義の国」であったので多数の意見が尊重され、破滅へと向かうこととなりました。さて、主要紙すべてが賛成したTPPの結果はどうなるでしょうか。

オリンパス報道の副作用

2011-11-10 10:20:55 | マスメディア
 「飛ばし」というとすぐ山一證券を思い出します。株屋ならこういう手もつかうだろうな、と妙に納得したことを覚えています。今度のオリンパスは優良な事業会社であるだけに「飛ばし」には驚きがあるのでしょう。

 この数日、日本中がオリンパスの不正経理の報道で覆われた観があります。連日、新聞は一面トップに載せ、NHKはトップニュースで取り上げ、米国の証券取引委員会(SEC)までも捜査を始めたとされています。

 そして日本企業全体の信頼性が低下し、日本の株式市場から海外資金が逃げ出して株価が下落するのではないかとの懸念も浮上しています。また株価が4分の1ほどになったオリンパスが海外のファンドなどに買収されることを心配する向きもあります。

 粉飾はむろん許されるものではありませんが、オリンパスの場合は20年前の損失を隠し続け、数年前の企業買収の際に処理したということだと理解できます。いわば過去のことであり、現在の資産価値を大きく損なうというものではないと考えられます(大部分の損失処理が終わっているとしてですが)。

 さて、そう考えるとこの事件に対する報道の大きさは適切なものだろうか、という疑問が生じます。むろん必要な報道はしなければなりませんが、過剰な報道は優良企業であるオリンパスを必要以上の苦境に陥れるだけでなく、日本経済の恥を世界に晒して、日本の信用を低下せしめます。わざわざ日本の恥部を世界に宣伝しているようなものです。

 毒ギョーザ事件で中国製の食品すべてが警戒されたり、福島の農産物というだけで敬遠されたように、世の反応は感情的なものに支配されます。そして感情に強く働きかけるのは報道の大きさと報道姿勢です。オリンパスの株価下落の大きさは感情抜きでは考えられないでしょう。

 オリンパスが二流企業ならばここまで大きく報道されなかったと思われます。メディアは地位あるもの、権威あるものが起こす不祥事が大好物です。コントラストが大きく記事として面白い上、激しくバッシングすることで正義づらができるからでしょう。また「驕れるものも久しからず」が読者・視聴者に受けることを承知してのことだと思います。

 オリンパスの幹部をまるで極悪人のよう思わせる報道があります。もしメディアの関係者が当時のオリンパス幹部であったとした場合、会計基準が簿価から時価に変えられたとき、「オレならその時点で正しい損失処理をする」と断言できる人がどれだけいるでしょうか。少なくとも私にはそれほどの自信はありません。

 過大な報道はオリンパスの約4万人(連結)に上る罪のない従業員を不幸に陥れ、日本の信用を貶める可能性があるわけで、メディアはそれらに配慮しているのでしょうか。雪印食品などのように大量の失業者を出せば、それはメディアによる立派な風評被害です。

 粉飾は投資家にとってはむろん重要な情報であり、適切な報道は必要ですが、彼らはとても目ざとくて、小さな記事でも十分に気がつく筈です。過大な報道が責任ある当事者以外の人々に大きな被害をもたらすことの不条理を思う次第です。まあ所詮はメディアのモラルの問題ですが。

民主主義の元祖、ギリシャの信用度

2011-11-07 10:02:35 | マスメディア
 アメリカがくしゃみをすると日本は風邪に罹り、アメリカが風邪を引くと日本は肺炎になるといわれた時代がありました。日本の対米依存を示すものですが、現在、病原国は世界に広がった観があります。

 2008年のリーマンショックから3年、今度はギリシャ危機。もういい加減にしてくれ、といいたくなります。遠く離れたところで起きた局所的な事件が世界中を不安に陥れる現象、これはまさにグローバリゼーションの賜物なのでしょう。

 ギリシャのGDPはおよそ3000億ドルといいますから日本の約16分の1、日本のGDPは世界の8%程度ですから、ギリシャのGDPは世界の約0.5%を占めるに過ぎません。これは200人の中で、1人が病気になると全員が浮き足立つというようなものです。現在のシステムはまるで危機を増幅するようにできているかのようで、実に迷惑な話であります。

 それはともかく、EUによるギリシャ財政危機の包括対策を同国が受け入れるかどうかについての国民投票が突如として発表された直後、世界中に衝撃が走り、各国の株価も大きく下落しました。これは国民投票によって受け入れを拒否されるかもしれないという懸念が広がったためとされています。

 第三者から見れば、借金の半分を棒引きしてさらに資金を貸すという包括案以外の選択肢があるとは思えないのですが、国民投票、即ちギリシャ国民の総意による判断を関係各国は信用できなかった様子が見て取れます。国民投票はもっともよく民意を反映するものの筈ですが、各国はそれを信用せず、かつ尊重もしないという本心が見えます。

 ギリシャは古代にポリスと呼ばれる都市国家を築き、直接民主制を取り入れたことは教科書にも出てきます。いわば民主主義の元祖のような国です。しかし投票行動は感情に訴える雄弁な扇動者によって左右され、衆愚政治に陥ったとも言われています。

 EUの提案を受け入れるか否かというような複雑な問題は簡単に判断できるものではありません。正しく判断するためには国民の大多数が問題をよく理解することが必要ですが、それは困難なことです。したがって理解の難しい問題ほど扇動者の役割が大きくなります。そのような問題においては、影響力の大きい扇動者の意見が投票によって決定されると考えられます。

 今のTPPも複雑多岐にわたる、理解の難しい問題です。さらに参加の前に詳しい内容が明らかにされないまま、一旦参加すれば撤退は実質的にできないなど、腑に落ちない点もあります。既に日経、朝日、読売、毎日の各紙はTPP賛成の態度を社説などで表明していますが、ずいぶん勇敢なことと感服します。TPPの影響は不確定な要素が多く、予測はきわめて困難だと思いますが、なんとも素晴らしい決断力です。

 一方、10月31日の記事に全文の要約を引用しましたが、政府から漏れたとされる内部文書には以下のような記述があります。

 『マスメディア、経済界はTPP交渉参加を提案。実現できなければ新聞の見出しは「新政権、やはり何も決断できず」という言葉が躍る可能性が極めて大きい。経済界の政権への失望感が高くなる』

 マスメディアが政府の判断に強く影響を及ぼしていることがわかります。その影響力は次の選挙の結果を左右するところから生まれます。古代ギリシャの扇動者は雄弁家でしたが、現代の扇動者はマスメディアでしょう。

 まあ、古代ギリシャより二千数百年の時を経ても民主主義というものはあまり進歩しないものだ、ということだけは確かなようです。

週間新潮・文春の品性・・・橋下元知事の暴露記事

2011-11-03 10:04:46 | マスメディア
 新潮45の11月号に続いて、週刊新潮(11月3日号)と週刊文春(同)は橋下元知事の出自や親族などに関する暴露記事を載せました。父親が暴力団と関係があったこと、地区に住んでいたこと、親族に犯罪者がいたことなどを暴露する内容のようです。

 市長選挙前で問題だという意見ありますが、それよりもこんなプライバシーの侵害行為があっていいのかと驚きます。2社が同時に載せたわけですから、多分週刊誌業界では許容範囲なのでしょう。

 いくら公人といっても本人の仕事と関係ないことをここまで書くのは下劣なだけでなく卑怯です。卑怯という言葉は最近あまり使われなくなりましたが、かつてはもっとも言われたくない言葉でした。しかしこういう記事が日常的になれば卑怯という概念も衰退することでしょう。

 週刊誌の信用度は決して高くないですが、数十万部が発行される影響力の強いメディアであり、新聞には劣るものの公共的な性格もあります。それが怪文書のようなものをバラ撒けば、出自などのプライバシーを探り出して公表することはやってもいいこと、という風潮を作ります。有名人の秘密を嗅ぎ出して売る探偵まがいの「ビジネス」も流行ることでしょう。このような週刊誌はモラルの破壊者です。

 橋下氏は自身の子供について

「子供は、事実を初めて知った」
「公人本人はどうでも良い。自分で選んだ道だから。では公人の家族はどうなんだ?」
「公人の子供であれば、超プライバシーにあたる事項も全て公開か。子供は自分でも知らなかった今回の週刊誌報道にかかる事実をこれから背負わされる。週刊誌はそのことに関してどう考えてるのかね」 と語ったそうです。

 橋下氏の言い分はまったく当然のことだと思います。もっと強い言葉を使って非難してもよいくらいです。

 新潮45は売り切れ店が続出したそうで「商売」は大成功した模様です。週刊誌の方もきっとよく売れたことでしょう。しかしその売り上げ金のために出版社は魂を売ったと言われても仕方ないでしょう。元々あまり良質の魂とは言えませんが。

 出版社は売れなければ生きていけないので、売らんがための競争が背景にあるのでしょう。一般的には競争は消費者にとってよいことです。車や家電に見られるように普通の商品では客観的な評価がある程度可能ですから、よい商品が売れ、たいていは全体としてはよい方向に進みます。

 しかし週刊誌の世界はそうではありません。売りものは有名人プライバシー暴露などの興味本位のものや、放射線の恐怖といった不安を煽るものなどであり、競争はむしろ記事の質を下げる方向に働くと思います。それは今の週刊誌の質をみれば明らかです。

 記事の質を保っていたのは制作者の矜持であったと思われますが、近頃はその矜持がカネの力に屈したと言えるでしょう。他の業界ならともかく、メディア業界のモラル低下は社会をも巻き込むところが困ったところです。